116 あの日見た龍の名前を私はすでに知っている
私、植物モンスター娘のアルラウネ。
数か月前に私を燃やしてきた懐かしの炎龍様を目撃してしまったところなの。
炎龍様の部下である眼帯ミノタウロスを私が食べちゃったからね。
その仇討ちをされてしまったんだよ。
前回は受粉をして体を乗り換えることで、なんとか生きながらえることができた。
でも次に見つかってしまったら、今度こそ完膚なきまで燃やされてしまうかもしれないよ。
炎龍様の名前はたしか「グリューシュヴァンツ」。
もしこの植物園の持ち主の名前が私の知っているその名前と同じだとしたら、私はいずれ炎龍様に見つかってしまうかもしれない。
本当なら逃げて隠れたいところだけど、そんなこと私にはできないのです。
だって私は、植物園に生えているただのお花。
なにをどうしたって、ここからは逃げられないのだから。
でもね、実はこの植物園から脱出して魔女っこの元へと戻る方法を、一つだけ思いついてしまっているの。ただ、いまの私にはそれをすることができない。
あの植物を植物園で見つけられれば、ここから逃走するチャンスが巡ってくるかもしれないだけどね。
だからそれまでは、ここでのんびりと過ごしましょう。
「バロメッツさん、これ、見てー!」
私は植物生成で丸い輪っかのような枝を作りました。
白い液体が滴っているその枝を動かします。
すると、枝からシャボン玉がふわふわと飛び出してきました!
「アルラウネさんから、あ、泡が出てきましたのー!」
バロメッツさん、驚いているみたいだね。
新しく捕食した植物を使って、シャボン玉を生み出してみたの。
これはシャボン玉の木。
正式にはナンヨウアブラギリというんだけど、この植物はシャボン玉を作り出すことができるのです。
このシャボン玉の木の枝を折ると、石鹸と同じ成分の白い汁が出てきます。その枝をストローのようにして吹くと、シャボン玉が飛んでいくという面白い植物なの。
だけど植物である私は口から空気を吐けない。
なので、シャボン玉が出る道具を作っちゃいます。
丸い輪っかの形をしたシャボン玉の木を生成すればほら、シャボン玉道具の完成です!
ラケットを振るようにシャボン玉の木を動かすと、そこから大きなシャボン玉が出てくるというわけ。
「泡が出てくるなんで凄いですわ! いったいどうやって……?」
「これは、シャボン玉、といって、泡が出る、液体が、枝から、出ているの」
「そんなことまでできるなんて、やっぱりアルラウネさんはただの植物とは思えないですわ。いったいどうすればアルラウネさんみたいに特別な植物になれるんですの?」
私からすれば、金の綿と羊毛を生み出せるバロメッツさんのほうが特別だと思うんだけどね。
「あたくしもやってみたいですわ!」
「じゃあ、これ、シャボン玉の木、あげる。本当は、枝を吹けば、簡単に、泡が、出るんだけど」
「こうですわね?」
バロメッツさんがシャボン玉の木に口を当てて、ストローのように吹きました。
すると、シャボン玉の木から、ふわふわとたくさんのシャボン玉が噴き出ていきました。
「これ、楽しいですわー!」
笑顔でシャボン玉を作っているバロメッツさんを見て、私はおかしな気分になります。
だってシャボン玉のストローを吹けるということは、バロメッツさんには息を吹くためのポンプのような器官が、体内に備えているというわけだから。
バロメッツさん、あなたもしかして──
「肺呼吸、しているの?」
私の質問を耳にしたバロメッツさんの表情が固まりました。
そのままシャボン玉のストローをゆっくりと下げます。
「失敗いたしました。まさかこれで気づかれるとは思わなかったのですわ。それにやはり、アルラウネさんには肺がなかったのですわね」
私も呼吸はしているけど、それは葉っぱの表皮に存在する気孔で行っているの。
だからこの人間の口で呼吸しているわけではない。
けれどもバロメッツさんは、人と同じように肺呼吸をしていたのだ。
──植物だというのに。
「あたくし、アルラウネさんに一つ、嘘をついていました」
意を決したようにバロメッツさんが大きく深呼吸をします。
そうして申し訳なさそうに話し始めました。
「この植物園の中で、あたくしだけ仲間外れなんですわ。なぜなら本当の意味で、あたくしは植物モンスターではないの」
「どういう、こと?」
「実はバロメッツは…………半獣人半植物なんですの。だから、下半身の綿玉は植物ですが、上半身は植物ではなく、人間と同じ肉でできているのですわ」
──半獣人半植物。
その言葉を聞いて、ちょっと納得がいきました。
なんで植物モンスターから、動物繊維である羊毛が生み出されるのかと不思議に思っていたけど、そういうからくりだったんだね。
「上半身は動物。だからあたくし、アルラウネさんと本当の意味で仲間ではないのですわ…………」
「バロメッツさん……」
私の人間の体は、植物が擬態しているから人間に見えるだけで完全に植物です。
でも、バロメッツさんは擬態ではなく、獣人と植物が合体していたみたい。
「あたくしは人間でもなければ、普通の動物モンスターの仲間にもなれず、あまつさえ完全な植物にもなれない、中途半端な存在ですの。嘘をついていたのは謝りますし、軽蔑してしまったのなら、それは仕方のないことですわ…………」
「私は、軽蔑なんて、しないよ」
「で、でも、あたくし、全部が植物ではないのですわ。下半身が植物なだけで、アルラウネさんを森で襲ったという人間や動物モンスター、それに魔族と同じような肉を持った生き物なんですの」
少し前に四天王のドライアドがバロメッツさんを触っていたときのことを思い出します。
あの時ドライアドは、「バロメッツは植物と動物の部分が完璧に混ざっている」と言っていた。
それを聞いたバロメッツさんは、私のほうを見たあとに申し訳なさそうにし視線を下げたの。
あれは、本当はバロメッツさんが完全な植物ではなく半獣人半植物だったから、私に罪悪感を覚えていたんだ。
でもね、バロメッツさん。
私はそれくらいのことでは、気にしないよ。
「私の話、覚えて、いる? 森には、魔女や、妖精の、家族が、いるって」
「ええ、何度も聞きましたわ」
「だから、バロメッツさんが、半分獣人、だとしても、気にしないよ。私は、植物ではない、バロメッツさんも、好き」
それにね、バロメッツさん。
私、昔は人間の聖女だったの。
聖女と植物モンスターが融合してできたのが、いまの私であるアルラウネ。
だから本当はバロメッツさんと似たようなものなんだよね。
そのせいか、前以上に、他人のような気がしなくなってしまったよ。
どうなって獣人と植物の身体がくっついているのかはわからないけど、これまでと同じようにバロメッツさんは私の植物モンスター仲間です。
「アルラウネさん……ありがとうございますですのぉ」
バロメッツさんがわんわんと泣き出してしまいました。
「アルラウネさん、仲直りの印に、あたくしを食べて欲しいのですわ」
え、ちょっと待ってバロメッツさん、いきなりなにを言っているの?
「先日、あたくしがアルラウネさんの蔓を食べてしまったお返しでもありますの。この金の綿を食べれば、少しでもお友達であるアルラウネさんの力になれると思うのですわ」
あぁ、バロメッツさんの綿を食べてという意味だったんだね。
バロメッツさんが変な趣味に目覚めてしまったんじゃないかと心配になったよ。
「あたくしの綿をアルラウネさんが吸収すれば、同じように綿を出すことができるのですわよね? なにかに使えるときが来るかもしれませんし、だからあたくしを食べて欲しいのですわ」
正直、バロメッツさんの金の綿は喉から手が出るほど欲しい能力です。
お友達同士で食べ合うのは変な関係だけど、ここはお言葉に甘えさせてもらいましょう。
「じゃあ、いただく、ね」
「ええ。でも、食べられるのは初めてですから、優しくして欲しいのですわ……」
私は蔓を使って、バロメッツさんの金色の綿をむしり取ります。
綿を採った瞬間、「ハァ……」というバロメッツさんの甘い吐息が聞こえてきました。
ひとつまみした金の綿を、私は下の口で丸呑みします。
──パクリ。
これで私は、バロメッツさんの金の綿を生み出すことができるようになったよ。
試しに蔓に金の綿を生み出してみます。
すると、蔓に小さな綿花が咲きました。
金色の柔らかな綿毛が私から生成できたみたい。
でもね、この金の綿、こんなちょっとの量を作るだけでかなり疲れるよ。
特殊な種族であるバロメッツさんと違って、普通の植物は金色の物を生み出したりはしないから、身体に負荷がかなりかかるみたい。
ちなみに羊毛は食べたいとは言いません。
多分だけど、私が金の羊毛を食べても、それを植物生成で生み出すことはできないと思うんだよね。
動物繊維である金の羊毛は獣人部分から出来るから、おそらく植物の一部ではない。
つまり私が羊毛を食べても、植物ではない羊毛を身体から生やすことはできないだろうね。
羊毛に関してトラウマがあるバロメッツさんは嫌がるだろうし、能力として取り込めないのならそこまでして羊毛を食べる必要はないのです。
「あたくし、アルラウネさんに食べられてしまいましたの。だから初めてを奪った相手は、アルラウネさんということになりますわ」
もじもじとしながら恥ずかしそうに綿で顔を隠すバロメッツさん。
なんか言い方がおかしい気がするけど、まあ気にしないでおきましょう。
ともかくこれで、私はいつでも金の綿花を咲かせることができるができるようになったね。
私は遥か遠くにいる、魔女っこを思い浮かべます。
もし私がまたあの森に戻れたら、もう貧しい生活から脱却できそうだよ。
金の綿があれば、もう金策に苦労する必要はなくなるからね。
私たち、お金持ちになれるかもしれないよ。
そうしたらもう、魔女っこに蜜を売りに働きに出てもらう必要もなくなるね。
一緒にのんびりしながら森で暮らせるの。
──あぁ、魔女っこ。
もうずいぶんと長い間、顔を見ていない気がするね。
また、会いたいよ……。
ナンヨウアブラギリ(シャボン玉の木):トウダイグサ科。シャボン玉を出せることができますが、他に石けんやロウソクなどの原料にも利用されています。しかしこの植物は毒も持っており、特に種子には強い毒が含まれているので注意です。
ワタ(綿):アオイ科。綿花から綿が摘み取ることができ、木綿ともいわれます。同じ綿でも、蚕から取れる動物繊維の絹の綿は、真綿と呼ばれます。羊から取れるものは羊毛綿とも言います。
次回、魔女っこ、はじめてのアルラウネ捜索活動です。