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8月11日 ~辰原町~

「これ……どういう事だよ」


 佐久間家の資料は、健太の理解の及ぶ内容ではなかった。

 朱里が未来から来た事も、彼女が魔法を使える事も、本来なら絵空事と嘲笑される事すら至って尋常であると、錯覚させる。


「佐久間……これどういう事だよ」


 異国の男の血を引き継いだのが重蔵と玲子であるならば、二人の間に生まれた健太は、異国の男の末裔という事になる。

 辰原を救った青年の魂の器が、辰原を破滅に追いやった男の血を受け継いでいるなんて――。


「随分出来過ぎた皮肉だな、こりゃあ」


 桐嶋健太という人間がどちら側なのか分からなくなる。

 辰原を救った青年なのか。

 辰原を滅ぼそうとした男なのか。

 どちらの性質を受け継ぎ、どちらに寄り添うのか。

 そして彼が呼び出した灰色の煤とは?


「灰色の煤って神なのか?」

「神じゃないわ」


 舞香は、即座に否定してくる。

 しかし舞香から聞かされた話が真実なら、並の生物を逸脱した存在である事に違いはない。


「じゃあこれが生物だとして正体は?」


 混迷する健太に変わるかのように、朱里が尋ねると舞香は、座卓の上の巻物に視線を落とした。


「異邦人が町に呼び寄せた何かとしか言えないわ」

「何かって?」


 朱里が眉根を寄せると、舞香は、首を左右に振って悔しそうに顔をしかめた。


「詳しくは分からない。ごめんなさい」


 佐久間家の資料を見れば真実が明らかになると思っていた。

 頭の中に立ち込める靄を晴れて、何が起きていたのか、何が起きているのか、全てが分かると信じていた。

 結果的には分かったのは、より大きな謎である『煤と呼ばれた何か』についてだけである。


「何も分からないのかよ? この灰色の煤について」

「佐久間家で代々研究はされているわ。異様な生態を持ってはいるけど、生物である事。繁殖に人間の肉体と青い果実が必要な事」

「青い果実ってなんなんだよ?」

「人間の体内で栽培される植物らしいわ」


 佐久間家の資料によれば、煤の体表には、この植物の種子が付着している。

 煤が人間の体内に入り込むと同時に、種子も体内に侵入し、ある程度種が生育すると便と共に体外へ排出され、地面を自身の生育に適した土壌に変化させる。

 これが、土地が腐ると現象の正体だ。


 青い果実を摂取する灰色の煤は、群れを成して行動する寄生虫。

 これが地球上の生物に当てはめると一番近い生態だろう。

 最大の違いは、母体と呼ばれる子と呼ばれる群れを統括する個体が居て、これが死んでしまうと、群れ全体の統率が取れなくなる事。


 健太の前世である青年外国の男を喰った時、恐らくは母体も喰われ、最終的に裏人が青年を喰らった時に、母体は死んだのであろう。

 しかしそんな生物の存在が真実である等、健太には、朱里の話た流よりも受け入れがたい証言であった。


「そんな生き物が地球上のどっかにいるのか? 今でも?」

「目撃例は、辰原で確認されたこの個体だけよ。その後現れていない事を考えると、恐らくは母体を失うと繁殖、あるいは生存そのものが不可能もしくは困難になる」

「じゃあこいつはもう絶滅してるのか?」

「分からない。今分かっている生態は、まず母体が人に寄生をして、それから子が母体の寄生している以外の個体に寄生し、その行動を母体の宿主の意志どおりに操る。それからこの灰色の煤が辰原の災で起きた竜巻の正体だと考えられるわ」


 辰原の災は、一般的には竜巻災害だと思われてる。

 大虚から噴出した灰色の大量の煤。

 これがいつの間にか竜巻に置き換えられたのだろう

 他にも知られているのは、竜巻の後、村人が奇病と不作に苦しんだという話である。

 この奇病と不作も食人行為と、青い果実のせいで腐った土地の事と考えれば辻褄は合う。


 辰原の人々は、事実を伏せ、後世に伝えたのか。

 それとも真実が薄れ、竜神信仰となぞらえて竜巻災害であると置き換えられたのか。

 どちらにせよ、どうでもいい。

 簡単に信じる事は出来なかった。

 否、信じたくなかったのだ。

 

 朱里の時とは勝手が違う。

 こんな不快な話が辰原で過去に起きていた真実の出来事だとは認めたくなかった。

 まして自分の祖先が辰原を滅ぼしかけた異国の男の末裔であるなど。

 脳が揺れて吐き気がしてくる。

 大好きな街が、穢されているようで――


「本当にあったのかよ。こんな事が……」


 受け入れたくない。

 思考を拒絶してしまいたい。

 考えるだけ、意識がとろけていくようだった。

 

 何を知っても今更驚かない。

 

 先程そう言った自分を殴ってやりたい気分だ。

 いや、驚かされる話であったのなら、まだ許容も出来る。

 ひたすらに気持ちの悪いばかりだ。


「ケンちゃん」


 舞香は、ぽつりと呼んだ。

 その表情は、同情と、後悔と、憐憫れんびんを綯交ぜにしている。


「不思議な事がこの町にはいくつもある」


 そう言いいながら舞香は、朱里を見やった。


「彼女の事も……ね」


 舞香の口ぶりは、朱里の正体を見抜いているようだった。


「やっぱり朱里の事」

 

 朱里の使った魔法によって、舞香の認知は、改変されたと思い込んでいた。

 しかし団蔵は、


『佐久間家も、そしてわしも因果に囚われた者』


 そう言っていた。

 思い返してみれば舞香の反応も団蔵同様にはぐらかすようだった気がする。


『この子知ってる?』


 健太が聞くと、


『ええ。もちろん』


 そう答え、


『名前は?』


 再び尋ねて、


『そんなの知ってるわ。変な事聞くのね』


 こう返した。

 舞香は、朱里の名前を一度として答えていない。

 知っていたのに、たまたま呼ばなかったわけではない。

 阿澄朱里を知らないから答えをはぐらかしていたのだ。

 でも何故?

 どうしてそんな事をする必要がある?


「どうして気付かないふりをしていたんですか?」


 朱里が問うと、舞香の視線が鋭利さを増した。


「敵か味方か判断出来なかったから」

「信用出来なかったと?」

「今はしてるわ」

「でもどうしてあなたや団蔵さんには、記憶の改変が効かないんですか?」

「昔この町に、何かが来た。その影響を断ち切るために一人の少年がにえとなった。けれどその悪意の残滓が、あるいは贄となった少年の加護が辰原という町に浸透していたのだとしたら?」


 舞香は、座卓の上の巻物を手に取り、朱里に突き付けた。


「そんな町で育ち続けていた人間、あるいはその町。連綿と受け継がれた血が如何様に変じようともおかしくはない。ましてそれが真実を知っている人間ならば」


 舞香の朱里を見る目には、明らかに敵意がある。

 しかしそれは絶対的な物ではない。

 阿澄朱里という人物を見極めるがための、意志の表れであるように健太には思えた。

 朱里は、舞香の突き付けた巻物を受け取り、握り締める。


「そういう土地で、そういう場所で、真実を抱えて生き続けてきた。だから真実を知るあなた方の意識を改ざんする事に失敗したんですね」


 朱里の言葉に、舞香は、挑発的な笑みを浮かべた。


「というよりは、そんな事を出来ると思っているのが不思議なの」

「どういう事?」


 戸惑う朱里を前に、舞香は、座卓の上の巻物に、視線を落とした。


「そんな神に匹敵する力を振るえると思う? たった一人の人間が」


 事実、振るえるのだ。

 健太は、朱里が奇跡を起こす数々の光景をその目に焼き付け来た。

 朱里には、竜から授けられた人知を超えた力があると、断言出来る。

 しかし舞香は、懐疑的だった。

 それは朱里の力を目の当たりにした経験がないからというわけではないらしく、ある種の確信めいたものを抱いているようだった。


「みんな朱里に騙されているふりをしているとでも言いたいのか?」

「違う。町そのものが加担していると考えるのが無難よ」


 舞香は、首を左右に振って、座卓の巻物を取って健太に手渡した。

 彼女が何を言わんとしているのか、健太にも朱里にも理解する事は出来なかった。


「ちょっと付いて来てくれる?」


 夏の陽光も落ちかけて、空が紅色に沈む頃、舞香の提案で三人は、新宿を訪れ、真新しい高層ビルの前に立っていた。

 このビルは、健太の父親である重蔵が勤めている商社の本社ビルである。


「なんで親父の会社に?」


 舞香の案内でここまで来たが、彼女は理由を語ってくれていない。


「おう」


 聞き馴染んだ声に健太がビルの入り口に目をやる。

 重蔵がからからと笑い、手を振りながら近付いてきた。


「お迎えとは珍しい。健太どうした? 何かあったか?」

「いや……別に」


 舞香が何をしようとしているのか、やはり見当もつかないが、重蔵が噛んでいる事だけは間違いない。


「父さん……」


 何を話せばいいのだろう。

 何を語ればいいのだろう。

 まごついていると、


「舞香ちゃん! 久しぶりだな!」


重蔵の嬉々とした視線が舞香に向けられ、


「えっと……」


 続いて朱里を見やると、途端に首をかしげてしまった。


「そっちの子は、初めましてかな?」


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