大人への階段
陸は微かに震える花の髪を優しく撫でる。
壊れ物を扱うかのように、花の体温が熱くなるまで何度もキスを重ねては愛でるように白い肌を陸の大きな手で包んでいく。
花の一つ一つの表情が愛おしく、時が経つのを忘れる程に彼女の身体の隅々まで陸は知りたいと探り続けた。
花はいつの間にか、怖さよりも徐々に陸を深く求める感情を抑えきれなくなる。
二人はゆっくりと重なり心と身体が繋がった事に、お互いをより愛しく感じ合った…。
どれだけ時間が経ったのか…。
空は白み始めカーテンの隙間から差し込む光が陸の腕の中で大人になった花の表情を照らしだす。
ほんのりと赤くなった頰を隠すかのように陸の広い胸にうずくまる。
「花…。ずっとこうして一緒にいたい…。」
優しく抱きしめる陸。お互いの肌と気持ちが触れ合う心地よさに永遠に時が止まって欲しいと願う。
そんな気持ちとは裏腹に、秋が近づいてくれば、陸は海外へまた旅立って行かなければならない現実に打ちひしがれていていた…。
いつの間にか眠ってしまった二人が目覚めた頃には、太陽は高く昇りつめていた。
横で寝息を立てている陸を見守りながら上着を着る。
シャワーを浴びながら陸との夜を頰を染めながら思い返す。
花もまた、秋には陸が居なくなってしまう事は分かっている。
こんなにも一つに混ざり合った後で、離れ離れになる痛みに耐えることができるだろうか…。
全て承知の上で花は陸を受け入れたのだから、仕方のない事ね…とシャワーのお湯に紛れながら涙がこぼれ落ちた。
シャワーから上がると陸の姿がない。
ガチャっと音がして陸が戻ってくる。
手には花に借りていたオルゴールがあった。
「花、ありがとな。」
そっと差し出す。
陸にとってそのオルゴールは母の思い出そのものだと言うことは、まだ花は知らない。
彼自身も花に大切に持っていてもらえる方が安心だった。
彼女がそのオルゴールを愛でる表情が、陸は母親と重なるところもあった。
いつものようにベランダの植物に水をやる花の後ろ姿を眺めながら、陸はオルゴールの蓋をあける。
窓から入ってくる柔らかい風に乗せられるように、『トロイメライ』が流れる。
陸は、今まで味わったことのない幸せに、胸が熱くなっていた…。
幸せに包まれた休日はあっと言う間に終わりを告げる。
月曜日、いつもと同じように朝を迎え電車に乗り込む。
花はまだ足に傷は残っているものの、心は温かかった。
電車の窓から見える景色がいつもと違っている事に気がつく。
ぼーっと見ていた窓の外にいる日常を送っている人々の表情がはっきりと脳裏に映り込んでくる。
辛い事が多かった花は誰かと関わる事で巻き起こる不運に怯え、相手の表情などをしっかり見て人の心に触れるという事を少しばかり避けていた自覚があった。
陸と一夜を共に過ごし、陸は自分の自信のないところも全てを受け入れてくれた。
そんな彼の愛情をたっぷりと注いでもらい、花はいつもより顔を上げていられている事に気がついていた。
どこまでも彼に与えられるものの大きさは、花にとって人生を大きく変える程に価値のある出来事ばかりだ。
これからたくさん試練があるかもしれない。
でも今日のこの気持ちをいつも忘れないようにしよう…。
陸が花に与えてくれた、最大のプレゼントなのだから…。