1 すべてのはじまり
人は命の危機が訪れると走馬灯を見るというのは本当だったみたいだ。
死の間際に人生を追体験したわけなのだけど、なぜかその中には知らない記憶が混じっていた。
驚いたよ。
どうやら私、前世は日本の女子高生だったらしい。
魔王を倒しにいく旅の途中。
森の中を移動している時に突然それはやってきた。
仲間の裏切りだ。
いきなり後ろから攻撃されて左腕を切り落とされた代償に、自分が転生者だったことを思い出す。これはもう天の配剤としか言いようがないね。きっとこんな危機的状況でも神様は私を見捨てていなかったんだ。
チート能力とかでこの絶体絶命を脱出できるようになるんじゃないかと期待しちゃってもいいよね。でもそう思ったのも束の間、何も起こらなかった。
何かの力に目覚めることもなく、女神からのお告げが下りてくることもない。
私は私のまま。
変化といえば別人の記憶が流れ込んできて少し考え方が変わったくらいだ。
せっかく転生者だとわかったのに、なにも特典がないなんてあんまりじゃないか。命の危機なのだし、少しくらいは良いことが起きても罰は当たらないはずだよ。
だって、仲間だったはずの勇者様と聖女見習いの後輩がいきなり私を裏切り者だと決めつけて襲って来たんだから。腕を切り落としてきたくらいだし、私を殺す気できているよ。
二人を裏切った覚えはないし、こちらを敵視する理由もわからない。けれども私だってただの娘じゃないんだよね。チート能力がなくともそう簡単にはやられない。
私は聖女。
戦闘での傷を癒すのが本職だ。
いつも通りの要領で切り落とされた左腕を超回復魔法で再生する。欠如した肉体を一瞬で再生できるのは国の聖女でも私くらいしかできないのだ。
だけど相手の方が上手だった。腕が生えてくるのと同時に体勢が崩れる。
自分の両足が裏切り者に切断されていたのを目視したのと激痛を感じるのはほぼ同時だった。
「いくら当代一の聖女様でも、一度に片腕と両足の再生はできないでしょう」
私が悲鳴を上げていることなど気にした様子もなく、嘲笑うように裏切り者である聖女見習いの後輩が私に侮蔑の視線を送ってきた。
後輩が風魔法の鎌で私の右腕を切断する。ああ、血が噴き出る。これが夢だったらどれほど幸せなことだろうに。
私がいったいなにをしたというのだろうか。聖女として幼少の頃から国を支え、魔王を倒すために仲間を守りながら旅をしてきた。それなのに、最期は仲間に裏切られて殺されるのだ。
勇者様が私を嫌悪するかのように見下ろしていた。彼はガルデーニア王国の第二王子であり、幼馴染であり、そして私の許嫁でもある。
婚約者として私に微笑みかけてくれたあの優しい瞳はもうそこにはなかった。なんで、どうしてこんなことを。せめてなにか喋って欲しい。そして私を助けて欲しい。
だが、そんな願いなど通じさせないというように、聖女見習いの後輩に頭を踏まれる。
「いい気味ですね、でもこれからが本番ですよイリス先輩」
私の名前が呼ばれると、超回復で再生したばかりの左腕に何かが巻き付いた。
蔓だ。
縄よりも太い植物の蔓が私の体を強引に引きずっていく。
「勇者様と国をたぶらかしたあなたの最期にふさわしいですね。アレに食われれば骨も残らずに消化されるでしょう」
蔓の先には花のモンスターが待ち構えていた。
巨大な食虫植物のような外見をしている。
禍々しく大きな口を開いて、私を体内に引きずり込もうとしている。アレに食べられたらもう助からないかもしれない。
「安心してください、今日から勇者様のお世話はわたくしが致しますので。昨夜だって寝かしてくれなくて凄かったんですから」
そうか、私は裏切られるだけじゃなくて、婚約者の幼馴染を寝取られたのか。なんか、もうどうしようもないね。散々だね。
「そういうことなので、先輩はここで死んでおいてくださいね」
水滴が頬を伝う。
涙が止まらない。
私がいったい何をしたというんだ。
何も悪いことなんてしていない。勇者様も、国も裏切ってはいない。濡れ衣だ。
「たす……けてぇ…………」
手を伸ばして蔓から抗おうとするが、右腕は空を切った。肩の先にあったはずの腕は後輩に切り落とされたままだった。
体が引きずられる。
最後の願いを拒絶するように、私は花のモンスターに食べられた。
狭い体内でぬめりとした液体が全身を包む。服が溶けていき、肌が焼けるように痛みだす。
これ、消化液で溶かされているよね。
噛み砕かれないのはいいけど、溶かされるのもご免こうむりたいよ。
残った魔力を総動員して、全身に回復魔法をかけ続ける。
外に脱出するために、右腕を超回復魔法で再生させてと、あ、ダメ、動けないや、これ。
このまま消化液の中で回復を続けていてもジリ貧だ。いずれ魔力が尽きて、骨まで溶かされて魔物の養分にされてしまう。
結局、前世があって日本から転生してきたとわかっても、何も起こらなかったね。
神様のギフトもチートスキルも何もない。いったい何のために前世を思い出したのだと呪いたくなる。
前世があるということは、私は一度死んでいるということだ。
死ぬなんて怖い。嫌だ、まだ死にたくない。
生きたい、生き延びて今度こそ平和な人生を送りたい。
仲間に裏切られることもなく、学生のうちに命を落とすこともない。そんな平和な人生を…………。
――まだ、諦めきれない!
最後の力を振り絞って回復魔法をかける。細胞がかつてないほど分裂を繰り返し、肉体を再構築していくのがわかる。何か得体の知れないものが体に混ざっていくのを感じたけど、気がつくと痛みがなくなっていた。それどころか目を開けようとしても開かない。腕も、足もなにもかも動かない。耳も聞こえなければ匂いも嗅げない。
ただ、体を抱え込むように丸まり、何か薄いものが全身を優しく包みこんでいることだけはわかった。
いったいどれだけ時間が経っただろうか。
それは突然やってきた。
足の感覚がないまま、体が自然と起き上がる。
そして周囲を包んでいた何かが、広がるように開いた。
目を覚ます。
深い緑色の木々が視界に入った。
そうだ、私は森であの二人に襲われたんだった。
あれだけの怪我をしても死んでなかった。
まだ生きているよ、私!
さすが国一番の聖女様だよ!
って、安心している場合じゃない。命が助かったのは良いけど早くここから逃げ出さないと。あれ、おかしいな、歩けないぞ。足が全く反応しない。
ふと下を見てみると私の胸が見えた。
私、裸じゃん。
消化液で服が溶かされたから仕方ないけど、恥ずかしい。
けれど、そんな羞恥心が吹き飛んでしまうような不思議な光景がそこにはあった。
人一人を簡単に包み込めるくらい大きな花の中に、私は立っていた。
もっと具体的にいうと、大きな花冠の中に私が生えている。
腰から上は人間の女性で、下半身は巨大な花。
まるで魔物図鑑に載っていた植物型のモンスター、アルラウネのようだ。
あれ……この感覚はもしかして?
赤い花冠を撫でてみる。
花を触っている感覚だけではなく、手に触られているという花びらの体感まで感じられてしまった。
理解した。
知りたくはなかったけど、これは察せざるを得ない。
この花は既に私の体の一部になっているということを。
ということはやっぱり、そういうことだよね。
仲間に裏切られて、腕が切られて、前世を思い出して、両足切られて、また腕が切られて、許嫁を後輩に寝取られて、花のモンスターに丸飲みされてと波乱万丈で人生最悪なひと時だったけど、そんな人生ももう終わりを迎えていた。
どうやら私は、人間を辞めて植物の魔物になってしまったらしい。
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