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8月11日 ~魔法の真実~

 ――今なんて?


「親父」


 ――なんでそんな事を言う?


「何言ってんだよ! 朱里だよ!」


 ――またいつものおふざけかよ!!


 だが、困惑する朱里を見る重蔵の瞳に、いつものからかいの色はない。


「ごめんね。会った事あったっけ? 面目ない。忘れっぽくてなー」


 本当に朱里と初対面であるかのようだ。

 わざと知らないふりをしているのではない。

 こういう人を無視するような意地悪は、絶対しない人間であると健太は知っている。


「ほんとに彼女を知らない?」

「ごめんな。ほんとに思い出せないや」

「いえ、お気になさらず」


 朱里は、笑顔を浮かべ、いつも通りの様子に見える。

 けれど笑顔を作っているのも、平静を無理やりに装っているのも分かった。

 阿澄朱里が全てを捨ててまで作り上げた虚構は、砂の城よりも容易く消え失せたのだと、見せつけられている。




 ――どうして?




 ――なんで朱里を覚えていない?




 ――どうなってる?




「どうかしたか健太?」




 ――どうかしてるよ。どうなってるんだ。教えてくれよ。




「別に……」

「そうか? まぁせっかく迎えに来てくれたんだ。一緒に帰るか」


 重蔵の提案で四人は、新宿駅から電車に乗り、辰原に着くまでの道中、


「朱里ちゃんって言うのか。よろしく」


「健太と付き合ってるのかい?」


「こりゃ失敬。おっと!? 舞香ちゃんの嫉妬の炎がここで爆発か!?」


「しかし健太モテモテだな。父さん羨ましいよ」


 朱里の事を興味深げに聞いてきたが、


「あれ朱里ちゃん?」


 電車が辰原町に入った途端、重蔵の反応が変化した。

 朱里に向けられる視線が舞香に対するそれと同じ、見知った相手に向けるものになっている。


「いつから居たの? 気付かなかったぁ」

「父さん……朱里ならずっと居たじゃん」

「そうだっけ……」

「そうだよ……」

「あれ? 疲れてるのかな?」


 重蔵は、目頭を人差し指と親指で揉みながら、


「そうだ」


 声を上げた。


「お前明後日誕生日だったな。何が欲しい?」


 欲しいのは、重蔵の反応に隠された真実だ。

 けれどそれは、重蔵からは得られない。

 朱里が来る前は、ゲーム機とかスマホとか、欲しいものはたくさんあった。

 でも、物欲なんて、霞のように消え失せてしまった。


「いらない」

「そうか。小遣い浮いて助かるわ」


 辰原駅を出てから健太は、舞香を家に送っていくと言い、重蔵と別れた。

 駅から舞香の家に向かう帰り道は、既に日が沈みかけており、仄暗い橙色に覆われている。

 舞香が見せたかったのが、重蔵の反応であるのは、間違いない。

 だが問題は、なぜ重蔵が辰原の外では朱里を忘れてしまうのか、どうして舞香には、それが予見出来たのかだ。


「佐久間――」


 考えても分からない。お手上げだ。

 健太の降伏宣言を全て聞く事なく、舞香は言った。


「朱里さん。あなたが魔法だと思っている力は、あなたの力じゃない」


 朱里は、屋で射抜かれたように、硬直し、足を止めた。


「この辰原町の力よ」

「町の力?」


 朱里は、舞香の言葉を完全に咀嚼出来ていないようだった。

 しかし舞香は、構わずに説明を続ける。


「そう。贄となった少年か、あるいは灰色の煤が残した力。奇跡の残滓。悪意の欠片。これはある種の特有の力場なんだけれど、触れられないし、目には見えないし、聞こえない。人類が持ち得る技術の一切で観測し得ない形のない、そこに漂うだけの力」


 随分抽象的だ。

 それでもある一定の説得力を感じさせるのは、舞香の教えてくれた数々の事実と健太と朱里の経験故だろう。

 辰原町の外に、サフランを買いに行った日。

 朱里は、魔法を使えず、危うく車にかれかけた。

 新宿で重蔵に会った時も、彼は朱里の事を忘れてしまい、辰原町に帰ってきた瞬間、朱里に関する記憶を取り戻した。


「じゃあ朱里の魔法は、辰原町限定で、町の外だと使えないし、魔法の影響そのものが消え失せるって事か?」

「そういう事。漂う力の影響力をどういう風に行使するのか。どのように発現させるのか。その決定権があなたに委ねられている」

「漂う力って具体的にはどういうもんなんだよ。調べてんだろ?」

「一応はね。でも観測出来ないから、あるだろうという推測でしかないの。だけど朱里さんの事と、さっきの実験で存在を確信出来たわ」


 灰色の煤か、あるいは健太の前世の青年が残した置き土産という所だろうか。

 ならば朱里が出会ったという竜は、一体なんだろうか?

 辰原の竜信仰と関係するのは、間違いない。

 もしかしたら舞香ならば知っているかも。

 その場合、朱里が力を授けられた経緯を舞香に話す必要がある。


 ――話しても大丈夫?


 視線でそう語りかけると、朱里は、暫し考え込んでから頷いた。


「佐久間。信じられないかもしれないけど、朱里は未来から来たんだ。八十年後の」

「未来から?」


 数瞬、訝しんでいた舞香だったが、やがて平静な表情を取り戻した。

 灰色の煤や漂う力が存在するなら、未来からのタイムトラベルも実在し得ると、判断したのだろう。


「朱里は、俺の生まれ変わりの恋人でさ。未来で竜に出会って、魔法を授けられて、過去に来たんだ。俺の魂を助けるために」

「なるほど」


 舞香は、小さく頷きながら、


「恐らくは漂う力自身が、人間に観測出来るように姿を作ったのね」

「漂う力自身って、意志があんのかよ」

「もしくは誰かの意志が漂う力に影響の与えたのか。そう考えるしかないわ。もちろん仮説だけど」


 舞香の説には説得力がある。

 朱里は、竜が草原に突然姿を現したと言っていた。

 朱里に干渉するために漂う力が形を得たのだとしたら?

 その形に最も適しているのは、辰原と深い関係のある竜の姿であろう。


「そして漂う力の行使権を朱里さんに委譲した」

「だから朱里の思い通りに、町の中ではどんな事でも出来る」

「巫女による祈祷のような物かしら。多分だけど漂う力をあなたの中に一度取り込んで、あなたの認知と認識によって改変し、その改変した漂う力を町全体に解き放っている」


 辰原でしか作用しない力。

 しかし言い換えるなら、辰原という町を変えるほどの力。

 三万もの人間を変えてしまう願いを乞う。


「当然あなたの心身に多大な負担を掛けるわ。使いすぎれば死ぬ」


 その代償は、きっと命であって然るべき。




 ――重い。




 真実を知れば楽になれると思っていた。

 全てが上手く行くと思っていた。

 楽になるばかりか、上手く行くどころか、自らの進む道の過酷さを知らしめるばかりだ。


「ケンちゃん。あなたは、あの少年の生まれ変わりよ」


 舞香は、健太に折れる事を許さないように、


「そして阿澄さん。彼を救えるのは、あなただけよ」


 朱里を奮い立たせるように、


「私たち一族は、真実を知りながらも彼の魂の因果を黙認した」


 舞香は、悔しそうに笑むと、朱里の肩に手を置いた。


「そうする事が町のためになると思ったから。でもあなたが漂う力に選ばれたという事は、きっと、この町そのものが彼の魂を救おうとしているのね」

「町が俺を? 町に意志があるのか?」

「言ったでしょ。この町は不思議な事がたくさんある。もちろん町の意志っていうのは、私の仮説だけどね……」


 舞香は、朱里から離れると、不安に震える健太をそっと抱き寄せた。


「これからどんな事が待っているか分からないけど、あなた達ならきっとたどり着ける。私は見ている事しか出来ないけれど――」

「佐久間さんは、それでいいの?」


 朱里の問いに、舞香は抱き締めていた健太を優しく突き放した。


「言ったでしょ。私には、その資格がないの。見捨てたんだから……」


 ――そんな顔するなよ。


「ありがとう佐久間」


 怒ってないし、恨んでいない。

 舞香の気持ちは、痛いほど分かるから。

 舞香も佐久間の家の人たちも、平然と心を殺して誰かを見捨てられる人柄ではない。

 彼等も因果という苦渋を飲み干し、痛みに耐えながら生き続けてきたのだ。


「知りたい事、いろいろ知れた。それに俺は、お前の事恨んでないからな。忘れんなよ」


 健太は、自ら舞香を抱き寄せて、背中を擦った。

 きっと舞香は、こうしてほしいと思っているから。

 優しくされる資格はないと考えているが、優しくされたいはずだから。

 健太は、舞香から離れると、頭を撫でてから朱里に向き直って言った。


「ダンじいちゃんの所へ行こう」

「うん」


 もしかしたらこれで最後かもしれない。

 そんな名残惜しさを噛み殺しながら健太は、舞香と別れ、団蔵の元へ向かった。

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