電車道の向こう側
プロローグ
目覚ましの音がいつものようになり出す。
いつものように起きて、いつもの朝食をとる。
こんな生活が半年続いて、そしていつものように会社に向かう。
住んでいるアパートから歩いて10分ほどの所に路面電車の駅がありいつもの午前7時30分、いつもの時間の電車に乗る。
流れる朝の町を少し眺めて、心地よい揺れが眠りを誘う。
少し目を閉じ電車の揺れと電車の音にほんの少しの安らぎを感じて浅い眠りに入ってしまう。
そして、いつもの場所、降りるひとつ手前の駅で目を覚まし、そのまま会社の近くに駅に着く。
いつもの時間に会社について、自分のデスクに座って一息、コーヒーとタバコで目を覚ますため窓際の喫煙ルームに向かった。
そこには既に二人の先客がいて、軽くあいさつをして窓際に立ちタバコに火を点ける。
窓の外には路面電車が走っている通りが見え、時折電車が通りすぎて行く。
佐伯省吾がこの街に来て半年、本社からの出向でこの支社に配属になった。
佐伯は優秀な社員という訳ではい、この支社に来たのは以前の上司に嫌われていたのかもしれない。
まあ、簡単に言えば飛ばされたって言うことかも。
それは佐伯にとっても悪いことではなかった。
佐伯自身も元上司とはそりが合わなかったからだ。
それに、この街は佐伯にとって、少なからず、思い出に街でもある。
母親が亡くなるまで、この街に住んでいた。
父親は佐伯が生まれてすぐに、事故に合い他界したため、母子家庭だった。
母が亡くなってからは、この街を離れ親戚の佐伯と言う家に育てられ今に至っている。
今の上司は何かと佐伯の事を気にかけていてくれる。
佐伯にとってはいい環境なのかもしれない。
(1)
「佐伯君、頼みたい事があるんだが」
今の上司、近藤靖男が佐伯のデスクに近づいてきて
「悪いんだが、三浦(会社名)に行って来てくれないか、私が行く事になっていたのだが、急用ができてしまってね」
「はい」
「で、これが三浦の資料で、まあ、ここに書いてある事を話して向こうの意見を聞いて来てほしい、それと、これを持って行ってくれ」
近藤が手荷物を渡した。
「向こうの課長さんが好きな酒だ、よろしく言っておいてくれ、頼んだよ」
と言って近藤は自分のデスクに戻って電話をかけ始めた。
車で行こうとした佐伯だが、会社の車は全部出払っていて、仕方なく路面電車で行く事にした。
路面電車の駅に着くと時刻表を見てみる、後5分程で来るようだ。
こんな時間に路面電車に乗る事はあまりないから、妙に新鮮に思えて心なしか浮き浮きしている自分に“子供みたいだなと”呟きながら電車の来るほうを見つめていた。
佐伯は駅の端に立っていて、何気なしに電車の来る方を見ると子供が一人、向う側の端に立っていて佐伯の方を見つめている。
見た感じは普通の男の子なのだけど何かが変、だいいち、平日の朝にこんな所に、学校も近くに無いし・・・。
“まあ、何か事情があってどこかに行くのかな?”と佐伯は思って気にしない事にした。
数分が過ぎ路面電車が近づいてきた。
乗り口は真ん中、当然先ほどの男の子もこちらに来るものだと思っていたが・・・
乗る時に少年が居た所を見ると誰も居ない
「どこか行ったのかな?」
と呟いて電車に乗り込んだ。
電車が発進して緩やかな揺れが佐伯の体を揺らす。
午後の日差しが、時折車内に入り込み車内を温かく包みこむ。
佐伯は揺れにまかして、眠りそうになった。
「だめだめ」
佐伯は頭を数回振る。
三浦に行くには大通りまで路面電車で行って、そこから地下鉄に乗り換えなきゃいけないから乗り越してしまわないようにしなければ、あと二駅のがまんだ。
佐伯は進行方向に顔を向け横目で車窓向こうの景色を見ていたが、ふと、車内を見渡してみた。
そこには、おばあさんが一人、目をつむっている、おそらく眠っているのだろう。
そして若い女の子が2人、笑顔で雑誌を見ながら話をしている。
他の乗客は見当たらない。
アナウンスが流れ一つ前の駅に近づいて行き、到着するが乗り降りする客はいなかった。
佐伯はまた進行方向を見ながら外の景色を見ていた。
数分後、再びアナウンスが流れ、大通りの駅に近づいて行った。
駅には5,6人の乗客がいて電車の到着を見守ってる。
駅に到着して佐伯とおばあさん、2人の女の子が下りるため立ち上がった。
そして下り口に向かい電車を降りた。
待っていた乗客も電車に乗り終わりドアが閉まって電車が走り始めた。
何気なく佐伯はさっき自分が下りた電車の乗り口に目をやると
「えっ?」
佐伯の歩く足が止まった。
遠くなる路面電車の乗り口のあたり、一瞬だけれど男の子が、確かに男の子が立っていて佐伯の方を見ているのが分かった。
路面電車は何事も無く遠ざかっていき、佐伯は駅にしばらく立ちすくんでいた。
なんとか気を取り戻して三浦に向かい、何事もなくお客との打ち合わせも終わった。
ちょうど昼頃になり近藤に電話を入れる、昼飯を近くの定食屋で食事を済ませ会社に戻る事にした。
帰りは、先ほどの事もあってタクシーで会社に帰り、昼からの仕事に戻る。
そして、定時に仕事が終わって帰り支度をしながら
“どうしようかな、電車は・・・まあいいか、お金もかかるし”と思いながら会社を出て駅に向かう。
駅には数人いて佐伯は何となくほっとした。
電車はすぐに来て佐伯は電車に乗って家路についた。
(2)
それから、数日が過ぎた。
この数日間は何事もなく過ぎていっていた。
ただ、仕事が少しづつ忙しくなってきていて、この何日かは定時に帰る事が出来なくなっていた。
その日、近藤が佐伯に頼んだ仕事が多くて、いつもよりも遅くなってしまい、時計の針が十時を回っていて、社内には佐伯と近藤の2人しかいなかった。
なんとか、仕事が終わり佐伯は時計を見ると十時半
「近藤さん、これを」
佐伯は近藤に資料を渡し確認してもらう
「これでいいだろう、今日はありがとう、お疲れ」
近藤は少し疲れた声で佐伯に言った
「まだ、仕事するんですか、近藤さんは」
「ああ、もう少し」
「そうですか、それじゃ、先に失礼します」
そう言って佐伯は会社を出て駅に向かった。
駅に着くと人影はなくて時折通り過ぎる車のヘッドライトが眩しく照らしている。
時刻表と腕時計を見比べると、あと数分ほどで電車が来る事になっていた。
たばこに火を点け、電車の来る方を見てみた。
暗がりの中一つの明かりが駅に近づいてくる。
佐伯は電車に乗るためにタバコを駅の据え付けに灰皿で消して電車を待った。
少し来るのが早い気がしたが、まあ、気にしないで乗る事にした。
電車が到着、佐伯が乗ると乗客は誰一人いなくて車内は運転手と佐伯の2人きりだった。
走り始めると、仕事の疲れと心地よい揺れで、佐伯はすぐに眠気に襲われて眠ってしまった。
どれくらい時間が過ぎただろう
「はっ」
何かに起こされた感じで佐伯は眼を覚まし辺りを見渡した。
「ここは?」
と言いながら再び周りを見渡す。
外の景色は暗闇でどこにいるのか、どこを走っているのか分からない。
突然アナウンスが流れて次の駅の到着を知らせて、そして数分後、電車は止まった。
佐伯は降りる気はしなかったが、足は下り口に向かい電車を降りてしまい、電車は暗闇の中に吸い込まれるように走り去っていった。
1人、駅に取り残された佐伯は駅名を確認したが知らない名前だった。
帰りの電車も来るかどうか確認しようと時刻表を見てみたが古く破れていて時間が分からない。
「ここは、どこなんだ」
周りは所々に電燈が見えるから家があるのはわかる。
会社の誰かに迎えに来てもらおうと携帯電話を見ると、電池が切れていて使えない。
とりあえず、駅から歩道に渡りしばらく歩いていた、前を見ても後ろを見ても人通りは無く、歩道を照らす街灯が所々スポットライトのように道を照らしている。
車道はあるものの車が走ってくる気配は感じられない。
「どうしよう、どこなんだろうここは」
来た道を引き返すように歩いていると、何か店のような建物があり、玄関のあたりに明かりが点いているのが見えた。
「あそこで、聞いてみよう」
佐伯は少し早足になりながら明かりに向かっていった。
建物の前までくる。
「病院?」
そこは、橋本病院と書かれた看板が入口に張ってあって電燈がそれを照らしていた。
建物は古く随分昔からやっているような、一時代前の病院といっていいような雰囲気。
もう一度、辺りを見渡したが明かりの点いているのは、この建物しかなかった。
「仕方ないか、ここで聞いてみよう」
玄関のドア横の呼び鈴を押してみた。
人影がドアのすりガラス越しに見え
「すみません、夜分に」
佐伯が言うと、ドアが静かに開いて。
「どなたですか」
優し声のおばさんが顔をのぞかせた。
「ほうとうにすみません、夜分に」
佐伯はもう一度言ってよく見ると、着物姿に割烹着姿の古風なおばさんが立っていた。
夜遅くに訪れた男に怪訝な顔を一瞬下が、すぐに優しい顔になって佐伯を見ていた。
「どなたですか?」
「ああ、すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが、ここは何所ですか?」
「はぁ?」
「ですから。ここは何所なんですか」
佐伯が尋ねると、不思議そうな顔で
「ここは○○町ですよ」
「○○町?」
「ええ」
佐伯には聞いた事がない町名
「○○町って何所の?」
佐伯が言いかけると
「道に迷われたんですね」とおばさんが言った。
しばらく考えていると突然雨が降り始めてきた。
「じゃあ、電話貸していただけないですか?タクシーを呼びたいので」
「よろしいですよ」
おばさんは佐伯を導き入れ、電話のある受付らしい所に案内してくれた。
病院の中は木造で落ち着く雰囲気、電話の側に行くと
「これ?」
佐伯は思わず言ってしまった、そこに置いてあったのは一昔前の黒電話だった。
「どうぞ」
佐伯の言った事を気にしないかのように、おばさんは受付の部屋に入っていった。
佐伯は電話帳を探そうとして電話の近くを探す、横を見ると非常灯に照らされた板張りの廊下があり、部屋が幾つかあった。
部屋の上に何かを表示している表示板がある。
再び電話帳を探し始め、電話の下の棚に置いてあるのが分かり取って見ると、新しい割に表示が古い気がした。
(3)
電話帳を開き探している時、目の端に人影が見えた。
男の子だ、路面電車に乗っていた男の子が廊下の奥に立っていてこちらを見ている。
非常灯の明かりの下、男の子の姿は見えるけれど顔が分からない。
佐伯は男の子から目が離せない、そして顔を見ようと目を凝らすように見ていると、男の子は急に横を向いて歩きだした、まるで佐伯を誘うような素振りをして。
佐伯は男の子を追いかけるように小走りに男の子の居た場所に行くと、歩いて行った先に上に上がる階段があった。
階段の上は電気が点いてはいるけれど薄暗い感じ、佐伯は気にしないで階段を上がって行く。
階段を上がると蛍光灯が幾つか点いた廊下が奥に続いて、病室らしい部屋が何室かある。
廊下の奥を見る、一番奥の病室の前に男の子が立っていて病室の方をじっと見ているのが分かった。
佐伯は近づこうと歩き始めると板張りの廊下が(ギシッ、ギシッ)と鳴ってしまい、男の子が音に気がついて急ぐように病室の中に入って行ってしまった。
佐伯はちょっと、ちゅうちょしたが男の子の入って行った病室に近づいて行こうとした。
ギシッ、ギシッ、歩く度に音が鳴る。
ギシッ、ギシッ、ギシッ、音を抑えようとして歩いて行くがダメだった。
奥の部屋に行く途中、何部屋かを横目で見てみるが明かりが点いていなくて人がいる気配も感じる事が出来ない。
なんとか病室の前まで来てみると明かりが点いていて、中で誰かが話をしているようだった。
佐伯はドアの横に掛っている名前を見てみて愕然とした。
そこには『矢上妙子』と表示されていた。
『矢上妙子』
佐伯省吾の母親の名前だった。
佐伯の体が震えだし、そして、かすかに記憶がよみがえってきた。
この建物は佐伯の子供の頃、母親が入院していた病院、そして、息を引き取った場所。
ドアのノブに手をかけて開けようとした時、中から声が聞こえてきた。
「ふう、よかった、何とか命はとりとめたみたいだ」
「よかった、これで大丈夫ですね」
「そうだな、後は意識が戻れば大丈夫だろう」
佐伯はドアを開け中に入る
中には医者らしい白衣を着た男と看護師がたっていてベッドに寝ている人を見つめていた。
しかし、佐伯が入ってきたのも気がつかない様子で話をしている。
しかも、中には2人だけで少年の姿はなかった。
「子供一人いるんだよな、確か」
「そうです、妙子さんには男の子が一人、親戚に預けているそうです」
「そうか、まあ、よかった。亡くなっていたら子供も可哀そうだからな」
「ほんとうに、よかったです。私、親戚の方に連絡してきますね」
「そうか、それじゃ私も行くとしよう」
2人はそろって佐伯の脇を通りすぎて行く、まるでそこには誰も居ないかの様に。
(4)
佐伯はベッドに近づいていった。
そこに寝ているのは穏やかな顔で眠っている女性、若い時の佐伯の母親だった。
佐伯自身、母親の顔はうる覚えでしか覚えていないが確かに母親だった。
「どうして、かあさん、どうして」
佐伯は混乱している、亡くなったはずの母がどうしてここにいるのか、それに自分がどうしてここにいるのか。
「省吾」
眠っている妙子がうわ言で名前を呼んだ。
「かあさん」
佐伯はベッドの横でひざまずいて手を握ろうとする。
「うぅぅ」
妙子がうなされている。
「かあさん」
妙子の手を握る、冷たい手
不意に佐伯の脳裏に何かの記憶が蘇ってくる。
「うぅぅ」
うなされている妙子の顔を佐伯は見る。
その眼はうつろではっきり妙子の顔を見ていない。
「誰?」
妙子の意識が戻り小さな声で言った。
「かあさん」
妙子は声のする方を見て
「誰?」
もう一度言った。
「僕だよ、かあさん」
佐伯は妙子を覗き込むように見る。
「あなた、誰?」
「だから、僕だよ、省吾だよ、かあさん」
「違う、あなたは省吾じゃない」
「何、言ってるんだ、僕が省吾だよ」
妙子の顔に自分の顔を近づけて
「ほら、よく見て、省吾だよ」
「いやぁ、誰かぁ」
佐伯は苛立ちながら
「かあさん、ほら、よく見て」
妙子は迫ってくる佐伯に恐怖を感じ大声で
「だれかぁ、だれかぁ、助けてぇ」
「大きな声を出さないで、かあさん、お願い」
そう言いながら佐伯は
「そうだ、かあさん、よく僕の事いじめていたよね」
佐伯の中の母親の記憶、それは虐待。
忘れていた、いや違う、佐伯自信が脳裏から消し去ってしまった記憶。
「助けてぇ」
「静かにしてよ」
佐伯は騒ごうとしている妙子の口をふさごうと、手を妙子の口元にもっていくと。
「やめてぇ」
「僕だよ、省吾だよ、かあさん、騒がないで」
「うぅう、うぅう」
妙子の口をふさいで耳元で
「静かにしてよ、かあさん、誰かが来たら困るから」
妙子はふさがれている口で助けを呼ぼうとし、体をバタバタと暴れだす。
「静かにしてよ、頼むから」
佐伯はそう言って妙子の体の上に馬乗りになり
「静かにしなきゃだめだよ」
口にあてていた手を妙子の首にもっていく
「いやぁ〜」
妙子は恐怖におびえ目は見開いて佐伯を見ている
「かあさん、そうだ、かあさん、思い出したよ、かあさん」
妙子は足をバタつかせ苦しみにもがいている。
「だめだよ、大人しくしなきゃ」
佐伯は両腕に体重を乗せる。
「うぅぅ、うぅぅ」
妙子は苦しさに声も出せず、体をバタつかせ、佐伯の腕を力いっぱいつかむ。
「かあさん、もうすぐ楽になるから、大人しくして、楽になるから」
「うぅぅぅ、いやぅぅ」
だんだん、妙子の抵抗が薄れていく
「そうだ、かあさん、楽になるから、ふふふ」
「うぅぅ、うぅぅ、うぅぅ」
消え入りそうな声でうなり、そして抵抗する力もなくなっていく。
「ふふふ、ふふふ」
目を見開き、恐怖に怯えた顔のまま、妙子は動かなくなった
佐伯は、最後に力を込めて首を絞めそして力を緩めた。
「はぁはぁはぁ」
肩で息をし、自分の下で動かなくなった妙子を見つめ
「ふふふ、ふふふ」
佐伯はかすかに笑みを浮かべる
ガチャ
病室のドアが突然開き少年が入ってきた
「お前は・・・」
「ふふふ、よかった、これで、ふふふ」
「お前は・・・誰だ」
佐伯が少年に向かって言うと
「僕は・・・」
バタバタバタ
廊下をこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえた。
佐伯は少年を見ながら急いで妙子から降りようとした。
その時、妙子の体に足が引っ掛かり、床に思いっきり転げ落ちる。
(5)
ガバッ
「はぁはぁはぁ」
佐伯は周りを見た
「ここは・・・」
路面電車は夜の街を走っていた。
「夢、夢だったのか・・・はぁはぁはぁ」
佐伯は走る路面電車の中にいた。
車内には若い男が2人、女性が1人、そして佐伯を見て驚いているおばさんが向かいに乗っていた。
佐伯は姿勢を戻し平静を装いながら
「それにしても、リアルな夢だったな」
小声でそう呟き何気なく袖口を見つめて目を見開いた。
そこのは、手形が
両手首につかむような手形がクッキリと付いている。
佐伯の体が震え始める。
路面電車がスピードを落とし始めそして停車
佐伯はその場を逃れるように電車を駆け下りていく。
どこで降りたか分からない。
「はぁはぁはぁ」
やみくもに走る。
「はぁはぁはぁ、どうして、はぁはぁはぁ」
息が苦しくなり走る速度を緩めそして足を止める。
街灯の下、膝に手を当て息をつく。
「どうして、こんな、どうして」
照らされた腕についた手形を見つめそして崩れるように腰を下ろす。
「俺が、俺か、かあさんを、俺がぁ」
自然に涙があふれてくる、そして泣き崩れた。
数十分の間、人気のない街灯の下に居た佐伯は、ようやく立ち上がり歩き始めた。
どこに居るのかわからないまま、来た道を引き返すように、足取りは力なく、ふらふらと歩いていた。
いつの間にか路面電車の通る通りに出ている
通り沿いを歩いていると路面電車の停車駅が見えてきた。
今はもう時間が遅いため電車は走っていない。
佐伯は通り過ぎる時に何気に駅を見ると少年が立ってる。
「あっ、あいつ」
佐伯は立ち止り
「お前は、だれだぁ」
車道の向こう側、少年は無言で佐伯を見ている。
「いいかげんに、いいかげんにしてくれ」
「ふふふ、ふふふ」
佐伯を挑発するように口元に笑みを浮かべて動かない。
「ちくしょう」
そう叫んで佐伯は少年の所に行こうとした。
車のクラクションはけたたましく鳴り、ヘッドライトが佐伯を大きく包む。
ドンッ
佐伯は数十メートル飛ばされまるで人形のように道路を転がっていく。
引いた車は一度止まったが何事もなかったかのように走り去っていった。
「あぁぁ、あぁぁ」
声を出して助けを呼ぼうとしたが声が出ない。
動こうとしても体も動かない。
「うぅぅ、うぅぅ」
パタ、パタ、パタ
何かが佐伯に近づいてくる。
パタ、パタ、パタ
佐伯の横たわる体の横で止まって
「ふふふ、ふふふ、終わったね、お兄ちゃん、これで、終わったよ」
「ぉ、ぉぉ・・・」
「お兄ちゃんが悪いんだよ、僕より先に生まれてしまったから、僕、死んじゃったんだ、お兄ちゃんが悪いんだよ」
「ぁぁ・・・」
少年はしゃがんだ状態で佐伯を見つめ
「ふふふ、お兄ちゃん、ふふふ」
佐伯の耳もと聞こえている笑い声、だんだん小さくなり、そして、佐伯はもう聞く事もできなくなってしまった。
(6)
数か月後、佐伯の親戚がお寺に集まっていた。
今日は矢上妙子の23回目の命日、深いかかわりのある親戚数人が来ていた。
「そう言えば、省吾君は?」
1人のおばさんが言うと
「前に事故にあって入院していたって聞いたわよ」
「事故?車で?」
「違うのよ、省吾君が車の前に飛び出して、引かれたって」
「自殺しようとしたの?」
「それは分からないけど」
そんな会話をしてるおばさん達の会話を遮る様に
「こんにちは、遅くなりました」
「省吾君」
喪服に身を包んだ佐伯省吾が現れて。
「省吾君、お久しぶりね、怪我の方はもう」
「はい、もう大丈夫です、ご心配かけました」
そして、佐伯は笑顔でおばさん達の会話の輪に入っていった。
法要が終わり、親戚達はいそいそと帰って行った。
佐伯は1人お寺に残って、母親が眠っているお墓の前に立っていた。
お線香の煙がゆらゆらと揺れながら、青い空に消えていく。
佐伯は手を合わせ
「かあさん、ふふふ、兄さんと2人、あの世で仲良くしてください、僕は兄さんの換わりに、楽しく生きていくから、ふふふ」
End