8月9日 ~真実は、とっても血なまぐさかったです~
「食人って……人間が、人間をって事?」
想定外の真実に戸惑う健太と朱里を尻目に、朝倉は剃髪された頭皮を指の腹で撫でながら続けた。
「三十年前、この町の歴史について、ある大学が調査を行った事がある。そういう伝承があるとどこかで聞いたか、何かの資料に見つけたのかは分からないけどね」
「証拠はあるんですか?」
朱里が問うと、朝倉は苦笑した。
「あるんだよ」
「まじっすか?」
健太の気持ちは、まだふわふわとしていて、朝倉の言葉を飲み込む事が出来ない。
見かねたように朝倉は破顔して、
「まじでだよ」
さらに続ける。
「うちの蔵に当時を記録した書物がある。しかしいくら過去の事とは言え、食人行為が七百年前に行われていたと認めるのは、辰原のイメージを著しく損ねる」
「確かに。人間食べてましたなんてな……」
「だから私は、当時の久保田町長から資料の隠ぺいを頼まれたんだ」
「じゃあ資料は?」
「残ってるよ。彼等には見せなかっただけ。何せ調査チームの裏には、テレビ局が一枚噛んでいたらしくてね。当時の怪奇ブームには絶好のネタだ。しかも作り物ではない、確かな証拠があるんだからね」
健太もケーブルテレビの再放送で、その手の番組を見た事があった。
放送された内容の殆どが眉唾物だったが、実際に行われていた証拠のある辰原の食人行為は、確かに格好のネタだろう。
「観光資源になるのでは? という意見もあったけど、やはり反対論の方が多くてね。中長期的に見れば町のイメージダウンは避けられない」
「正直俺も今引いてるもん」
「私もちょっと引いてます」
「だろ? 各路線が乗り入れする東京のベッドタウン。その一点のみが、この町の最大にして唯一の資源だ。食人伝説のある町に住みたがる人間は、そう多くない」
「だから隠蔽したんすか?」
「好奇心と短絡的な視聴率のために、町ひとつ犠牲にしてもいいっていうテレビ局と、学問を志す者が金に転んだ事が気に入らなくてね。悪い事とは知りつつも、私は隠蔽に加担した」
朝倉は大罪を犯したかのように語っているが、健太ならば罪悪感の一つも抱かずそうしただろう。
この町が好きだから。
この土地を愛しているから。
他人の好奇心を満たすためだけに、住処を踏み荒らされるのはごめんだ。
「君たちはどうする? 真実をネットに上げるかい?」
「いえ俺達は――」
真実は知りたい。
でもそれを人に話すつもりはないし、きっとそんな資格はない。
健太と朱里と朝倉の、三人の胸にしまっておけばそれでいい。
「そういうつもりはないです」
「なら、どうしてこの件について調べるんだい?」
健太も朱里も言葉を発する事が出来なかった。
朱里の事や健太の因果の事を話してもきっと信じてもらえない。
神主という立場上、普通の人よりは、そうした不可思議な現象について理解があるかもしれないが、常識的に考えて高校生の悪ふざけと取られかねない。
朝倉の許しを得るのに必要なのは、何を言うかではない。
どんな想いを伝えるかだ。
「俺自身のためです」
健太の答えに、朱里は異を挟まなかった。
彼女もこれ以上は、ないと判断したのだろう。
「なるほどね」
「ダメですか?」
「訳ありだけど、連中みたいなのとは違うね。分かった。協力するよ」
朝倉は、健太と朱里を手招きしながら歩き出した。
二人が後をついていくと、社殿の裏手に小さな蔵が建っていた。
朝倉が南京錠を外し、蔵の扉を開けると、年代物の埃とカビが躍り出て、健太の鼻と喉を痛め付けてくる。
朝倉は、手で埃を払いながら蔵の中に入り、一冊の古びた巻物を持って出てきた。
「これは当時辰原を訪れた人達の伝聞をまとめた物なんだ。それじゃあ最初から読めばいいかな?」
「俺らは読んじゃダメなんですか?」
「構わないけど、多分読めないよ。数百年前の文献だからね」
朝倉は、紐を解いて巻物を見せてくれる。
文字がぎっしりと書き留められているが、当然ながら健太が普段目にしている物とはまったく別種だった。
まるで異国のそれに等しく、英文を読まされる方が余程その意味を理解出来るだろう。
「ミミズがのたくってるようにしか見えねぇ」
「もう訳わかりませんね。これ字なんですか?」
「達筆と言ってくれないかな……まぁ全部読むと長いから、かいつまんで説明しよう」
現代っ子と未来人の酷評に肩を落としながら朝倉は、巻物を読み聞かせ始めた。
その内容は、こうである。
七百年前、今は辰原と呼ばれる村である奇病が流行っていた。
村人たちは、意志が薄弱となり、会話も要領を得ず、食事もある特定の果実以外を食べる事はなかったという。
果実というのは、アケビに似ていたが冷めるように青く、普通の物とは違うらしい。
村人たちは夏場に冷やした瓜を齧るかのように、その実を貪り喰っている。
村の外から来た人間はどんな味かと思い、青い実を口にしようとしたが、村長からひどく叱られたので誰も口にする事はなかった。
村長は、黄金の髪と白い肌を持つ異人だった。
異国の言葉を話す事はなく、生来の日本人同様に日本語を操ったと伝えられている。
村中に青い果実は生い茂っていたが、不思議とそれ以外の作物はなく、村の畑の土は熟れた果実のような臭いがしており、むしろ一種類だけでも育つ作物があるのが不思議だったという。
異人の村長と青い果実と村人の奇病。
奇怪な辰原に立ち入る者はやがて減り、孤立した村では奇病と不作が数年続いたがある時期を境にぱったりと収まった。
そして、それと同時に村長と十七歳の青年の二人が姿を消してしまったという。
噂では疫病を払うための贄として村人は、村長と青年を惨殺し、青年は、その肉を喰らわれたのだ。
「まぁ要約すると、こんな感じの内容だね」
朝倉は、読み終えた巻物を結びながら、唖然としている健太と朱里を交互に見ながら続けた。
「この資料の書かれた時は、数え年だから、青年は、今でいう十五歳か十六歳だね。ちょうど君たちと同じ年ごろかな」
「俺と同い年?」
「多分ね」
資料の青年と健太の境遇は、偶然の一致とするには出来過ぎている。
健太の魂が死に続ける年齢と、喰われた少年の歳が同じなら何かしらの因果関係があるはずだ。
しかし謎は、解明されるどころか、むしろ深まったとさえ言える。
健太が無言で考察に勤しんでいると、朝倉は自嘲気味に口元を緩ませた。
「こんな物出されちゃまずいって考えた町長の気持ちは、分からないじゃないだろ?」
「確かにやばい内容っすね……」
だが同時に興味深くもある。
尋常ではない町の歴史が朱里の話に信憑性を与えているからだ。
「ありがとう神主さん。参考になったよ」
「また読みたくなったらいつでもおいで」
二人が神社を後にした頃には、既に日は傾きかけており、暴力的なまでの日光も幾分か柔らかくなっている。
自宅へと向かう道中、健太と朱里に会話はなかった。
朝倉が読んでくれた資料の内容をお互いに反芻し、理解しようと努めているからだ。
奇病。
青い果実。
殺された村長。
喰らわれた青年。
健太の魂を縛る因果と辰原の歩んできた歴史が繋がっているのは間違いない。
七百年前にあった何かが、桐嶋健太の魂を蝕み続けている。
現状ではヒントも少なく、答えを得るには至らなかった。
何の情報もなかった昨日に比べればマシでも、神社の巻物から得られたのは抽象的な単語から推察出来る断片的な情報に過ぎない。
誕生日まで今日を入れても、あと四日間。
もう日暮れだという事を考慮すれば、実質的にはあと三日だ。
明日にも致命不可避の試練が待ち受けているかもしれない。
残された時間は極小。
それでも普段の暮らしを変えるような真似はしたくなかった。
確実に生き残れるという保証があるわけではない。
だから怯えて暮らしていては、最後のその時きっと後悔してしまう。
「朱里、もみじに行っていいかな?」
「今朝も言ってたね。もみじってなんなの?」
「デイケア施設だよ。母さんが雇われ施設長してるんだ」
「まっすぐ家に帰った方がいいと思うけど」
健太だけの問題ではない。寄り道をするという事は、朱里にも負担を掛けるという事だ。
それを理解出来ないほど、能天気な頭はしていない。
「負担掛けるのは分かってる。でも母さんとの約束だし、普段通り過ごしたいんだ」
だけど叶うのならば。許してくれるのなら。
「分かった。付き合うよ」
きっとそう答えてくれると知っていて、卑怯な提案をしたのだ。
健太にとって日常は、この上なく大切なものだし、朱里にも健太がどういう日々を過ごしているのか知らせたかった。
もしも命を落とした時、桐嶋健太という人間を朱里にだけは思い出してほしかったから。
たった一人、この世界で真実を知っている人に。