今日、幼馴染が出来ました。

8月10日 ～狙った的は外します～

　これと言った障害もなく、健太と朱里は無事に学校へ辿り着く事が出来た。

　昨日サボった事について担任から窘《とが》められはしたが、講習中も特に変わった事はなく、

　――今日は何とか無事かぁ。

　健太は、放課後、弓道場で的を射ながら、張り詰めた緊張の糸を僅かずつ緩めていく。

　中学時代から母親の勧めで弓道を始めた。

　指導者からは、筋が良いと褒められるのだが、いざ大舞台となると的に当たらなくなってしまい、最近では大会に出る事もなくなり、半ば趣味のような形で続けている。

　メンタルが強いと自負してないが、それでもあの両親に育てられたから、か細いとも思っていない。

　しかし、これは絶対に当てないといけない。

　そう思うだけで、腕が震え、視界が揺らぎ、矢を射る事が出来なくなってしまう。

　今日も結果は芳しくない。

　原因は、後ろで健太を見守っている朱里の存在が大きかった。

　弓矢なんて、どんな事故があるから分からないと言って、強引に付いてきたのだ。

　おまけに――

「あの二人、仲良いよな」

　弓道場は、二人きりというわけではない。

　他の部員や先輩、合わせて十人前後が居り、微かに聞き取れる細い声が飛び交っている。

「阿澄さんとか羨ましすぎんだよ」

「いいなぁ。あの乳とか揉んでんのかな」

「健太～いくぅ。いっちゃうのぉ」

　特に同じクラスの広瀬と男子の先輩は、無遠慮なジェスチャーで煽ってくる。

　真実を知ったら羨ましいと言える状況でもないし、乳を揉んでいる暇もない事が分かるだろう。

　別に噂をされる事は苦ではない。

　朱里とであれば、むしろ光栄だ。

　だが、それで良しと出来ない原因が健太と朱里へ眼光を光らせている。

　健太と同じく弓道部に所属する佐久間舞香だ。

　彼女とは小学二年生からの付き合いで、本来幼馴染と呼ぶべきなのは彼女の方だ。

　実際朱里がクラスメイトの記憶を弄るまでは、健太と舞香の関係が今の朱里とのような噂になっていた。

　高校生になってからも週に一、二度は一緒に帰っていたし、両親同士の仲も良く、それが縁で今でも互いの家に遊びに行く事もある。

　いわゆる家族ぐるみの付き合いというやつだ。

　気心知れた仲のはずなのに、あるいはそのせいなのか、とにかくこの場は、何とも居心地が悪い。

　今日は、もう引き上げてしまおう。

　昨日の今日で朱里を長々付き合わせる申し訳なさもあり、健太が帰り支度を始めると、

「健太くん」

　突如朱里に呼ばれ、健太の肩が跳ね上がった。

「なに!?」

「どうしたの健太くん?」

「なんでもない!! 朱里の方こそ、なに? どうかした?」

「帰るのちょっと待っててくれる?」

「いいけど、なんで?」

「お花を詰みに」

「言い方古いな」

　――未来の流行りなのか?

　小走りで朱里が弓道場を去ると、

「おはよう桐嶋くん」

　入れ替わるように、舞香が無愛想な調子で近付いて来た。

　弓道着姿が態度に拍車をかけ、迫力が増している。

　怒っているのか?

　苛立っているのか?

　平時とは違って見えるのだけは確かだった。

　何か失礼をしてしまったのだろうか。

　そもそも、なぜ放課後の、このタイミングで?

　悠斗が思案しかけた時、舞香とは今日初めての会話である事を思い出す。

「おはよう! ご……ざいます」

「どうして敬語?」

「いや別に……」

　奇妙な緊張感が纏わり付いて上手く話す事が出来ない。

　朱里が来る前は、もっと気楽に話が出来ていたのに。

　舞香と過ごす時間は、居心地がよかったはずなのに。

「なんか久しぶりだなーと」

「そうね」

　いつから話をしていないのだろう。

　朱里が来てからずっとだから――

　――あれ?

　違和感を覚える。

　たった数日しか一緒に居ないはずなのに、もっと前から朱里と一緒に居た気がしてしまう。

　舞香とは数日前までずっと一緒に居たのに、ずっと話していなかった気がする。

　――なんでだ?

「桐嶋君って――」

「なに?」

「朱里ちゃんと付き合ってるの?」

　舞香の問い掛けに、健太は声が出せなかった。

　だったらいいのに。

　そんな風に思ってしまったから。

　朱里は、健太の事しか見ていないが、健太を男性として愛してはいないはず。

　無論、悪感情を抱いてはいないだろうが、恋愛感情かと問われたら別であろう。

　異性への愛していると、異性への守りたいが、対になっているわけではない。

「別にそういうんじゃないけど」

「そうなの?」

　舞香の朱里に対する認知は変えられている。

　だがどのように変えられているのか?

　今まで健太と過ごしてきた記憶に朱里の存在が割り込んでいるか、本来の記憶はそのままに朱里という存在を健太の幼馴染と認知しているのか。

　他の人達にも同じ事が言える。

　今となっては、朱里の言葉を信じて深く考えなかったが、魔法によって皆の記憶がどう変化しているのか、健太は理解していない。

　他人の認知は改変出来ても、健太のそれは出来なかった。

　朱里の言葉を信じているが、本当にそうなのか?

　健太の認知が本当は変えられていたとしても、健太には、そうと認識する事が出来ない。

　朱里を信頼する以外に、この疑惑を振り切れないが、

「幼馴染だから」

　――大丈夫。

「一緒に居るだけ」

　――朱里の事は、信じられる。

「そう」

「うん。そうだよ」

「よければ今日一緒に帰らない?」

　舞香の提案に、健太も出来ればそうしたかった。

　でも健太の因果を思えば、危険になると分かっているのに、舞香を巻き込む事は出来ない。

「悪い」

　そう伝えると、舞香の浮かべる表情は、一見無であったが、眉尻だけが少し下がった。

　付き合いは長いから、彼女がどう思っているのかは、手に取るように分かる。

　本当に傷ついた時にだけする表情だ。

　健太が舞香に、この顔をさせたのは、四歳の時に叩き合いの大喧嘩をした時以来だった。

　こんな顔をさせたくない。

　それでも――

「今日は、朱里に付き合う約束してるんだ」

「そう」

　せめて全てが終わった時、挽回する事が出来たなら――

「佐久間……」

　だから今だけは許してほしい。

「健太くん。お待た……せ」

　健太と舞香を見つけた途端、朱里の動きが静止した。

　それに合わせて弓道場を流れる空気も重く沈み込んでいく。

　先程までからかい顔だった広瀬や先輩達も、関わり合いを拒絶するかのように、健太たちから視線を逸らしていた。

　このままここに居てもいい事なんて一つもないのは分かる。

　健太は、手早く荷物を纏めて左手に持つと、残った右手で朱里の手を引き、舞香に背を向けて弓道場を後にした。