4.夢のような現実
囁くように小鳥の囀りが聞こえる……
……もう、朝なのね?
王子様の様な辻本さんとデートをしている夢なんて……
デートの終わりには一度も経験したことのないキス。
彼が優しく包み込むように重ねた唇は、やけにリアルに柔らかく温もりの感触が残ってる。
なんてステキな夢だったんだろう……
目を開けたら完全に終わってしまうな……
そう思いながら布団の中で名残惜しむ。
少しずつ瞼を開いた先には見覚えのある天井が姿を現わした。
あーあ、終わっちゃった……
でも今まで生きてきて味わったこともない幸せな時間だったなぁ。
きっと、オルゴールの力かな……?
ふふと微笑みながらオルゴールに視線をやろうとすると、視界に目を疑う人の寝顔が飛び込んでくる。
「……ん? え? なんで? う、嘘でしょ?!」
ガバッと飛び起きる花。
布団にこそ入っていなかったが花の寝顔を見守っていたかのように夢の中でずっと側にいてくれた陸の顔がすぐそばにあった。
「あれ? 私の部屋……で間違いない……」
キョロキョロと周りを見渡す。
布団の中に目線をやると、夢の中で陸にプレゼントしてもらった服を着ているじゃない!
「嘘、夢じゃなかったの??」
急に鼓動が高鳴り、陸の様子を伺う。
ぐっすり眠っている彼を起こさないようにそっとベットから降り彼に毛布をかけた。
「ちょっと待って……? 一体どこまでが夢なの??」
頭の中が混乱して、陸に聞きたい事が雪崩のようの押し寄せる。
……とはいえどんなに取り乱していても体は正直でぐうとお腹が鳴く。
(それにしてもやけにお腹が空いている……)
とりあえず、朝食の仕度をしようとキッチンに向かった。
朝の定番の鮭を焼き、作りおきの煮物をチンする。
味噌汁を作ろうと鍋の中でふわふわ泳いでいるワカメを見つめながら昨日の記憶を懸命に辿った。
『確か、バーに連れて行ってもらって……』
そこまでの記憶は確実にある。
豆腐で完成させた味噌汁の火を止め、そっと寝室のカーテンを開けた。
時計の針はもう10時を指している。
ベランダの花に水をやろうと窓を開けると、新鮮な空気がふわりと入り込んできた。
嵐のように巻き起こった昨日の幸せを、ベランダの花たちにも分け与えるかのように話しかけながら、楽しそうに水をやる。
そんな花を、窓越しに陸は見ていてて、寝起きのだるさが吹き飛ぶような優しい彼女の笑顔に自分の心もその温もりに包まれるかのような錯覚を覚えた。
水をやり終え振り返る花に陸は、
「おはよう」
と穏やかに声をかける。
花は寝ているはずの陸が起きていた事に驚いた。
「おはようございます」
そう一呼吸置いて丁寧に挨拶する。
「よかったら、朝ごはん食べていってください。昨日のお礼に」
陸に向けられた花の笑顔は、彼の胸をなんだか熱くさせた。
「ありがとう。お言葉に甘えていただこうかな」
そう言って小さなテーブルに並べられた朝食を二人で囲む。
「花……、凄いな! 全部自分で作ったの?」
花の年でこれほどまでにしっかりとした朝食を作れる事に陸は感心した。
「はい、私料理好きなんです。美味しいもの食べると元気が出るでしょ?」
微笑む彼女に、あんなに不運が続いてもこうして前を向いていられるのはきっとこうした、ちゃんと自分を慈しむ生活が出来てるからなのか……となんだか納得した。
「俺、こんなちゃんとした朝食、何年ぶりか分かんない位だよ。花、ホントありがとう。感動した!」
優しい笑顔でお礼を言う陸に、こんな当たり前の毎日のご飯が何年かぶりかだなんて、可哀想だと同情する。
「たまに食べたくなったら、声かけてください。短い間かもしれないけど、お隣さんですし」
花は陸とどうにかなりたいとか、そう言うつもりは全くなく、ただ、自分の作った食事を美味しいと言って食べてくれる人が目の前にいてくれる事が幸せだった。
食後のコーヒーを差し出し、早速昨日の事をちゃんと聞かなければ……と陸を見る。
「あの……私、バーに入った後の記憶が全く無くて……。失礼な事とかしませんでしたか?」
恐る恐る陸の表情を伺った。
昨日思いあまって花にキスをしてしまった事をどう説明しようか正直悩んでいたが、どうやら覚えていないようだったのでホッと胸を撫で下ろした。
「いや……あそこのバー、料理も美味しいから呑みがてら食事もって思ってたんだけど、花が一杯目一気に飲み干したかと思ったらそのまま潰れちまったからさ。暫く一人でチビチビやってたんだけど、起きる気配もなかったし、タクシーで帰ってきたんだ」
だから、朝あんなにお腹が減ってたのか……と赤面ものだ。
「その後花を起こしてベットに連れて行ったら、『行かないで』って俺の袖引っ張るからさ。仕方ないから寝るまで待ってるかって思ったんだけど……花の横で俺も気がついたら寝てた」
ハハハと笑いながら話す陸とは逆に、記憶がないとは言えどもとんでもない事を言ってしまった自分に、恥ずかしすぎて顔から火が出そうだった。
「やだ、ほんとごめんなさい!! 私全然覚えてなくて……!!」
涙目の花の頭を撫でながら、
「いいんだよ、俺昨日久々スッゲー楽しかったし、ご馳走も食べられたし、大満足!!」
「あの、この服とか……昨日私にかかった費用、せめて払わせて下さい。こんなにたくさんしてもらって……私どうしたら……」
俯き申し訳なさそうに顔を曇らせる。
「何言ってんだ、俺を誰だと思ってんだよ! 会社でも一目置かれる敏腕バイヤーだぞ? 女に金を出させるなど、俺様に恥をかかせるのではない!」
ふざけた顔でそんな花を気遣った。
「ありがとうございます。ほんとうに……」
なんでこんなしょうもない自分にここまでしてくれるのか……?
親以外にここまで自分を気にかけてくれた人が今までいただろうか??
感極まって涙がポタリと落ちた。
自分にもこんなに幸せな時間が訪れることがあったなんて……
最初で最後だとしても、神様に感謝しなきゃ。
涙に気づいた陸はそっと花の頰を濡らさないよう拭う。
「花は、もっと自信を持っていいんだ。目利きの俺が言うんだから間違いない」
じっと花の瞳を見つめた。
なんだかまたキスをしたい衝動にかられる自分に戸惑う。
『どうしちゃったんだ、俺は……』
酔っていたとはいえ、昨日の花に内緒でキスをしてしまった事を反省して、後ろめたさに目を逸らす。
「さて、そろそろ自分の家に戻るよ」
陸は自分のモヤついた欲をかき消すように立ち上がった。
「本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる花の頭もう一度撫でて、
「楽しかったよ」
そう言って玄関に向かう。
ふと小物が置いてある棚に目をやると、陸は自分のよく知っている、懐かしく見覚えのあるオルゴールに視線が止まった。
「……これ……どうした?」
急に表情を変える彼に少し驚き、
「アンティークショップで一目惚れして、ちょっと高かったんですけど、頑張って買っちゃったんです!」
愛おしそうにオルゴールを見つめる花。
陸は、
「ちょっと、開けていいかな?」
頷く花を確認して中の赤いベロアのシートをめくる。
『T.Y』
そう刻まれたイニシャルを確認した陸は間違いないと確信した。
花に目をやると心配そうにオルゴールを覗きこんでいる。
陸はそんな花を見て『この子の手の中にあれば安心か……』と大切そうに蓋を閉めた。
「ありがとう……。素敵なオルゴールだな!」
そう言ってそっと元の棚に返した陸がなんだか名残惜しそうにも花には見えた。
「……また、見に来てください」
陸の謎めいた行動に引っ掛かりながらも、『さすがにこれは譲れない』と、そう声をかけるのが精一杯だった。