214 魔女王と塩の森
こんなこと許せないよ。
なんで地面に塩がばら撒かれているのさ!
これはまずい。
──塩害。
その二文字が頭をよぎります。
私は自分の花冠を指でなぞりました。
思ったとおり、指先にも白い結晶が付着している。
「なんで、塩が、ここに、あるの……」
「あれれ~。森から動けないアルラウネなのになんで塩を知っているのかにゃ~?」
「ルーフェから、教えて、もらったん、ですよ」
魔女王の笑顔が憎い。
だってさ、森に塩を撒くなんて正気なの?
この辺の植物を根絶やしにしようとしているしか思えない。
「ルーフェに教えてもらっただけにしては、随分と塩に対して嫌悪感を持っているみたいだね〜。あの子は塩の特性なんて何も知らないでしょう?」
どうやら顔に出てしまっていたみたいです。
前に毒妖精に除草剤を撒かれた時も驚いたけど、今回の衝撃はあの時以上だからね。
「植物は塩分に弱い。わたしは長生きしている魔女だからそのことをよく知っているけど、ルーフェはそんなこと知らないよね」
「ルーフェは、賢い子、なんです」
「いいや、ルーフェはただの村娘だったし、貴族の令嬢だった聖女イリスもこのことを知っているとは思えないよ。塩と植物と土の関係性を、紅花姫ちゃんはいったいどこで知ったのかにゃ?」
魔女王は「なにか隠しているよね?」と追求してきました。
公爵令嬢で聖女であったイリスには農業のことはよくわからないから、魔女王が不思議がるのも当然のことだよね。
どこで知ったかって?
そりゃ前世の知識に決まっているよ!
森に塩が撒かれるとどうなるのか。答えは簡単。塩害が起きるのです。
ひと言でいうなら、植物に塩を与えると枯れてしまうのだ。
沿岸部での農業では塩害による被害があるのを本で読んだことがありました。
それに私はそこまで詳しくはないのだけど、歴史的には、古代ローマ帝国が敵国のカルタゴに塩を撒いて、農業をできなくしたような話を聞いたことがある。
塩を撒かれた土地は、不毛の土地になってしまうのだ。
つまり、このままだと私は枯れてしまう。
──この森ごと、消滅してしまう。
「モンスターが知るはずのない知識を持っているし、聖女イリスの顔を持っている。やっぱり紅花姫ちゃんの存在は奇妙でしかないよね。ねえ、あなたはいったい何者なの?」
「私は、ただの、アルラウネ、ですよ」
前世で高校に通っていた私も、聖女として国のために貢献していた私も、もう存在しない。
いまの私はただの一輪のアルラウネなのだ。
だから全力で白を切るよ!
「そんな、態度で、良いの、ですか? 私は、魔女王さんを、捕まえて、いるので、まだ私が有利の、はずですよ」
「あ、そうだった。ごめんごめん~。わたしさ、実は捕まってもいないんだよね〜」
そう言うと、ネナシカズラで拘束していたはずの魔女王の体が霞んでいきました。
幻を見ているみたいに、そのまま魔女王の姿は雲散霧消してしまいます。
「荒天魔法“蜃気楼の分身”。わたしは幻を作り出すこともできるんだ~」
──うそでしょう。
魔女王を捕まえていたと思っていたけど、それは霧の塊でした。
私の渾身の一撃が、避けられていたのだ。
代わりに無傷の魔女王が、塩の大地の少し上で浮遊しています。
「にゃはは、残念だったね~。おとなしく調合の素材になるんだね。紅花姫ちゃんほどのアルラウネとなると、最高級の媚薬が作れるだろうからさ!」
「媚薬なんて、作って、どうするん、ですか?」
「教えないよ~。まあ、次に使う相手はもう決まってるんだけどね」
どうやら私の命がもう長くないと判断した魔女王は、饒舌になっているみたい。
私は塩害でしなしなになっているポーズを取りながら、上目づかいでお願いします。
「最後に、教えて、ください。この塩は、どこから、来たんですか?」
「これはね~、“嵐災”を使って海から運んできたものなんだよ~」
嵐に攻撃を混ぜていたのは、なにも私だけではなかったようです。
魔女王も、あの嵐を利用していた。
──信じられない。
魔女王は私と戦う前に海辺で竜巻を生み出し、そこで空に巻き上げた海水を魔法の嵐を使ってここまで運んできたのだ。
そんな規格外のことができる魔女王の実力もそうだけど、そこまでして私を殺したいという執念が怖い。
わざわざ海から塩を運んでくるなんて、どれだけ大変なことをしているのさ!
私を亡き者にするため、まさかここまで入念な準備をするなんてね。
ここまでされたら、ピンチになるのも仕方ないかも。
だってさ、まさか塩害にさせられるとは夢にも思っていなかったよ。
海から遠いこの場所で塩害に会うのもビックリ。
いったいどれくらいの距離を移動してきんだろう。想像もできないよ。
でも台風によって内陸部でも塩害が起きることは稀にはあります。とはいえ、こんなに大量の塩をここまで運ぶなんて本当に信じられないよ。
なんだか頭まで痛くなってきた気がする。
それに──
「息が、苦しい、よぉ……」
このままだとマズい。
塩害の影響がもう身体に出始めているよ。
いくらなんでも早すぎる。これも魔女の魔法の力なのかな。
塩害とは、簡単にいうと塩分によって畑や田んぼ、それに建物なんかが被害を受けることをいいます。
建物の一部が潮風によって錆びてしまう光景を、海辺の町で見たことがある人もいると思う。
けれども、植物が被害を受けて悲鳴をあげているところを目の当たりにすることは、あまりないかもしれないね。
塩害を受けると、まず土の中の塩分濃度が高くなります。
土中の塩分濃度が上昇することによって、植物体内の浸透圧が大きくなり、体内の水分が外に出てしまう。
それだけでなく、植物の根の給水機能の低下で水分補給もできなくなって、水分不足などが起こるの。
その結果、塩害を受けた植物は枯れて死んでしまう。
つまり、植物は塩分に弱いのだ。
人間などの動物は、体を皮膚で覆っているため、塩水が体内に入ることはあまりない。
けれども私のような植物は、根から常に水分を吸収しているため、塩の影響をもろに受けるの。
海辺に生えている植物なら、海水などによるこれらの影響を克服しているんだけどね。
残念ながらここは内陸の森の中。そんな植物、生えてはいないのだ。
森の中で誰がどこを移動しているかを完全に把握しているこの私ですら、森に自生していない植物を持ってくることは叶わない。
「魔女王さん、あなたは、すごい、ですよ」
魔女王の“嵐災”は、前世のハリウッド映画で見た巨大ハリケーンよりもさらに大きなものでした。
それだけの規模の嵐なら、海水を運ぶことも可能でしょう。
でもね、だからこそあの規模の大嵐なら、海水以外にも運ばれているものが存在しているんだよ。
私は木の枝に引っかかっている、とある植物に蔓を向けます。
「物知りの、あなたは、この植物を、ご存知、ですか?」
蔓で掴んだその植物は、マングローブ。
海辺に生息する、耐塩性を持つ植物です。
海水を巻き上げるような大災害。
つまり、海水だけではなく、その付近の植物までもが嵐によって攫われてきてしまったのだ。
私の弱点である塩を運んできたのはすごいよ。
だけどね、同時に海の植物も連れて来てしまったみたいだね。
──パクリ。
これで私はマングローブの能力を手に入れました。
「木なんか食べてどうするつもりかにゃ~?」
魔女王は私が植物の力を吸収することができることを知らない。
だから、放っておいても、私は近い将来枯れると確信しているのだ。
強者ゆえの傲慢。魔女王が炎龍様のように慎重なタイプでなくてよかった。
油断しているこの隙をつくよ!
「上を、見てみて、ください」
私は蔓を使って、頭上をさします。
魔女王は警戒しながらも、視線を上げました。
「にゃはは、さっきまで新緑の綺麗な森だったのに、みんな黄色になってるじゃん。もう森が枯れ始めてるね~」
マングローブは海水に浸かっていても、枯れない植物です。
そのための能力の一つとして、塩分を葉っぱに溜めることができるの。
塩分がいっぱいになった葉っぱは黄色くなって落葉するのです。
「その葉っぱ、かじって、みると、しょっぱい、らしいですよ」
ひらりひらりと、森の葉っぱがすべて黄色くなって地面へと落ちていきます。
魔女王は私が密かに塩分を体外に放出したことを気がついていない。
この落葉も、塩害で枯れてしまったせいだと勘違いしています。
もう私の命は短いのだと確信しているみたい。
塩害は私を殺すことができる攻撃でしたが、幸い即効性はありません。
命を散らすまでに数刻の猶予がある。
落ち着いたら除塩をする必要はあるけど、私の命はまだ続いている。
だから、先に魔女王をなんとかしないとね。
それに、踏まれている根の感触からして、そろそろあの子たちがここにやって来る頃合いです。
私の攻撃に巻き込まないように、先に決着をつけましょう。
「魔女王さん、あなたは、少し、やりすぎました」
森に塩害を引き起こした。
なにもしなければこの森は枯れ果てて、これから長い間ずっと植物が育たない不毛の大地になることでしょう。
植物を愛する私としても、そして植物として生まれ変わったアルラウネとしても、許すことなんてできません。
なにより、魔女王はイリスを殺したことに一枚噛んでいる。
あの時の借りを返してもらうついでに、真相も吐き出してもらおうじゃないですか!
「いまさら、謝っても、遅い、ですからね」
「紅花姫ちゃん、そんな怖い顔しないでよ~。森ごと枯らしたのは悪いと思ってるけど、わざわざ謝ることではないよね。森なんていくらなくなっても、わたしたちには関係なんてないでしょう?」
はい!
魔女王さん、私はあなたをもう許しません。
植物の恐ろしさ、思い知らせてあげましょう。
ドリュアデスの森には、多種多様な植物が生息しています。
だからこそ、私は妹分のアマゾネストレントと妖精のキーリにお願いして、それらの植物を集めてもらっていたの。
その際に見つけたあの植物を、ついに使う時がきたのだ!
「塩のせいで森の葉っぱは全部なくなっちゃったよね~。冬でもないのに、なんだか寂しい風景になっちゃって…………あれ?」
魔女王がなにかに気がつきました。
丸裸になった木の枝を指さしながら、小さく呟きます。
「なんであんなところにカボチャができているの?」
嵐を耐え抜いた周囲の木の枝に、小さなカボチャのようなものがたくさん実っていました。
でも、魔女王が驚いていたのはそれだけではありません。
「さっきまで普通の木だったのに、変な棘がびっしり生えてるんだけど、あれはなに……?」
魔女王の周囲の木すべてが、円錐状の棘で完全武装されていました。
マングローブの能力で葉っぱがなくなったせいで、その棘は異様に目立っています。
見ているだけで痛くなる。
針地獄を想像させるようで、まるで世紀末のような光景です。
「良いことを、教えて、あげます」
魔女王は蜃気楼を作り出して、私の攻撃を避けるつもりでいます。
それなら、避けられないように、広範囲攻撃をすればいいのだ。
「それは、カボチャ、ではなく、爆弾、ですよ」
カボチャのように見える種は、サンドボックスツリーと呼ばれる植物の種です。
スナバコノキという名前を知っている人もいることでしょう。
別名「ダイナマイトツリー」とも呼ばれます。
魔女王さん。
あなたは植物を下等な存在だと見下していましたよね。
塩害で枯らしても、なんとも思っていないのがその証拠です。
でもね──
「植物って、実は、怒らせると、怖いん、ですよ」
マングローブ:熱帯・亜熱帯地域の海水と淡水が混ざり合う場所に生息する植物の総称。世界中で100種類を超えるマングローブが存在しているようです。
サンドボックスツリー(スナバコノキ):トウダイグサ科。南北アメリカの熱帯地域や、アフリカの一部に生息しています。近づいたら怪我をしそうなくらい危険が外見をしているのが特徴。樹液や種にも毒があり、毒矢の原料として使われたりもしていたとか。実が爆発する時速は200㎞を超えており「猿の拳銃」とも呼ばれているそうです。
次回、魔女王と協力者の名前。







