6.手料理
陸の側で仕事をするようになって一週間が経った。
花は彼の動きを見ているうちに、入社して以来初めて仕事の楽しさを実感できるようになっていた。
最初は見ているだけで精一杯だったのに、次第に陸が求めている事が、言われなくても何なのかが分かるようになったことが何より嬉しい。
少しでも潤滑に仕事が運ぶように、常に先回りして彼の動きをフォローできる喜びを噛みしめる。
陸も予想以上に仕事が花のおかげで効率良く回って行くことに気づき始め、自分の判断が間違いなかったことを確信する。
彼女は運が悪かったわけじゃなく、何でも包み込む優しい彼女に付け込んで、棘をむき出しにしては彼女より優位に立っていることを旨味に感じる人間たちに囲まれてしまっていただけだ……そう陸は感じた。
向かいのデスクに座ってひたむきに仕事している彼女を見ていると、改めてこれが本当の花の姿なのだと思う。
窓から夕陽が差し込む頃、最近ではどうしても捌き切れない大量の仕事を連日残業して、こなしていた陸は流石に疲労の色が花の目にも見えるくらいに溜まっていた。
「う〜!!」
今日も外回りに励み、いくつも仕事を抱えて戻ってきた陸はそう絞り出すように伸びをする。
花もついて回ったり、会社で資料を準備したり、少しでも陸の負担を減らそうと頑張ってはいたが、出来ることにも限界がある。
「辻本さん、身体大丈夫ですか……?」
疲れの色を隠しきれない陸を見ていると心配になった。
「うーん、最近家にも、仕事持って帰ってるからなぁ……。疲れてないっていたらウソだな!」
ハハ……と力無く笑いながら花に答える。
「ちゃんと食べてます? あんまり無理すると倒れちゃいますよ」
顔色がすぐれない陸の顔を覗き込んだ。
「昨日からなんだか熱っぽくてな……。情け無いなぁ、全く」
はぁ……とため息をついて目頭を摘む。
「今日早めに切り上げるか。花、たまには一緒に帰ろう」
陸の体調も心配だったし、快く了承した。
帰りの電車に揺られながら、目を閉じる陸。
「駅に着いたら起こしますから、少しでも寝てください」
そっと彼に伝える。
「あぁ、ありがとう」
陸は安心して急に襲われた睡魔に寝息をたてる。
陸の寝息と寄りかかる体重に心地よさを感じ、あっという間に駅に着いた。
「辻本さん、着きますよ」
そっと声をかけ、優しく揺り動かす。
「あぁ、ごめん……俺ぐっすり寝てたわ、ありがとう」
そう陸はお礼を言って立ち上がった。
駅を降りた二人。
「ちょっと、コンビニ寄って行っていいかな? 夕飯一応食べなきゃもたないから」
ただでさえ体調が悪いのに陸の食生活が心配になった。
お節介だとは十分承知の上で、
「辻本さん、嫌じゃなかったら夕飯うちで食べますか? 身体に優しいもの、何か作りますから……」
できるだけ陸に気を遣わせないように話しかける。
しばらく花の顔を見つめ、
「いいのか? 本当に??」
今日一番の嬉しそうな笑顔に、なんだかキュンとしてしまう自分がいる。
アパートに着くと陸は自室に戻り、部屋着に着替えてきた。
会社でのパリッとした感じとは真逆の雰囲気に、ドキリ鼓動が高鳴る。
「あ、あの……何か食べたいものありますか?」
ドキドキする気持ちを悟られないように……そっと目線を外した。
「花の作るものなら何でもきっと美味しいだろ? お任せするよ」
花は頷き、エプロンを身に着ける。
トントンとリズムを刻む包丁の音に、花の後ろ姿を見てしあわせな気持ちになった。
小さい頃母が家を出て行って以来、こんな光景は目にする事が一度もなかったのだ。
自分のためだけに、誰かがご飯を作ってくれる……
じんわりと温かくなる心に気づきながら、しみじみと花の背中を見つめる。
「花……、ありがとな」
陸の口から思わずお礼の言葉が飛び出した。
「辻本さん、まだ何にも食べてないじゃないですか」
クスクスと振り返り微笑む。
「……そうだな。俺やっぱ疲れてんのかな」
複雑な想いを笑ってごまかす。
でも、本当に嬉しくて、彼女に感謝の気持ちを伝えたかっただけだった。
「おまたせしました!」
目の前に出されたほかほかのタマゴ粥に、柔らかく煮込んだ野菜のスープ。
いつも作りおきをしている肉じゃがや、ひじきの煮物も少しずつ上品に盛り付けられたお盆に陸は感動する。
「花……。いただきます」
手を合わせて箸をとる陸に、
「あの、気を遣わないで自分の家みたいに楽にしてくださいね」
ゆっくりと美味しそうに口に運ぶ陸を見て、花もまた癒されていた。
ペロリと平らげる陸に、
「あとは暖かくして早く寝てくださいね。熱は……?」
突然そっと額に当てる彼女の手のひらに、年甲斐もなく鼓動が速くなる陸。
平常心を装おうとして、必死になる。
「やっぱり少し熱いみたいですね…」
覗き込む花を見て思った。
(今日はずっと一緒にいて欲しい……)
喉元まで出かかったこの言葉を苦し紛れに飲み込む。
いくらなんでも七つも年上の自分を彼女が受け入れるはずもない……
身の程知らずもいい加減にしろ!と自分に言い聞かせる。
「ご飯、辻本さんの食べたい時に来てくれたら作りますよ。会社で散々お世話になって、何度も助けていただいてますし、こんな事くらいしか私恩返しできませんから」
こんなに喜んでもらえるなら……陸の食事係になってもいいと思った。
「そんな事いったら、毎日来ちゃうよ、俺」
花を見つめ……彼女の頭にそっと手を置く。
「……辻本さん?」
陸の真剣表情に花は一瞬時が止まる。
「なーんてな! そんくらい美味いよ、毎日でも食べたい、花の手料理」
はにかみながら伝える陸の笑顔に花は気づいてしまったのだ。
彼を『好きだ』という気持ちに……