どうして
チュンチュン。チチチ。
チュン。チチ、チチチチ。と、小鳥が囀ずっている。
群れと戯れているのか。それとも、もうとっくに日が昇ってしまっているのを教えようとしてくれているのか。
すでに日は高く、ちょうど昼下がりとなる頃。
どこか遠いところからうっすらと街の喧騒が聞こえてきてはどこか遠くへと消えていき、まだ僅かに涼しさの残った空気を、風がふわりと運んで通り抜けた。
それら全てがすり抜けていくような、それら全てに置いていかれるような。そんな錯覚を覚える。
ぼぅっとした意識、覚束無い思考のまま、それは朝目を覚ましてから今まで、たっぷりと間を置いて今日の第一声を発した。
「……え?」
深紫の瞳。土にまみれた長く乱雑な髪。細く弱々しい手足。
焚き火の跡、雑に投げ捨てられた布切れ、血溜り。
視線を上げると、破壊された壁が否応なしに昨日の出来事を肯定してくる。それを素直に受け入れ切れずに、疑問と困惑に胸中を埋め尽くされてのひと言だった。
(生きてる? いや、でも……)
あの時確かに死んだ。スラム街で暮らす少女は間違いなくその生を終えていた。その事は他ならない少女自身が確信している事実だった。しかし。
(蹴り飛ばされた……んだよね? 多分。それでこの壁にぶつかったんだ。あれ、じゃあこの血ってわたしの……?)
実感が湧かない。辺りの状況がそれを事実だと告げていても、少女自身の存在がその出来事を否定していた。
特に何の異常も無いのだ。空腹だとか言い出せばきりがないのは確かだが、手足も問題なく動けば致命傷になるような傷なんかも見当たらない。死んだと確信する程の事が起きた翌日にこれでは、昨日の出来事も夢か現か分からないと言うもの。
だからだろうか。不思議と死んだだろうということに対しての衝撃よりも、どうして?といった疑問の方が強いのは。
昨日の事を思い返してみる。
空腹に耐えきれずいつも行かないような所まで足を伸ばして食料を探した。
得られる物は何も無くて絶望した時に手にした林檎。それは幸せの味がした。頑張って生きたいと、そう思った瞬間だった。
しかしその幸せも束の間、林檎の持ち主に捕まりならず者の元へ。
手足を折られ意識を失い、目が覚めたと思ったら今度は蹴り飛ばされ。助けを求める声は誰にも届かず、少女は死んだ。
そして朝。死んだはずの少女は当然のように目が覚め、自身が生きているという現実に頭が着いていかずにぼぅと呆けていた。かなり大雑把だが、これが昨日から今までの出来事だ。
(夢じゃ無いよね? こんな場所にいるんだし。それならわたしはどうして……)
生きているの?
今日何度目か分からない自問自答、答えの出ない思考のループ。
意味など無いと言うことは少女が一番分かっている。分かってはいるのだが、気持ちが悪い。
自身の身体の事が全く分からない。頭がおかしくなっているのかもしれない。実はもう死んでいて死後の世界にいるのかもしれないし、昨日の事はただの夢だったのかもしれない。何が起きたのか。何が起きているのか。これからどうすれば良いのか。どうしたいのか。分からない。分からない事が、気持ち悪くて仕方がなかった。
それでも、何かしらの行動を起こさなくてはいけないと少女は投げ捨てられた布切れを手に取り、羽織る。
何かしなければ何も起こせない事を、少女は知っている。
それがたとえマイナスに動こうが、その時はその時だ。
自ら行動しなければ、待っているのはそれこそ自身にとってマイナスの出来事だけだと、少女は今までの経験からそう考えている。
「まずはここから離れないと」
ならず者の集まる場所がここだ。そんな所にただ居るだけでは昨日の続きをしてくださいと言っているようなもの。
先程までただただそこで時間を浪費していた事実に少女の背筋にぞわりと怖気が走った。ニタニタとした笑み、最低な視線が自身を貫く。その想像に足がすくみそうになる。それを頭を振ることで思考から追い出しその場から足早に離れた。
ここから、ならず者から逃げる。今はそれだけだ。それだけのことに集中すると、そう決めた。
走る程の体力は無い。しかし軽くふらつきながらも歩く事は出来ている。十分だ。そう自身に言い聞かせて、昨日歩いてきただろう道をおぼろげな記憶を頼りに進んでいた。
何故かは分からないが明らかに昨日よりも回復していた体力。しかし元々全快でも体力が多いとは言えない。徐々に歩くペースが下がっていき、終いには向かいから歩いてきていた人にぶつかって転んでしまった。
「ご……ごめんなさい!」
「ちゃんと歩けよこのガキ! ……んん? お前は……」
「え? ぁ……」
サッと血の気が引いていくのが分かった。身体に力が入らなくなる。手足は言うことを聞かなくなったかのようにカクカクと震え、立っていられない。
神様はどうしても悪い方へ、悪い方へと少女を転ばせたいらしい。運が無いにも程があると、そう言うのは大袈裟だろうか。
(そうか、これはやっぱり夢なんだ。悪い、悪い夢。きっと。だから、早く覚めて……)
そんな願いが叶うことは無いだろうなと心のどこかで思いながら少女は自身がぶつかってしまった相手を見上げる。ならず者、そのリーダーだろう男を。
ぶつからずに通り過ぎれたなら、逃げれていたかもしれない。あの場から動かなければ、もしかしたら。すぐに逃げていればどうにかなったかも。きっとどれも、同じ結末。だとしても、やりきれない気持ちをどこにぶつけたら良いのか分からない少女はこうだったならと思ってしまう。
少女は再び、ならず者に弄ばれた。
それからは繰り返しだった。
好きなように弄ばれて殺されて、次の日に起きる。向こうも少女が生きていたことを不思議に思っていたようだ。
好きなように弄ばれて殺されて、次の日に起きる。どうやら逃げ出せないよう枷をつけられたらしい。
好きなように弄ばれて殺されて、次の日に起きる。少女は気がつく。死んでも起きたら生き返っている。自身がそう出来ているらしいことに。
好きなように弄ばれて殺されて、次の日に起きる。彼等は言った。命令を聞かなかったら殺す。
死んで、死んで、死んで、必死で言うことを聞いて。なんとか、生きて。次の日に、死んで。死んで、生きて、死んで……
少女は思う。
どうして、生まれてしまったのだろうか。
どうして、捨てられたのだろうか。
どうして、生きてきたのだろうか。
どうして、生きていられたのだろうか。
どうして、生きていようと思えたのだろうか。
どうして、誰も手を差し伸べてくれないのだろうか。
どうして、痛みを感じるのだろうか。
どうして、苦しいのだろうか。
どうして、笑われているのだろうか。
どうして、死んだのだろうか。
どうして、死んだのにまた死ぬのだろうか。
どうして、死んでもまた朝が来るのだろうか。
どうして。どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうして。
(どうして? どうして、わたしは死ねないの?)