日報 新米聖女見習いの王都への帰還 中編
引き続き、新米の聖女見習い視点です。
あたしの名前はニーナ。
塔の街から王都へと戻ってきた、新米の聖女見習いです。
そんなあたしは、今とてつもない大問題を抱えています。
いつの間にか、あたしの大切な聖蜜が消えていたのです!
イリス様からいただいた大切な聖蜜をなくしてしまうなんて、あたしはなんてことをしてしまったのでしょうか。
たしか馬車に乗っていた時は、カバンの中にまだ水筒があったはず。
となると、思いつくのは先ほど街でぶつかった少年です。
あたしが水筒を落としてしまっただけかもしれないけど、そう簡単に落ちてしまうとも思えない。
ということは、もしかしたらあの時にスられてしまったのかもしれません。
あたしが知らない間に、王都の治安は悪くなっていたようですね。
とはいえ、今からあの少年を見つけ出すのは至難の業。
そうなれば、残る道は一つしかないですね!
あたしは男装の女商人さんが新しい店を開くという場所へと向かうことにしました。
実はイリス様からいただいた聖蜜入りの樽を、あの女商人さんに預けていたのです。
後で聖女大聖堂へと運んでもらう手はずだったのですが、こうなった以上もう待っていられません!
早足で街中を移動したあたしは、新店舗があるはずの通りへとたどり着きます。
ですが、そこには馬車に乗ったまま途方に暮れていた女商人さんの姿がありました。
「メルケルさん、どうされたのですか?」
あたしは男装の女商人である彼女の名前を呼びます。
虚ろな表情のメルケルさんは、「ニーナさんですか……」と、力のない声を返しました。
なにやら様子がおかしいですね。
「新店舗の準備で忙しいのかと思っていましたが、何かあったのですか?」
「ご覧の通り、暇でしかたないのですよ……」
「メルケルさんが購入するはずだったお店とは、あの空き家のことですよね? なぜ中に入らないのですか?」
「…………それは、お貴族様が私の店を買う権利を横取りしたからですよ。あの店の今の所有主は、とある公爵家の持ち物になっているそうです」
メルケルさんはその公爵家の家名を小さく呟きます。
それを聞いて、あたし少し驚いてしまいました。
なぜならその名前は、イリス様のご生家の名前だったはずだからです。
あたしが公爵家の家名に反応したことには気がついていないメルケルさんは、深く息を吐きながらゆっくりと喋り始めます。
「あぁー。王都に自分の食堂を持つことが夢だったのに、また遠のいちゃったなぁ……」
メルケルさんは旅の途中、あたしに毎日料理をふるまってくれました。
こうやってずっと商人をしていたけど、食堂を経営して王都一番のお店を作ることが夢だったとあたしに語ってくれました。
きっとこの先良いことがありますよとメルケルさんを慰めていると、馬車の周りから視線を感じました。
顔を見渡すと、いつの間にか数人の子供たちに囲まれていることに気がつきます。
どの子もボロボロの服装で、貧民街の出身であることが一目でわかりました。
そして、その中にいる10歳くらいの少年が、代表するようにあたしの前へと詰め寄ってきます。
「あの時の姉ちゃん、やっと見つけたぞ!」
姉ちゃん?
あたしには弟が何人もいますが、この少年はどの子とも違います。
なら、いったい誰なの……あ、わかりました!
よくよく見てみたら、昼間にあたしにぶつかってきたスリ少年ではないですか!
「あなたはあの時の……! あたしの聖蜜を返してください!」
「財布は良いのかよ……それよりも姉ちゃん、聖蜜ってあの水筒に入っていた甘い蜜のことだろう?」
「そ、そうですが。ちょっと待って、甘いことを知っているということは、まさか聖蜜を飲んだのですか?」
「飲んだ…………だけど、あれっぽちじゃ足りないんだ! お願いだ、盗んだことは謝るから、あの蜜をもっとわけてくれ!」
「いくら聖蜜が美味しかったからといって、盗人に渡す蜜はありませんよ!」
「俺じゃない! もちろん俺もまた飲みたいが、病気の妹や、仲間たちに飲ませたいんだ。あの蜜を飲んだら、症状がなぜか軽くなったから」
なにやら訳ありのようですね。
気になったのでそのまま少年の話を聞いてみると、どうやら彼らは貧民街で暮らしている孤児らしいです。
盗みを働いて生計を立てているようですね。
それで昼間にあたしから財布と一緒に聖蜜が入った水筒を盗むと、甘い食べ物は珍しいからと貧民街の仲間たちと聖蜜を分け合ったそうです。
すると、聖蜜を食べた途端に、仲間の一人の病気が治ってしまったようです。
この蜜なら、自分たち以上に重い病気に陥っている妹たちを治すことができるかもしれない。そう思った少年は、聖蜜の持ち主であるあたしを探して街を走り回っていたそうです。
アルラウネとなったイリス様がお出しになられる聖蜜には、高度な光回復魔法が含まれています。そのため、病も癒してしまったのでしょう。
あたしはこれでも、聖女見習いの端くれです。
国の民を魔王軍の侵略から守り、怪我や病気で苦しんでいるたくさんの人々を光回復魔法で癒していたイリス様に、小さい頃から憧れていました。
イリス様がこの場にいれば、きっとこの少年たちのことを助けようとするはず。
それにあたしも貧しい平民生まれです。
幼い弟や妹の姿が、彼らと重なってしまいます。
「わかりました。聖蜜をおわけしましょう」
「ニーナさん、良いんですか? 聖蜜は塔の街では嗜好品として高値で売買されていました。それを、こんな孤児の子供たちにタダで渡すなんて」
貴重な聖蜜を無料で配るということは、商人であるメルケルさんにはできないことでしょう。
ですが、あたしは商人ではなく教会の聖女見習いです。
困っている人を助けるのも、仕事ですよね。
あたしはメルケルさんの馬車に積んだままにしていた聖蜜の一部を、少年たちに渡します。
少年たちは「姉ちゃんありがとう!」と言いながら、貧民街の方へと走って行ってしまいました。
さて、良いことをしたことですし、あたしにもご褒美が必要ですね。
あたしは聖蜜が入った樽へと手を入れ、蜜を掬い取ります。
──あぁ、美味しい!
聖蜜はなんて素敵な味がするのでしょうか。
食べるだけで、身体の奥まで幸せな気分になれます!
貴重な聖蜜の一部を少年たちに譲ってしまったことは仕方ないことですが、この聖蜜の味を王都の住人にも布教することができたので悪い気はしませんね。
そうしてパクリと指についた蜜を舐めながら、あたしは考えます。
一つ問題を解決しましたが、まだメルケルさんのお店の問題が残っていますね。
新しい店を探すのに必ず力になるとメルケルさんと約束をし、その日は聖女大聖堂へと戻りました。
そして翌日。
聖母様と二度目の対面の時がやって来ました。
部屋に入ると、聖母様の他に教会の上層部の方が数人いらっしゃるのがわかりました。
まさか他にも人がいるとは思わなくて、ビックリです。
聖母様はあたしに椅子に座るように促しながら、こうおっしゃられました。
「ニーナ、まずは塔の街で起きたことを話してちょうだい」
緊張がほぐれないまま、あたしは塔の街で起きたことを皆様にお話しました。
魔王軍の手先となっていた司祭様のことや、塔の街を襲った黄金鳥人ガルダフレースヴェルクと精霊姫フェアギスマインニヒトのことを。ドリュアデスの森のドライアドと協力して、それらの四天王を撃退したと皆さんに説明しました。
もちろんこれは事実ではなく、イリス様と一緒に考えた筋書です。
限りなく事実には近いですが、イリス様の存在を秘密にしたまま説明をすると、どうしても齟齬が出てしまいますからね。少しばかり架空のお話になってしまっても仕方のないことです。
「ドライアドといえば、四天王である精霊姫フェアギスマインニヒトと同じ精霊のはず。本当にそのドライアドがニーナに協力してくれたのですか?」
め、目力が強い!
こ、怖いです。それに聖母様の疑いの視線が痛い。
あたしがプレッシャーに負けてこの場で聖母様に真実を打ち明けないで済んだのは、ひとえに部屋に入る前に飲んだ聖蜜のおかげでしょう。
今も、頭の中は甘い聖蜜のことでいっぱいなのです。
つまり、聖蜜があたしに勇気と力を与えてくれたということですね!
やっぱり聖蜜はすごい。
もっとたくさん飲まないといけませんね。
最近は聖蜜を飲まないといまいち調子も出ないので、聖蜜はあたしにとって必需品となっているのです!
「ドライアドがニーナに協力したのは本当でしょうか。もしかしてあなたはドライアドに騙されていたのではなくて? 魔王軍内部の勢力争いに利用されたとか……」
「そ、そんなことはありません!」
だって東の森にいるそのドライアドは、魔王軍と敵対していて命を狙われていたらしいのですから。
とはいえ、東の森のドライアドが精霊姫フェアギスマインニヒトの妹だということがバレると、ドライアドの印象がさらに悪くなりそうですね。ここでは秘密にしておきましょう。
「まあドライアドが本当に味方なのかは、いずれわかることでしょう。敵であれば、きっと魔王軍に動きがあるはずですし」
聖母様がコホンと咳払いをすると、教会の上層部の方々が退出していきます。
どうやらあたしへの詰問は終わったようですね。よ、良かった~。
「さて、今から少し、ニーナへ個人的な助言をしたいと思います」
じよ、助言ですって?
いったい何を言われるのでしょうか……。
「ニーナは、王都の誰もが信じられなかった、魔王軍の四天王を撃破するという偉業を成し遂げました。これは王族に嫁いで好き放題やっているあの灯火の聖女にもできなかったことです。誇ってよいですよ」
「あ、ありがとうございます……」
「ですが、ニーナはまだ新人です。しかも平民出身なので、後ろ盾もいない。きっとこれから、功績を羨んだ者からの妬みや妨害を受けることとなるでしょう」
そ、そんな……。
万が一ですが、それで灯火の聖女様に目をつけられでもしたらたまったものではありません。
王都どころか、教会にだって居場所がなくなってしまいますよ!
下手したら最前線に派遣されて、殺されてしまうことだってあるかもしないですよね。
まあ塔の街も既に魔王軍との最前線だったので、これまでとあまり変わらないかもしれませんが……。
「ですので、そんなニーナの身を守るためのアイデアを思いつきました。あなたは分不相応な功績を手にしてしまいました。でしたら、それなりの実績を作ればよいのです」
「……どういう意味ですか?」
「先代の聖女であるイリスは民から慕われていました。あの子は貴族も平民も関係なしに、街や村を回ってけが人や病人を癒していましたからね。そのおかげで人望があったのです。ですが──」
ギロリと、聖母様は刺すような視線をあたしに向けます。
「あなたは無名です。わたくしの伝手でそれなりの貴族を後ろ盾にしてあげることはできますが、それだけでは他の者の信頼を勝ち取ることはできません。ですから、そのために実績を作るのです」
「後ろ盾と信頼を得るために、実績を作らないといけないのですか?」
「そうです。ニーナがさらに上を目指すなら、必要なことでもありますからね」
上を目指すだなんて、あたしにそんなことができるはずないですよ。
イリス様のようになりたいとは思いますが、イリス様と同じことができるかといったら無理ですからね。
「信頼を得るために各地を回って癒しを行うもよし、慈善事業をするもよし。なんなら、もう一人四天王を倒してきてもよいですよ?」
「そう簡単に言われましても、あたしにできることなんて限られていますよ……」
「何を言っているのですかニーナ。あなたはあの魔王軍の四天王を討伐したのでしょう? それに比べたら慈善事業なんて簡単ではないですか」
たしかに魔王軍の四天王を一人で討伐してくるよりは慈善事業のほうが現実的です。
とはいえ、いったい何をどうしたら……。
そこであたしは、昨日の一連の出来事を思い出しました。
貧民街の少年と病気の妹、光回復魔法入りの聖蜜、そしてお店を開こうとしていたメルケルさん。
そうだ、良いことを思いつきましたよ!
「聖母様、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
聖母様は教会でもかなり権力を持っているお方。
王族に近い貴族にも顔が効きます。
貧民街の少年とその妹、店を失ったメルケルさん、そして四天王討伐の功績を得てしまったあたし。
全員にとって良い未来が訪れるようにするには、この方法しかありません。
イリス様、見ていてください。
あたし、聖女見習いとして立派にお仕事をしますよ!
少しボリュームが膨らんでしまったので、中編にしました。今度こそ後編になります。
次回、新米聖女見習いの王都への帰還 後編です。