227 それは惚れ薬ではありません
私、惚れ薬の材料となる植物モンスター娘のアルラウネ。
でも、惚れ薬は作りたくないの。
自分の体からそんな薬ができてしまったら、元聖女として立ち直ることができなくなりそうだから……。
「フロイントリッヒェ様は、マンフレートさんが、好きなのですか?」
だって、二人はこないだ会ったばかりでしょう?
それがなんでいきなり、惚れ薬を使って結婚したいくらい好きって話になっているんだろう。
「実はわたくしたちは、これが初めてではありません。マンフレート様のご両親がガルデーニア王国の親善使節として帝都まで来ていた際にマンフレート様も同行されていたので、小さい頃から何度か顔を合わせたことがあるのです」
二人は昔からの知り合いだったんだ。
この街は帝国の国境とも近いから、マンフレートさんの家はそういった役割も果たしていたのかもしれないね。
「わたくし、昔から彼のことを良いと思っていたのです。ちょっとぽっちゃりしたところも可愛らしいですし、領地もグランツ帝国にも近いので嫁入りするにはちょうど良いなって前から目をつけていたのです」
帝国のお姫様を嫁に貰うなんて、なかなかできることではない。
マンフレートさんから見ても、悪い話ではないはず。
「ですが、マンフレート様は昔から心に決めた女性がいるようなのです。これまで何をしてもわたくしに振り向いてはくれなかったのですが、もう後戻りはできません。どうか、わたくしのために惚れ薬を作ってください」
もしかして、初恋なのかな。
それなら、できればどうにかしてあげたい。
私の初恋は成就しなかったけど、せめてフリエには幸せになって欲しいから……。
とはいっても、いくらお願いされても作り方は知らないんだけどね。
こんなことなら、魔女王に作り方を聞いとけば良かったかな?
いや、私のことを薬の材料としか見ていない魔女王に、こんなことを聞くのは私のプライドが許さない。
「わたくしには時間がありません。しかも失敗は許されない……だから、アルラウネ師匠。力をお貸しください!」
たとえばだけど、パンジーの花の汁をまぶたに塗って、目覚めた時に最初に見た人を好きになったりしないかな?
シェイクスピアの『夏の夜の夢』じゃあるまいし、さすがにねえ。
まさか私の蜜をまぶたに塗っても、そんな効果はでないでしょ。
それとも、知らずにシャンプーに謎の効能を付与してしまった例のように、もしかして頑張れば惚れ薬を作れてしまったりして?
でも、試したくはないね……。
「惚れ薬……惚れ薬かあ」
もう、普通に告白すればいいんじゃないかな?
というかフロイントリッヒェ皇女は、私になにか隠し事をしているよね。
いくら箱入りのお姫様とはいえ、皇女が恋心だけでこんなことをするとは思えないから。
「皇姫様が、マンフレートさんと、結婚したい、別の理由も、あるのでは、ないですか?」
「さすがアルラウネ師匠、よくおわかりで。このことは他人に告げるつもりはなかったのですが、師匠は人ではなくモンスターですから良いことにしましょう」
私、モンスターだけど元人間なんだけどね。
ついでにあなたの知り合いですよ。元師匠ですよ。
「わたくしの母は皇帝陛下の第一夫人です。同母の兄弟として他に兄と弟、妹がいましたが、既に全員が故人となっています」
その言葉を聞いて、少なからず驚いてしまう。
彼女の兄弟たちは、かつて私が会ったことがある人物でもあったから。
「帝室には他に、第二夫人と第四夫人、側室にも皇子がいましたが、全員帰らぬ者になっています」
そ、それって……。
「現在、わたくし以外に生存している皇帝陛下の皇子は、第三夫人の……儚姫様陣営の皇子しかいないのです」
聖女イリス時代の記憶だと、皇帝の子供は十人以上いたはず。
それなのに、そのほとんどが亡くなっているのだという。
「帝位継承権を持つ皇子たちは、第三夫人の勢力によってみんな暗殺されてしまいました。わたくしが生きているのは、光回復魔法によって毒が効かないため食事中に死ぬことがなく、胸を刺されても自分で回復できたからです」
聖女の力がなければ、すでに死んでいたとフロイントリッヒェ皇女は小さく口にします。
まさかそれほど帝国内で次期皇帝争いが行われていたとは知らなかった。
「そして第三夫人が精霊に呪われたことで焦ったのか、わたくしへの暗殺方法に躊躇がなくなってきました。あのまま帝国にいても、わたくしは新年を迎えることはできなかったでしょう」
てっきり、バロメッツさんに会いたいというお姫様のわがままで、帝国の侵攻が行われたのだと思っていた。
でも、違った。
フロイントリッヒェ皇女は、自分が生き残るために、必死に策をめぐらせていたんだ。
それこそ、世間知らずなお姫様を演じながら。
「それにこの街でなら、わたくしの光魔法の力を存分に使えます。魔王軍との最前線なら、けが人も多いことでしょう。帝国ではなかなか使わせてもらえなかったわたくしの力を、存分に振るいたいのです!」
フリエは昔から、自分の光魔法の力を伸ばしたいと考えていた。
だけど、グランツ帝国にはガルデーニア王国の聖女に匹敵する光魔法の使い手はいない。
だからこそ、私に師事を願って、弟子入りしたんだっけ。
「もしもわたくしがこのまま帝国に帰ったら、第三夫人派の者によって暗殺されるのは確実です。おそらくあの遠征軍の中にもわたくしの命を狙う刺客が紛れ込んでいたはずですが、アルラウネ師匠のおかげで命拾いしました」
もしも私が帝国兵たちを眠らせなかったら、どうなっていたか。
塔の街との闘いに乗じて、味方であった帝国兵によってフロイントリッヒェ皇女は殺されていたかもしれない。
そうなれば、皇女を殺したのは塔の街の人間だということになって、ガルデーニア王国とグランツ帝国との間には消えない亀裂が生じる。
この前みたいな小競り合いではなく、本当の戦争が始まっていたかもしれない。
「まさか、そんな、ことになって、いたなんて……」
外国の情報は、隣だとしても意外と入りにくい。
イリスが殺されてから五年も経っているとはいえ、ここまで私が知っていた頃と情勢が変わっていたとは思わなかった。
お隣の帝国ですら、こうなのだ。
そうなると、ガルデーニア王国内部の現状は、いったいどうなってしまっているんだろう……。
「ですからわたくしは昔から、生き残るために外国に嫁ぎたいと考えていました。マンフレート様は知らない仲ではありませんし、本人のことも良く存じております。嫁ぎ先として申し分ありません」
グランツ帝国内で結婚しても、その子供が帝位継承争いに巻き込まれてしまうかもしれない。
第三夫人の魔の手から逃れるためには、国外に脱出するのが一番ってことなのかな。
でも、フリエには悪いけど──
「ごめん、なさい。惚れ薬は、作れません」
フリエには申し訳ないけど、惚れ薬なんて作れない。
もしも作ってしまったら、私もあのゼルマや魔女王と同じになってしまうから。
「そうですか。惚れ薬があれば、幼い頃よりのマンフレート様の想い人を超えられると思ったのですが……」
そういえば、マンフレートさんには心に決めた相手がいると、さっきフリエが言っていたね。
いったい誰なんだろう?
「ちなみに、その想い人とは、誰のこと、なんですか?」
「その人は、すでにこの世にはおりません……数年前に亡くなっているのですが、それでも忘れられないようで、マンフレート様はどの令嬢から婚約を願われてもすべて断っているようです」
こ、故人なんだ。
まさか、その相手って……。
「マンフレート様が好きな相手は、聖女イリス様です。とはいえ、片思いだったようですが……」
やっぱり、私だったー!!
そういえば、昔から何度も王都に現れては、私の絵を描かせてくれとその都度頼み込んで来たよね。
絵画に描きたいくらい私のことが好きなのは知っていたけど、まさかそこまで想われていたなんて……。
「ですが、それもどうやら、わたくしの勘違いだったようです。さきほどマンフレート様とお話をして、恋というよりはイリス様への崇拝に近い想いだったのだとわかりましたから……」
うん……やっぱり、そっちだよね。
マンフレートさんは、私に恋をしていたというより、なんか違う感情を持っているような気がするよ。
「それにもう一つ問題が……イリス様はもういませんが、同じくらい崇拝している相手がマンフレート様にはいるようなのです」
私のことをじーっと見つめてくるフロイントリッヒェ皇女。
なにさ。
もしかして、マンフレートさんの心が私に向いているって言いたいの?
それはね、私が聖女イリスと同じ顔をしているからだよ。
絶対に、恋じゃないから。
だって私、モンスターだから!
うぅ、このまま敵対意識を向けられるのだけはごめんこうむりたい。
なんとか皇姫様の恋を成就させてあげないと!
「ええと……惚れ薬は、作れませんが、マンフレートさんが、好きな物なら、作れますよ」
「それはいったい……?」
「ちょっと、いま、作りますからね…………はい、できた!」
昔よりも作成時間が大幅に短縮できている。
私ったら、成長したね。
精霊の力を取り込んだおかげなのかな。
「これなら、きっと、マンフレートさんも、喜びますよ」
「これは……飴、ですか?」
マンフレートさんの大好物といえば、私の蜜。
だから、特製の蜜玉を作っちゃいました!
私の蜜は、魔女っこによって売られてしまった。
おかげでいまでは、信じられないことに街の外にまで蜜を輸出している始末。
そこまで大繁盛しているけど、この蜜玉だけは商品として売りには出さなかった。
だからこそ、この蜜玉は、希少なものなのだ。
聖蜜大好きなマンフレートさんなら、絶対喜んでくれるはずだよ!
「まさか、これが惚れ薬……?」
「違います。私の、蜜です」
これはですね、蜜狂いのアルミン少年やクマパパが虜になるほどの、至宝の一品なのです。
きっと、これをプレゼントすれば、彼らと同じでマンフレートさんも大喜びすること間違いなしだよ!
「それは、蜜玉と、いいます。この世に二つと、現存しない、特別な、ものですよ」
他は全部、食べられちゃってるからね。
アルミンとクマパパの例からしても、間違いなくマンフレートさんも好きになると思う。
「アルラウネ師匠、ありがとうございます!」
目を輝かせながら、フロイントリッヒェ皇女は蜜玉を手にします。
私の蜜玉がきっかけで、少しでも二人には仲良くなって欲しい。
そう思ったから、つい作ってしまったのだけど──。
それから彼女の行動は、早かった。
私が森で冬ごもりの準備を進めている間に、フロイントリッヒェ皇女はやったのだ。
ある日、私はマンフレートさんと皇姫フロイントリッヒェ様に呼び出されました。
そうして、マンフレートさんから、驚きの宣言をされるのです。
「コホン……実はな、フロイントリッヒェ様と婚約することにした」
「えぇええ!?」
蜜玉効果は絶大でした。
フロイントリッヒェ皇女は、蜜玉を利用して、マンフレートさんの心を射止めていたのだ!
「いったい、なにが、あったん、ですか!?」
「フロイントリッヒェ様にアルラウネ殿の蜜玉をプレゼントされたのだが、とても貴重なものというだけあって非常に美味で、最高の一品だった。なにせ、これまでの人生で食べたことがないほどの味だったからだ……!」
ちょっとマンフレートさん、よだれ、垂れてますよ。
なんだかクマパパみたい。
あっ……フロイントリッヒェ皇女が、マンフレートさんの口元をハンカチで拭いてあげている。
信じられない。
この二人、本当に仲良くなってる!
「それで私は、蜜玉のお返しに自作の聖女イリス様の肖像画をフロイントリッヒェ様に贈ったのだ。それが、きっかけだった」
どうやら、聖女イリス好き同士で、馬が合ったようでした。
フロイントリッヒェ様は、聖女イリスとアルラウネの話題を巧みに振り、マンフレートさんとお近づきになったみたい。
「フロイントリッヒェ様の複雑な事情も知っている。同じ聖女イリス様を仰ぐ身として、私が彼女を守ってみせよう。それに、両国間の平和の象徴にもなるから、国王陛下も結婚をお許しなさるはずだ」
マンフレートさんは、フロイントリッヒェ皇女が命を狙われていることを知ったうえで、婚約を受け入れたんだ。
見かけによらず、男気があるなと感心しちゃうね。
「そろそろ私も身を固めなければと思っていたが、蜜玉がきっかけでフロイントリッヒェ様とは良い関係が結べた。これもアルラウネ殿のおかげだ!」
まさか蜜玉を渡したことで、こんなに上手く運ぶとは思わなかったよ。
つまるところ、私がきっかけで、二人はくっついたことになるのかな。
まさかあの蜜玉、本当に惚れ薬だったんじゃ……いや、そんなことはないよね。
あとで、私はフロイントリッヒェ皇女にこっそりと呼び出しを受けて、こう言われます。
「アルラウネ師匠に惚れ薬をいただいたおかげです」
違うから!
あれはただの蜜玉であって、惚れ薬なんかじゃないんだからね!
マンフレートさん特効な一品だっただけだから!
「ふふっ、わかっておりますとも」
これ、間違いなく、からかわれているね。
「まだいくつか問題はありますが、マンフレート様が相手ならきっとお父様もお認めになってくれるはずでしょう。これでわたくしは、グランツ帝国に帰らずに済みます」
思えば、すべてはフロイントリッヒェ皇女の思うままに動いていた。
私の知らないところで、マンフレートさんをあっという間に攻略したのだ。
なにもしないで国に帰ると暗殺されるのならば、ガルデーニア王国の貴族に嫁ぐことがフリエにとって一番の望みのはず。
その相手としてマンフレートさんを選んだのなら、私はこれからも応援するよ。
幸せになってね、フリエ……!
「やはり、師匠は偉大ですね。わたくしが何年もできなかったことを、簡単に成し遂げてしまうなんて」
「私の力ではなく、皇姫様の魅力が、マンフレートさんに、伝わったから、ですよ」
フリエは昔から可愛かった。
光魔法の弟子としても、年下のお姫様としても。
だから、恋が実ったのなら、私は本当に嬉しいよ。
「いいえ、違います。師匠は、アルラウネになる前から、私の憧れの師匠でしたから……」
──ん?
なにかいま、変なことを言われなかった?
「そうですよね、イリス師匠?」
な、なんで、私の名前をフリエが……?
こないだ再会した時とは違って、まるで私がイリスだと確信するような視線。
思い返してみると、私のことを“アルラウネ師匠”と呼んでいたことが、引っかかっていた。
聖女時代には“イリス師匠”と呼んでいた子が、モンスターである私を同じように師匠呼ばわりする。
シャンプーの件があったとしても、まだ会ったばかりのモンスター相手に、それはちょっとおかしい。
とはいえ、いつも能天気なフリエに見抜かれることはないと高を括っていたのだけど、まさかこうもあっさりと見破られていたなんて……。
もしかして私、やっちゃった?
いったい、どこで気づかれたの!?
「敵から身を守るためには、本当の自分のことは隠し通して愚者を演じる。それについては、皇女もモンスターも同じだったみたいですね」
この言い方、間違いなく確信している。
──どうしよう。
これ、バレたかも!
そういえば帝国の遠征軍の中に見たことある人がいたような……。
次回、あなたのお兄さんって誰ですかー!です。