自伝 新米賢者の大陸見聞録 前編
50年前の、若かりし頃の大賢者視点です。
オレの名前はオトフリート。
50年後くらいには大賢者と呼ばれるようになって、孫とのんびりと旅をしながら暮らしたいと密かな夢を持っている、18才の魔法使いだ。
最近では、オレのことを賢者と呼ぶ人も現れている。
ちょっと物知りで、魔法が得意なだけなんだがな。
そんなオレは現在、魔王を討伐する勇者パーティーに籍をおいている。
賢者と呼ばれるようになったのだから、勇者の仲間に誘われるのは当然の流れだった。
そして、オレたちは魔王討伐の旅の途中、とある古の森に長期滞在している。
日頃の戦いの傷を癒すという名目で長居しているのだが、その本当の理由をオレだけが知っていた。
オレは仲間の一人であり親友でもある、大柄の男へと目を向ける。
金色の兜を被ったその男は、野営地から離れるようにゆっくりと歩き出した。
「それじゃみんな、ちょっと見回りに行ってくる」
兜の男はパーティーの仲間を置いて、一人で森の奥へと進んで行く。
この男こそ、我ら魔王討伐隊のリーダーである、勇者ルドルフその人だ。
森に着いてからというもの、勇者ルドルフはこうやって一人で別行動をとることが多い。
数人の仲間とともに勇者を見送っていると、背後から仲間の女に抱き着かれた。
彼女はオレの耳元で小さく囁きだす。
「ねえ、オトフリート。この森の名前の由来、知っている?」
「もちろんだ。古い言葉で、森の精霊ドライアドのことをドリュアスと言う。ここに人間の王国ができるよりも、ずっと前の言葉だ」
「それでドリュアスが複数いることをドリュアデスと呼ぶんだよね。そしてここ森の名前はドリュアデスの森。だから精霊は一人ではなく姉妹だったのよ」
にゃははと笑いながら、彼女はくるりとオレの前へと座り込む。
賢者と呼ばれるオレよりもなぜか博識なのが、この女剣士フィデッサである。
彼女の白色の髪がふわりと眼前を舞い、甘くて良い匂いが鼻孔をくすぐった。
同い年であるフィデッサとオレはなぜか気が合うみたいで、勇者を除くと一番親交が深い仲間でもある。
「オトフリートはさ、勇者くんが一人で森の奥へ行っている理由を知っているんでしょ?」
「なんのことだか……」
「実はわたしも知っているんだよねー。勇者くんの密会相手」
ドキリと心臓が飛び上がる。
それは勇者の秘密をフィデッサが見抜いていたことなのか、それともオレの頬をフィデッサが手で触ったからなのか、わからなかった。
「ねえ、ちょっと二人で抜け出さない……?」
ここじゃ人目があるからねと呟いたフィデッサの提案を、オレは断ることはできなかった。
二人で森の奥へと進む。
フィデッサは細い体に似合わないような、二刀流の女剣士だ。
それぞれ雷と風を操ることができる、神話級の宝剣を持っている。
勇者のパーティーでもトップ3に入る実力者でもある。
魔法はまったく使えないのだが、その代わり勘がすごく良い。
そのせいなのか、勇者と恋人の密会場所を簡単に探し出すことができた。
オレとフィデッサは茂みに隠れて、恋慕を重ねるカップルを覗き見る。
金色の兜を被った勇者は、青い蔦の髪を持つ美しい女性と情熱的な抱擁を行っていた。
「ははーん、あれが勇者くんの恋人さんね。やっぱり人間じゃなかったんだ」
「ここまで知られたら仕方ないな……彼女は森の精霊ドライアドだ」
勇者、すまない。
親友であるお前の秘密を、フィデッサに知られてしまった。
「勇者なのに人外の存在と恋をしているから、仲間にも隠していたの?」
「そういうことだ」
「なんで二人は恋仲になったのかなー?」
「たしかルドルフが魔王軍に襲われているところをドライアドに助けられて、その時に一目惚れしたそうだ。それから毎日のように青い花を持ってプロポーズしに行って、つい先日受け取ってもらうことが出来て二人は結ばれてしまったわけだ」
勇者ルドルフは、親友だからということでオレにだけ恋の相談をしてきていたのだ。
他の仲間に隠して事を進めることは、なかなか大変だったんだからな。
「それで、あのドライアドは姉と妹、どっちのほうなの?」
「……姉だ」
たしか名前を、エッシェン・フラオという。
そう思い出したところで突如、背後から誰かに声をかけられた。
「あのう、そこの人間さん……」
振り返ると、緑の蔦の髪をもつ綺麗な女性が立っていた。
美人だが、人間ではない。
なぜなら、彼女の頭のから生えた枝に、オレの視線が集中してしまっていたからだ。
「ドライアド……?」
「はい、わたくしはそこにいるドライアドの妹、ザーリゲ・フラオと申します」
噂のドライアド姉妹がこの場に勢ぞろいしてしまった。
森の精霊はめったに人前に姿を現さないと聞いたが、いったい何事だろうか?
「貴方たちは勇者さまのお仲間ですよね。折り入ってお願いがございます」
「どんな要件でしょうか?」
「姉のことをよろしくお願いします。姉は、森を出ていって、勇者さまと添い遂げるつもりのようです」
ドライアド妹の話を聞き終わったオレたちは、野営地へと戻っていた。
妹曰く、姉のドライアドは森を捨てて、勇者と駆け落ちしようとしているらしい。
二人の恋はこの森に滞在している間だけだと思っていたが、まさかこのまま勇者パーティーの仲間になるつもりだったとは思わなかった。
大樹に宿るというドライアドがどうやって移動するつもりなのか気になったが、どうやらドライアドの姉には考えがあるらしい。
その方法についてだけは、オレも非常に興味があるな。
「にゃははー。まさか森の精霊ドライアドが勇者くんの恋人として仲間になるなんて信じられないねー」
「さすがのオレも驚いた。だが、これなら魔王を倒せるかもしれないな」
森の精霊ドライアドの精霊魔法があれば、先日倒した魔王軍の二人の四天王に続いて、残りの幹部を倒すことも簡単になる。
それだけでなく、魔王を亡き者にすることも夢ではないかもしれない。
だが、強力な仲間が増えることで気分が高まったオレは、フィデッサの顔が一瞬曇ったことの意味に気がつくことができなかった。
恋人との逢瀬から戻った勇者ルドルフは、ドライアドが仲間になるという話をオレに話してきた。
他のパーティーには、明日ドライアドを紹介するつもりらしい。
ついに仲間に秘密を打ち明ける決心をしたようだ。
大丈夫さ、ここにいるメンバーは全員勇者の味方だ。
だから異種族の恋愛だとしても、仲間である勇者の恋を応援してくれるはずだ。
フィデッサだって、拒絶の姿勢を取ることはなかったしな。
ならきっと、大丈夫だろう。
勇者と明日の打ち合わせを終え、オレの寝床へと静かに戻る。
「ねえオトフリート、恋人って良いよね」
就寝直後、オレの天幕に女剣士フィデッサが潜り込んできた。
「……フィデッサは剣を愛する女だと思っていたが?」
「冷たいなまくらではなく、たまには人肌が恋しくなるのさ」
フィデッサの甘い唇の感触に、頭の中が支配される。
そうしてオレは、気絶するように眠りに落ちた。
側にいるフィデッサの温もりを感じながら。
夢の中では、オレたちは魔王を打ち果たしていた。
これで故郷の村に帰れる。
そうしてオレも勇者のように恋人と結婚して、幸せに過ごそう。
その相手がフィデッサでも良いと、その時は思った。
だが次の日、オレの予想とは裏腹に、全てが終わることとなる。
翌朝、オレは男の悲鳴で目を覚ました。
その声が勇者のものだと気がつき、すぐに勇者ルドルフの天幕へと駆けつける。
すると、緑の蔦の髪をしたドライアドが、勇者に口づけをしているところだった。
緑色の髪ということは、ドライアドの妹のほうだったはずだ。
勇者の恋人は青色の蔦を持つ姉だったのに、なぜ勇者が妹と?
そう思ったところで、その場にいるもう一人の人物に気がついた。
二人の背後には、地中から伸びた木に寄りかかるように立っている青い蔦の髪をしたドライアドが、恨みのこもったような視線で二人を睨みつけていた。
勇者の恋人であった、姉のドライアドだ。
「いったいこれは、どういうことだい……?」
姉のドライアドが二人に問いかけた。
焦る勇者の口を妹のドライアドが塞ぎ、代わりにゆっくりと応える。
「勇者さまはお姉さまではなく、わたくしを選んでくださりました。お姉さまは遊ばれていただけなのですよ」
そう言いながら、再び妹のドライアドは勇者ルドルフに唇を近づける。
それを見た姉のドライアドは、腕に植物の刃を生やしながら絶叫する。
「アタシを裏切ったのか、勇者ぁああああああ!!」
次の瞬間、姉ドライアドが剣で勇者の左腕を切り落としてしまった。
妹のドライアドに抱きしめられていた勇者は上手く体が動かせなくて、運悪く刃を受けてしまったようだ。
「ち、違う……本当に斬るつもりはなかったのに…………」
腕を斬り落とされた勇者よりも、加害者であった姉のドライアドのほうが動揺しているようだったことが不思議に思えた。
だが、そんなことよりも今は勇者の傷の手当てをしなければ。
「ルドルフッ!」
親友を助けようと魔法を発動すると、姉ドライアドの姿は消えていた。
その場には地面から生えた一本の木だけが残っている。
どうやら精霊の力を使って転移したようだ。
気がつくと、妹ドライアドの姿までいなくなっていた。
こちらは、その場にいたという痕跡すら見当たらない。
いったい今のは何だったんだ?
昨日「姉のことをよろしくお願いします」とオレに頼んできた妹のドライアドと、さっきの人物が同じだったとは全く思えない。
仲間たちが次々と勇者の天幕へと集まってくる。
そして、「精霊はあっちへ逃げたよ!」という女剣士フィデッサの声が聞こえてきた。
天幕の外に出るとフィデッサが森の奥へと走っていくのが見える。
あとを追わないと。
「オトフリート、待て。俺も行く」
仲間の聖女の光回復魔法を受けていた勇者が、オレのあとについてくる。
怪我が心配だがルドルフにとっては、今はそれどころでもないだろう。
二人で森の中心部へと辿り着くと、鬼の形相をしているドライアドと遭遇した。
青色の蔦なので、ドライアドの姉に間違いないだろう。
そしてオレは、この場所が森の聖域の入り口だということに気がつく。
前に勇者から教えてもらっていたので、そうだとわかることができたのだ。
だが、この場所が勇者パーティーの旅の終着点になるとは、オレは露程も思うことはなかった。
というわけで、今回は妹のドライアド様が勇者の仲間から教えてもらったという50年前のお話です。当時の勇者の仲間とは、蜜狂い少年の祖父である、後の大賢者オトフリートのことでした。
次回、新米賢者の大陸見聞録 後編です。