日報 新米聖女見習いの塔の街騒動記 中編
引き続き、新米の聖女見習い視点です。
あたしの名前はニーナ。
塔の街で新米の聖女見習いをしています。
領主さまの晩餐会から数日が経ちました。
十数日前からの記憶を失ってしまった領主さまですが、晩餐会の出来事から目が覚めたように正気になられたようです。
そのため、ドライアド討伐計画は領主さまの鶴の一声で中止になりました。
理由は、領主さまの亡くなった父君から「東の森のドライアドはこの街を守ってくれている精霊様だから、良い関係を続けるように」と小さいころから言い聞かされていたからだそうです。
領主さまは「私が東の森のドライアド討伐するよう命令するなんて信じられない。まるで誰かに操られていたみたいだ」と話しておられました。
体内から出てきた青い花が関係しているのは間違いない気がします。
そして花の根っこについていた種と、あたしのスープの種がまったく同じだったことも偶然とは思えません。
アルラウネがいなくなったことも含めて、この街でなにかが起きているのかもしれないですね。
教会の窓から外を眺めます。
雨が降っているせいか、なんだか気持ちまで落ち込んでしまいますね。
ぼーっとしていると、聖蜜愛好家仲間であるシスターさんがあたしに声をかけてきました。
どうやら司祭さまがお呼びのようです。
せっかくだったので、シスターさんに「聖蜜の残りがまだあるのですが、いりますか?」と尋ねながら蜜が入った木筒を見せました。
こないだ聖蜜の備蓄がなくなったとシスターさんが嘆いていたからです。
「聖蜜……なんのことだかわからないけど、いりません」
シスターさんがあたしから離れながらそう返事をしました。
もしかして聖蜜に飽きてしまったのでしょうか。
あの味を一度でも知ってしまったら、二度と飲まないという選択はあたしにはないのですけど。
司祭さまのお部屋に入ると、机の上に見たことがない変な花が置いてあるのが目につきます。
「そこに座りなさい」と言われたので、司祭さまのすぐそばにある木製の長椅子に座りました。
「ニーナ、君はドライアド討伐のことをどう思っている?」
「討伐が中止になったことは良かったと思っております」と、あたしは返します。
司祭さまはこの質問をするためにあたしを呼んだのでしょうか。
「ニーナは甘い。モンスターというのは恐ろしいものです。そんな考えでは足をすくわれるぞ」
司祭さまは数年前、ドリュアデスの森で行方不明になったことがあります。
森でモンスターを退治しながらサバイバルをして、一週間後なんとか街まで帰還したと聞きました。
そのため、モンスターに対してシビアなところがあるみたいですね。
「人間は愚かです。実際に体験しないとわからないのでしょう。こんな風にな」
「きゃっ!?」
突如、長椅子から枝のような触手が生えてきました。
あたしは瞬く間に、枝によって拘束されてしまいます。
「ニーナ、君には驚かされたよ。将来有望な聖女見習いがこの街に配属されたときは喜んだものだが、まさかここまでとは思わなかった」
「司祭さま、これはいったいどういうことでしょうか?」
「全てはニーナが悪いんだ。先日の晩餐会で種を飲まなかったうえに、領主にしかけていた勿忘草を取り除いてしまったのだから」
いったいなにを言っているのですか、司祭さまは?
こ、怖いです。
まるで別人になったとしか思えません。
「勿忘草は聖女の光魔法が弱点だということは知っていたが、それができる程の強い魔力を持っているのは黄金鳥人か王都にいる灯火の聖女くらいなものだと思っていた。だがら、ニーナがそれほど優秀だとは知らなかったんだ」
体に力が入らない。
光魔法を使おうしてもなぜか発動しません。こんなことは初めてです。
「そこに置いてある花は対聖女用の魔花でね、花粉を吸うと光魔法を使用するのを阻害することができるんだよ」
「し、司祭さま……そ、その女の顔は、なんですか……?」
「これは私の本体ですよ。人間の身体はあくまで宿主にすぎませんから」
信じられないことに、司祭さまの祭服の中から女の顔が生えてきました。
青い蔦の髪を持った、綺麗な女の人です。
動揺するあたしに対して、女が喋り始めました。
「この人間はもうとっくの昔に死んでいるんだよ。森で迷子になったときに、フェアギスマインニヒト様によって改造されてしまって、動く植物人形となってしまったのさ」
「…………あなたは何者ですか?」
「アタシは四天王直属の三精獣の一人だよ」
司祭さまが魔王軍の四天王によって殺されていたなんて、信じられません。
けれども、目の前の司祭さまが人間ではなくなっていることはすんなりと納得がいきました。
なぜなら、司祭さまの指から枝が生えてきたからです。
あたしは枝によって強制的に口を開かされてしまいました。
あたしの顔の前まで女の顔が伸びてきます。
女が口を開けると、舌の先に種が実っていました。晩餐会であたしのスープに入っていた種と同じものです。
舌が木の枝に変化して、急成長してきます。
枝があたしの口の中へと強引に入ってきました。
ゴクリと種が喉を奥へと流し込まれてしまいます。
「これで聖女見習いも魔王軍の一員ですね。計画の決行も近いことですし、領主にも同じように強制的に種を植え付けることにしましょうか」
異物を吐き出そうとあたしの体が拒絶しようとします。
けれども、喉の奥で種から何かが這い出てきました。
まるで体内に根を張られているような感覚です。
なるほど、やっとあの花と種の正体がわかりました。
青い花が体内で咲くと、体が操られてしまうんだと本能的にあたしは理解します。
あたし、もうダメかもしれません。
「抵抗したって無駄だよ。勿忘草が植え付けられた生き物は、誰しもが意識のない操り人形になってしまうんだから」
────あれ、なんだかおかしいですね。
まだあたしの意識が残っているみたいですよ。
ワスレナグサは聖女の光魔法が弱点だと、司祭さまは話していました。
あれはきっと、この青い花の弱点だという意味なのでしょう。
あたしの身体の中に残っていた光魔法のオーラによって、青い花の開花が阻害されているのかもしれません。
そのせいで、まだ完全に意識まで支配されているわけではないようです。
「さて、ニーナへの最初の仕事は、領主に種を飲み込ませることです。聖女見習いであるあなたが行けば、きっと領主は油断することでしょう」
あたしは司祭さまに種を握らされ、「わかりました」と返事をします。
どうなっているの、これ?
自分の意識とは関係なく、口と体が勝手に動いているよ。
「……おっと、ニーナ急ぎなさい。フェアギスマインニヒト様から作戦決行の指示が出てしまいました。すぐにあなたはあなたではなくなってしまいますから、聖女見習いとして使い物にならなくなってしまう前に仕事を終えるのですよ」
あたしは教会から出ると、領主の館へと走り始めます。
通行人の一部が、その場で立ち止まって空を眺め始めているのが目に入りました。
なんだか街の様子がおかしいです。
ハチミツ屋さんの横を通りすぎると、人だかりができていました。
どうやら今日もハチミツ屋さんが襲撃されたようですね。
暴徒と化している住人が、蜜をおいしそうに食べていました。
そこであたしは、暴徒の一人とぶつかって倒れてしまいます。
ぶつかった相手は、あたしのことを無視して、そのままハチミツ屋へと突撃していきました。
なんだかとんでもないことになっていますね。
そこで、あたしの鼻が何かに反応しました。
────甘い蜜の香りがする。
転んだ衝撃で、あたしの懐から聖蜜が入った木筒が落ちてしまっていたようです。
蓋が半分空いて、中の聖蜜が漏れていますね。
聖女イリスさまの光のオーラを纏った聖蜜を見た瞬間、腕が動きました。
そのまま、あたしは木筒の中の聖蜜を飲み干してしまったのです。
どうやらあたしを支配するあの種とは関係なく、無意識に体が反応してしまったようですね。
毎日の習慣とはいえ、身体は正直でした。
そして、あたしは喉の奥で異変が起きたことを感じ取ります。
身体がのけぞり、口の中から何かを吐き出しました。
咲きかけの青い花と種が地面にボトリと落ちます。
「……あれ、身体が動く?」
どうやら、あたしは自由の身に戻ったようです。
司祭さまの支配下から脱却することができました。
「もしかして、イリスさまのおかげ?」
聖蜜にはイリスさまの光魔法のオーラが籠っていました。
その聖蜜を飲むことで、あの青い花を枯らして取り除くことができるようです。
「それよりも、これからどうしましょう」
この塔の街は、裏から魔王軍に支配されていました。
聖女見習いとしてなんとかしなければ!
「キャ────ッ!」
突如、悲鳴が聞こえました。
しかも一つや二つではありません。
街のいたるところから叫び声や、なにかが壊れる音がします。
周囲を見渡すと、道の向こうにトロールの姿がありました。
なんで街の中心部にトロールが?
理由を考える暇もなく、どういうわけかトロールが次々に現れました。
反対側の道や、家の中からもトロールが溢れでてきたのです。
トロールの弱点は炎。
けれどもこの雨では、すぐに火は消えてしまう。
もう一つの弱点である光魔法が使えるのは、この街ではあたしだけです。
一人で十匹以上もいるトロールすべて倒すことなんて不可能ですよ!
「ニーナさまー!」
後ろから、シスターさんが走ってきました。
さきほど教会であたしを司祭さまの部屋へと呼んだ方です。
そのシスターさんの身体が、急に膨れ上がりました。
あたしは悲鳴を上げそうになり、咄嗟に口元を塞ぎます。
今日だけで、あたしは信じられないような経験を何度もしました。
だからこれ以上驚くようなことは、もう起こらないと思っていたのです。
けれども、現実はあたしの想像をはるかに超えるほど非情でした。
なぜなら、シスターさんがトロールになってしまったのです。
なんでシスターさんがモンスターになってしまったのかと言葉を失っていると、トロールが丸太のように太い腕を大きく振りかぶります。
に、逃げないとっ!
そう思っても、あたしの足は動きません。
身体はもう自由なはずなのに、恐怖で足がすくんで力が入りらなかったのです。
トロールの手があたし身体を握って持ち上げました。
そうして大きく口を開けて、あたしを放り込もうとします。
あたしは悟りました。
トロールは、あたしを食い殺そうとしているのだと。
思ったよりもボリュームが膨らんでしまい、中編になってしまいました。今度こそ後編になります。
次回、新米聖女見習いの塔の街騒動記 後編です。