178 私の秘密
私には秘密があります。
それは、私が聖女イリスであるということです。
聖女イリスが死んでおらず、植物モンスターのアルラウネに転生していると世間に知られたら、きっと大変なことになるでしょう。
特に私を殺した婚約者であった勇者様と、聖女見習いのクソ後輩は黙っていないよね。
幸い、私の正体を知っているのはニーナしかいません。
でも、そんなニーナも私の死の真相はまだ知らない。
私が勇者様と聖女見習いのクソ後輩に裏切られて殺されたという真実を、ニーナに伝えたらどうなるのかな。
私が植物モンスターになってもなお慕ってくれているニーナのことです。
きっと私のために怒ってくれることでしょう。
でもそれは同時に、ニーナの立場を危うくさせるかもしれません。
だって、ニーナが勇者様やクソ後輩と会った時に、上手く敵意を隠せるか不安だからね。
私を聖女イリスの仇だと思って殺そうとしてきた時のニーナは、猪突猛進といった感じだったから心配です。
同じように二人へ敵意を向けたら、そこから私のことが勘付かれるかもしれません。
だから──。
「私がまだ、生きていることは、私とニーナ、二人だけの、秘密です」
「どうしてですか? せっかく命があったというのに、あたしはなぜイリス様がご自身のことをお隠しになるのか理解できません」
そこでニーナは、私の下半身へと目を向けます。
人間ではない私の植物の体を見ると、唇をかみしめながら語り掛けてきました。
「植物モンスターになったからといって、我慢する必要はないのですよ? 元は人間なのですから、また人間として、聖女として生きる道がきっとあるはずです!」
人間とモンスターの間には深い溝があります。
これまでそれらが共に暮らしたという話を聞いたこともなければ、手を取り合ったという話も聞きません。
だから私が聖女として王国に戻ることは現実的ではない。
聖女イリスが死んだあの時、その道は完全に断たれてしまったのです。
「私は、もう、人間としては……」
水を欲して、太陽光で光合成をして、下の口でモンスターを丸呑みする私。
そんな私にとって、もう人間と同じように生活することは淡い夢のようなものなのです。
私とニーナの間に沈黙が流れました。
ニーナも内心では、私が昔のように暮らすことは厳しいと思っているのでしょう。
なんだか申し訳ない気持ちになってきました。
暗い雰囲気になってきたし、ここは話を変えるついでにニーナに一つ依頼することにしましょうか。
「ニーナに、お願いが、あります。勇者様と、あの子……今の聖女のことを、調べて、ください」
私を裏切った二人の情報が欲しいの。
何をしているのか、やっぱり気になるからね。
「勇者様と聖女様ですか?」
「そうです。できるだけ、詳しく…………もちろん、私のことは、秘密ですよ」
「調べるのは良いですけど、婚約者であったのですし勇者様くらいには生きているとお伝えしても良いのではないですか?」
いいえ、ニーナ。
それだけは絶対にやめて欲しいの。
彼に私が生きていると伝われば、きっとクソ後輩にも知られてしまう。
とはいえ、勇者様に裏切られたとニーナに教えるわけにはいきません。
このままだとニーナがこっそりと勇者様に私のことを教えてしまうかもしれないし、あのことを遠回しに説明しましょうか。
「ニーナ……私が魔王軍と、戦って、命を落とした、というのは、真実ではありません」
「え……!?」
「詳しいことは、言えません。言ってしまったら、ニーナの身が、危険になりますから」
「危なくなったとしても、それでもイリス様の身に何があったのか、あたしは知りたいです!」
「……言えません。ただ、私から一つ、言えることは、勇者様と、灯火の聖女のことは、あまり信用しないで、ということです」
私の死とあの二人が無関係ではないことは気がつかれてしまったかもしれないけど、それくらいならきっと大丈夫なはずだよね。
勇者様とクソ後輩へ少しだけ不信感を与えれば、今はそれで十分でしょう。
いずれ時が来たら、ニーナにも真実をお話しますからね。
「……わかりました。色々と気になりますが、今日のところはこれで我慢します」
渋々と言ったように、ニーナは私の言葉を受け入れてくれました。
「できる限りになりますが、お二人のことを調べてみます!」
「ありがとう。ニーナが、王都から戻ったら、二人のこと、教えて、くださいね」
「もちろんです。お任せください!」
それからしばらくして、ニーナが塔の街へと戻ろうとします。
そこで私は、明日王都へ向かう前に、もう一度ここに寄ってくれないかと尋ねました。
「良いですけど、なんで明日に?」
「渡したい、物が、あるのです」
翌朝。
約束通り、ニーナは王都へ向かう馬車に乗る前に、私のところへやって来てくれました。
二人きりで話すために、人払いは済んでいます。
「修行を終えて、聖女見習いになった、ニーナへ、私からの、プレゼント。何年も、遅くなっちゃったけど」
そう告げながら、私はニーナへ数枚の鳥の羽根を渡しました。
「綺麗……でもイリス様、この羽根には光魔法がこもっていますよね。いったいこれは何なんですか?」
「それは、四天王の、黄金鳥人さんの、羽根なの」
「四天王!?」
ストーカー四天王こと黄金鳥人さんの黄金色の羽根です。
以前、ドラゴンドライアドとの闘いの時にキーリに持ってきてもらったけど、あの時にキーリと魔女っこが運べなかった分が、聖域に数十枚だけ残っていたのです。
それで昨日の内に、キーリに聖域まで取りに行ってもらったの。
それをニーナにあげようと思ったのです。
「なぜあたしに、四天王の羽根を?」
「王都で、あの二人のことを、調べる時に、その羽根が、役に立つはずです」
ニーナのような新人の聖女見習いが、国の中枢にいる勇者様やクソ後輩のことを調べるのは難しいです。
でも仮に、ニーナが四天王を撃退したと報告すれば、王国内でのニーナの評価が上がるはず。
そうなればニーナに色々と便宜を図ってくれる人も現れることでしょう。今後、王都で情報収集をしやすくなるはずです。
だから、そうなるようニーナにプレゼントをあげようと思ったのだ!
有名な魔族である獣王マルティコラスさんをニーナが倒したというのは無理があるし、姉ドライアドもニーナでは不可能です。
だから比較的四天王の中でも弱かった黄金鳥人さんをニーナが討伐したことにしようと思うの。
「私の代わりに、四天王を、倒した、ことにして、欲しいのです」
「あたしがですか!?」
「私の存在を、王都の人間に、知られるわけには、いかないから。それに、ニーナは、精霊姫と、戦った時に、色々と、活躍してくれたし」
黄金鳥人さん戦ではニーナはいなかったけど、姉ドライアド戦ではニーナも一緒に戦ってくれた。
ニーナがいたからこそ、結果的に姉ドライアドを倒すことができたのだ。
だから間接的に、ニーナは四天王を倒すことに協力をしているのは間違いではないの。
姉ドライアドを倒した証拠は残っていないけど、代わりに黄金鳥人さんの手柄を譲りましょう。
「でもあたし、四天王を倒せるほど強くないですし……」
「四天王の精霊姫、を倒せたのは、ニーナのおかげでも、あるのですよ?」
「あれはイリス様お一人の力で成し遂げたことです。それに私が一人で四天王を倒しただなんて、いくら証拠の羽根を持って行っても王都の人間は誰も信じませんよ」
「なら、森のドライアドと、協力して、倒したと、報告しても、良いですよ」
それも昨日のうちに、ドライアド様にあらかじめ了承していただいていることなの。
精霊であるドライアド様は四天王に対抗できるほどの実力も持っているし、魔王軍とは昔から敵対的だったから一緒に戦ってもおかしくはないはずです。
森のアルラウネが魔王軍の四天王を倒した。
という噂が広がるよりは、ニーナがドライアド様と協力して四天王を倒したと広まってくれるほうが私的には助かるの。
できる限り、私の存在は公にしたくはない。
私の平和な生活を守るためにも。
「どうしてもイリス様はご自分のことを秘密になさりたいようですね」
ニーナはゆっくりと目をつむると、何かを決心するように大きく深呼吸をします。
「わかりました。大変そうですが、イリス様のためなら喜んでお引き受けします!」
「ニーナ、ありがとう……!」
「ですがその代わり、あたしからも一つお願いがあります!」
「……な、なんですか?」
いきなりニーナが目を輝かせながら私に詰め寄ってきました。
なんだかとてもうれしそうです。
どういうことかわからないけど、大変なお願いをしようとしているんだから、私で出来ることならなんでも聞くよ!
「あたしにも蜜玉をくれませんか?」
──え、蜜玉?
「ホルガーさんから聞きました。紅花姫様からこの世の物とは思えないくらいおいしい、蜜の塊を授かったと」
ホルガーさんって誰ー!?
ええと、たしか私が蜜玉をあげたって蜜狂いの少年と、クマパパと……あとは──
「イリス様、あたしにも蜜玉をください! そうでなければ、イリス様がまだ生きていると王都で言いふらしますよ!」
ニーナのその瞳は、蜜狂いたちと同じ目をしていました。
何をしてでも私の蜜を手に入れてやるという気迫が伝わってきます。
どうしましょう。ニーナ、もう手遅れだったよ!
結局、私はニーナに光回復魔法がこもった特別製の蜜玉をプレゼントしました。
同時に、大量の蜜をニーナに渡します。
どうやら私の蜜を飲むのが毎食の日課になっているようで、もうやめられないらしいです。
ニーナ。その蜜はね、私の体液なのですよ。
それでも良いのかな…………。
「それでは、イリス様のためにきちんと任務を遂行してきます!」
「気を、つけてね」
黄金鳥人さんの羽根と、私の蜜玉、そして大量の蜜と共に、ニーナは王都へと出発しました。
蔓を大きく振りながら、ニーナを見送ります。
その時でした。
ニーナが旅立ったのと入れ替わるように、空から私の元へと来客が訪れたのです。
ニーナが王都へと出発しました。
これでようやく王都での様子を知ることができるかもしれませんね。
次回、密会のお誘いです。