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餓えの果てに

 少女がパンと林檎の芯を食事とした日から、数週間が過ぎようとした頃。


 その日少女は、いつも通い詰めていた場所でなくスラム街から更に離れた、表通りに程近い裏路地でゴミ箱を探していた。

 別にただの気まぐれで遠くの方まで遠征してみようと思ったわけではない。


「はぁ……そろそろ葉っぱじゃない物、食べたいなぁ……」


 疲労困憊(ひろうこんぱい)。やっとの思いで見つけたゴミ箱も、中を覗き込み目当ての物が無いことを確認するとため息をひとつ。隠しきれない落胆を言葉に乗せて項垂れてしまう。


 まるでダンジョンの隠し通路、その最奥で輝く宝箱に嬉々として手を伸ばしたら実はミミックでしたと言わんばかりの落ち込みようだ。

 少女には理解出来ない例えではあるが、少女と冒険者の哀愁漂う背中からは、きっと似たような物を感じるに違いない。生を求めるか富を求めるかの違いはあるのだろうが。


 そう。少女はあの日以来雑草以外の物を口にすることが出来ていなかった。

 これもまた、スラム街から出るのが嫌だから寝ていただとか、雑草で生きていけるんじゃないかと試しただとか、そういった事ではないと断言する。

 むしろ少女は食料を求めてゴミ箱を漁りに出なかった事が記憶に無いと言える程には、毎日長い道のりを歩き続けてきた。


 普段通う場所は少女の少ない体力でも、なんとか余力を残す事の出来る、それでいて食料もそれなりに手に入る絶妙なスポットだった。

 その分競争率も高いと言えたが、少女は長く暮らしてきた事による経験則で他の住人達が通わない時間帯、そしてそこに残飯が捨てられる時間帯を上手く擦り合わせてちょうど良いタイミングを割り出していた。


 ならば何故、食料を手に出来ずにいるのか。これには、スラム街内のグループの存在が大きい。

 スラム街にはたまに家族を、財産を、自身の居場所さえも失い茫然自失(ぼうぜんじしつ)としながら流れ着く余所者の存在がいる。

 大抵はこのきびしい環境に耐えきれずに表通りへと足を運びダメになる者がほとんど。だがまれに柔軟に順応し生きていく者もいた。

 そうした者達は元々の住人より体力も気力もあったが故に、ある程度余裕の持てる暮らしをしていたりする。


 そんな中、その男は現れた。元は商人だったと言う男は、スラム街にふらりとやって来ると長年上手く生活をしてきた者達に声をかけ、数人を自分の仲間に引き入れたのだ。

 最初の内は引き入れた住人達の下に付いて行動していたが、いつの間にか男が中心となると、スラム街を取り巻く状況は一変した。


 今まで住人はそれぞれその日の自分の分の食料だけを確保することに専念し、他人は他人としていた。対して男が作ったグループでは手分けして裏路地を探し回り、全員分の食料、それも数日は食べるのに困らない量を確保することに成功していたのだ。

 男が散策と名付けたグループでのそれは、その日の食料を総取りするのと大差無いもの。


 当然、他の住人達が黙ってはいない。

 いつか少女にしたように、力ずくで食料を横取りしようと躍起(やっき)になる。が、男は住人の中でも腕に覚えのありそうな者や頭の回りそうな者に声をかけていたらしく、グループで守りながら消費される食料に手をかける事は叶わなかった。


 食料を横取り出来ないとなるとやはり住人達は自分で食料を確保しなければならない。男のようにグループを作るパターンと今までのように自分の食料だけ取りに行くパターン。

 少女は後者であるため、食料を確保するのは困難を極めたのだ。


 パンと林檎の芯を手に出来た日の事は、奇跡と言っても過言ではなかった。


 少女はいつまでも項垂れている訳にもいかないと、食料探しを再開する。いつもよりずっと早くスラム街を出たため、日没までにはまだまだ時間があるはずだ。

 今日こそは草を食むだけというのは避けなければならない。

 それは体力の限界をひしひしと感じ取っている少女の決意と言えた。



 ……どれ程探し歩いただろうか。少女の足取りは重い。

 それが疲労から来るものだけでは無い事は、悲痛に歪んだ表情からも察することが出来た。


「もう一ヶ所……もう一ヶ所だけ見たら、帰ろう」


 とぼとぼ、ふらふら。とぼとぼ、ふらり。

 歩く。歩く。歩く。

 動かなくなりそうな足を奮い立たせ、自身の体力をこれでもかと振り絞りながら移動した少女は、今日最後と決めたゴミ箱の蓋に手をかける。

 少し迷うように視線を泳がせていたが、ひとつ頷くと一気に蓋を取り、覗き込んだ。


 ジッ……と中身を見つめていた少女は不意に身体から力が抜けたようにぺたり、と女の子座りで崩れ落ちてしまう。


 何も無い。

 何も、無かった。


 空のゴミ箱はまるで少女の行動を否定し嘲笑うかのよう。

 それは今までの生活ですでに亀裂の入っていた少女の心を粉々に砕くには申し分ない威力を持っていた。


「ぁー……」


 心と身体、両方が限界を越えてしまった少女は、崩れ落ちた姿勢そのままに、意味の無い声を(よだれ)とともに垂れ流しながらぼぅ……と斜め上の虚空を見つめる。


 十分。二十分。いや、もっと長い時間か。

 いつの間にか表通りの方から、少女にとっての時間切れを告げる夕日が差し込んでいるのにうっすらと気が付きつつも、少女はまるで意味の無いその行為をやめることが出来ないでいた。


(死ぬ、のかな)


 目的の食料は収穫無し。限界をとうに越えた餓えを凌ぐことも叶わない中気力も体力も空っぽで、日没までにスラム街へ帰れる事も無いだろう。

 今まで死ぬかも知れないと言うような目には何度も遭ってきた少女だが、今日程これは死んだだろうなと思う日は無かった。


 じわりと視界が滲んでいく。生きる意味は分からなかったが生きる事を諦めはしなかった。毎日必死に食料を探し続けたのがその証拠だ。

 しかしそれももう終わりかもしれないと、諦めかけた時。


 不意にこつり、と何かが足に当たったような気がして顔を向ける。


「…………りん……ご……?」


 呟きながら、自分の見たものが信じられないと言うような表情で目にしたそれを手に取った。


 太陽の恵みをたっぷりと浴び、赤々としたそれは地面を転がって来たせいで所々傷付きながらも、少女にとっては見たことも無い程綺麗な状態で夕日に照らされその存在を主張するかのように輝いている。


 頭が真っ白になりそうだった。


 林檎くらいは少女も見たことは何度かある。しかしそれはこの間の芯だけになった物だったり腐ってダメになった物ばかり。

 今まで毎日どれだけゴミ箱を漁っても見ることの叶わなかった程綺麗な林檎。


 それが今、どういうわけか小さなふたつの手の平に収まっている。


 考える必要は無かった。

 あるのは今ここに、自分の手に探し続けた食料が有って、しかもそれが今まで食べてきた何よりも極上な物だろうという事実のみ。

 林檎ひとつ。それは少女の餓えを癒すにはあまりにも頼りない。それは変わらない。

 それでも、さっきまでの頭がおかしくなりそうな程の絶望はなりをひそめる。心が、身体が、歓喜しているのを感じた。



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