悪の足音
陸はタクシーを捕まえ接待などでよく使う料亭に足を運ぶ。
副社長といえば知る人ぞ知る、倖田愛の父親だ。
社長とは反りが合わず、副社長派と社長派で上層部では大きく派閥ができている。
陸は両親がいなかったため、副社長には色々配慮してもらって入社できた経緯があった。
派閥など全く興味はなかったが、お世話になっている身であるため、副社長とは何かと微妙な力関係が働いていた。
「休み中に呼び出してしまって悪かったね。まぁ、座りたまえ。」
ガハガハと笑う副社長が何かを企んでいる目をしているのを陸は見逃さない。
「なんでしょう…、副社長…。」
嫌な予感しかしないが、早くここを立ち去りたい一心で話を自ら進めて行く。
「君は…いくつになる?」
唐突に質問してくる。
「27になりましたが…。」
不審がりながらも答える。
「そうか、そうか。…実はなぁ、うちの娘、愛なんだが、どうやら君にゾッコンらしくてね?」
頭をボリボリかきながら複雑な心境で話し出す。
「はぁ…。」
花に対しての悪態に名前を聞くだけでも気分が悪くなる陸。
「どうだ、見合いでもしてみないか?…わしも大切な娘をほかの男にやるってのは、どうも本意ではないんだが…、まあ、君なら出来る男だし、娘の相手としてはなかなかだと思ってるんだよ。二人がうまくいけば、君の出世も保証されるしな?」
顔から滲み出る悪の色を感じ取り、すかさず陸は、
「申し訳ありません。私にはお付き合いさせて頂いてる彼女が居まして…。彼女と別れるくらいなら退社も仕方ないと考えています。」
そう、言い放つ。
副社長は検討すらしない陸の態度に腹を立て、
「うちの娘の何が不服なんだ!何も知らないくせに偉そうな事を言うんじゃない!」
そう怒鳴り散らす。
「すまん、感情的になってしまった…。とにかく、来週またここで時間を作って欲しいんだ。頼む!」
頭を下げる副社長。
「どれだけ頭を下げられても、自分の彼女と別れる気はありません。」
はっきり言う陸。
「その彼女とは結婚でも決まっているのかね?」
鼻息を荒くして詰め寄る副社長。
「いえ、まだそのような話はしてはいませんが、いずれかとは考えています。」
譲らない陸。
「一緒にでも住んでいるのか?」
その質問に、少し答えに迷ったが、
「同じアパートですが、ほぼそのようなものです。」
そう言い切る。
「ふん!まぁ、愛には私の方からフィアンセがいるとでも行っておくが、この話を断ると言うことは、分かっているだろうね?君にとってのメリットは一つもないと思うがね?」
嫌味ったらしく言ってくる様に、陸は相当苛だっていた。
「自分の好きな娘と一緒にいる事以上に幸せな事など私はないと思っています。申し訳ありません。」
頭を下げる陸。
ガラッと部屋の襖が開き、愛が飛び込んでくる。
「パパぁ、お願い何とかしてよ〜。せめて辻本さんと一回くらいデートしたいの〜。そしたら諦めるから!!」
陸の方を見ながら愛は父親におねだりする。
「なぁ、辻本くん…。こんなにうちの娘が言ってるのだから一日くらい付き合ってやってくれよ。たのむ!」
そういって頭を下げる副社長。
「…。」
副社長に世話になっている手前、無下にする訳にも行かないとも思う…。
「…そしたら、今日、今から映画一本だけ見に行きましょう。それでご勘弁ください。」
そう言って頭を下げる。
「そうかそうか!!な、愛、いいだろう?辻本くんは結婚を考えてる彼女がいるんだから、な?」
愛の機嫌を必死にとる副社長の姿に、情けなくて陸は目をそらした。
「え〜?まぁ、そこから何か芽生えるかもしれないしね。」
口を膨らませながら仕方なしに納得する愛。
陸は嫌悪感で吐き気を催しそうなくらい嫌であったが、これでこの件が終わりになるなら、仕方ないと飲み込んだ。
早速腕に手を回してくる愛に鳥肌が立ったが、早足で映画館へ向かう。
タクシーの中で何やら一人で喋っていたが陸は記憶の片隅にも残そうとしない。
「さあ、何が観たいですか?」
せかせるように決めさせる。
「じゃあ…これ」
選んだのは上映までに二時間もある、ラブロマンスものだった。
「もっと面白そうなのもありますが…」
言いかける陸の言葉を遮り、
「いいの!!これで!!」
人が変わったように叫びだした。
少し普通ではないな…と警戒しながらロビーで待つ。
途中買い物に何度も誘われたが断り続ける。
愛は不満が爆発しそうだった。
『このままでは返さない…。家までつけてやる!』
ようやく上映時間になり二人は暗闇に入っていった…。