獣記 誇り高き獣王の最後の晩餐
獣王マルティコラスさん視点です。
ボクの名前はマルティコラス。
獣王マルティコラスといえば、この大陸で知らぬものはいないのではないかな。
とはいえ、獣王としてボクが治めるべき国はすでにない。
獣人の国は大昔に滅んでしまったのだからね。
だが、今のボクの祖国は魔王軍だ。
魔王軍の四天王になって早250年。
今やボクは獣人の魔族を束ねる王として、かつてボクを屈服させた唯一の存在であるあの魔王様に忠誠を誓っている。
ゆえに、魔王軍に所属しているというよりは、あのお方がいるからこそ魔王軍に籍を置いていると言ってもいいだろうね。
とある日、宰相から呼び出しを受けたボクは魔王城へと登城した。
そこで、塔の街近くの森にいるアルラウネによって四天王の精霊姫フェアギスマインニヒトと光冠のガルダフレースヴェルクが倒されたという信じられない話を宰相から伝えられる。
そして四天王であるボクへ、その植物モンスターの討伐命令が密かに下されたのだ。
命令してきたのも、もちろん魔王軍の宰相だ。
部下からの情報によると、少し前に宰相と魔女王が密会していたらしい。
それからすぐにこの話がきたところを考えると、おそらくこの件には魔女王が絡んでいるのだろうね。
宰相は50年前、フェアギスマインニヒトを魔王軍に引き抜いた時のことで、魔女王に借りがあったはず。
きっとあの時の借りを返して欲しいと頼まれたのだろう。
四天王の敵討ちには興味はないが、宰相からあのお方の名前をちらつかされれば、ボクに断る権利はない。
それにそのアルラウネを倒せば、褒美として生きたままの人間を山ほどくれると宰相は約束してくれた。
人間を食べることはボクにとって唯一の楽しみだ。
獣人の国が人間に滅ぼされてから早数百年、ボクは人間を食らい続けることでしか快楽を得ることができなくなっていた。
だから再び大量の人間をこの舌で堪能することができるのなら、それはとても素晴らしいことでもあるね。
塔の街近くの森を襲撃したボクは、アルラウネを一体消滅させた。
アルラウネは精霊姫と黄金鳥人の二人の四天王を倒したらしいが、やはりやつらとボクとでは格が違ったのだ。
新興の魔族など、誇り高き獣王であるボクとは比べるまでもないからね。
そう思いながら二体目のアルラウネと戦闘を始めたが、そこから何かがおかしくなった。
尾の針でアルラウネを細切れにしても、すぐに再生してしまう。
これほどの再生能力を持つ生物はそうはいない。
それだけでも驚くべきことだが、しょせんはそれだけ。全く脅威でもない。
そうだ。今度は再生できないよう、根っこごと完全に消滅させてやろう。
光栄に思うがよい。
ボクの最大攻撃でけりをつけてやろうじゃないか。
『獣王の咆哮』を放ち、アルラウネごと森を吹き飛ばす。
地面が大きくえぐれ、そこにアルラウネの姿はない。再生もしてこないようだ。
──ふん、たわいもない。
これで宰相からの命令は達成だ。
そう思ったところで、背後からアルラウネに声をかけられた。
恐るべきことに、アルラウネはすでに再生していたのだ。
それから黄色い触手でボクの魔力を吸いとったと思ったら、アルラウネの力が覚醒したかのように開花する。
このアルラウネは一刻も早く倒さなければならないとボクは理解した。
これ以上強くなられたら、厄介だと判断したのだ。
ボクは二発目の『獣王の咆哮』を発動する。
一発目よりも魔力を倍増させたので、これならさすがのアルラウネでも再生することはできないだろう。
──やったか。
そう確信したところで、ボクは衝撃を受ける。
覚醒したアルラウネには、ボクの攻撃は既に通じなくなっていたのだ。
『獣王の咆哮』で破壊することのできない硬度の植物なんて聞いたこともなければ見たこともない。
それに鋼の体を誇るボクの皮膚を貫く、あの植物の触手も恐ろしい。
なんなんだ、このアルラウネは。
こんな生物、聞いたことも見たこともないぞ。
あれは本当に植物なのか?
姿だけを見ればとても美しいが、その本性は化け物に違いない。
あんな規格外の存在、勝てるわけがないじゃないか。
気がついた時には、ボクは生物としてアルラウネに恐怖を覚えてしまった。
こんなの、250年前のあのお方との闘い以来だ。
あの時、魔王様に服従したことで、もう二度とボクを絶望させる相手と出会うことなんてないと思っていたのに……。
ボクは逃げることを選択した。
宰相と魔女王の配下がこの森での戦いを監視しているのは間違いないが、それでもボクは体裁を捨ててこの場から立ち去ることを選んだのだ。
動物としての本能が、ボクに逃げろと警鐘を鳴らしたからだ。
翼は封じられたが、ボクはアルラウネの元から離れることに成功した。
森を駆け抜けながら、遥か後方にいるアルラウネへと言葉を飛ばす。
「ははっ……いくら化け物のように強くても、アルラウネは動けない。残念だったな、植物娘!」
森の中を走っていると、人間の女の匂いがしてきた。
ちょうど良い。その人間を食いちぎって、体力を回復させよう。
数秒後、黒いローブを来た人間の少女を見つけた。
白髪の人間の子供は、ボクの姿を目にすると怯えたように震えだす。
──旨そうだ。
口内に唾液がしたたり出す。
やはり狩られる側よりも、ボクは狩る側のほうが似合う。
さあ、食事といこうか。
人間の子供を噛み殺そうとした瞬間、ボクの鼻腔の中に何かが入ってきた。
酒で酔いつぶれたときのような、天にも昇るような浮遊感が体を襲ったのだ。
その香りの正体は、少女の目の前に生えてきた謎の植物の実だった。
いったいいつの間に?
人間の子供を食おうと決めていたはずなのに、なぜかボクはその不思議な実へと手を伸ばしてしまう。
そしてそのままその実を丸呑みする。
なんなんだこれは……!
上等の酒を大量に飲んだときでも、これほど心地よい気分になることはないぞ。まるで心を奪われてしまったかのように、うっとりとしてしまう。
それに、ほのかに蜜の香りも混じっているのは気のせいだろうか。
そこで、人間の子供の前にアルラウネが生えていることに気がついた。
恐るべきことに、さきほどいたところから離れたこの場所へと、あのアルラウネが突然生えてきたのだ。
しかも信じられないことに、どうやら同じ個体らしい。
こんなとてつもない力を放つアルラウネが他に何匹もいてたまるかというものだからね。
もう人間を食べている暇などない。
アルラウネにやられる前に、今すぐここから離脱しなければ……!
だが頭ではわかっていても、体が命令を聞いてくれない。
腰が砕けるように、ボクの体は地面へと座り込んでしまう。
そのまま生唾を飲み込み、地面から生える謎の実を求めて腕を伸ばす。
その様子を見たアルラウネが、納得したようにつぶやく。
「やっぱり、マンティコアは、獅子でもあるから、マタタビは、効くよう、ですね」
──マタタビ?
なんだそれは。
もしやこの謎の実の名前なのか?
もっと知りたい。
もっとこの実を堪能したい……!
マタタビという名の不思議な植物に心が奪われていると、いつの間にかボクの体はアルラウネの触手に貫かれてしまっていた。
内側から肉が食われ、獰猛な球根の口へ体が引きずられているところで、ボクは悟ってしまった。
そもそも魔族である獣人と植物は、根本的な体の構造が全く違うのだ。
力ある魔族は数百年の時を生きることができるが、植物はその辺の森に生えている木ですら数百年の樹齢を誇ることは少なくない。
千年近く生きる古木も存在するようだ。
そういえば精霊姫フェアギスマインニヒトはドライアドだった。
長く生きた古木が精霊となってドライアドになると聞いたことがある。
ハハッ。格下だと思っていたが、もしかしたらフェアギスマインニヒトはボクよりも長生きだったのかもしれないな。
おかしいことに、今にも命がなくなってしまいそうだというのに、なぜか心は穏やかだ。
これも全ては、あのマタタビという不思議な実のせい。
後悔はあるが、それでも食べて良かったと思える。
何百年も生きてきたが、こんな植物があるなんて、今まで知らなかった。
自分が特別な存在だと思いこんで、植物などの下等な生物を見下していたことが原因だろう。
そのせいで、こんなに素晴らしい植物があることを今日まで知ることができなかった。
昔、ネコの獣人の部下が言っていた、不思議な気分になる植物があるというのはこれのことだったのかと今更ながらに気がついてしまう。
獣人の国が滅び、ボクは故郷を一度無くした。
それからというもの、人間を食べることでしか喜びを感じなくなった。
いくら酒を飲んでも、旨い肉を食べても、女をはべらせても、満足することはなかった。
だが、この謎の植物は、人間を食すこと以外でボクに数百年ぶりの快楽を与えてくれた。
天にも昇る感覚の中、ボクの体は球根の中へと運ばれる。
植物に食われながら思ったのは、なぜか植物のことだった。
あぁ、最後にもう一つ、あの実が食べたいなあ。
そうしてボクの意識は、植物の中へと溶けていった。
というわけで獣王マルティコラスさん視点でした。
完全な敵側視点というのは今回が初めてかもしれません。
次からはアルラウネ視点へと戻ります!
次回、アルラウネの森です。