自伝 新米賢者の大陸見聞録 後編
引き続き、50年前の賢者視点です。
オレの名前はオトフリート。
最近になって賢者と呼ばれるようになった、勇者パーティーの魔法使いだ。
オレと勇者ルドルフが森の中を進んでいくと、聖域の入り口に、青色の髪のドライアドが待ち受けていた。
先に進んでいたはずの女剣士フィデッサの姿はない。
どうやらオレ達の方が先にドライアドに追いついてしまったようだ。
姉のドライアドによって、勇者の片腕が斬り落とされたばかり。
怪我人を庇うように、オレは警戒しながら勇者の半歩前に出た。
こちらに気がついたドライアドは好戦的な視線を向けて声を荒げる。
「よくもわたくしを裏切ってくれたねえ、勇者!」
ドライアドが精霊魔法によって毒の刃を空中に出現させた。
矢のように飛来する毒の刃が、オレと勇者を襲う。
俺は土魔法で盾を作り、ドライアドの攻撃を全て防御する。
「アタシにいなくなって欲しいと思っていたのなら、そう素直に言ってくれれば良かったのに……!」
この状況を受け入れられないというように、ドライアドは感情を爆発させた。
けれども困惑しているのは勇者も同じだったようで、恋人であったドライアドに必死に語りかける。
「君こそ、なぜ今朝になってオレと別れようと言って来たんだ! 森を出るのが急に嫌になったのか?」
それで朝のあの騒ぎかとオレが納得したところで、今度はドライアドが叫び返えす。
「勇者が先にアタシを拒絶したではないか。やはり精霊と付き合うことはできないと、明け方にアタシのところに会いに来て……」
「なんの話だ……?」と、勇者がなにかに気がついたように呟く。
勇者ルドルフが明け方にドライアドに会いに行って、朝になったら今度はドライアドが勇者に会い来た。
しかもその後に起こったのは、先ほどのドライアド姉妹が居合わせた騒動である。
あの出来事は、妹のドライアドが勇者の天幕にいたところを、姉のドライアドが見つけてしまったという雰囲気だったはず。
二人の証言が正しければ、今朝どういうわけかお互いが相手のところに行って別れ話を切り出したことになる。
それだというのに、なぜか二人はその自覚がないらしい。
随分とおかしなことになっているな。
オレがそう思った瞬間、辺りに雷鳴が轟き、疾風が駆け抜ける。
目を開けると、女剣士フィデッサがドライアドの胸に双剣を突き刺していた。
オレと勇者がドライアドを引き付けている間に、隙をみてドライアドを襲ったような形になっている。
「アタシにトドメを刺すために他の仲間を呼んでいたのか……アタシをハメたのか、勇者!」
悲哀そうな表情で、勇者を睨みつけるドライアド。
女剣士フェデッサの剣によって、ドライアドの身体には剣が突き刺さったままだった。
「こんなことになるなら勇者となんて出会わなければよかった。勇者の顔なんてもう見たくもない。全て忘れて消えてしまいたいくらい」
「……オレはそうは思わない」
勇者がドライアドに近づいていきながら、剣を突き出している女剣士に声をかける。
「フィデッサ、剣を収めてくれ」
「……了解」
勇者の言う通り、フィデッサは剣を引いて後ろに下がっていく。
そうして勇者は、ドライアドの前で静かに立ち止まった。
「もう一度、君と二人で話をさせてくれ」
「…………信用できない」
「なら剣は置いていく。武器がなければ安心できるだろう?」
勇者がオレに聖剣を投げてきた。
聖遺物だというのに罰当たりなやつだな、なんてことは思う余裕はオレにはない。
二人の間に、扉のような謎の空間が出現する。
ドライアドはその中へと転移していった。
勇者も後を追うように、ゆっくりと扉の中へと進む。
二人して聖域の中へと消えて行ってしまった。
だが、聖域の扉はまだ開いたまま。
さて、オレはこれからどうすれないいのだろうか。
「なあフィデッサ」
女剣士へと声をかけると、彼女の姿が消えていた。
いったいどこへ?
そう思った瞬間、扉の中から女の悲鳴が聞こえてきた。
緊急事態だと察したオレは、急いで聖域の中へと踏み込む。
すると、勇者の背から巨大な毒の刃を突き出ているところが目に入る。
腹から貫通しているその刃は、ドライアドによって正面から刺されているものだった。
すでに勇者は絶命しているのだと、オレは悟る。
勇者の兜は、地面に転がっていた。
あの兜を使えば、あれくらいの攻撃は防ぐことができたはず。
それなのに、どうして使わなかったんだと胸が痛くなる。
「さっきまで剣があったのに、どうして……?」
と、ドライアドが小さく呟く。
勇者の手には、剣ではなく一輪の青い花が握られていた。
まるで、再び彼女にプロポーズをしようとしていたかのように見える。
ドライアドは勇者が持っていた青い花を掴むと、自分の髪に挿し込む。
そうして全てを憎悪するような表情で、オレを睨みつける。
その時、オレは気がついた。
──左目がない。
いつの間にかドライアドの左目が、切り傷によって抉られていたのだ。
聖域の中で、ドライアドは誰かに襲われたということだ。
とはいっても、聖域の中には勇者しかいなかったはず。
だが、その勇者の聖剣はオレが持っているのだ。
なら、いったい誰がドライアドの左目を刃で切り裂いたのだろうか。
何もかもを憎んでいるような禍々しいドライアドの右目が、オレの全身を射抜くように見据えていた。
「下がれ」
ドライアドの一声によって、オレは聖域の外へと弾き飛ばされる。
聖域の扉が閉じられて、境目に立っていたオレは外に出されたのだろう。
聖域の中から、血だらけのドライアドが現れる。
精霊であるドライアドは血を出さない。
ということは、その大量の赤い血は、勇者ルドルフのもののはずだ。
地中から毒の刃が出現し、殺意とともにオレへ伸びてくる。
呆然としたままのオレは、その攻撃に反応することはできなかった。
「なにぼさっとしてんのさ、オトフリート!」
もう少しでオレに刃が突き刺さるというところで、フィデッサの剣によって防がれた。
自分が殺されそうになったというのに、未だに親友が亡くなったことが現実のことだとは思えない。
それでも、オレはフィデッサの声で我に返ることができた。
混乱する頭を整理する間もなく、オレたちはドライアドと戦闘になる。
森のいたるところから、「人間が憎い」という声が聞こえてきた。
そうしてドライアドが休む間もなく四方から襲い掛かってくる。
リーダーである勇者を失ったオレたちは、森から逃げるように脱出することにした。
だが森を抜けると、どういうわけか魔王軍の四天王に待ち伏せされていたのだ。
四天王のほかにも、青色の鱗を持つ巨大な氷龍の姿までもあった。
どうやらオレたちは、何者かの罠にかかってしまったらしい。
その場で仲間たちが次々と討ち取られていく。
最後に残ったのは、やはりオレと女剣士フィデッサだった。
だがそのフィデッサも、命を落とした。
オレはフィデッサが死に際に作ってくれた隙を利用して、風魔法でその場を脱出するのが精いっぱいだった。
フィデッサがオレへと最後に発した、「あなたは生きて」という声が未だに耳に残っている。
敗戦したオレは、一人で王都に帰還した。
魔王討伐の旅は、失敗したのだ。
フィデッサの形見として最後に持ち帰った彼女の双剣を、家の納屋の奥底にしまう。
仲間たちとの思い出と共に、神話級のその双剣は長い眠りにつくことになる。
後日、ドライアドの姉が魔王軍に入り、四天王と呼ばれる存在になることをオレは知った。
今思えば、森ではおかしなことが多く起こっていた。
だがそれらの全ては、ドライアドによって仕組まれた罠だったのだ。
だから森の外に魔王軍の残りの四天王が待ち伏せしていた。
もしかしたらドライアドは関係なく、魔王軍の姦計だった可能性すらある。
どちらにせよ、起きてしまったことはどうにもならない。
そこでオレは思い出す。
そういえば勇者の聖剣は王都まで持ち帰ることができたが、兜はあの森に置いて来たままだった。
勇者の亡骸も、そのままだ。
しかし、ドライアドが支配するというあの森に今のオレが一人で近づく勇気はなかった。
仲間がほぼ全滅したいま、オレ一人の力で魔王軍を壊滅させることもできない。
なら、それだけの力をつければ良いのだ。
一人でも対抗できるような、今よりも強い男になれば問題ない。
そうしてオレは来る日も来る日も修行に励み続けた。
数十年が経ったころ、大賢者と呼ばれるようになる。
だが、その時のオレには既に大切な家族ができていた。
戦いから遠ざかったオレは、それ以来一度もドリュアデスの森に近づくことはなかった。
気がつけばあれから50年が経ち、愛する孫と一緒に旅をしている。
そしてある時、辺境の村で両親を殺されたという白髪の少女を目にして、ワシは50年前の彼女を思い出した。
女剣士フィデッサも、同じような白髪だったからじゃ。
同時に、この地の近くに位置するドリュアデスの森のことが気になってくる。
今のワシの実力なら、四天王のドライアドと敵対しても簡単に敗れることはない。
おそらく森に行っても大丈夫だろうと決意したワシは、山岳地帯から王都へ戻る途中、久しぶりにドリュアデスの森へと向かうことにした。
蜜が欲しいと呟く孫を宥めながら、東の森を探索する。
そうして50年ぶりに、ドライアドの妹と再会した。
ドライアドから50年前の出来事を尋ねられ、ワシは当時のことを語ることにする。
なにせ大昔のことなので、全ての話が正しいかどうかはわからない。
それでもワシは昔の仲間のことを、ドライアドへと包み隠さずに話してしまった。
50年前、ドライアドの妹から、「姉のことをよろしくお願いします」と言われ、結局応えられなかった後悔が今も残っているからであろう。
姉のドライアドは、今も魔王軍の四天王として堕落の精霊姫と呼ばれている。
ワシの情報網によると、近いうちこの辺りの地域を魔王軍が襲うかもしれないとのことだった。
そうならないよう事前にドラゴンを狩るため山岳地帯を攻めに行ったのだが、空振りに終わってしまったのじゃがな。
ドライアドに魔王軍の襲来の可能性を告げると、なにか対策を立てるつもりのようじゃった。
力になってくれるような仲間をみつけると、ドライアドは話していた。
この地を襲う魔王軍に対抗できるような、強力な助っ人が現れてくれればよいのじゃがな。
そうしてワシは50年前に仲間が散った因縁の森を後にする。
せめて残されたドライアドの妹は、姉のように不幸にならないと良いと願いながら。
というわけで、勇者パーティーにいた50年前の大賢者のお話でした。
アルラウネが蜜狂いの少年に蜜を与え、大賢者が魔女っこを村で見かけてから数日後に、大賢者はドライアドの妹にこの話をしました。
そうしてその次にドリュアデスの森にやって来たのが、アルラウネと魔女っこだったということになります。
次回、ドライアドの記憶です。