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5.右腕

 陸は部屋に戻りベットに寝転んだ。

 昨日から今日にかけての花との時間を思い出しふっと微笑む。


 二十七歳になる陸はもともと父が会社を経営し、裕福な家庭に育った。

 ところが小学三年生の頃、父の古物商をしていた会社が倒産し家中が差し押さえになったのである。

 その時、母が大切にしていたオルゴールも手離す事になり、彼女の落ち込む姿が陸の脳裏に焼きついて、今でもその時の寂しそうな母の表情を思い出しては胸が苦しくなるのだった。


 その後生活は一変し、母は家を出て行ってしまう。

 父は酒に溺れるようになり、陸が高校生の頃身体を壊し他界した。

 それから陸は脇目もふらず、ひたすら勉強し、新聞奨学制度を利用し自分の力で大学を卒業した過去がある。


 母の大切にしていたオルゴールは海外で作られた特別なものだった。

 今の仕事をしていれば、もしかしたらいつかそのオルゴールにまた出会えるかもしれないと、ほのかに期待していた。


 ところがそのオルゴールとの再会は、意外にも自分の近い場所にあった。

 たまたま同じ会社の女の子が、偶然隣に住んでいて、自分が何年もかけて探してきた母のオルゴールを大切に持っていてくれたのである。

 こんな偶然……本当にあるのだろうか?


 陸はこの奇跡のような巡り合わせに、胸が一杯だった。

 彼女の笑顔を再び思い浮かべては、また温かい何かに包まれるような心地よさに包まれた感覚に陥り、すうと眠りについた……




 いつものように容赦なく太陽は昇る。

 週末の出来事は夢だったんだと嘲笑うかのように、また一週間は始まっていく。


 花はいつものように一番に出勤して、植物にお水をあげる。

 (せめて、今日くらいは幸せが続けばいいのに……)

 そう思っていてもいつもの甲高い声と弾けそうな女子達の話し声は徐々に近づいてくる。


「今日はこれね」

 たった一言とともに置かれた山のような資料の束。

 愛の中にはもう、自分の面倒な仕事は全て花に押し付けると言う構図が完全に出来上がっている。


 花は愛に刃向かったところで、きっといいように言いくるめられて、余計な罵声を浴びせられながら結局やる羽目になるくらいなら、もう何も言うまいと思っていた。


 黙って資料室に足りないものを探しに行く。

 その姿を陸は遠くから見ていた。


「花!」

 聞き覚えのある声に驚きキョロキョロと周りを見渡す花。


「ここだ、ここ!」

 本棚の陰からひょっこり顔を出す陸を見つけて、硬ばった表情がふわっと溶けてく。


「辻本さん……社内で二人でいるところ見つかったら、大変な事になるんで私もう行きますよ!」

 彼に会えたことはとても嬉しかったけど、またこの前みたいに愛達に嫌がらせされるのはもう勘弁してほしいと早々に陸に背を向けた。


「おい、待てって!」

 逃げるように外に出ようとする花の手をグッと掴む。


「ここは俺たちしかいないんだから大丈夫だ。なぁ、なんか嫌がらせされてんのか?」

 陸は心配そうに覗き込んだ。


「私、鈍臭いんで……仕方ないんです」

 俯きながら話す彼女に視線を送りつつ、本当は聞かなくてもわかっていた。

 最近の花からはずっと目が離せずにいたのだから当然だ。


 陸はしばらく考えて口を開く

「よし。俺に、任せとけ! 隣のよしみで何とかしてやる」

 小さくなっている花の頭をそっと撫でる。


「隣のよしみって………?」

 不安そうな花を見てなんとかしてやりたいと心から思う。


「うまくいったら、また朝ごはんご馳走してな!」

 陸は片手を上げて花に背を向けた。


『どういうことだろう……?』

 陸の謎の言葉にすっかり時が止まってしまった花。

 どこか遠いところから女子社員の話声が聞こえてハッと我に返る。

 ニヤリと薄笑いを浮かべる愛の顔を思い出して急いで資料を集めるのだった。



 資料集めに予想以上に時間がかかってしまい、急いで自分のデスクに戻ったとたん、花は再び愛の煽りに合う。

「まだそれやってんの?!」

 いつにも増してイライラしている愛の捌け口になってしまっている花を、同情して助けてくれる同僚は残念ながら一人もいない。

 それだけ副社長の娘である愛は我儘を吐きまくりどんどんと力を大きくしてしまい、みんないつ次の花に自分がなってしまうかビクビクしているのだ。


「……ごめんなさい……」

 またいつものパターンだ。

 もう慣れるしかない、そうカチコチになった自分の心に話しかける。


 愛はわざと花のデスクに置いてあったお茶をこぼし、置いてある資料をびっしょり濡らしてしまった。


「ちょっと!!」

 あまりの酷い愛の行いに、思わず反抗してしまう。


「ちょっと、なによ? 言いたいことがあんなら言ってみなさいよ!!」

 きっと花を睨みつける。


 そこへとてつもなく淀んだ空気を知ってか知らずか、花の部署の飯田部長が突然顔を出した。

「古谷さん、ちょっといいかい?」

 そう花に向かって手招きする。


「はい……なんでしょう?」

 誰もが大切な資料を汚してしまったことを叱られるのだろうと思っていた。


「実は、急で悪いんだが、上からの直々の命令でね……」

 いよいよ何かの処分が下るのだ……と花は覚悟し目をギュッとつぶる。


「辻本バイヤー、知ってるよね? 彼がなんだか急に君に補佐をやって欲しいって言うんだよ」

 一同がしんと静まりかえった。


「いや、私もね、古谷さんはまだ若いし、彼の補佐ができるほど仕事のスキルを持っているわけではないだろう? 逆に古谷さんと辻本君、お互いに負担になってしまうのではないかと思って何度も彼に確認したんだが……。どうしても君でないとできない仕事があるそうなんだ。まぁ、わが社のホープである彼がそこまで言うなら、私に止める権限もないしと思ってね。古谷さんはどうだい? この話……」


 さっきの『俺に任せておけ!』の意味……ってこう言うこと?!

 花は驚きを隠せなかったが、陸のくれたチャンスを大切にしようと目を輝かせた。


「行かせてください! 私頑張りますから!!」

 即答した。飯田部長に深々と頭を下げる。


「そうかそうか。では、だいぶ急いでたみたいなんでね、今の仕事は倖田くんにお願いするんで、すぐに支度して行ってあげてくれ」


「はい!!」

 一刻も早くこの部屋を出たかった。愛や同僚の妬みのこもった視線が冷たく花に突き刺さる。

 (振り返るもんか!!)

 必死で荷物を抱えて、真っすぐに前を見た。



 廊下を猛ダッシュで走り抜ける。


 陸のいるブースの扉の前にたどり着き深呼吸した。

『せっかく助けてもらったんだ。辻本さんに迷惑かからないよう頑張らなきゃ!』

 そう硬く決意をし、震える手を抑えながらノックをする。


「はい!」

 扉の奥から聞き覚えのある優しい声が聞こえた。

「古谷花です!」

 そうドアの前で大きく返事をして扉を開ける。


「よう! 待ってたぞ! 今日から俺の右腕だ。花!」

 そうニッコリ笑って机に案内する。


「よろしくお願いします。辻本さん」

 深々とお辞儀をして陸の顔を覗く。


「君には私のしばらく秘書をやってもらう。しっかり頼むよ」

 いたずらっぽく笑って花の肩にポンと手を置くと、分厚い手帳を彼女に手渡した。


「今のところの俺のスケジュール。全部管理、花に任せるから」

 陸の瞳の奥には厚い信頼が見えた。


「はい!」

 花は何があってもこの恩をちゃんと陸に返そうと、そう心に誓い大きく頷いた。





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