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少女の日常

 当時世界で一番栄えていた王国、ヴァナフィム王国。

 その王国のとある都市のスラム街で、少女は独りで生きていた。


 服は無い。ボロボロになり、身に着けるにはあまりに心許ない布切れ一枚。それが少女の身に纏う物だった。

 髪は土にまみれたような、黄土色とも茶色とも言えない色で染まり、腰辺りまで乱雑に伸びたまま手入れされていない。手足は細々としていて歩く姿ひとつ取っても弱々しく、いつ倒れてしまっても不思議では無い程。

 唯一、煌々と輝く深紫(こきむらさき)の瞳だけが、確かな存在感を放ち少女がまだ生きているのだと確信させる。


 都市の街の裏路地、スラム街から三十分程の、少女が歩けば一時間以上かかる道のりをふらふらと歩いてやって来てはゴミ箱に捨てられた残飯等を漁り、餓えを凌ぐ毎日。


 表通りへは出ない。

 スラム街で暮らす者達とそうでない者達との違いは、この都市ではあまりにも分かりやすかった。

 店に並ぶまともな食料や仕事を求めて表通りへ出た者の末路は、スラム街に置いてさえ仲間の居ない少女の耳にも届いていた。そのどれもが悲惨、のひと言。


 同情はする。他人事と言えるものでも決して無い。

 けれど、短くはない時間をスラム街で過ごしてきた少女は分かっていた。

 今の状態も普通の人に言わせればとても生きている、とは言えないのかもしれない。しかし少女は出来もしないことのために危険を冒すような愚行に走るつもりは無い。

 そこにあるのは1%にも届かない絶望的な希望。そして確実な私刑。

 やるだけ無駄。少女は分かっていた。


 いつからスラム街に居たのかは分からない。物心がついた頃には少女はすでにここに居たのだ。

 故に少女は親を知らない。自身の歳も名も知らない。生まれた意味など、それこそ知るよしも無かった。


 スラム街の地面に横たえた身体を起こしては力の入らない足を引きずりながら歩き、躓いて転び、ふらりと起き上がってはまた歩く。

 そうしてようやくたどり着いた裏路地でゴミ箱を覗き込む。

 そこには落としてダメになったであろうパンがひとつと、芯だけになった林檎がひとつ。それ以外の物はどうにもならないと、見つけたそれらを手に取り力無く微笑んだ。

 戦果は上々。ここしばらくの間はそこらに生えた雑草を、経験則から適当に摘んで食んでいただけの少女にはご馳走の部類ですらあった。


 手にした食料を纏っている布で隠し、ふらふらと来た道を戻る。道中で手頃な場所に身を潜め、周囲に誰も居ないことを確認すると少女は今日の食事に没頭した。


「いただきます」


 食前と食後のあいさつ。

 意味は知らないが、スラム街の者からも、表通りの近くの裏路地で聞こえて来た会話からも耳にしたそのあいさつは、きっとどこへ行っても同じようなものだろう。

 意味が分からないながらにするあいさつ程意味の無いものもないかも知れないな、と思いながらも、少女は収穫があった日の食事にはそれを食べられる感謝を込めて、それを言うのが習慣になっていた。


 出来るだけ汚れを払いながら味付けの無いパンを口にし、誰かの歯形が付いた芯だけの林檎にガジガジと自身の歯形を上書きしていく。


「ごちそうさまでした」


 スラム街に戻ってからの食事は危険だ。無事に食事を終えるよりも、口をつける前に取ってきた食料を他の住人に横取りされることの方が、経験上多い。多過ぎると言ってもいい程なのだ。

 表通りには出ない。食事はスラム街に戻る前に済ます。

 スラム街で長く暮らした者にとって、暗黙の了解とも言える当たり前の事を、少女もまた当たり前のように行う。


 林檎の芯は名残惜しいが捨てていく。芯欲しさに持って帰って住人に襲われ、挙げ句奪われては目も当てられない。

 少女は自身の体力の無さを自覚している。下手に暴力沙汰に首を突っ込んでしまえばきっと死んでしまうだろう。

 これも、少女は分かっていた。


 食事を終えると少女は残りの道を歩く。日没までに戻らなければ、明かりを確保出来ない少女はスラム街に辿り着けなくなってしまう。そうなってはいつ、何者に襲われるか分からない。


 この都市ではスラム街の中にさえ居ればそこの住人以外からは何かをされる事はない。表通りで普通に暮らす者達も、わざわざこんな廃退した場所に来てまで住人を脅かすような事は、したくも無ければするまでも無いのだろう。獣の類いですら、近づかないのだから。

 住人も、下手に干渉したり下手な物を持ってなければ、特に何もしてこない。お互いに仲間内以外の者には干渉しないのが1番良いのだと理解しているからだ。


 長い時間をかけてスラム街へ帰って来ても、仲間の居ない少女には正直な話、居場所は有って無いような物。

 体力が無く、自身の食料さえ満足に確保出来る事の少ない少女は、生きる事に必死な住人にとっては仲間に入れても邪魔になる。少女は独りだった。

 少女は誰の邪魔にもならないようスラム街の隅で小さく丸くなると、しばらくの間は空腹で寝られない様だったが、次第に疲労に負けたのか静かに眠りにつく。



 スラム街で起きて、裏路地で食料と言う名の残飯を漁り、帰りの道中でそれを食べ、スラム街へ帰り、独りで寝る。


 それがこの少女の日常だった。


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