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8月11日 ~幼馴染と幼馴染~

 舞香の家は、健太の家から歩いて十分ほどの距離で、三階建ての一軒家だった。

 白い外壁と四角い外観は、生真面目で清楚な舞香の人柄をそのまま形にしたようだ。

 健太は、玄関ドアの左隣に取り付けられているインターホンを押そうと指を伸ばし、まごついて引っ込めるを繰り返していた。

 既に引き換える場所に立ってはいないのに、まだ逃げ出せるのでないかと、思案してしまう。

 そんな健太の様子を眺める朱里は、


「健太くん、大丈夫?」


 こうして何度も声をかけてくれている。


「うん」

「ほんとうに?」

「いや。なんだろうな。ごめん。分かんない」


 心配をかけると分かっていても、正直な気持ちを答えるしかなかった。

 朱里の身の上話は、客観的な立場で居られたし、自分が十六歳を迎える前に死ぬという事実も、どこか達観していた節がある。

 だが団蔵を巡る一連のそれは、健太の許容量をはるかに超越して、思考の回転を妨げてくる。


「桐嶋くん?」


 佐久間舞香の声は、健太の思考の輪を完全に制止させた。

 スーパーのビニール袋を両手に下げ、ふわりと余裕のある白いシャツの袖をまくり、涼しげな水色のロングスカートは、夏の頃の、舞香のお気に入りだ。

 今の状況をなんと説明すればよいのか、結局ここに来るまでの道中でも思い付かなかった。

 どこまでを話して、どこまで伏せるべきなのか。

 それとも全てを話して協力を仰ぐべきなのか。

 沈黙のまま健太が舞香を見つめ続けていると、


「辰原の災」


 よどみなく朱里は、舞香に問い掛けた。

 朱里の言に、舞香は眉をひそめ、彼女を不審者でも見るかのように睨み付ける。


「どうしてそれを?」

「知ってるなら資料を見せてほしいの」

「理由は?」

「健太くんのため」

「なるほど……」


 舞香は、朱里から健太に視線を移すと、


「分かった」


 と言って、二人を家に招き入れてくれた。

 健太と朱里は、一階の和室に通され、部屋の中央にある座卓に着いて十分ほど待っていると、舞香が古い巻物を何本も抱えて現れ、座卓の上に置いた。


「どこまで知ってるの?」


 もう今更嘘も付けないし、隠し事も出来ない。

 命に関わる事だから巻き込む人数を増やしたくはなかったが、もはや悠長な事を言っている場合ではない。

 事の真相に近付いて来ており、期日も迫ってきている。

 遠慮して、機会を逃している時間はない。


「俺が喰らわれた人間の来世だってこと」


 だから知り得る全てを出来るだけ簡潔に。


「佐久間がその末裔だって事」


 的確に。


「ダンじいちゃんが佐久間に聞けば全部分かるって言ってた」

「結構知ってるのね」


 舞香は、眉尻を下げ、健太から視線を外して顔を伏せた。

 長い付き合いだから彼女が何を考えているのかはそれとなく察せる。

 理由は、おそらく辰原の災と健太の因果について隠していた事であろう。

 何時からかは分からないが、以前から知っていた。

 恐らくは今よりずっと幼い頃から。

 何も話さなかった罪悪感は、焼けたイバラを飲み干すような苦痛であったろうに。

 それでも舞香は、ずっと口を噤んできたのだ。


「辛かったよな」


 健太が今置かれている未来を知っていたのなら、友達になるのはどれほど過酷な道だったのだろうか。


「悪い。しんどかったろ?」


 死期の分かっている人間と親しくするのは、十六歳の少女にとって拷問に等しい。

 知っているからこその同情か、それとも知っていながら笑顔で傍に居てくれたのか。

 そのどちらでも構わない。

 優しかったから惹かれていた。

 同じルーツだから惹かれていた。


「辛くなかったわ」


 一転舞香の浮かべる微笑は、


「むしろ楽しかった」


 彼女が心底そう思っていることの証明だ。


「ほんとに?」

「うん。幸せな日々だったわ。もちろん今でも」

「ならよかった」


 舞香に僅かでも幸福を与えられたのなら、この出会いは呪いではなかったはずだ。

 そうであれば、健太にとってこれほどうれしい事もない。


 ――舞香。


 久しぶりに、そう呼ぼうと健太が口を開いた時、


「これは?」


 朱里の声が寸断してきた。

 巻物を指差して、健太と舞香を交互に見ている。

 話を先に進めたかったのか。

 または小さな嫉妬心からか。

 あまり触れたい話題ではなく、健太は、敢えて無言を通した。

 対する舞香は、仄かに苦笑を灯して巻物の一本を手に取ると、紐を解き、座卓の上に広げた。


「辰原の災について知ってるなら、辰原神社の巻物は読んだのよね」

「ええ。読んだ」

「あれは、あくまで外から来た人間が客観的な目線で書いた物。こちらは佐久間一族の七百年に及ぶ研究の末書かれた資料よ」


 健太は、巻物を見てみるが、やはりそこに書いてある字は、朝倉の見せた巻物同様、達筆すぎて内容を理解する事は出来なかった。


「俺読めないんだけど」

「暗号になってるからね。佐久間の人間にしか読めないの。古く見えるだろうけど、書かれたのは五年程前。父が書いたの」

「おじさんが? じゃあ、ただの古い巻物ってわけじゃないんだ」

「普通に読むと、江戸時代の達筆な人が書いた料理のレシピよ。もちろん実際には、偽装で、一言一句が暗号になっていて、真の内容を理解出来るのは私たちだけなの」

「読んでくれるか?」

「ねぇ。ケンちゃん」


 舞香の紡いだそれは、数年ぶりの懐かしい呼び方だった。

 小学生の頃は、よくそう呼ばれていたが、クラスメイトに、付き合ってるか彼女のだとか、からかわれて以来、気恥ずかしくなり、ケンちゃんと呼ばないよう頼んだのだ。

 以来舞香も使っていないが、こういう状況で出てくるという事は、舞香にとって一番自然な健太の呼び方なのだろう。

 ある程度人として成熟出来た今となっては、この呼ばれ方も、心地が良く思えた。


「覚悟はある?」


 ないと言えば嘘だ。

 知る事の怖さには、特にこの数時間で辟易へきえきとされられている。


「今更何を知っても驚かないよ」


 強がりだった。

 また理解出来ない事をたくさん聞かされて、最後には混乱が待っている。

 だが、逃げる事はもう許されなかった。

 何が書かれていようとも、受け止める以外の選択肢は、用意されていない。

 あるがままを受ける入れるために、健太と朱里は、ここに来たのだ。

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