案内人
公民館の横にある大きな屋敷のような建物が、私の住んでいる町の家出サービスセンターだった。
朝から夕方までは、10代の子供向けに自由に出入りできる遊戯場や勉強室などがあるのだが、平日も休日も基本的に家事を手伝い、その後は疲れて家にとどまるため利用したことがない。
開かれた門の傍らに立て看板が置いてあり、描かれた女性がドアの方を促し、吹き出しには「ようこそ」と色んな言語で書かれていた。
しばらく立て看板に書いてある他の言語を眺めて両親のことを思い出していた。
「素敵な絵でしょう?」
少し遠くの方から声がして顔をあげるとエプロンをつけた女性が立っていた。
「こんばんは。中へどうぞ」
ドアを押し開きながらこちらの歩みを待つように微笑んでいた。中から漏れる灯りを見ながら私は歩き出した。
中に入ると数組のテーブルと椅子が観葉植物によって隔てられながら並んでいた。
「好きなところにかけてくれますか?お水をお持ちしますね」
少し周りを見渡した後に一番奥にあるテーブルに座ることにした。入り口からだと観葉植物が邪魔して見えないから誰も私だと気付かない席だった。
小さな音でクラシックのような音楽が流れているみたいだったがどこからかわからない。水を運んできた女性が座ってもいいかと聞いてきたので首を縦にふって答えた。
「まず最初に言っておくことがあります。私に聞かれて、答えたくないことは答えなくていいということ。でも、できるだけ嘘はつかないでほしいです」
私の方を見ながら反応を待っているようだったので、また首を縦に動かした。
小さく安堵の息を吐き出すと、次に昔見たあのアニメで定番の台詞が出てきた。
「ようこそ家出サービスセンターへ。私たちがあなたの家出を叶えます」
確かこの時アニメの主人公は、驚いて声を上げていた気がすると思い出しながら私はゆっくりと泣き出していた。
泣き出してからはなかなか涙が止まらず、声を出してただただ泣き続けた。
目の前の女性は、特に慌てることなくポケットからタオルを出して渡してくれた。貰ったタオルをそのまま目にあてて泣き続け、涙は止まらなくても声が静かになってきた所でやっと女性の方を見ることができた。
目を伏せながら、ただ静かに隣に座って私が泣き止むのを待っていた。私がタオルを女性の手の近くに置いて水を飲むと、ゆっくり目を開けていく。目を合わせて意思疎通ができそうなことを確認してから口を開いた。
「簡単に自己紹介しますね。私は、加藤ゆりといいます。このセンターに住んでいて、相談にきてくれた人のお話を最初に聞かせて頂いてます」
ゆっくり話すと、テーブルの上にあるメモ帳とペンを引き寄せた。簡単なプロフィールを聞かれたので答えると、こちらに見えるように名前や年齢を書いていった。
「ご両親には、ここに来ることは何かメモを残してきたりしてますか?」
メモを残した所で読むとも思えないが、特に残してはいなかった。居なくなったら騒ぎになるかもしれないので電話してもいいかと聞かれて一気に緊張で強張った。
「無理に連れて帰らせたりはしないように説明するから大丈夫ですよ。それでも嫌なら、そうですね…お友達のお家に遊びに行ってることにしてもいいですよ」
こんな時間に遊びに行くような友達はいないので、すぐにバレてしまうかもしれない。それに世間体を気にする人だからすぐに迎えにくるかもしれない。
「任せてください、そういう方を説得するのは得意なんです。こういう時のためにお友達役の子と泊まり行ってる設定の家を用意してありますから」
加藤さんは、私の了承を得るとポケットから携帯を取り出して電話で指示を始めた。本当にこういう事は慣れているようで、簡単な説明を終えて電話を切ってしまった。
空になったコップをお茶に変えて飲んでいるとノック音がして、同年代くらいの女の子とスーツを着た女性が入ってきた。
その場で自宅に電話が繋がり、スーツを着た女性が、父親には私が部屋に入ってきた女の子の家にいることが説明された。
父親が私に代われと主張しているようだったので、断ろうとしたのを見て立ち上がり電話を代わった。
今すぐ迎えに行くと言われ「でも、お母さんがいいよって言ってくれたよ」と思いついた嘘を並べた。プライドの高い父にとって、妻と別居中であることは誰にも言ってないトップシークレットだった。
暗に母親が家にいない事を言ってもいいのかという脅しはかなり有効だったようでわかった、明日迎えに行くからと返された。
最後にスーツを着た女性と話し合えると電話は終了し、私は見事に一泊の猶予を得ることに成功した。
自宅への連絡が終わると、加藤さんに今夜泊まる部屋に案内してもらった。
「しっかりとお話を伺うのは明日になります。よくTVとかでもやってますが、家出サービスの面談システムは知ってますか?」
アニメを見たことがあるが、確か面談する人と相談する人はお互いに顔が見えないようになってるのは覚えている。詳しいことはわからないと答えた。
「私は案内人で、詳しい事情を聞くのは面談システムに登録している別の人達です。登録者は、応募もしくは推薦されてテストに合格した人達になります。面談をする人達は全員で最大6人集まりますが、誰を呼ぶかは選抜担当者が、相談者のプロフィールなどから決めます」
先ほどメモ帳に書いた私のプロフィールを元に面談者が決められるのか。10分くらいしか話していないが、どういう風に決めるんだろう。
「今日はもう考えるのを休んでください。お風呂と簡単な食事も用意できます。どうしますか?」
家を出る前にお風呂には入ったけど、食事は取っていなかった。
「どっちも家を出る前にすませたのでいらないです」
あまり食事をしたい気分ではなかった。さっき全部否定されてきたばかりなのだ。
「わかりました。ここは一応二人部屋になっていて、案内人も一緒に寝ることになってます。私は今日の仕事を終えたら戻ってきますね。何か必要なものがあればそこのテーブルにある電話を持つと私の携帯に繋がりますから遠慮なくかけてくださいね。」
優しく笑顔で話すと加藤さんは、部屋を出てさっきいた応接室に戻っていった。
部屋の壁にこの建物全体の地図が掛けてあったのを見つけ、自分のいる部屋を探した。
建物は、それぞれ花の名前で5つに区切られていてさらに細かく部屋の番号をつけられていた。先ほど入る時ドアには、3番の数字があった事と進んできた道順を考慮すると自分はスミレの3番の部屋にいることがわかった。
他には、ユリ、ボタン、サクラ、バラに分かれている。先ほどの応接室には、ユリと書かれていて加藤さんの名前と同じだと気付いた。
用意されたベットに倒れて、他の部屋にも自分と同じような事があった人がいるかもしれないと考え始めた。
明日の面談で話すことを考えようとしたけど、いつの間にか眠っていた。