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8月10日 ~色々ありすぎて悩みが尽きません~

 八月十日。


 朝の日差しは、容赦なく降り注ぎ、道路のアスファルトから立ち上る熱気で咽そうになる。

 春頃、今年の夏は、涼しくなると的外れな予報をしていた気象予報士が恨めしい。

 健太は、弓道用の道具一式を持ち、一人で学校へ向かっていた。


 朝になって朱里は頭が痛いと訴えて、起き上がれなくなってしまったのだ。

 本人は、大丈夫だと言って譲らなかったが、真っ青な顔で痛みを堪える様は尋常ではない。

 原因は、確実に魔法の行為であろう。

 朱里本人は認めていなかったが、体調に急激な変調を与える要素は、それしか考えられなかった。


 健太も、彼女の体調が治るまで、家に居た方がいいのだろう。

 しかし考えてしまうのは、もしも健太が家に居る時、何か起きてしまったら?

 学校に居る時、隕石まで降ってきたのだ。

 家に居るから安全とは限らない。


 朱里だって今の状態で魔法を行使したら、どんな影響が出るか分からないし、最悪死に至る事だってあり得る。

 家には両親もいるから、出来るだけ自宅で過ごす時間を長くしたくはなかった。

 もちろん学校に行って、友人たちを巻き込みたいと思っているわけではない。

 

 なのに足は、自宅から遠のいていく。

 死ぬ事は怖いが、誰かを巻き込んでしまう事は、もっと怖いはずなのに。


 家族か。


 友人達か。


 巻き込む方を選んでしまえている自分がもっとも恐ろしかったし、えづく程に不愉快だ。


「ケンちゃん。おはよう」


 思案に沈み込んでいた意識を親しみのある声が引き上げてくれた。


「春さん」


 まだ七時半だというのに、両手いっぱいに買い物袋を提げている。

 町の商店街には、早朝から開いている店もあり、春さんは時たまそういう店に出かけて数日分の買い物を済ませてしまう。

 彼女曰く、朝の方が身体を楽に動かせるらしい。

 健太は、春さんの手から荷物を全部受け取って微笑んだ。


「家まででいい?」

「ありがとね」


 ほっこりとした笑みを春さんも返してくれる。

 健太が朱里を置いてきたのは、春さんが早朝の買い物に間に合わせたいという思いもあった。

 もしかしたらもう二度と春さんと会えなくなるかもしれない。

 大切な人たちと、出来るだけ多くの時間を過ごしたいと欲が出て来たのだ。


「悪いわね。まだ学校まで少し時間あるでしょ? よかったらお茶飲んで行って」


 一緒に居ない方がいい。

 いつ健太に災難が降りかかるとも分からないのだから。

 でも、この人とだけは一緒に居たい。

 そんなわがままを振り切る事が出来なかった。


「ありがとう。御馳走になります」


 春さんが住んでいるのは築五十年の平屋である。

 一人住まいには、少々手広で使っていない部屋も多い。

 荷物を運び終えた健太が濡縁ぬれえんに座って待っていると、春さんが麦茶の入ったコップをお盆に乗せて持ってきてくれた。


「まったく歳は取りたくないわ」


 コップを渡しながら春さんは、健太の隣に腰掛ける。

 健太は、掌に伝わる冷気を楽しんでから、麦茶を一息に飲み干した。


「この前は、歳を取るの良いって言ってたじゃん」


 健太がそう言うと、春さんはお盆を抱きしめながら頷いた。


「そうだね。歳を取る事は怖くないよ。ただ私は。どうしてこんなに長く生きているんだろうって」


 春さんの目は、遠い空の奥を見つめるようだった。

 先立てしまった友への哀愁が瞳の底できらめいている。

 時折、悩んでしまう。

 年上を励ますには、どんな言葉をかければいいのか。


「そんなの……春さんが丈夫だからじゃない?」


 気の利く台詞が浮かばない十五歳の語彙力が恨めしい。

 一世紀生きている人間を励ます言葉など紡げるはずもなかったが、春さんは嬉しそうに唇を緩ませている。


「時々思うの。何かお役目があって生かされてるんじゃないかって」

「お役目?」

「そう。でもね」


 春さんの表情から、いつも賑わっている微笑が消え失せた。


「そうでなかったら百年も無為に生きてるだけなのかなって」


 百年という時間の重さに想像が及ばなかった。

 膨大なうねりを生き、たくさんの人を見送り、時代の変革すら見届けている。

 健太が彼女と同じように生きたのなら、出会えるのだ。

本来の時代を生きる朱里とも。


「死ぬのは怖くないの。意味もなく人生が終わるのが怖い。百年も生きちゃうとね。それだけが怖い」


 長く生きてきたからこその畏れ。

 いつ終わるのか分かってしまった恐れ。

 健太と春さんのそれは性質が異なるが、しかし終わる事を見据えている事に違いはない。

 だからこそ伝える言葉あるとするなら――


「意味はあるよ」


 春さんが居たからこそ、健太の人生は楽しかった。

 だから因果に負ける事を名残惜しいとも感じているのだ。

 自分が死ぬ事で両親や春さんを悲しませたくないから生き延びようと思ったのだ。

 彼女が生きた意味はきっとある。

 無駄にしないためにも、その意味の一つである健太は、生き延びなければならない。

 だから、これは自分へのエールでもある。


「俺、春さんと居て楽しいもん」

「ありがとう。ケンちゃん」

「あ、居た!」

「朱里――」


 ――でも一人じゃないから難しいんだ。


「もう!! 勝手にどっか行かないでって言ったでしょ!」


 どんな運命が待っていても立ち向かって生き延びる。

 物語の主人公ならきっとこんな月並みな台詞を吐いて戦うのだ。


「ああ」


 健太を苛むのは、朱里を犠牲にしなければならない時が来るかもしれない恐怖だ。


「悪い」


 朱里の選ぶ答えは決まっている。

 健太が何を言おうとも、きっと自分を犠牲にするはずだ。

 いや、既に犠牲にしているのだ。

 人生の全てを置き去りにして、未来ではなく過去を選んだ。


「油断してた」


 なら健太の答えは?

 朱里の危機を前にしてどうするべきなのか?

 甘んじて朱里の死を受け入れて、守られるべきか。

 それとも彼女の覚悟すら踏みにじって運命を受け入れるのか。


「じゃあ春さん。俺はこれで」

「ええ。またね」


 この命が自分だけの物でないと思えば思うほど、二択の鎖が健太の心を締め上げた。

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