日報 新米聖女見習いのネームドモンスター討伐記 後編
引き続き、新米の聖女見習い視点です。
あたしの名前はニーナ。
塔の街で聖女見習いをしています。
アルラウネの蔓に捕まったあたしは、火炎瓶を使って自爆しようとしたのです。
でもその時、あたしの鼻孔に天からの贈り物が届きました。
そうです、あの蜜です!
なぜか人食いアルラウネから、ルーフェちゃんが売っている聖蜜の匂いが漂って来たの。
一瞬のうちに、あたしの口内には生唾が溜まっていました。
あの芳醇で至高の味がする蜜が舐めたい。
いますぐ舌でとろけるような甘さを堪能したい。
そんな甘い誘惑が、あたしを襲いました。
ハァ……ハァ………。
蜜であたしの動きを封じようだなんて、人食いアルラウネはやっぱり卑怯です。
興奮を隠せないあたしは身体をもじもじと動かそうとしますが、アルラウネの蔓に巻き付けられているせいで微動だにしません。
でも、イリスさまと同じ顔のアルラウネを見た瞬間、現実に引き返されます。
そ、そうですよ。
いまあたしは、復讐をしようとしていたんでした!
蜜に気を取られている場合ではありません。
頭の中の蜜を追い払ってアルラウネを倒すことに考え直したあたしは、共倒れ覚悟で火炎瓶を投げようとします。
けれそも、あたしの体はまだ本調子に戻ってはいませんでした。
火炎瓶を取り出すときに、イリスさまのハンカチを取り出してしまったのです。
レースのついた白いハンカチが、懐からひらひらと舞い落ちていきました。
イリスさまの代わりだと思って、ずっと持ち歩いていたあたしの宝物です。
あぁ、イリスさま、申し訳ありません。
大事なハンカチを、こんな時に落としてしまいました。
この状況のあたしを見たら、きっとイリスさまはお嘆きになられるでしょうね。
でも、もう少しだけ我慢してください。
相打ちになる覚悟で、いま仇を討ちますからね。
憎い植物モンスターからすぐに解放しますので、そうしたら安やかにお眠りください。
そう思ったとき、人食いアルラウネがおかしなことを呟きました。
「私のハンカチ、まだ持って、いたのね」
────え?
「…………いま、なんて?」
人食いアルラウネが、イリスさまのハンカチを「私のハンカチ」と呼んだ?
しかも「まだ持っていた」だなんて、まるであたしがイリスさまからハンカチを受け取ったことを知っているみたい。
おかしいですよ。
あたしはハンカチのことを誰にも話したことはないのです。
だからこのハンカチのことを知っているのは、あたしとイリスさましかいないのに。
ということは──
「ま、まさか、本当に……イリスさま、なの…………?」
あたしとアルラウネの視線が重なります。
で、でも、まだアルラウネがイリスさまだという確証がない。
イリスさまを食べたときに、記憶も受け継いでいる可能性もあるよね。
それでイリスさまを演じているだけなのかもしれないですよ。
そんなあたしの疑惑を打ち消すように、アルラウネはあたしの心に染み込むような言葉を続けます。
「いまでも、ニーナは、とても、綺麗な目を、していますね」
アルラウネがイリスさまのハンカチで、涙で濡れたあたしの顔を拭いてくれました。
まるで、あの時のように。
「女神さまの、祝福を受けた、特別な目みたい」
──あぁ。
信じられません。
その言葉は、ハンカチを受け取ったあの日に、イリスさまがあたしに声をかけてくれた言葉と同じなんですもの。
動揺するように、緊張が全身へと伝播していきます。
ただの植物モンスターが、あたしの心を的確についてくるような演技ができるとは思えない。
ということは、信じられないけど、やっぱりこのアルラウネはイリスさまなのかもしれません。
そう思って見てみれば、どこかイリスさまに似たような表情をされています。
優しくて慈愛に満ちた瞳。
あたしの憧れる、聖女さまそのものです。
まさかこんなことがと想像もできませんでした。
イリスさまは、どういうわけか植物モンスターとして生きていたのです!
でも、そこであたしは失敗をしてしまいました。
手に持っていた火炎瓶を、アルラウネに落としてしまったのです。
あたし、イリスさまになんてことを!?
このままではあたしがイリスさまを殺してしまう!
「い、イリスさま…………うぅ」
火炎瓶の爆風があたしを襲います。
そこであたしの意識は、途絶えました。
──────。
────。
──。
「イリスさま!?」
目を覚ますと、あたしは教会のベッドで寝ていました。
シスターさんから事情を聞くと、どうやらフランツさまがここまで運んできてくれたようです。
イリスさまの白いハンカチも無事でした。
既にアルラウネ討伐から一日が経過していたようです。
どうやらアルラウネは火炎瓶の爆発からも生き延び、いまの森に生息しているとのことでした。
「生きていたのですね、良かった……」
そこで気がついてしまいます。
あたしは、何てことをしてしまったのでしょう……!
敬愛するイリスさまを討伐しようとして暴言を吐いただけではなく、爆殺しようとしたのですから。
無礼にも程があります。
「…………イリスさまに、謝らないと!」
そのためにも、あたしは冒険者のフランツさまの所へ訪れました。
まずは先日助けてくれたお礼を述べて、本題に入ります。
「それでですねフランツさま。あなたに冒険者として依頼をしたいのですが」
「もしかして、アルラウネに会いに行くつもりか?」
「そうです。そのために森での護衛と道案内をお願いします」
「アルラウネの嬢ちゃんにはまた行くと言ってしまったし、ちょうど良い。俺に任せてくれ!」
そうしてあたしとフランツさまは、二人で森へと赴きました。
道中、フランツさまはアルラウネ討伐の顛末を聞かせてくださいました。
「騎士団長はまだ寝込んでいるらしいですよ。タマネギが口の中いっぱいに詰まっていたし、きっと匂いもまだ取れていないでしょうね」
けれど相当怒り狂っているようで、再度アルラウネ討伐をしようと領主様に直訴しようと計画しているとの噂のようです。
「そうそう、ニーナさまが気にしていたシルクハットの冒険者は、街を出たようですよ」
シルクハットの男性はアルラウネ討伐の際に行方不明になったらしいのですが、後で冒険者組合に街を出ることが書かれた手紙が届いたそうです。
そういえばアルラウネと出会った辺りから、姿が見えなかったですね。
結局、クマのぬいぐるみの外見はなんだったのでしょうか。
もしかしたら、あたしの光魔法が宿った目が原因かもしれないですね。
イリスさまは光魔法についてもお詳しいですから、そのことについても色々と教えてもらいましょう。
途中で蜜休憩を挟みながら、あたしたちは足を進めます。
そういえばアルラウネから、あの聖蜜の香りがしました。
もしかしたら、ルーフェちゃんはあのアルラウネから蜜を採取していたのかもしれません。
ということは、聖蜜はイリスさまの蜜ということ。
だから光魔法のオーラが帯びていたのですね。納得です!
となると、この聖蜜は本当に聖女の蜜ということになりますね。
──ペロリ。
あぁ、なんて素晴らしいのでしょうか!
一口舐めるだけで、イリスさまの神々しいお姿が脳裏に浮かんできます。
この蜜を味わうと、あたしはイリスさまの光の気配を感じ取ることができるのです。
それもこれも、この聖蜜の出所がイリスさまであるアルラウネのものだったから。
あたしが蜜に熱中してしまった理由が、いまわかりました。
それと同時に、かつてないほど蜜のことが愛おしく感じてしまいます。
こうなった以上、イリスさまに蜜のお礼もしなければなりませんね。
そのついでに、蜜をもう少しいただけないかおねだりするくらいのことは、言っても良いですよね…………。
「ニーナさま、もうすぐ着きますよ」
アルラウネの住処はもう目の前。
あのアルラウネはイリスさまだという確信がありました。
イリスさまに会いたいと思っているあたしが、そう信じたいというのもあります。
でも、これは聖女見習いとしての直観が言っています。
あのイリスさまの光オーラは、イリスさまそのものとしか見えません。
アルラウネがイリスさまの力を奪い取ったのではなく、アルラウネ自身がイリスさまなのです。
そしてあたしは、イリスさまにハンカチをお返しする。
いったいなぜアルラウネになってしまったのかは想像もつかないけど、きっと死ぬような辛い目にあったに違いない。
一人でモンスターになってしまって、寂しかったに決まっている。
今度こそ、あたしがイリスさまの支えになるのだ。
あたしが10才のあの時、イリスさまに支えて助けてもらったように。
今度はあたしがイリスさまのために頑張る番です!
「ど、どういうことだ……!?」
フランツさまの困惑した声が耳に入り、あたしは前方へと視線を戻します。
「アルラウネが、いない…………?」
アルラウネがいたはずの開けた空間には、誰の姿も残ってはいませんでした。
昨日にはたしかにアルラウネがいたはずなのに、いったいどうして?
この場所には冒険者たちが落としたという荷物と武器が置いてあるだけ。
代わりに、アルラウネがいた場所には大きな穴が掘られていました。
まるでアルラウネを根っこごと、掘り返したみたい。
植物モンスターであるアルラウネが、自分の根っこで歩いたとは思えない。
なら、どうやってこの場からいなくなってしまったのか。
見当もつきません。
「いったいどこへ消えてしまったのですか、イリスさま?」
あたしの問いかけに、答えてくれる方はおりませんでした。
というわけで、今回も新米聖女見習い視点でした。
白いハンカチは、アルラウネが冒険者のフランツに渡していたようです。
次回、植物狩りのシルクハットにご用心です。