107 あの時のハンカチとあの時の伍長さん
私、聖女時代はイリスという名前だった植物モンスター娘のアルラウネ。
イリスとしてニーナに渡した白いハンカチが、二人の視線とともに心を交わせてくれました。
いまにも泣きそうになっているニーナとこんなに近くで目を合わせるのは、私がこのハンカチであなたの涙を拭いてあげた4年前のとき以来だね。
ハンカチはニーナ渡したままになっていたけど、ずっと持ち歩いてくれたなんて嬉しいよ。
それに、私のことをイリスと呼んでくれた。
完全に信じてはくれたのかはわからないけど、少しでも私のことを思い出してくれたのならそれだけで満足。
そういえばニーナはさっきから泣きながら戦っていたね。
顔が涙でびしょびしょだよ。
それでも、涙に濡れたニーナの瞳は光魔法によってより一層輝きに満ちているように感じられるね。
「いまでも、ニーナは、とても、綺麗な目を、していますね」
私は思ったことを口にしながら、ハンカチでニーナの顔を拭いてあげます。
「女神さまの、祝福を受けた、特別な目みたい」
その私の言葉は、ニーナにとっては大きな衝撃だったようです。
「う、うそ…………」
ニーナの動揺は全身に広がったみたいで、腕の筋肉がわなわなと身震いするように震え出しました。
そのせいで、右手で持っていた瓶を離してしまう。
「あっ、待って、それは!」
ニーナの焦る声と同時に、私の球根に瓶が落下します。
瓶が球根にぶつかった瞬間、中身が炸裂しました。
爆発するように炎が巻き起こったの。
瓶を中心として爆風が私とニーナを襲いました。
咄嗟にニーナを掴んでいる蔓を体から離します。
その間に、私の体は一瞬のうちに炎に包まれてしまいました。
「ひゃあ!?」
「い、イリスさま…………うぅ」
ニーナがガクリと項垂れるのが目に入る。
なんとか炎に巻き込まれずに済んだようだけど、爆発の衝撃を受けたみたい。
でも、私は直撃しちゃった。
あ、熱いよぉおおおおおお!!
体が焼けるように痛い。
まあ実際に焼けているわけなんだけどね。
痛みに耐えながら、私は冷静にリトープスの脱皮を行います。
頭の先からパクリと皮が割れました。
燃え盛る皮を蔓でポイっと捨てればほら、火がついていないピカピカの私の完成です。
傷ついた箇所も、光回復魔法を使って植物の細胞を再生させちゃいました。
あの瓶は炎魔法が込められた爆発瓶だったのかな。
ニーナは蔓で炎から守りながら体から離したおかげで爆発に巻き込まれることはなかった。
けれども、その時の衝撃で気を失ってしまったみたい。
目を閉じたままで、まったく起きそうな気配がないよ。
せっかくニーナと話ができそうだったのに、残念だね。
けれども、私の想いは通じてくれたはず。
ニーナは火炎瓶を落とす時に「待って」と言っていたし、私と戦わずに対話しようとしてくれていたと思うんだよね。
だから目を覚ましたら、今度は私のことを討伐しようとはしないでくれると嬉しいな。
「に、ニーナさま!」
後方に控えていたままの冒険者さんがこちらに近づいてきました。
そうだった、もう一人仲間がいたんだよね。
──ガチャリ。
冒険者の殿方が、地面に武器を置きました。
両手を上げながら、私のほうへとゆっくりと近づいてきます。
「紅花姫、あんたと敵対するつもりはない。信じてくれ」
──ん?
紅花姫?
なんだろう、その言葉。
「いや、それじゃわからないか。アルラウネ、と言ってわかるか?」
あぁ、私のことだったんだね。
わかりますよという意味で、コクリとうなづきます。
私の反応に満足すると、ふうと息をついてから冒険者さんは私に語りかけ始めました。
「アルラウネ……の嬢ちゃん。お前さん、本当は人と仲良くしたいだけなんじゃないか?」
「え?」
「その前に俺のことは食べたりはしないよな。だってこうやって降伏すれば、悪いようにはしないんだろう?」
あれ、その言葉、前に私が口にしたことがあるような気がするよ。
そういえばこの冒険者の男の人、どこかで見たことがあるような…………。
「お前さん、あの時のアルラウネだよな? 今日は水筒で火を消さなかったみたいだが」
あーっ!
わかった!
この人、あの時の伍長さんだ!!
炎龍様に燃やされる直前に私を襲って来た兵士の一人の、伍長さん。
えぇ?
なんで兵士をしていた伍長さんが、塔の街で冒険者なんてやっているの?
いったい伍長さんになにがあったというのか、不思議で仕方ないよ!
まあ植物の私がこの森に移動しているほうが、伍長さん的には謎だろうけどね。
よくぞ私だと気がついたよ。
「やっぱりあの時のアルラウネか。もう足を見せてくれなんて言わないから、安心してくれ」
「なんで、あなたが、ここに?」
「まあ色々あってな。なんでここにいるのかはむしろ俺がアルラウネの嬢ちゃんに訊きたいくらいなんだが…………いまはいいだろう」
この伍長さんはたしか優しそうな人だったのを覚えている。
多分、部下の兵士さんたちがいなければ、あの時も伍長さんとは戦闘にならずに対話することができたと思うの。
きっと伍長さんも、私と話ができるはずだとあの時に感じていたんだね。
だからこうやって、私が人間であるかのように声をかけてくれたんだ。
「この前は悪かった。アルラウネの嬢ちゃんを傷つける結果になったが、本当は戦わずに済む道があったんじゃないかと後悔していたんだ」
「反省、しているなら、許します」
「感謝する。それでだが、嬢ちゃんが人食いアルラウネってのは嘘だろう?」
それはですね、伍長さん。
私、人食いアルラウネだと自称したことは一度もないのです。
なので嘘といわれても、それはただの人間さんたちの勘違いだったのですよ。
「人を食べる気なら、そこの聖女見習いのお嬢さんどころか、騎士や冒険者だって何度も食べる機会があった。それなのにあえて無力化するような倒し方をするのは、人に危害を加えないよう気を使ってくれているからなんじゃないか?」
「わかって、くれて、嬉しいです。私は、人は、食べません」
「……前もそう言っていたな。信じてやるのが遅くなって、すまなかったな」
う、うそでしょう!?
まさか私の言葉を信じてくれる人間さんが現れるなんて、感激だよ!
「アルラウネの嬢ちゃんが聖女イリスさまとどういう関係なのかは、俺はわからない。それはニーナさまのほうが詳しいだろうから、俺はあえてなにか言うつもりはない」
この感じだと、さっきのニーナとの会話は、ある程度聞かれていたのかな。
ハンカチの件は聞こえていなかったと思うから、さすがに私がイリスだとは考えていないよね。
「俺から言えるのは、アルラウネの嬢ちゃんが捕まえているそこの聖女見習いを返して欲しいということと、俺たち全員を見逃して欲しいということだけだ」
「あんなに、私を、殺そうと、したのに?」
「こちらから襲ってきて勝手を言っているのはわかっている。けれど、俺はこれ以上お前さんと争うつもりはない。どうか俺に免じて、許してはくれないだろうか」
膝をついて頭を下げる伍長さん。
まあどの道、人間さんには街にお帰りいただくつもりだったんだよね。
だから問題はないのだ。
「わかった」
「感謝する。一つ借りだな」
伍長さんは私に困ったことがあれば、力を貸すと答えてくれました。
日を改めて、また会いに来るとも。
ニーナは伍長さんが担いで、街に帰っていく。
全て、終わったのだ。
こうして、私を討伐しに来た人間さんには全員お帰り願いました。
眠ってる人間さんたちは、妹分であるトレントに輸送をお願いしたの。
騒ぎを聞きつけてきた妖精キーリとアマゾネストレントが、森の巡回から戻って来てくれたからね。
せっせと人間さんたちを運ぶトレントを見送りながら、キーリと今後のことを話し合います。
「その伍長って人、信用できるの?」
「他の人間、よりは、信用できそう、だよ」
「まあ、また街の人間が襲ってきても、アルラウネさまなら返り討ちにするだろうから心配はしていないけどさー」
今回、私を討伐しに来た人間さんは、数えたら全部で23人もいました。
伍長さん曰く、それが街の最高戦力だったみたい。
つまり、あの街で私より強い人はいないということだね。
だから私を倒せる人はいないと安心できたの。
でも、この時の私は安心するべきではなかった。
なぜなら、街にいるのはなにも人間だけじゃないということを、忘れていたのだから。
森の茂みから突如現れたシルクハットの影を見ながら、私はそう思ってしまいました。
妹分のトレントは人間を一度に全員運んだのではなく、数回に分けて運びました。その様子を見た元伍長さんが「あの時のトレントがなんで!?」と驚いたりしているのですが、それはまた別のお話です。
次回、新米聖女見習いのネームドモンスター討伐記です。