日報 新米聖女見習いの塔の街騒動記 後編
引き続き、新米の聖女見習いのニーナ視点です。
シスターさんがトロールになりました。
正直、この世の出来事だとは信じられません。
いま思えば、教会で話した時のシスターさんはおかしかったです。
なにせあんなに大好きだった聖蜜のことを見向きもしなかったのですから。
あの時、すでにシスターさんは司祭さまに操られていたんですね。
このままだとあたしは、トロールとなったシスターさんに食い殺されてしまいます。
「やめてください。あたしがわからないのですか、ニーナです!」
あたしの声がわからないのか、トロールが口を大きく開けました。
これから食い殺されるんだと悟った瞬間、司祭さまの言葉を思い出します。
司祭さまがあたしを操って教会の外に送り出した時、「あなたはあなたでなくなってしまいます」と言っていました。
「聖女見習いとしても使い者にならなくなる」とも。
あれは、もしかしてこのことだったのでしょうか。
青い花が体の中で咲いた人は操られ、その後トロールにされてしまうということだったのかもしれません。
おそろしすぎますね。
けれども、このトロール化が青い花の洗脳と同じ理屈なら、一つだけ可能性があるかもしれません。
イリスさまの光魔法のオーラが籠ったこの聖蜜を飲ませれば、なにか打開策がある気がします。
さきほどあたしが飲み干したのは、自分用の聖蜜でした。
ですがここに、シスターさんに渡そうと思っていた聖蜜がまだ残っているのです。
あたしは懐から木筒を取り出して、トロールの口の中に聖蜜を放り込みました。
そしてあたしは、聖蜜の想像以上の効力を目の当たりすることになります。
トロールが叫びながら暴れ始めました。
あたしはトロールの手から離され、地面に着地します。
苦しそうにわめくトロールの身体が、次第に溶けていきました。
同時に、トロールが口から種の残骸を吐き出します。
その直後、溶けたトロールの肉の中から、シスターさんが出てきました。
「この蜜、凄いですよイリスさま……!」
さすがは歴代でも最強クラスの聖女と呼ばれたイリスさまです。
トロールの体を浄化させて、化け物にされたシスターさんを助け出すことができるだなんて思いもしませんでした。
シスターさんを介抱しながら思います。
この聖蜜があれば、トロールとなった住人たちを救うことができる。
司祭さまはあたしが領主さまの種を排除したと思っていたようですが、あれは誤りです。
聖女イリスさまの光のオーラを纏ったこの聖蜜こそが、青い花と種を無効化することができるのですから。
聖蜜の在庫はもうほとんどありません。
けれども、イリスさまさえいれば、この事態を解決することができるかもしれないですよ。
気になるのは、司祭さまたちの目的です。
街のかなりの人数に対して、トロールになる種を植え付けていたことを考えても、これは計画的な犯行なのはわかります。
街を支配することが目的なのでしょうが、なんだかそれだけではない気がしますね。
すぐそばにいる人が、「見ろ」と空を指さしました。
街を見渡すと、至る所で煙があがっています。
そして、街の一番の高台にあるお城が赤く染まっているのがわかりました。
領主さまのお館が、燃えているのです。
いったいなぜ?
そう思っているうちに、街のあちこちで火事が起きました。
唖然としているあたしに対して、通りすがりの誰かが感心したように呟きます。
「どうやら街の冒険者たちは徹底抗戦をするようだね。弱点である火を使いだしたみたいだけど、この雨じゃいつまで消えずにもつか」
この声は聴き覚えがあります。
振り返ると、青髪の男性がおられました。
「おや、そこにいるのはニーナさんではないですか。どうやら無事だったようですね」
声をかけてきたのは、冒険者のホルガーさまでした。
『龍水の結晶』のリーダーで、水魔法が得意なドラゴンキラーです。
先日のアルラウネ討伐部隊でご一緒したので、顔見知りになったのですよね。
ホルガーさんたちはこの街で最強の冒険者。
彼とその仲間の力があれば、この絶望的な状況を打開することができるかもしれませんよ。
「それにしても、まさか街がトロールの大群に襲われているなんて思いもしなかったよ。森にもとんでもないモンスターが現れたばかりだというのに、この街はどうなってしまうんだろうね」
「ホルガーさま、森にモンスターが現れたというのは何のことでしょうか?」
「討伐部隊が敗北してから、ボクたちのパーティーは森で毎日あのアルラウネを探していたのさ。リベンジするためにね。それで今日も探索をしていたんだけど、その時に空から大きなドラゴンが下りてきたんだよ」
まだ驚くのは早いよと言いながら、ホルガーさんは続けます。
「そのドラゴンと一緒に誰がいたと思う? 堕落の精霊姫だよ。青い蔦の髪に、枝のような角が生えたドライアドが陸ガメに乗って、空から飛び降りてきたんだ。冒険者組合の手配書で何度も顔を目にしてきたから見間違えることはないよ」
青い蔦の女というと、先ほど司祭さまに寄生していたあの女の人も青い蔦の髪をしていました。
四天王直属と言っていましたし、その堕落の精霊姫こそが司祭さまを殺した四天王なのかもしれません。
「ホルガーさま、そのドライアドが全ての元凶です! いますぐ倒しに……でも、司祭さまをこのまま放っておくわけにもいかないし、どうしましょうか」
「教会の司祭なら、さっき森へ歩いていくのを見たぞ」
「本当ですか!?」
「間違いない。ボクたちは森に堕落の精霊姫が戻ったことを街の冒険者組合に報告しようと急いでいたのだが、その時に遭遇したトロールの群れの中に司祭が見えた気がしたからね」
「トロールの群れも、森に向かっていたのですか?」
司祭さまがトロールと一緒に森に行った。
四天王が出現したことも考えると、森になにかあるのかもしれません。
それこそが、魔王軍がこの街を襲った目的なのかも。
「ホルガーさんお願いです。あたしをそのドライアドがいた場所まで連れて行ってください!」
「ええ!? そんなことより、街でトロール退治をしないと……」
「このトロールはみんな、元は人間だったのです。こんな酷いことをした張本人が森でなにか悪だくみをしようとしているのですよ。聖女見習いとして、見逃せることではありません!」
「…………聖女見習いであるニーナさんがそこまで言うのなら、きっと森になにかがあるのでしょうね。わかりました、街のことは他の冒険者に任せて、ボクたちは森の魔王軍討伐といきましょう。『龍水の結晶』のリーダーとして、ニーナさんにご協力いたします!」
ホルガーさんとその仲間三人と共に、あたしたちは森へと向かいました。
シスターさんを近くにいた街の人に預けてきたのが気がかりですが、今この街を襲っている魔王軍のことに対して一番詳しいのはあたしのはずです。
ですから、あたしがなんとかしないと!
イリスさまのように魔王軍の大群を単独で撃退することはできませんが、街最強の冒険者であるホルガーさんたちと力を合わせれば、きっとなんとかなります!
森の奥へと進みました。
雨が降っているせいで、足元がぬかるんで歩きにくいですね。
しばらくすると、前方から大きな獣の咆哮が聞こえました。
「今のはドラゴンの声だ」とホルガーさんが教えてくれます。
声がした方向へと急いで向かうと、森の木々の奥に大きな影が現れました。
ドラゴンです。
青色のドラゴンが何かと対峙していました。
どうやら何者かと戦っていたようです。
あたしはドラゴンの視線の先へと顔を向けます。
すると、なんとそこにアルラウネがいました。
消えたはずのアルラウネが戻っていたのです!
けれどもあたしは困惑してしまいました。
アルラウネはイリスさまに似ているけど、なんだか小さい気がするのです。
幼女というには大きく、大人というには小さすぎます。
イリスさまの子どもの頃は、こんな感じだったのではと思えるようなアルラウネがそこにはいました。
ということは、このアルラウネはイリスさまとは別のアルラウネなのかもしれません。
大きく成長するのならわかりますが、退化して若返るということは聞いたことがないですからね。
モンスターになってしまったことを除いても、あたしが知っているイリスさまとそのアルラウネは同じ人物だとは思えませんでした。
なぜならそのアルラウネは、10才くらいの少女の姿をしているのですから。
というわけで新米聖女見習いのニーナ視点でした。アルラウネが戻る少し前までの街の様子を目にすることができます。次はアルラウネ視点に戻りますよ!
次回、聖域攻防戦です。