母の着物からみた時代の変わり目
この年末年始。
実家に帰省していたのだけれど、目的がいくつかあって。
年々、体の自由が聞かなくなっていく父母の様子を見ること。
家の墓参りをすること。
年末年始の実家のやりよう(餅つきから迎春の準備など)を少しずつ覚えること。
とまぁ、この辺りは真面目な目的なのだけれど、より私的に、最も楽しみにしていたのは、母のたんすから使わない物をもらいうける事だった。
端的に言って、呉服の類だ。
実家は田舎にあり、実に古風な考え方が未だにまかり通る部分があって、祖母から母、叔母の分まで何くれとなく和装グッズが残っている。
もちろんまだ使う機会がこまれる着物は除くけれど、母が若い頃に誂えた「嫁入り道具」や、亡くなった祖母の物はもう誰も使う宛がない。
少し前までは呉服に興味の一欠片もなかったけれど、先の年末から興味が出て、着付けを習って自主練習もして、キレイとは言えないまでも着物の形に着付けることができるようになった。
だから、宛のないものをもらいうける事になったのが、この年末だった。
丁寧に桐のタンスに仕舞われた着物たち。
中には仕立てたまま、一度も袖を通されていないものもあって、心底もったいなさを感じたものだ。
とはいえ、普段使いできない着物、結婚式での参列など式典の時に着る「礼装」の着物は持ち帰っても着る機会がない。
礼装用の帯もまた然りだ。
洋服で言うところの、ざっくりしたカーディガンやニットは普段使いできるけど、パーティードレスなどは持ち腐れてしまうものと感覚は同じ。
そして嫁入り道具には「礼装」が多い。
結婚式で身内親族が着るのでお馴染みの「黒留袖」や紋付の「色留袖」
子どもの入学式や友人の結婚式で着る「訪問着」や「附下」紋付の「色無地」
着物の名前や使い所も、これまた着付け教室で習いたての付け焼き刃だけれど、実物を見たらわかる。
「あー、これは無理だわ。普段着じゃないわ」
という美々しい着物の多いこと。
私自身把握していなかったけれど、私の礼装も一式あった。
恐ろしいことに、知らない間に母と祖母が仕立てていたのだ。
どれもキレイで品よい着物だった。
いつ仕立てたのかと聞けば、私が19~20歳あたりに成人式用の振袖のついでに用意したという。
軽くめまいを覚えた。
というのも、我が家はお金がない! と耳にタコができるほど聞かされていたというのに、この着物たち。
着物と帯のセットでそれぞれかなりのお値段がしているのだ。
恐らく全部合わせれば、私立文系大学は卒業できるのではないだろうか。
母の着物の中にも同じように、やはり母方の祖母が指示して仕立てたものがあると言う。
着物を広げながらいろいろ話を聞いたところ、母の着物は自分が社会人として稼いだお給料で揃えたのだという。
礼装から普段着感覚のカジュアルな着物まで全て。
ここで疑問に思うのは
「着物をわざわざ仕立てたのはなぜ?」
という事だ。
私のように親が知らない間に手配していたならまだしも、社会人になってから嫁ぐまでに、裕福でもない家かつ高給取りでもない会社員で、なぜ着物なんて贅沢品を揃えようと思ったのか。
聞けば成人式が終わってから、自分のお金で振袖まで仕立てたという。
なんとなく、直接に「なぜ?」とは聞きづらかったのだけれど、答えは私の着物を仕立てた時の祖母との会話から知ることが出来た。
「二親の揃っている家に入るからには、呉服の一つも、もっていないと」
これが母が着物を揃えた理由だった。
母はもうすぐ70歳。
その年代の、実家周辺のスタンダードな考え方だったのだろう。
ひとり親世帯でない相手と結婚するためには、作ったきり着る機会もないかもしれないのに、上に挙げた美々しい着物を持っている必要があったらしいのだ。
それは結婚する相手の家に、実家が侮られないためであり、自分自身が侮られないためでもあるらしいことは、母の口ぶりから察することが出来た。
私の着物が仕立てられたのも同じ理由だと言うから、驚く他ない。
先の平成の世の中だって、なんなら昭和の終わりだって、普段から着物を着る機会などほとんど失われていた。
成人式の振袖も、レンタルか洋装での参加が一般的になりつつある。
その中にあっても、自分が嫁いできた時の価値観を持ち続けていたという訳だ。
母は頭の固い人ではないと思う。
私が子を持たないことにも、結婚していないことにも、特別言及してこない。
もちろん折に触れて、私自身がどう考えているかなど話をしているからガミガミ言わない、という所もあるのだろうけれど、自分が若い頃と今の時流が違うことは十分に弁えている人だと思う。
その上で娘のためにと、着物一式を仕立ててしまったのだ。
とてもありがたい事だと思ったし、何事にも用意を怠りなくする、母らしい事だとも思った。
そのありがたさを活かせない自分が、不甲斐ないとも思った。
思いがグルグルする中、普段着に使える小物や着物、帯は予定通り私がもらいうける事になった。
私のために仕立てられた、豪華な格式高い着物は着ることが出来ないけれど、母が自分のお金で仕立てたという、1回も袖を通されていない着物は、たくさん着たいと思った。
嫁いで以来、着物を着る暇もなく子育てをして、働いてきた母に直接報いることは難しいけれど。
嫁ぐときの武装として仕立てた礼装ではない着物たち。
恐らく、母が好きで仕立てた着物たちは私が着て行こうと思う。
着物の話をする時はちょっぴりウキウキした様子で話す。
そんな母が可愛くて大好きだから。