代償
どれだけ裏路地を進んだだろう。途中、足の力が抜けて転びそうになるも、少女の左腕を引く男の右手がそれを許さない。
脱臼でもしているのだろうか。男に腕を引かれる度に腕に、肩に、ズキリとした痛みが走るのを感じ呻き声を上げ、涙目になりながらも歯を喰い縛り懸命に歩く。
今逆らったり逃げ出そうとすればどうなるか分からない。ならば、向かう先がたとえ最悪の未来に続いていようとも下手な事は出来ない。歩みを止めるわけにはいかなかった。
そうしてしばらく歩き続けていたが、ようやっと男が立ち止まる。
裏路地を抜けてすぐの、少し開けた場所。
焚き火の明りが辺りをぼんやりと照らしたそこでは数人の男達、おそらくはならず者達が酒を酌み交わしていた。
「おい、スラム街の奴を連れてきたぞ」
ならず者達に声をかけ林檎が落ちないようにバランスを取りながら、男は少女の背を無造作に押して前へ行かせる。
「え? わっ! いたっ」
突然の行動に少女はつんのめる。一瞬耐えようとしたが、限界を越えてなお酷使し続けた足は言うことを聞かない。崩れ落ちるように派手に転んだ。
「あ? おお、なんだアンタか。ご苦労ご苦労。ってガキじゃねぇか! まぁいいや、とりあえずその林檎ひとつくれよ」
「良くねえだろガキじゃあよ。オレは要らんぞこんな薄汚いガキはよ。誰でも構わんおめーとは違うんだ。よお兄ちゃん、オレも林檎ひとつな」
「やるかよ! お前ら人の物をなんだと思って……ちぃっ。ほらよ。俺は帰るからな!」
痛みに呻く少女を眺めながらならず者達は林檎、林檎と催促する。
最初こそ威勢良く言い返す男だったが、ならず者のひとりが意地悪く笑いながら立て掛けてあった大剣に手をかけると舌打ちをひとつ。全員に林檎を投げ渡すと苦虫を噛み潰したような顔のまま踵を返して行ってしまった。
どうやら表通りでは暴れないと言っても住人に手を出すかについては別の話のようで、やはり対等な関係と言うわけでは無いらしい。
一見こんな場所に住み着くならず者達が下。表通りで普通に暮らす住人達が上。そう思える構図ではあるが今のやり取りを見るとそれも怪しく思える。
実際、暮らしはどうかを別にして力関係だけを見た場合ならず者達の方が上と言っていい。
それはひとえに、戦いに長けた魔法を持っているか。
それがならず者達と住人達との関係の決め手。
強いか弱いか。勝てるか勝てないか。殺せるか殺せないか。つまりはそういう事だった。
この世界では一人に対してひとつ、もしくはふたつの属性の魔力を持つとされ、持っている属性によって使える魔法も変わってくる。属性は戦闘に特化したものから日々の暮らしを豊かにするもの。他変わり種としては普通の人間には扱えないようなものや決められた条件を満たさないと発動しないもの等。様々ではあるのだが、ならず者達は全員が戦闘に特化していた。
魔法だけで全てが決まると言う訳では無いのは確かだ。だが暮らしに重きを置いた属性の魔力を持つものが多く、戦闘の経験が乏しい住人達では、歯が立つわけが無いのも、また確かなことだった。
ならず者達は林檎に舌鼓を打ちながらしばし酒を飲んでいたが、やがてひとりが少女に近寄っていく。
最初に声を上げていた男だ。リーダー格だろうか。品定めするかのように少女を眺めていたがおもむろに振り返って仲間に声をかけた。
「俺が最初で良いよな。な?」
「オレはパスだ。趣味じゃない」
「お前いっつも先だろ! 良いけどよぉ、久々の女だ、壊すなよ?」
「よぉし決まりだ」
少女を薄汚いガキと呼んだ男と数人の仲間はやってられないと首を振って酒を煽り、少女から遠ざかって焚き火の近くに陣取る。少女の存在は気にせずに酒盛りを続けるのだろう。残りは下卑た笑いを上げながらお楽しみの順番を決め始めた。
少女はそういった知識に乏しいながらも直感した。
自分はこの男達に慰み者にされるのだ、と。
「い、いや! やめてください!」
「ぁあ!? テメェ暴れんなオラ!」
力の入らない四肢で必死の抵抗を試みるがまるで意味など無く、すぐに地面に押さえつけられてしまう。
それどころか抵抗の意思を見せたせいだろう。少女を押さえたままリーダー格の男が非情にも命令を下した。
「おいお前、こいつの手足折れ」
「はぁ~? お前またそんな鬼畜な」
命令された男が心底嫌そうに頭をボリボリ掻きながらやって来ると少女の右腕に両手を添える。
「なんっ……え? え? うそ、え?」
もはや錯乱気味の少女にまともな思考は難しく、現実を受け入れられないと疑問の声を上げるだけ。
それをしかめっ面で見ながら男は思い切り力を込めた。ただでさえ細く弱々しい少女の腕に、男が自身の魔法で強化したであろう腕力は過剰と言っていい。
バキッともベキッとも聞こえるような音がその場にやけに鮮明に響いた。
「っ!? っあぁぁあああ!!」
自身の口から出たとは思えないほどの大声で少女は力の限り叫ぶ。
痛い、なんてものじゃない。
(あつい。熱い。熱いっ!)
思い切り見開いた目から大粒の涙がこぼれ落ち、身体が勝手に仰け反る程に、痛みと熱さがない交ぜになったようなわけの分からない激痛が右腕を通して襲いかかってくる。ひどく歪んだその表情は見ている側の腕まで痛く感じてしまいそうだ。
「はい二本目」
またも絶叫。少女の凄絶な様子など知らないとばかりに男は左腕にも手をかけ、それを実行。占めて四回。その非道な行いを終えた頃には少女は失禁しぐりんっと白目をむいて気を失っていた。
「おいおいおい、そいつ死んでねぇだろうな?」
「笑いながら言うことじゃねえよ。ほんと勘弁してくれ、苦手なんだよこういうの」
「血は出てねぇぞ?」
「そういうことじゃあねえよ」
ニヤニヤと笑いながら問うリーダー格の男に対して男の表情は良くは無い。興が冷めたと焚き火の方へ向かい酒盛り組へと加わっていく。
残った面子を眺めながらリーダー格の男は口の端をこれでもかと上げ、その全員が同じようにニィっと笑うのを見届けてから言ってのけた。
「さぁ、やるか」
――あれ?
なに、してたっけ?
あぁ、そうか。わたしは、つかまって……
つか、まって、それ、から……?
(……揺れ、てる?)
ゆさゆさと身体が揺すられるような感覚。
何かしらの理由で意識を失っていたのか。
その理由がなんだったか思い出せないまま、おぼろげな意識の中パズルをひとつ、またひとつとはめていくように少女は感覚を取り戻していく。
そうしてゆっくりとまぶたを開いた瞬間に刀傷を負った厳つい顔。それが鼻息が当たる程近く、視界いっぱいに入り込んできた。
「きゃあぁぁ!?」
心臓が止まるかというような突然の驚愕。
その思わぬ出来事に動揺した少女は目の前の顔を右の手で思い切り叩いてしまった。
「ぐっ……いてぇな、ごらぁ!!」
直後、刀傷の男は逆上し自身の最低で下劣な行為を中断。少女を地面に叩きつける。
そして少女は痛みに喘ぐ暇も無く腹を蹴りつけられた。
蹴りつけられたのだと、そう思う。
少女の中でそこが判然としないのは、蹴りの直後その小さな身体が吹っ飛び、近くの壁に爆音を上げながら激突したからだ。
(なに、が……?)
何が起きたのか、分からない。
自分が今上を見ているのか。それとも下か、横か。前後左右も不明確で飛んでいるのか落ちているのか転がっているのか這いつくばっているのかすらも分からない程に。意識が、視界が、グラグラと揺れてしまっていた。
「あっ……あえ……ぁ……んぅ! んぶ、ごふっ……」
身体から押し潰されるように漏れ出ていった空気を求めるように喘ぐと、喉に引っ掛かりを覚えて堪らずそれを吐き出す。
びちゃっべちゃあっと口から大量に飛び出したそれは赤黒く地面を染め上げた。
吐き出した物が自身の血であることにすら意識が行かず空気を求めて、ぜひゅぅっぜひゅぅっと荒く、普通とは思えない呼吸を繰り返している。
「うーわぁ。コイツやりやがった」
「はぁ? おいおいマジかよ俺の番まだなんだぜ?」
「こりゃもうダメだな。解散解散」
「意識戻ってからが本番だろうがよコラ」
「こいつがいきなりビンタしてくるのが悪りぃんだよ!」
「だからって魔法使うなよ。お前のだと確実に死ぬだろ」
「てーかなんでビンタだよ? 両腕イってたろ? あいつ」
ならず者達は口々に刀傷の男にダメ出ししながらその場を去っていく。少女がどうなろうが知ったことでは無いということだろうか。
誰がどう見ても致命傷。少女の状態を一言で言うならそれが適切だ。
身体は力無く地面に横たえ、四肢もだらんとしていて動く気配は無い。鼻からは血がポタポタと流れ落ちているし、口の端からちろりと覗く舌からもそう。呼吸に合わせて赤い液体が溢れていく。
「あえあ」
誰か。
「……あえ……あ」
誰か。
「あえ……あぁ……」
誰か。
「あう、え……えぇ」
誰か。誰か助けて、と。
ぜひゅぅっと荒くしていた呼吸はいつからかひゅうぅっひゅうぅっと弱々しく、微かなものへと変わっていた。正に虫の息というやつだ。しかし少女はなけなしの命を吐き出しながらも、身体の内側を目まぐるしく駆け巡る熱に負けじと力の限り助けを呼ぶ。声を上げる度に、口からは血の泡がぶぶぶ、と弾けていた。
それがまるで何の意味も持たないのだろうということは端から見れば一目瞭然で、すでに足掻く意味は無いのに等しい。
もしもならず者達がこの光景を見ていたのなら笑いながら言うのだろう。滑稽だと。
それでも少女はそんなことは関係なく、出来る限りの、精一杯の声で、言葉にならなくても、誰にも届かなくても、もし届いたとして全く見向きもされなくても。それでも少女は心の底からの叫び声を上げるのだ。
声にならない声で。
助けてと。
苦しくて。痛くて。辛くて。熱くて。怖くて。失いたくなくて。死にたく、なくて。叫ぶ。
その必死で懸命でひたむきな、尊く、切実な、狂おしい程の努力も虚しく、現実とやらはいつも非情で。
身体の中で渦巻いていた熱い、熱い熱はやがて、ゆっくりと、じんわりと、ゆったりと、ゆるりと。
ぬるく。ぬるく、なっていく。
(そっか……死ぬんだ、わたし)
少女は自覚する。自身の人生が、そう長くない内に終わりを迎えてしまうことを。
少し前までの少女であれば、『その時』が来てしまうと思ったのならそれでもいいかと諦めていたのかも知れない。ここまで本気で、助けを求めることも無かったのだろう。
(生きたいって、思えたのになぁ……)
身体の感覚が無い。聴覚はすでに失われているのか、完全な無音。いつも煌めくような輝きを見せていた深紫の瞳も虚ろでくすんでいるように見え、少女の視界は無いに等しい。
鼻は血で塞がっていて匂いを嗅ぐという行為自体、今の少女には難しい。出来ても何も感じないのかも知れないが。
そんな極限の状態の中で、少女は不思議な気持ちになっていた。
それは苦しいような、悲しいような、切ないような、怖いような、ものが。しっとりと、染み込んで。狂おしく、掻きむしりたくなる程に哀切で。
しかし同時に安らぐような、溶かされるような、嬉しいような、落ち着くような、満ち足りるような。ふわりと、浮かび上がるような心地よさ。
「ふぅ」
ひとつ、ため息。それが何を意味したのかは分からない。しかしそれが最後だった。
そのため息を最後に、少女は息を辞めた。






