182 目指すべき森の姿
真っ暗闇の森の中、小さな鬼火によって私と炎龍様の姿が照らされています。
ゆらゆらと揺れる魔法の炎を目にしながら、静かな沈黙が流れました。
ゆっくりとしたその時間を破るように、炎龍様が「ふむ」と顎に手を当てながら言い放ちます。
「次に会う時は、良い返事が聞けることを祈っておこう」
炎龍様が合図をするように鬼火を動かしました。
すると、空から一頭のドラゴンが降下してきます。
炎龍様の移動用のドラゴンだね。
どうやらもうお帰りになってしまうようです。
「炎龍様、私の蜜は、食べていかない、のですか?」
私の蜜について何も反応しなかったのが意外だったので、つい口を開いて声が出てしました。
「其方の蜜ならパルカを通して手元にあるが……久しぶりに直接其方の蜜を食すのも悪くないか」
炎龍様は私に近づきながら腕を伸ばしてきます。
応えるように、私は蔓に蜜をたっぷりと付着させました。
私の蔓と炎龍様の指が触れそうになった、その時です。
「……いや、やはり止めておこう」
炎龍様は腕を引っ込めてしまいます。
な、なんで!?
まさか炎龍様、私の蜜がお嫌いになったのですか?
「其方から直接蜜を貰うのは、再会した時の楽しみにしておこう」
炎龍様はドラゴンの背に乗りながら「それも其方の返答次第では叶わぬかもしれぬが」と、呟きました。
私が魔王軍に入るか、それともそれを拒んで炎龍様と敵対する道を選ぶか。
未だに私は決めることができていません。
もしかしたら炎龍様と次に会ったときは敵になる可能性もあります。
こうして友好的に会話をするのは、最後になるかも……。
だからでしょう。
森から去ろうとしている炎龍様を呼び止めるため、とっさに声をかけてしまいました。
「一つ、お聞きしても、よろしいですか?」
「許そう。何が聞きたい?」
「前から、気になっていた、のですが、炎龍様は、魔王軍で、どんな役職に、ついているの、ですか?」
「気になるのか?」
ええ、それはもちろん。
「我はただの龍族の一人だ」
う、うそだー。
それなら魔王城にいた時に、姉ドライアドがわざわざ炎龍様に挨拶に来たりしないでしょ。炎龍様を慕っている部下もいっぱいいるみたいだしさ。
「本当は、凄く、偉いの、ですよね?」
「我のことを、龍王と呼ぶ者もいるな」
「それは、魔王が、ですか?」
「我が初めて龍王と呼ばれたのは、まだ魔王が誕生する前だった」
それっていったい、いつのお話ですか?
私が生まれた時どころか、ガルデーニア王国が誕生した頃には既に魔王は存在していたはずです。
魔王が誕生するよりも前というのは、途方もないほど昔のことなんじゃないかな。
そして、そんな大昔に炎龍様のことを龍王と呼んだのはいったい誰なんだろう。
「どうやら気になるようだな。であれば、其方が魔王軍に入った時に我のことを教えても良い」
ええー。
炎龍様、それはズルいですよ。
だって炎龍様の正体を知るためには、私は魔王軍に入らなくてはならないではないですか。
「それにしても、其方はここまで魔王軍のことを嫌っていたのか」
思い出したように、炎龍様は小さく口にします。
「もし魔王軍に入るのではなく個人的に我の元に来るという誘いだったなら、其方がどう答えたのか気になるところだ」
そう言いながら、炎龍様を乗せたドラゴンは飛翔していきます。
鬼火が消えて、炎龍様の姿が森から飛び立って暗闇の中に隠れていくのを、私は静かに見送りました。
私の返答は────。
翌朝。
魔女っこが目覚めるまで、私は炎龍様との密会のことをずっと考えていました。
炎龍様とお話したことはこれからの森での生活が一変してしまう重大な内容です。
だからみんなに話さないといけない気がするのです。
お昼前にはドリュアデスの森で一泊していた妖精キーリと妹分のアマゾネストレントが帰ってきました。
全員がそろってから、私は魔女っこたちに昨夜のことを話しました。
ここまで来ると、もう私一人の問題ではないからね。
炎龍様から魔王軍に入らないかとお誘いを受けたことと、それを拒んだら魔王軍と敵対することになることをみんなに告げます。
「みんなは、どう思う?」
私の問いに最初に答えたのは、魔女っこでした。
「魔王軍は嫌い」
やっぱり魔女っこはそうだよね。
魔女っこは魔王軍からずっと狙われていました。
それは魔女王が捜索の依頼を魔王軍にしていたわけだけど、それでも魔王軍から追われていたという事実は、小さな魔女っこにとってはとても怖いことだったのでしょう。
「アルラウネのこと、三回も襲ってきたし」
そういえば黄金鳥人さんの時と姉ドライアドの時、そして獣王マルティコラスさんの時も魔女っこは私と一緒にいました。
四天王に三回も襲われるという経験をしたことがある人間というのはそうはいないはずだから、それだけでも魔女っこが魔王軍を受け入れられない理由にはなるよね。
「それにわたしのアルラウネを誘拐した」
ぷーとほっぺたを膨らせる魔女っこ。
どうやら私が魔王城に連れ去られた時のことも根に持っているようです。
そんな魔女っこを横目にしながら、妖精キーリが私の花びらの上まで飛んできます。
「あたしも魔王軍とは良い思い出がないかなー。あいつらは昔から暴力的だし」
キーリも魔女っこと同じで魔王軍に良い感情は持っていないようです。
私の妹分であるアマゾネストレントも、枝をブンブンと振ってキーリの言葉を肯定していました。
そんな中、素朴な疑問が魔女っこから投げかけられます。
「ずっと気になっていたんだけど、そもそも魔王軍ってなんなの?」
たしかに、改めて考えると魔王軍ってなんだろう。
魔族を束ねる魔王が配下の魔族を使って人間を滅ぼそうとしているイメージだったけど、なぜ魔王軍が人間を襲っているのか理由は知りません。
人間の絶滅が目的なのかな?
それとも世界征服?
魔族の繁栄が目標という可能性もあるよね。
ともかく、人間の敵であるということだけは世界の共通認識のはずです。
もう何百年も前から人間と魔族は争っているんだからね。
魔女っこは黙ったままの私とトレントを順番に見た後に、キーリへと視線を移します。
「キーリは知っているの?」
客観的に見て、この中で一番の有識者は妖精のキーリです。
何才なのかは知らないけど、50年前に姉ドライアドが森を去る時から森で生活していたみたいだし、おそらくその辺の人間よりは長く生きているはず。
キーリは魔女っこの返事をするために、地面を眺めながらゆっくりと喋り出しました。
「魔王軍ができたのは今から何百年も前のことだから、何が理由で戦いが始まったのか覚えている者はもうほとんど残っていないのかもね……」
なんだろう、今のキーリの発言はちょっと変だった気がするよ。
肯定も否定もしていなくて、まるで何かを知っているのを隠しているように感じられました。
「キーリは、何か、知っているの?」
「あたしはただの森の妖精だよ? 詳しいことを知りたいなら、ドライアド様に尋ねるのが正解だって」
たしかにそうだね……!
森の賢者でもあるドライアド様なら、魔王軍のことも詳しく知っているかもしれません。今度会ったら訊いてみましょうか。
とにかく、みんなの気持ちはわかりました。
やっぱり魔王軍に入るのはできれば避けたいというのが共通認識のようです。
とはいえ、魔王軍と戦うことは避けたい。
逃げるにしても私は歩けないから、これからずっと魔王軍から逃げ続けるというのは難しいはず。
なんとか生存の道を見つけるためにも、炎龍様を通して平和的に交渉するのが一番かも。
魔王軍と魔女の里の関係のように、私と魔王軍の間に平和条約を結ぶことだってできるかもしれないからね。
そうなるためには、私を敵にしたくはないと魔王軍が思ってくれるようになれば良いんじゃないかな。
私と戦うのはできれば避けたいと心の底から思われるような存在になれば、良い方向へと交渉を持っていくことができるかもしれないよ。
そのためには、もっと強くならないといけません。
森だって広げて大きくしたいよね。
私の体であるこの森が大きくなるほど、私の勢力が大きくなったと思わせることができます。それに敵に襲われた時のことを考えても、森が広いほうが安心だし便利なの。
というわけで、これからは森を大きく広げることを目標にしましょうか。
簡単に外敵が襲ってこないような深い森にしたいよね。
トラップの植物もたくさん仕掛けたいし、できれば住人である動物やモンスターも少しは生息させたい。
そうやって森を大きくすることが、私自身が強くなることにも繋がるはず。
まずはドリュアデスの森のような森を目指して、頑張りましょう!
そんなことを考えていると、街のほうから数人の人間が森の中へと入ってきたのがわかりました。
地面から森の木々の根に伝わる感覚からして、人数は二人。
二人で私の森へやって来る人間はそうはいないことだし、きっと伍長さんとドリンクバーさんでしょう。
──そうだ、良いことを思いついたよ!
実は、去年のように大雪が降ったらどうしようかと悩んでいたんだよね。
私はクリスマスローズとザゼンソウの能力があるからもう冬は怖くないけど、人間の子供である魔女っこが冬の森で寝泊まりを続けることは無理があると思うの。
だから無事に魔女っこが冬を越せるよう、屋根のある温かい家が欲しいのです。
私は家の造り方は知らないから、人間である伍長さんとドリンクバーさんに色々と協力してもらいましょう。
炎龍様への返事の期限はまだ何か月も先だし、春までは魔王軍は私を襲う余裕がないらしいです。
せっかく当分は誰からも襲撃されない生活が送れるとわかっているのだし、その間に身の周りのことを固めていくことも大事だよね。
平和に暮らすのが一番です。
森で静かに植物ライフを過ごすためにも、内外ともに懸念事項を解消していくことが大切だと思うの。
まずはそのためにも、魔女っこのために冬ごもり用の家を造るのだ!
お読みいただきありがとうございます。
次の更新は30日を予定しております。
次回、女王補佐役の魔女と氷城のお茶会です。







