10.不幸に射す光
アパートの前まで到着すると、優しく肩を抱き花を部屋まで連れて行く。
「鍵あるか?」
ずっと放心状態の彼女に尋ねると、ぼーっとした目線でカバンに手をやるが、心ここに在らずの様でなかなか見つかりそうにない。
自分の部屋の鍵を開けることも今の花にとっては大変な作業である事を察して、隣の陸の部屋に連れて行く。
「俺の事は信用できるだろ?」
そう念を押すと、黙ってコクリと頷いた。
「落ち着くまで、俺んちで休んでていいから」
陸の部屋の重たい玄関の扉を開ける。
陸に手を引かれ、放心状態のまま玄関を上がり、部屋の中に連れて行かれた。
ソファーに座らせ、花に毛布をかけるとヤカンに火をかける。
自分の寝室から部屋着を持ち出し、花に渡した。
「ちょっとでかいかもしれないけど、俺キッチンに行ってるから着替えろな?」
そう言ってその場を立ち去ろうとするが花が陸のシャツを掴む。
少しでも一人になるのが怖かった。
「わかったよ、花が見える所にいるから俺が後ろ向いている間に着替えろよ? 俺だって花がその格好じゃまともに見られないから」
花は自分の下着があらわになっている事を思い出してハッと我に返った。
「や、やだ……! あたし……!」
急にまた襲われた時を思い出しポロリと涙がこぼれ落ちる。
「花……もう大丈夫だ。俺がそばにいるから、怖いことなんてないからな?」
優しく毛布の上から包み込むように花を抱きしめる。
彼女の震えが止まるまでゆっくりと一緒に時を待つ。
静かな空間を裂くようにピィーッとやかんの音が響き渡り空気が動いた。
「花、あったかいココアでも入れるから着替えてろ」
ポンポンと優しい眼差しで彼女の頭を撫でる。
「ありがとうございます……」
ようやく凍りついた心が溶け出し、自分の事を考えられる様になってきた。
「向こう向いてるから、終わったら声かけろよ?」
そう言って花の視界から自分が消えないようにカップにお湯を注ぐ。
毛布を剥がし、切り刻まれた自分の服を見つめながら『どうしてこんな事に……』と考えを巡らせる。
私が何か悪い事でもしたのだろうか……?
それとも運が悪いだけなの……?
そういえば……と、あの暴漢が言っていた愛の話を思い出す。
それが本当だったとしたら、一体なぜそこまで……?
たくさんの腑に落ちない疑問はあったが、とりあえず着替えに集中しようと思い直した。
陸から借りたトレーナーに袖を通すがぶかぶかで手が出てこない。
彼のがっしりとした体型を連想しながら、彼の服に袖を通せることがほんのちょっぴり嬉しくなる。
長すぎる袖をたくし上げて手を外に出をした。
ふんわりと香った陸の匂いに包まれながら、花はこんな状況でも安心感で一杯にしてくれる陸に心から感謝する。
着替え終わり、陸に声かけた。
彼女の声に振り返った陸は、花が自分の服を着てちょこんとソファーに座っている姿をみて、ドキドキと嬉しさが不謹慎にも交錯する。
「やっぱり大きかったな。ごめんな?」
そう言ってココアを花の前に差し出し隣に座った。
「助けてくれて、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げた。
ココアの入ったカップをを手に取りマスクを外そうとしたが、そういえば顔も腫れていた事を思い出してまたテーブルに戻す。
「どうした? ココア嫌いだったか?」
心配そうに覗き込む陸に気づかれたくなくて顔を背ける。
「ごめんなさい……、マスクちょっと外せなくて」
陸は退社間際に飯田部長が自分を訪ねて来た事を思い出した。
今日花が飯田部長の所に来た時にだいぶ顔が腫れている事を心配して、事情をききにきたのだ。
陸はマスクをしていた事は気になっていたが、顔が腫れている事には全く気づいていなかった。
「花……、マスク外してごらん?」
大きく首を横に振る花。
「俺は花の顔が腫れてたって、軽蔑したりしないよ。そんなに、俺の事信用出来ない?」
彼女の気持ちを想って優しく、ゆっくりと話す。
「辻本さん……、知ってらしたんですか?」
驚いた目で陸を見た。
「今日、飯田部長が帰り際に俺のところに心配して来たんだよ。気がついてやれなくて、本当にごめんな……」
頭を下げる陸。
「何で辻本さんが謝るんですか? 悪いのは鈍臭い私なんですから……。頭を上げてください!」
そう気遣い、花の細い手を陸の肩に手を置く。
「花……。花は俺が体調悪かった時色々してくれただろ? 俺だって花に同じ様に返したいんだ。うまい料理とかは作ったりは出来ないけど、せめて心細い時くらい、全部さらけ出して寄りかかって欲しいんだ」
陸の真剣な眼差しに花の心は吸い込まれそうになる。
「……見苦しい顔でごめんなさい……」
下を向きながらマスクを外す花。
陸の真摯な心に、たとえ嫌われたとしても、今心配してくれる気持ちを受け取りたいと思ったのだ。
恐る恐る顔を上げる花。
その顔を見て、陸は優しく赤くなった彼女の頰に手を当てる。
「痛かっただろう……? 可哀想に……。花がそんなに傷ついている時に気づいてやれなくて……側に居てやれなくて……本当にごめんな」
自分の不甲斐なさと、こんなに傷ついてるのに全くそれを自分に悟らせず、しっかりと仕事を全うしていた花に脱帽の思いで、堪らず彼女をギュッと抱きしめてしまった。
「辻本さん……?」
どうしてそこまで自分の事を想い、心配してくれるのか……分からなかったが、あんなにも辛く恐ろしい思いをしたはずなのに、まるでそれがなかったかのように忘れてしまうくらい、陸の胸の中が花にとって温かくて心地よくて、安心できて……幸せな場所だった。
ふと視線を変えると花が陸に貸したオルゴールが大切そうに置いてあるのが目に入る。
あぁ、そうだ、きっとこのオルゴールが陸と自分を繋いでくれているのかもしれない……。
根拠のない理由ではあったが花はなんとなくだが、そんな風に感じるのであった。
誰もが憧れる陸が、こんなちっぽけな自分と心で触れ合い向き合ってくれている事に、私は世界一の贅沢者だ……とオルゴールに感謝の気持ちを送った。