221 炎龍様と黒い炎
私が出会ったことのある魔族は、誰もが人間を敵だと認識していた。
同じように、人間側も魔族のことは敵だと考えている。
魔族は蛮族の集まり。
それが人類共通の認識です。
それなのに魔王城で見た魔族は、そうではなかったよね。
悪魔メイドのヤスミンさんみたいに平和主義な魔族もいたし、植物園のヒュドラさんみたいに人を襲うより植物に水やりをするのが好きな魔族もいた。
テディおじさまのような紳士もいれば、炎龍様のような知的で貴族のような振る舞いをする魔族もいる。
あの光景を見て、教会から教えられてきた常識がひっくり返るように感じたの。
おかげで、これまでまったく疑問に思わなかった疑問が浮かんできます。
そもそも、魔族ってなんなんだろう。
モンスターといわれる魔物って、いったいなんだろう。
それらを束ねる魔王は、いったい何者なんだろう……。
「我が何者か、興味があるのか?」
「はい、気になります」
「我は其方とは、一介のドラゴンとアルラウネという関係でいたいのだがな」
一介のドラゴンというには、炎龍様はちょっと強すぎじゃない?
魔王軍宰相で炎龍様の姉の氷龍。
彼女があのフロストゴーレムよりちょっと強いくらいの実力だと仮定しても、炎龍様の強さはずば抜けていると思う。
実は私には炎龍様について、二つほど心当たりがあるの。
一つは、ガルデーニア王国の古い歴史書。
聖女にしか見ることが許されない特別な本に、それは書かれていた。
数百年前に人類を滅亡寸前まで追い込んだ、黒いドラゴンがいたという記述があったはず。
炎龍様は黒色ではないけど、記述のドラゴンと同じで、炎を使っている。
だから、もしかしたらそのドラゴンというのは、炎龍様のことなんじゃないかと思うんだよね。
違ったとしても、同じドラゴンなんだから少なくとも関係はあるはず。
そしてもう一つは……これについては、直接聞く勇気が私にはまだない。
「我は、隠居したただのドラゴンだ」
「隠居、されている、んですか?」
「城でも見ていただろう。特に仕事をしていたつもりはない」
隠居しているにしては、随分と魔族から慕われているよね。
部下もたくさんいるし。
四天王であるフェアギスマインニヒトも、魔女王補佐も、炎龍様には敬意を払っていた。
「隠居している身ゆえ、植物園もそうだが土いじりにハマっている。だから少し手伝うことにしよう」
炎龍様が椅子から立ち上がります。
そして、炎の鍬を作り出しました。
「アルラウネは野菜を作っているのだろう。少し手伝おうではないか」
ま、まさか、炎龍様が農作業をしようとしてる!?
ちょっと、イメージと違いすぎて申し訳ないんですが!
炎龍様は椅子に座ってワインを飲みながら優雅に微笑んでいるのが似合っていますよ。
そりゃ土いじりをする姿もカッコイイだろうけど、お手を煩わせるのが心苦しくてどうしたらいいかわかんなくなるよー!
「ん? この土、妙だな……」
炎龍様が地面を触りながら呟きます。
それだけでわかるなんて、さすがですね。
「塩害が、起きたのです。辺り一帯、すべて被害が、出ています」
「ここは海から遠いだろう。なぜ内陸でここまでの塩害が出ている?」
「魔女王の、せいです。ここで、潮の嵐を、起こしたんですよ」
おかげで魔女っこやキーリたちは、あれから毎日この対応に追われているんだよね。
石灰を貰うだけじゃなくて、人員も寄越してもらうよう言えば良かったよ。
「キルケーが塩害を起こしたのか?」
「そうです。潮の雨が、降りました」
「愚かな……それでは森が枯れてしまうではないか」
自前の植物園を運営しているくらいです。
やっぱり炎龍様は植物や自然のことが好きみたいだね。
まあ初めて会った時、炎龍様は森を燃やしていたけど、あのことは気にしないことにしましょう。
「アルラウネ、安心しろ。我が元に戻してみせよう」
「除塩作業を、しているので、いずれ元には、戻りますよ?」
「いいや、それでは時間がかかる。それに完璧でもないだろう。ゆえに、あの馬鹿者の代わりに我が森を元の姿に戻す」
──ボウッ。
炎龍様の右手に、黒色の炎が灯りました。
私を燃やした時の青色の炎とはまた違う火。
どこまでも黒くて、闇に沈んでしまいそうな不思議な炎でした。
「これはいつもの蜜の礼と、アルラウネへの詫びだと思ってくれ」
炎龍様が右手を地面につけました。
──ドクンッ!!
な、なにいまの!?
大地が鳴動した??
それに、何かが根を通り過ぎて凄い速さで広がっていった感じがした。
得体の知れない、何かが。
「この一帯の土の余分な塩分をすべて滅却した。これで塩による被害はなくなったはずだ」
「いまので、それを、したんですか……?」
「これくらい我にかかれば簡単だ。だが、あの炎については他言しないでもらおう」
炎龍様は、あの黒い炎で塩分を燃やしたんだ。
実際に、炎龍様が手をかざしてから、土の中の雰囲気が一変した。
さっきまでと比べて、水の吸収がしやすくなった気がする。
本当に塩害による被害が、完全になくなっているのだ。
え、こんなことって可能なの?
地面の中の塩分だけを消滅させる魔法なんて聞いたことがない。
自然を操る精霊魔法が使える妖精キーリだって、塩分を取り除くのには苦労していた。
しかもこの付近の森一帯となると、その効果範囲は想像できないくらい広い。
それをこの一瞬で成し遂げてしまった。
あの黒い炎は、いったいなんなんだろう。
「其方、根を広げているな。信じられないくらいの広範囲が、アルラウネの体と同化しているようだが」
「それも、わかるの、ですか?」
「今この瞬間も、其方は根を伸ばしている。ガルデーニア王国の王都の方角に」
「……炎龍様は、先ほどいったい、何をしたん、ですか?」
「さすがにまだわからないか。アルラウネほどの強者はそうはいないはずなのだが」
「買い被り、すぎですよ……」
「其方以上の強者は、数えるくらいしかいない。誇って良いぞ」
「……もちろん、炎龍様も、その中の一人、ですよね?」
「なら試してみるか?」
「遠慮、しておき、ます」
私は魔王軍の四天王にも、魔女王にも負けなかった。
なんだったら、かなり力の余剰を残して勝利している。
だけど、炎龍様の底は未だに見えない。
疑惑が確信に変わりました。
やっぱり炎龍様は、人間を滅ぼす気はないんだ。
あの黒い炎を使えば、きっと人間の国は一夜にして滅ぶはずだから。
「炎龍様は、お優しい、んですね」
「我が優しい? そんなことを言ったのは、其方が初めてだ」
楽しそうに炎龍様が笑い出します。
テディおじさまも、愉快そうに微笑んでいました。
もしも私が人間の時に、炎龍様と出会っていたらどうなっていたんだろう。
私の光魔法でも、あの黒い炎を対処できるか自信がない。
まるで光の対極の、闇のような黒い炎だった。
「最後に一つ、教えて、ください。魔族は、なぜ人間と、敵対している、のですか?」
「アルラウネが我の配下になるのなら、教えてもいいだろう」
「つまり、その理由を、ご存知、なのですね?」
「……どうだろうな」
人間対魔族。
きっとこの図式が生じた時に、なにかがあったんだ。
人と戦う気がない炎龍様が魔王軍にいるのも、それが原因なのかな。
「我も一つ確認したい。アルラウネは精霊女王の縁者ではないのだな?」
精霊女王って、たしか女神の森にいるっていう精霊の女王様のことだよね。
魔女王キルケーだけでなく、炎龍様も女神の森のことを知っているんだ。
「関係ない、ですよ」
「それなら安心した。これからも蜜を頼むぞ」
炎龍様が魔法を唱えます。
するとその場に翼の生えた炎のドラゴンが現れました。
「夏も終わるな。我は城に帰ろう」
時刻は夕暮れ。
太陽が沈む時間が短くなったこともあって、もう日が陰っています。
炎龍様のバカンスは終わってしまったのでしょう。
「あ、帰るなら、これをあげます」
「なんだこれは……アルラウネ印の聖髪料?」
「私が作った、シャンプーです。髪質が若返って光り出したり、フサフサになったり、するようですよ」
「ありがたくいただこう」
炎龍様とテディおじさまが、炎のドラゴンの背に乗りました。
そのままドラゴンは空の上へと飛翔していきます。
「また来る。それまで息災でな」
そうして、炎龍様は魔王城へと帰って行きました。
また来年の夏、会いに来てくれるのかもね。
ふと、地面を見てみます。
炎龍様が持ってきたワインの瓶が置いたままになっていました。
置き土産かな。
せっかくくれたんだから、誰かに飲んでもらいたいよね。
そうだ。魔女っこがお酒を飲める年齢になったら、プレゼントにあげるのもいいかもね。
それまでは、地面の下で冷やすとしましょう。
私はシモバシラを作り出し、氷の花を咲かせました。
同時に箱型の木を生やして、ワインと一緒に氷の花を敷き詰めていきます。
準備ができたら、そのまま地面へと沈めてしまいます。
魔女っこが大人になるその日まで、土の中で寝ていてくださいね。
私の中の楽しみが増えた。
ワインの蓋を開ける日が訪れるのが、今から待ち遠しい。
そうして夏も終わり、秋になりました。
炎龍様のおかげで、森は完全回復です。
除塩作業からも解放されて、みんな秋を気ままに過ごしていました。
春の終わりからずっと平和な日々が続いています。
でも、平和というのはある日唐突に終わることを、私は思い出してしまうのです。
「なんか、揺れてる?」
地響きが地面から伝わってくる。
遥か遠くまで根を伸ばしている私だから気がつけた。
ここからはかなり距離があるけど、どこかで大勢の人間の歩く音がする。
いったい何事だろう。
ちょっと様子を見に行ってみようかな。
私は森の南側へと転移します。
こちらは王都の方角とは違うから、あまり根は伸ばしていない。
それでも、振動がする場所の近くに移動することができました。
「なに、あれ……?」
森の端から、平原を見つめます。
そこには、大勢の人間の姿がありました。
「あの旗は、グランツ帝国、のはずだけど」
武装した人間の集団が、列になって歩いている。
しかも数が尋常じゃない。
数千人はいるね。
「え、ここって、ガルデーニア王国の、領土内、だよね?」
ここは、炎龍様に燃やされた森の端っこ辺りです。
魔女っこが暮らしていた村の、少し北にあたる場所でもあります。
だからここは、グランツ帝国ではなく、ガルデーニア王国の領土内なの。
帝国の軍隊が、王国内で自由に歩いている。
このことが示すことはただ一つ。
領土侵犯だ。
「しかも、この方角って……」
帝国軍が進む方角。
その先にあるのは、塔の街でした。
帝国については物語序盤から名前だけ出ていましたが、ついに表舞台にも出てくるようです。
次回、シャンプーが売れれば帝国軍が動くです。