158 念願だった人間との対話の時
聖女見習いのニーナが目覚めました。
朧げな彼女の瞳が、私の顔を見つめてきます。
「イリ──」とニーナが私の名前を呼びそうになったので、蔓で素早くお口を塞ぎます。
近くにドライアド様や妖精キーリがいるから、そのことは言っちゃダメなの。
私がイリスだということは内緒ですよという意味を込めて、ニーナにウインクします。
コクコクとニーナが頷きました。
私の正体は秘密だということを思い出したみたいだね。
「ニーナが、無事で、良かった」と、私はニーナの頭を撫でてあげます。
まだ頭がぼーっとしているのか、ニーナは私の蔓を黙って受け入れてくれました。
それからなぜ自分が眠っていたのかを思い出したようで、ニーナが勢いよく私に詰め寄ってきます。
「たしか四天王のドライアドが巨大化して……戦いはどうなったんですか!?」
「倒しました。私たちの、勝利です」
ニーナが「本当ですか!?」と声を上げました。
続いて、いつの間にか目を覚ましていたドリンクバーさんと仲間の冒険者さんたちも、「四天王を倒したのか?」「信じられない」と騒ぎ始めます。
「イ……ええと、紅花姫様が倒したのですか?」
「そうです、私が、やりました」
私の答えを聞いたニーナは、一拍置いてから「さすがです」と泣きそう顔になって私に抱き着いてきました。
そうして他の人に聞こえないよう、私の耳元で小さく囁きます。
「生きていてくださって嬉しゅうございます、イリス様……」
そのニーナの言葉を聞いて、私の心の中に何かがすとんと落ちてきました。
久しく忘れていた、聖女だったときの私の記憶です。
聖女時代の思い出が私の頭の中を駆け巡り、続いてアルラウネとしての日々が脳内で再生されます。
アルラウネになった後、私とニーナが言葉を交わすのは、これで三度目。
一度目はアルラウネ討伐隊としてやってきたニーナと殺し合いをしました。
二度目はドラゴンドライアドと姉ドライアドとの戦闘中だったけど、心を通じ合うことができたね。
そうして今が三度目。
やっと静かに、ゆっくりとニーナと会話をすることができました。
「私も、こうやって、ニーナと、再会できたのが、嬉しいですよ」
今度は人間の手でニーナの頭を優しく包み込みます。
昔のような人肌の温もりを、ニーナに感じさせることはできなくなってしまいました。
私はもう人間でもなければ、聖女でもありません。
それでもニーナの先輩として、「よく、頑張りました」と褒めてあげます。
今だけは、聖女だった時のように小さかったこの子の雄姿を讃えてあげたいの。
数年ぶりの再会を楽しんでいると、私とニーナの周りを妖精キーリが飛び回ります。
「アルラウネ様、いつの間にその人間と仲良くなったのですか?」
これまで私とニーナたち人間との間に、友好的な接点なんて一つもありませんでした。
それなのに突然私が人間と仲良くし始めたから、怪しまれているのかも。
ドリンクバーさんたちも「そうですよニーナさん、さっきは戦闘中だったので深くは尋ねませんでしたが、聖女見習いであるあなたがモンスターと手を組むだなんてどういうことですか?」
ドリンクバーさんの仲間が「人食いアルラウネというのは間違いだったようですが」と最後に付け加えます。
私が人食いアルラウネだという誤解は解けたようけど、元聖女だということをこの場で打ち明けるつもりはないの。
勇者様や聖女見習いのクソ後輩に、私がまだ生きていることを知られる可能性は少しでも減らしたいからね。
ちなみにニーナは信用できると判断したので、例外です。
だからなんとか誤魔化さないと!
「戦いの中で、友情が、芽生えた、のです」
ニーナも私に続いてドリンクバーさんたちに説明します。
「一緒に戦ったことで、信頼できる相手だと確信しました」
「でも、モンスターなんだから信用できるはずがない」と、ドリンクバーさんの仲間が攻撃的な視線で見てきます。
「冒険者さん、私は、人間を、食べたことは、一度も、ありません」
私の訴えに続いて、ニーナが援護射撃をしてくれます。
「それだけでなく、塔の街を襲った魔王軍の四天王を倒してくれました。この方はあたしたちの敵ではありません」
それでも、モンスター討伐を生業としている冒険者に敵ではないと信じてもらうことはできませんでした。
そんな冒険者たちに鶴の一声をかけたのは、なんとドリンクバーさんでした。
「お前たち、このアルラウネはトロールにされていた街の人々を助けて、元に戻してくれたんだぞ。それだけじゃない、魔王軍の四天王からボクらを守ってくれた。ニーナさんだけではなく、ボクも戦いの中でアルラウネに対して友好的な気持ちが芽生えてしまったよ」
ドリンクバーさん……!
あなた、良い人だったんですね。
お水飲み放題の冒険者さんというだけではなかったんだ。
「たしかにリーダーの言う通りだ」「むしろ命の恩人なのかもしれないな」「このアルラウネはモンスターだけど、普通のモンスターとは違うのかも」
冒険者さんたちの目つきが、次第に和らいでいきます。
私がドリンクバーさんたちと和解していると、私の女騎士ことハチさんやお蝶夫人たちてふてふも起き上がりました。
戦い疲れてお腹が空いていたのか、ハチさんたちがニーナたち人間さんたちに突撃しようとします。
「みんな、ダメ!」
私は蔓に蜜を塗りつけて、ハチさんたちを人間さんたちから遠ざけます。
あの人たちは餌ではないのですよー。
私の新しいお友達なの。
だから森サーのみんなも、彼らには友好的に接して頂戴ね。
付き合いが長いせいか、ハチさんたちは私の言いたいことを理解してくれました。
そして虫型モンスターたちが大人しくなったことに、ドリンクバーさんが驚いたように呟きます。
「モンスターなのに、本当に敵ではないのだな……」
私がハチさんとお蝶夫人たちを手懐けていると、それをじっくりと観察していたドリンクバーさんが改まって私に声をかけてきます。
「アルラウネ、君は人間と友好的に接することができる稀有なモンスターだったんだね。これまでの非礼をどうか許して欲しい」
ドリンクバーさんとその仲間たちが私に謝罪してきます。
「いいえ、わかって、いただければ、良いですよ」
初対面の人間から敵対視されることはもう諦めています
でも、ついにこうやって和解することができました。
それだけで、これまでの生活と比べれば大きな進歩です。
「ドリンクバーさん、これから、仲良く、していただけると、嬉しいです」
「ああ、だがボクの名前はドリンクバーではなく──」
その時、ドリンクバーさんの言葉を打ち消すように、ニーナが「あたしもです!」と叫びました。
「あたしも知らなかったとはいえ、とんでもない御無礼を……」
「ニーナ、私は、気にしませんよ」
私は他の人に聞こえないように、ニーナの耳元でそっと口にします。
「私を、イリスと、呼んでくれて、ありがとう」
その名はもう二度と呼ばれることはないと思っていました。
私のストーカーである黄金鳥人さんや姉ドライアドには感づかれたけど、あの二人は敵だから別です。
人間時代からの知り合いである聖女見習いのニーナに、そう呼んでもらえたことが、とても嬉しいの。
私は植物のモンスターになってしまったけど、まだ人間たちとの間に小さな絆という名の糸が残っていたんだもん。
これまで何度も人間と戦ってきたけど、一度も殺すこともしなければ食べることもしなかった。
それは、いつかまた人間だった時のように友好的に接する日が来ると信じていたから。
それがついに、叶ったのだ。
静かに植物ライフを過ごすという野望はなかなか達成することはできていなかったけど、これからは大丈夫。
だって、前よりも私は夢に近づいたのだから。
一歩ずつだけど、私は前よりも成長している。
夢に向かって、少しずつ進んでいるよ。
蜜が頬を伝います。
ここまで来るのに、今まで色々なことがあったね。
──長かった。
本当に、長かったよ。
二度と訪れることはないと諦めかけていたけど、最後になって運命の女神様は私に微笑みかけてくれました。
こうして今日、私はついに人間と和解することができたのだ。
ここまで来るのが本当に長かったです。
次回、伍長さんと塔の街の領主です。