8.再会
朝も夜も、二人は隣の部屋に住んでいるにも関わらす、一緒に家や会社を出ることはまずない。
それだけ陸は朝早く出社し、夜遅くまで会社に残る忙しい毎日だ。
花は会社にいるときはほぼ彼と同じ空間を共にして、完全に秘書としての役割を全うすることに全力を尽くしている。
せっかく自分を補佐として指名してくれたのだから、隣同士の馴れ合いなどで、陸が大切にししている仕事をグダらせたくなかった。
そんなけじめをしっかりつける花に、陸は背筋が伸びる思いでいる。
その日はなかなか仕事が片付かず、夕暮れ時をとうに過ぎていた。
花はできる限りの手伝いをして帰ろうとギリギリまで会社にいたが、あまり遅くなると心配だと、陸に帰るよう強く促される。
心配してくれる陸の気持ちを汲んで、花は一人会社を後にした。
繁華街を抜けて歩いているその時だった。
突然知らない男に路地裏に引っ張られ、突き飛ばされた。
「痛っ……!」
必死に顔を上げると口を押さえられ平手打ちをされる。
恐ろしくて、声もあげられない花は震えながら後ずさった。
「仕事を辞めろ!! 次は本当にヤるからな!」
そう怒鳴りながら吐き捨て男は去っていく。
足を大きく擦りむき顔は腫れてしまった。
何が起こったのか、一体誰が何のためにこんな事をするのか……、花は凍りついた様にその場から動けない。
俯いた視線の先の影がゆらりと動く。
「……花? ……花だよな?」
男性の声にビクッと反応したが、どこか聞き覚えのある声だった。
「どうした……?」
不安そうに警戒する花にゆっくりと話しかける。
「俺だよ、針谷徹だよ。六年も一緒に居たのに忘れちまったのかよ?」
ゆっくりと花に近づいてくる。
徹はよく見ると足は血だらけになり赤く腫れた花の顔を見て驚いた。
「おい、お前、凄い怪我してんじゃねーか!!」
慌てて駆け寄り震える花の肩を抱いた。
「何があったか知らないけど、とりあえず俺んちすぐそこだから一緒にこい! おんぶしてやるから!」
がたいのいい大きな背中をスッと差し出して花の前に座り込む。
「立てるか?」
心配そうに花を気遣いひょいと花を背負いあげた。
歩いて5分位すると、年季の入った薄暗いアパートに到着する。
「汚いところで悪いけど、花もそのまんまじゃ帰れないだろ? 手当くらいしてやるから入れ」
男性の一人暮らしの部屋に入るなんて……とためらったが、中学から高校まで、ずっと同じ学校で、よく花や徹を交えた友達数人で遊びに行ったりもした仲だった。
心も体もボロボロになった花は、そんな気の知れた徹の好意に甘えさせてもらうしかないかと決心する。
彼は土方の仕事をしていて、仕事上がりに繁華街で呑んでいた帰り道だった。
6年間片思いをしていた花の纏う優しい空気は、お互いバラバラの道を歩み始めて、時が経っても不思議と忘れないものだ。
路地の奥で倒れている姿を見てすぐに花だと分かった。
久しぶりの再会だったのに、目を疑う様な痛々しい姿を見て、徹は心が痛んだ。
「元気だったか?」
花の足を消毒しながら包帯を巻く徹は、今にも泣き出しそうな花の顔を見て、今する質問じゃないか……と口に出してから気が付く。
「何があったのか知らないけどな、繁華街は酔っ払いも多いし、男の一人でも連れて歩かないとまた危ない目にあうぞ?」
頭を優しく撫でる。
「……うん」
花は徹の温かい手に安心したのか、我慢していた涙がポロポロと流れ落ちた。
「お前、だだでさえ運悪いだろ? 今も相変わらずみたいだけど、誰もいないんだったら俺が暫く迎えに行ってやるから、遠慮しないで電話しろ」
そう言って小さなメモ用紙に携帯の番号を書いて花の手の中に握らせた。
「……ありがとう。針谷くんが来てくれてよかった……」
徹はヒックヒックと泣き噦る彼女をそっと抱き寄せ背中をさする。
「さぁ、家まで送るから。立てるか?」
手当てを終えてよろめきながら立ち上がる花を支えながら、徹のアパートを後にする。
傷ついた花を人の目から覆い隠す様に必死に護る徹。
花はそんな徹の優しさに安心して寄りかかった。
電車を降りて引きずる足を痛々しく思い『またおんぶをしてやる』と花に背中を向ける。
すっかり心を開いた花は素直に徹の首に手を回し、体重を預けた。
「おい、少し太ったんじゃねーの?」
そんな冗談に彼女が笑っている様子を見て、少しホッとする。
花のアパートの階段を上がり、部屋の前に着いた。
「じゃあな。ホント、困ったら遠慮なく電話すんだぞ!」
くしゃくしゃっと花の頭を撫でて花の部屋の玄関の扉が閉まるのを見届ける。
彼女に、一体何があったのか……?
表情を曇らせながら徹は自分の家に向かう。
その時陸はたまたま見てしまった。
花の部屋の前で親密そうに話している二人の姿を……
自分の部屋に帰るだけなのに、足が固まって動けない。
彼女の傷にまだ気づいていない陸。
(なんだ、花にもいい関係の男性がいたんじゃないか……)
上っ面はそう思いながらも、どんどん心の中の灯りが暗くなり今にも消えそうになっていた……