8月10日と8月11日 ~急転直下な事態です~
「そしてわたくし阿澄朱里は、竜さんから魔法を授けられ、桐嶋健太の生きる時代を訪れたのであった……はじまりはじまりってね」
朱里の話を聞き終えた健太の思考は、意外にも突拍子もない話の理解を拒まなかった。
朱里と過ごした数日間が、彼女が魔法を得て過去に来た経緯は、真実であると証明してくれる。
しかし朱里の話は、確かに健太の抱く疑問の一部を晴らしてくれたが、まだ分からない事もあった。
朱里が魔法を使えなくなった理由である。
彼女の話を聞いても、その原因を知る事は出来なかった。
もう一つ、竜の言葉の意味が気がかりだ。
「どうして過去に来た経緯を教えると俺を救えなくなるんだ? ていうか――」
――俺が死を選ぶってなんでだ?
竜は、健太が真実を知りすぎる事と、知りすぎた時の顛末を恐れている。
裏を返せば竜は、全ての真実を知っているという事だ。
竜は、健太の魂の因果についての全ても間違いなく知っている。
その原因も、救うための方法も。
この時代にも居る保証はないが、朱里同様に賭けてみるには分の悪い話ではない。
「その竜が居たっていう場所、案内出来る?」
「どうやって行ったのか分からないの。でも彼が眠っているお寺は分かる」
「じゃあそこに行こう」
「うん」
予定が決まった所で二人は眠る事にした。
明日は、きっと嫌になってしまうほど忙しくなる。
そんな予感を健太も朱里も抱いていたから。
微睡は、二人の意識を包み込み、仮初めの安息へと導いた
未来で朱里の恋人が眠っているらしい善識寺を訪れたのは、八月十一日の昼過ぎであった。
八十年の差は、あっても朱里にとって慣れた場所のようで、寺までの道中は、彼女の案内に従った。
恋人が眠っているという場所には、別の家のお墓が立っており、きっとこの場所が開いて、そこに朱里の恋人の墓が建てられたのだろう。
「なんか不思議な気分だな」
「どうして?」
「自分の来世がここのお墓に入ってるって思うと不思議でさ」
「そうだね。私も彼のお墓がないのは、何度見ても不思議な気分」
――愛してた?
尋ねるのは、きっと残酷だ。
朱里の答えは決まっているから。
彼女を傷つけるかもしれないのに、不快な思いをさせるかもしれないのに、それでも尋ねずにはいられなかった。
「愛してた?」
その言葉に、朱里は、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「うん。大好きだった。幼馴染だったの」
「そうなんだ」
「前に話したでしょ。私、親が居なかったって」
「言ってたな」
「私を引き取ってくれた人たちは、とっても良い人たちだったけど、やっぱり血のつながりはなかったから、ちょっとさびしい時もあった。失礼な話だけどね」
辛い時に優しい人に出会ったら恋をするに決まっている。
「そんな私を幼馴染の彼は、気にかけてくれたの」
健太には、朱里の気持ちが痛いほどよく分かった。
「小さい頃からずっと一緒」
真実を知れば知る程、今健太が置かれている状況は、朱里と同じなのだから。
「いつの間にか愛してた」
辛い時、そんな相手に出会ったら、愛してしまっても仕方がない。
「そっか」
そういう物だろう。
ましてそれがこんなに美しい人なら。
「いつから付き合ってるの?」
「高校に入ると同時に付き合い始めて、この人とずっと一緒に居るのが当たり前だと思ったの」
「当たり前が壊れるってつらいよな」
気持ちは少し分かると、彼女への賛同のつもりだったが、なぜか朱里は俯いてしまった。
「私もだよね」
「朱里?」
「あなたの――」
――ああ、そうか。
「壊してねぇよ」
――ずっと気にしていたんだ。
「朱里は、俺の当たり前を守ろうとしてくれてるんだ。感謝してる」
「そうかな」
――そうだよ。
「朱里はさ」
――俺はさ。
「自分のしてる事に自信を持った方がいいよ」
――君に救われているから。
「ありがとう」
――きっと君に、恋するぐらい。
「そろそろ行ってみよう。朱里が出会った竜の居た場所へ」
だから鍵をかけて、鎖で縛って、もう二度と出て来ないでくれ。
叶わない想いを抱き続けるほど、子供ではない。
だからせめて、全てが終わった時、彼女に幸せな出会いが待っていますように。
願いながら健太は、朱里の背中を追った。
二人は、並んで舗装された山道を下っていく。
ここまでは、行きと同じ風景だ。
だが、健太がふと周囲を見ると、来た時とは景色が変化している。
靴底の感触は、アスファルトの固さではなく、草むらと土の軟さに変わっていた。
周囲も背の高い木々に覆われており、自分がどこに居るのか分からず、方向感覚が奪われる。
舗装された山道を下っていた筈なのに。
いつからここに迷い込んだのか、その記憶が全くない。
唐突に、突然に、訪れた変化である。
先を行く朱里は、健太程の動揺を見せていない。見知った道を歩いているようだった。
健太の確信は、強くなる。
繋がっているのだ。
この道は、朱里を現代へと誘った存在に。
話だけでは、どのような姿か、詳細を思い描く事は出来なかった。
どれほど巨大で、どれほど偉大なのか。
空想するだけも畏怖が浮かび、心臓が締め付けられる。
けれど恐れるばかりでは、自分自身も朱里も救えない。
竦みそうになる両足を奮い立たせて、先を行く朱里に懸命についていく。
そうやって歩き続けていると、やがて、木々の群れを抜け、開けた場所に出た。
草原ではなく、山の中腹のようで、辰原町を一望出来、さらには古びた小屋が一軒建っている。
朱里から聞いていた話と今二人の居る場所は、だいぶ異なっているが、それだけではない。
この風景に、健太は見覚えがあった。
「ダンじいちゃんの家だ……」
何がどうなっている?
どうして龍を探していたら団蔵の家についてしまったのだろう?
この場所に辿り着く事が無意味であるはずがない。
ならば団蔵の家と竜には、そして健太の魂を縛る因果とどのような関係があるというのか?
ぐるぐると疑問ばかりが回って、思考を妨げてくる。
「お寺と繋がってたんだね」
朱里も驚いているが、健太のそれは、彼女と比較にならなかった。
「そんなはずない」
「健太くん?」
「だってここは」
団蔵の家と寺は、辰原の町を挟んで向かい合うようにある。
町をまっすぐに抜けるか、辰原の町を半周しなければ辿り着く事は出来ないはずだ。
しかしそんな長距離を歩いた自覚はない。
地理的におかしい事も問題だが、朱里の言っていた竜の居た場所を辿って行ったら、団蔵の家に着いたという事実が何よりも健太の困惑を強めた。
「健太」
立ち尽くす二人に、小屋から出てきた団蔵が声を掛けた。
「どうした? すごい顔しとるぞ」
きっとひどい顔をしているのだろう。
思考も意識もぐちゃぐちゃだ。
「ダンじいちゃん」
何を聞けばいいのだろう。
どうしてここで団蔵が出てくるのだろう。
彼が朱里の出会った竜と、どう関わりがあるのか。
「あのさ」
「おう」
――何を言えば、いいんだろう?
「あの……さ」
「どうした?」
健太は、何も言い出せなかった。
団蔵に聞いてしまえば、取り返しの付かない何かがある。
偶然であるはずがない。
朱里が竜と出会った場所と団蔵の住んでいる場所が同じならば、団蔵もまた健太の因果にかかわる人間かもしれない。
知っていしまったら、きっと今までには、戻れなくなる。
そんな予感が健太に躊躇させた。
「あの……おじいさん」
口籠る健太を前に、口火を切ったのは朱里だった。
朱里に声を掛けられた団蔵は、訝しげに首を傾げた。
「おや。君とは初めましてかな。いや前に会ったかね?」
団蔵の言葉に、朱里の表情が曇天の色に変じていく。
「どうして?」
「朱里?」
「どうしてこの人は、私に初めましてって言うの?」
――そうだ!
朱里は、健太を知る人物の認知を変えている。
健太と朱里は、幼馴染で家族ぐるみの付き合いをしている設定だ。
健太の両親やクラスメイトも、春さんたち町の人々も、皆が健太と朱里の関係を幼馴染と思っている。
それなのに団蔵だけは、朱里を健太の幼馴染として認知していない。
『よかったのう。妄想以外で恋人が出来て』
『可愛いのか?』
『ほう。彼女がそうか』
あの日、健太と朱里が初めて出会った日、団蔵はそう言っていた。
朱里を幼馴染だと知っていたなら、あのような言葉は使わないだろう。
団蔵の認知は、朱里が改変する以前の正常なままなのだ。
町全体に作用した記憶改竄であるはずなのに、団蔵だけは、その影響下から抜け出している。
ここまで揃ってしまったら関係があるとしか思えない。
朱里が出会った竜や健太の魂を縛る因果と、恐らくは密接に。
「まぁ上がんなさい。話はゆっくり聞こう」
団蔵は、健太と朱里に手招きをしながら小屋に引っ込んでしまう。
健太は、朱里の手を引いて、いつも座る濡縁に二人で腰かけると、団蔵は、麦茶の入ったコップを二つ持ってきて濡縁の上に置いた。
「ダンじいちゃん」
健太が名を呼ぶと、団蔵は、健太の隣に胡坐を書いて辰原の町を眺めた。
深い皺の奥で輝く瞳には、ある種の決意が宿っているように見える。
「なんだい?」
「辰原の災。なんか知ってる?」
尋ねられた団蔵は、懐かしむかのように、くしゃりと破顔した。
「そういう事かい」
健太は、コップを掴み、麦茶を一気に呷ると、口の端に付いた水滴を手の甲で拭った。
「ダンじいちゃん。何か知ってるの?」
「辰原の災に付いて詳しく知りたいなら佐久間の家を訪ねるといい」
「佐久間って?」
「健太の幼馴染だよ。舞香ちゃん。あの佐久間さ」
――佐久間!?
「なんであいつが出てくるんだよ!?」
全くの想定外に、健太は逃げ出したい衝動に駆られていた。
一歩ずつ真実に歩み寄る度、常識が壊されていく。
尋常の外側に、近付いている。
これ以上を知ってしまえば――
――覚悟してた事だろ!?
真実を知ると決めた。
そして目の前に答えを教えてくれる人がいる。
逃げてはならない。
畏れてもいけない。
桐嶋健太は、問わなければならないのだ。
「なんで佐久間が出てくんの?」
「あの家には、辰原の災に関する一番古い記録がある」
「どういう事?」
「わしがお嬢さんの影響を受けていないのなら、恐らくは佐久間の家の者も」
「知ってるんですか? 私の魔法の事」
朱里が聞くと、団蔵はゆっくりと頷いた。
「それとはなく、何かがあったとは思った。健太を追って君が来た時は、そういう事かと」
「ダンじいちゃん。佐久間って何者なの? あいつが辰原の災にどう関係してんの?」
「佐久間家も、そしてわしも因果に囚われた者」
因果。
ここ数日で嫌というほど、聞かされた単語。
けれど、団蔵の口から飛び出すとは、思っても居なかった言葉。
しかし団蔵や佐久間家は、健太のように十六歳を迎える前に命を落とすという話ではないはず。
まったく異質。
もっと別の何か。
「ダンじいちゃんと佐久間が? それって俺と同じって事? それとも違う何か?」
「同じようで違うもんさ。だが根源は同じ」
「根源?」
「あの家はな。辰原の災で喰らわれた一族の末裔なんだよ」
「あいつが?」
辰原神社で朝倉から聞かされた人食いの儀式がここで繋がりを得た。
今まで調べてきた全てが健太の因果に繋がり、真実へ導いてくれている。
だが、次々に与えられる情報の波は、健太の処理能力を焼き焦がしていた。
結局のところ点を見つけ、線で繋いでいるが、未だ絵図の全体像が明らかになっていない。
全てを繋げ終えた時、見えるのは一体――。
「訳わかんねぇ……」
混乱ばかりで熱を持った健太の頭を、団蔵の手が撫でた。
固くごつごつと岩のようで、一際温もりの籠った手。
健太が大好きな手。
「全てを知りたいなら彼女を訪ねろ。お前たちの知りたい事は分かる」
団蔵に聞きたい事は、他にも山のようにある。
けれど今優先すべき事ではないと、未練を断ち切り、健太は朱里の手を引いて、団蔵の小屋を後にした。




