新しい名、そして冷たく残酷な現実
店の外に出ると、空は少し夕焼け色に染まっていた。
時計を見ていなかったせいか、時間が早く感じる。
ウィルもそう思っていたらしく、懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認していた。
「ふむ、まあ丁度いいか」
そう言うなり、ウィルはクルマに乗り込む。
後に続くように助手席に乗り、荷物を後部座席に置いて、シートベルトを着けた。
「よろしい。 では行こう」
ウィルがそう言うと、ゆっくりと車が動き、車道の流れに乗り、まるで川のように全体が動く。
車内の雰囲気も洋服屋に来る前と同じようになっていた。
帰宅ラッシュが近いせいか、車が多いものの、車道は一定の流れで動いている。
さほど気にならない程度だ。
ウィルも、先程と同じように、指を軽快なリズムに乗りながら、バンドルを叩いている。
先程の話……聞くなら今しかない。
そう思い、意を決してウィルに質問してみることにした。
「……あの……聞きたいことがあるんですが……」
「ん、何かね?」
「先程の話……世界が滅びに近付いている、ってどういう意味です?」
そう尋ねると、ウィルは少し顔をしかめながら溜め息をついた。
「ふむ……ある程度落ち着いてから、話したかったんだが……気になるかい?」
「え、ええ」
「まあ当たり前、か。 そうだな……詳しい内容は時が来ればちゃんと話す。 出来ればこの話は君に理解してもらうために、環境に慣れてから話したかったんだ。 だから、今回は簡易的な内容でもいいかい?」
「構いません。 ここまで聞けば気になります」
そう答えると、ウィルは少し険しい表情をした。
どうやら答えにくい質問だったらしい。
けど、この世界に生きている以上、この世界が滅ぶなんて信じられない話だ。
誰だってこの話に食いつく、と思う。
どのようにして世界が滅ぶのか。
そして、何故なのか?
疑問が頭の中で循環して、回っている。
そんな僕を見て、ウィルは根負けしたのか、口を開いた。
「そうだねぇ……君は、花を育てたことはあるかね?」
「え?」
唐突に聞かれたので、少し戸惑ってしまった。
花……小学生の時に、夏休みの自由研究で向日葵を植えたこと位しかない。
「まあ、一回だけなら……」
「うむ。 では、もし花を育ていた時に、葉に病気の症状が現れたらどうする?」
「えっと、剪定って言うんでしたっけ? 病気の葉を切って対策します」
「そう。 その部分を切り取り、他の部分に感染しないようにする。 これは世界にも言えることだ」
「じゃあ……」
「……君は客観的に見てどう思う? この世界を素晴らしいと思えるかね?」
「あ……」
突然の質問に、ハッとなった。
「……ある国は非常に栄え、食物は腐るほどあるのに、ある国では貧困に餓えている。 また、ある場所には、自分達が気に入らない文化や思想があれば、他人を巻き込み戦争をする。 ……おまけに、各々の国が世界を滅ぼしかねない兵器を作って抑止力と来たもんだ。 正に一触即発。 そんな世界をどう思う?」
「…………」
なにもしていない、なにも関与してないとはいえ、ウィルの言っている事は日頃考えていた事だった。
現に先程の洋服屋での件もある。
客観的に見ても、この世界……いや、人間が行ってきたことはお世辞にも善いことではない。
それに僕自身、人間だというのもある。
全て人間が悪いです、なんて中々言えるもんじゃない。
「だからこそ、剪定するのさ。 この世界のような悪いものが、別の世界に行かないようにね。 本来なら、私のような者が早めに動かなければいけなかったんだが……もう手遅れだ」
「そんな……じゃあ、あそこの歩道に歩いている女子高生やサラリーマンはなにも知らずに……」
「……そういうことになるね」
夢のような、冷たい現実。
けど、人間がやってきたことを考えればそれはそれでツケが回ってきたとも言える。
それでも、人間として生きてきた自分にとって、信じられない内容の話だ。
僕は堪らず、現実から逃げるように、頭を伏せた。
「はぁ……昨日の今日だからね。 混乱するのも無理はない。 落ち着いてからこの話をしたかったんだがね」
ウィルは僕を見かねて、溜め息をついている。
こうなることを知っていたから、この話を渋ったのだろう。
だが、この話を終わらせる前に、一つだけ聞きたいことがあった。
「最後に一つだけ……いいですか?」
「構わないよ」
「その……剪定が始まるのはいつなんです?」
「具体的には私もわからないんだが……始まる一ヶ月前に、知らせがくる。 それを考慮しても、大体三ヶ月程度だろう。 それまでに君を一人前にする」
「……できるんですか?」
「してみせるよ。 今朝も言ったけど、君は素質はある。 覚えることは単純だし、すぐに覚えるさ」
即答だった。
自信のこもった言葉に鼻の奥がツンとくる。
ウィルに悟られないよう、窓に顔を近付けて、込み上げるものを抑えた。
今日はもう既に一回泣いているのだ。
もうこれ以上泣き顔を晒したくない。
とはいえ、こんなに自分の事を考えてくれている人は、暫くいなかった。
嬉しいのか、ウィルと出会うまでに僕の事を考えてくれた人がいなかったことを悲しんでいるのか、よく分からない。
けど、ウィルに出会った事で人生が前向きになった……そんな気がする。
……もう、過去の事を考えるのはやめよう。
これからはウィルの弟子になって第二の人生を歩むのだ。
そう考え、改めて外を見る。
外は既に日が落ちてそこまで暗くはないものの、街灯がちらほらと点灯し始めた。
ウィルはどこに行こうとしているんだろう?
課外授業と言ってはいたけど……
「着いた。 ここだ」
「え?」
予想していない場所に車が止まり、思わずウィルの顔を見る。
「どうしたんだい? まさか、想像していた場所とは違っていた、とか?」
「まあ……」
止まった場所……それは町の中心にある駅前の駐車場だった。
ここからだと、丁度駅から降りた人達が一望できる、ただそれだけの場所。
目的地が、何かしらの建物と思っていた僕にとって、肩透かしを食らった気分だった。
「ここで何を?」
「なに、人間観察というやつさ。 どら、そこのアタッシュケースから眼鏡を取り出してごらん」
指示通りにアタッシュケースを開け、眼鏡ケースを取り出す。
開けると古めかしい眼鏡が入っていた。
見た感じ、かなりの年代物だ。 細かい装飾が施されていて、素人の僕でも相当の値打ちものというのが分かる。
「相当、古い眼鏡ですね……これは一体?」
「ま、丁度人が多くなったから眼鏡を掛けてみてごらん。 面白いものが見れる筈さ」
確かに電車から降りて、帰宅するであろう人々が駅前で溢れている。
様々な声が反響し、雑音となって僕の手を繋ぐ耳に入ってくる。
いつもと同じ駅前の光景だ。
なんて変わりのない光景。
僕はウィルの言う通りに、眼鏡を掛けてその人達を見た。
が、普通に人が歩いているだけで、なにも変わらない。
「どう? 見えたかい?」
「いや、人が歩いているだけです」
「それじゃあ……見ることだけ考えて集中するんだ。 そうすれば見える」
集中……そうか、この眼鏡はゲームでいうところのアーティファクトのようなものか。
そうと分かれば、話が早い。
僕は弓で的を射るように眼を細め、歩いている人達を凝視してみる。
すると……見えた。
「見え……ました」
「ほう、じゃあどのように見える? 私に分かるように説明してごらん?」
「人に……いや、人の中に光が見えます。 人によってまちまちで……光が強い人がいれば、弱い人がいる。 ……歳に比例しているのかな?」
「宜しい。 じゃあ、眼鏡を外して。 それがなにか説明しよう」
眼鏡を外し、僕はウィルを見た。
ウィルは得意そうな表情を浮かべ、僕の方を見つめている。
「さあ、まずは君の憶測を聞いてみよう。 あの光はなんだと思う?」
「えっと……」
なんと言えばいいか分からない。
大体の予想はついているものの、どう表現すれば……
「間違ってもいいんだ。 君の意見を聞きたいだけさ」
「分かりました。 ……あれは多分、いわゆる生命力だと思います。 歳に比例しているのも、それじゃないかと」
「うむ、まずまずの回答だ。 確かにあれはそう言われたりする。 でも、これからはあの光を魔力と読んでもらおう」
「あれが?」
「そう。 魔法というのは、実際のところ等価交換なのさ。 自分の命を対価に、あらゆる奇跡や不可能を可能にする技術。 もちろん、普通の者がなにも知らずに、それを行えば衰退、もしくは死に至る場合がある」
……なるほど。
RPGのせいで生命力と魔力とは別、と考えていたせいで、少し驚いてしまった。
だが、そう考えれば人間が魔法を使わなくなった、という理屈は通る。
人間は身を削って魔法を使うより、機械に頼ったほうが効率はいいし、少し学べば誰だって機械を扱える。
ある意味、そう考えるとこの世界は平等で成り立っているのかもしれない。
それで、全員が幸せになっているのかは別だけど。
「だからこそ、魔力を使う者は鍛練と学習が必要になる。 具体的は魔力回路の増幅と、魔法の扱い方。 ま、その他に覚えることはあるけど、まずこれを優先的にやってもらう」
「魔力回路?」
「ん、ああそういえば説明してなかったか……じゃあ、もう一度眼鏡を掛けて私を見てごらん。 ただし、一瞬だけだよ」
一瞬だけ、とは一体どういう意味なのだろう。
そう思いつつ、眼鏡を掛けてウィルを見る。
「うっ!!」
……なるほど。 ウィルの言った意味がわかった。
ウィルの体から発する魔力が眼鏡越しにみて、とんでもない光を放っていた。
そのせいで、目が眩んでしまったようだ……。
目蓋の裏にウィルの姿が焼き付いてしまっている。
「だ、大丈夫か?」
「……なんとか」
「一瞬だけだと言ったろう? その眼鏡は本来見えない魔力を視野化し、さらに普通の人間にも見えるように、倍率を100倍にしたものだから、それを直接私の魔力を見るということは太陽を見るのと同じなんだ」
「それ、先に言ってくださいよ……」
目蓋越しに目を擦り、ゆっくりと目を開ける。
……大丈夫のようだ。
視界の隅に光が残ってはいるが、大体治ってきた。
しかし、先程のウィルの体から発する魔力……普通の人間とは違い、とてつもなく光を発していた。
言うなれば、マッチの火とライトの光を直接眼に当てられたときの光。
それぐらい雲泥の差がある。
「見たと思うから言うけど私の場合、魔力回路を鍛えているから帯びている魔力の量が違う。 まあ、今は人に化けて魔力をわざと帯びているから、より一層見えた筈さ」
「……何かの罰ゲームですか、これ?」
「ははっ、そういう意味でやった訳じゃないよ。 差があると分かれば、それで十分。 ……補足すると、この魔力回路を鍛えて魔術師は魔法の使える上限を増やすんだ。 それの副産物として、魔力は生命力と同じだから、魔術を心得ているものは寿命が長い。 私の場合、500年程生きているけど、知り合いには3000年以上生きている者もいる」
「とんでもない数字ですね……」
「ま、理から外れている存在だから……っと、この話は長くなるから止めよう。 では、何か質問は?」
質問……か。
そういえば、魔力が生命力とするなら、誰かに分け与えるというのは可能なんだろうか?
「じゃあ……一つだけ。 魔力が生命力と同意義なら、ゲームで治療術師……? みたいなのいましたけど、魔力を他人に分け与えて怪我とか病気を治療する事は可能なんですか?」
「うむむ……難しい質問をしたねぇ。 一応、出来ることは出来る。 ただし、それは同族だけの話になる」
「じゃあ、妖狐のウィルと人間の僕とでは出来ない、と?」
「そう。 魔力はそれこそ、体の一部のように本来の持ち主でなければ拒否反応を起こす。 同族だとごまかしが効くけど……私と君だと、分け与えた時点で拒否反応を起こして魔力が身体を破壊する。 方法が無いわけではないけど……」
「じゃあ、その方法は?」
「これと一緒の事をすればいい」
すると、ウィルはごしごしと雑に僕の頭を撫でる。
そして、髪を一本だけ引き抜いた。
「痛っ!!」
「でも、そこまで痛くないだろう? 今朝も自分から抜いていたじゃないか」
「そりゃそうですけど……急にされたら驚きますよ」
「なら、すまないね」
金色に染まった僕の髪の毛をウィルはくるくると回しながら、見せびらかすように揺らした。
「今朝も少し話したけど魔力を弄ってしまえば、この髪のようになる。 ま、いわゆる魔力はその生物の設計図……いや、遺伝子と同じ働きをしている。 だがら、私の魔力に近付けてしまえば、分け与えることが可能になるんだ。 けど、魔力を全身に通すから私に近付けさせなければならない。 正直手間もかかるし、君も人間を辞めたくはないだろう?」
「ですね……」
ウィルに近くなる……ということは僕がウィルのように狐になるということなのだろうか?
……いや、もしかすると……似せるだけでいいのなら、コスプレのように頭に狐の耳が生えて……
「ううっ……」
「どうした?」
「いや、何でもないです……」
思わず身震いしてしまった。
子どもやイケメンならともかく、いい年した根暗の少年がそんな格好になるなんて、吐き気がする。
とりあえず、ウィルが僕に魔力を分け与えるような非常事態になることなんてまずないだろうし、正直、そんな事態に陥る可能性も低い。
まあ、そうならないようにこれから気を付けて生活すればいい話だ。
「他に質問は?」
そうウィルが尋ねたので、首を横に降った。
「では、これにて今日の授業は終わりだな。 では最後に……」
ウィルがパチン、と指を鳴らす。
すると、回りの音が消えた。
いや、音が消えたというより、音が止まった。
実際に回りの光景が止まっている。
DVDを一時停止したかのように。
「凄い……こんなこともできるんですか?」
「いや、私の意識が君の意識に入り込んでいるだけさ。 回りがうるさかったし」
気づくとウィルが元の狐の姿に戻っていた。
こんなことをした……ということは今から何かするのだろうか?
そう感じ、身を構える。
本来なら、先程の話を授業のノートの様にメモ帳で要所をまとめて記したいところだ。
「いや、そんな構える必要はないよ。 今からする事は基本的に私の仕事になるから」
「仕事って……いったい何を?」
「あれ? 今朝言ってなかったっけ? 魔術を学ぶ者は教わる者に名前を貰うって」
ウィルに言われ、今朝の事を思い出した。
確かにそんな事を言っていた気がする。
しかし、ここまで大掛かりにするのか?
事情がよく分からない自分にとって、流石に大袈裟過ぎる。
「もしかして名前を決めるためにこんな事を?」
「こんな事とは失礼な。 いいかい? 魔法使いや魔術師が弟子をとる場合、師が名を与えるという伝統がある。 ま、師が弟子にほんの少し魔力を与えて馴染ませるためでもあるんだけどね」
「え? でも、それだと拒否反応を起こすんじゃ……」
「だからこそ、拒否反応を起こさないために、私が君の名前を変えるんだよ。 名前というのは体の一部の様なものだから、変える事によって、他の魔力を受け付けるようにする儀式のような一面もある。 ……割と名前を変えるのは軽く見えてしまうけど、それなりに大変なことなのさ」
ということは、名前を変えたら……僕は遂に普通の人間ではなくなるのか。
ふと、自分の手を見る。
手は、義父の虐待やクラスメートの苛めで出来たキズが生々しく残っている。
怯えている訳じゃない。
けれど、今までの自分とこれまでの自分とでは180度違う方向に人生を歩むことになる。
それが不安でたまらない。
これからの人生は想像もつかない事ばかりだろう。
そう考えていると、ウィルが、僕の手を優しく握り締めた。
「安心して。 私が手取り足取り教えよう。 ね?」
「ウィル……」
「よし、それじゃあ儀式に移るとしよう」
そう言うと、ウィルは目を閉じた。
どうすればいいか全くわからない。
ただウィルを見つめているしかない。
すると、おもむろに目を閉じたまま、ウィルが手を伸ばし始めた。
そのまま、僕の胸へと当たり、何もないかのようにウィルの手が僕の体の中へ入っていく。
不思議と痛みは無かった。
不快感もない。
この光景を見ていなかったら、何をされているのか分からないぐらいだ。
「よし、あった」
ウィルの目がカッと開き、ゆっくりと僕の体からウィルの手が引き抜かれていく。
そして、手が完全に引き抜かれるのを見ると、思わず身体を上下して呼吸をした。
一体、ウィルは何をしたのか?
そう思い、ウィルの手を凝視すると、何やら光っているものが見えた。
「それは……一体……」
質問するもウィルから応答はない。
どうやらとても集中しているようだ。
一方、僕は、ウィルから何かを抜き取られたせいか、呼吸が荒くなっていた。
どうやら抜き取られたものは生きている上で必要なものらしい。
魔力が命と同意義なら、あれは魔力の塊だろうか?
とても蒼く光っていて、どこか暗い印章を受ける。
すると、ウィルが口を開いた。
「ふむ、君の名は『 』か。 ありきたりの、ごく普通の名だ」
ウィルの言葉ははっきり分かるのに名前の部分だけ、不愉快なノイズが走って聞き取れない。
そして、あることに気づいた。
僕の、以前の名が分からないのだ。
何度、思い返しても出てくるのは、先程聞いた不愉快なノイズばかりで、どの思い出にも僕の名前らしき場面が思い浮かんでこない。
「ど、どうして?」
慌てる僕を尻目にウィルは爪でその光に何やら文字を刻んでいる。
そして息を吹き込むと、光が少し変わった。
暗かった蒼色が明るい碧色になって、ウィルを照らしている。
「よし、それじゃあ戻すよ」
先程と同じように光を手にしたウィルの手が僕の方へ迫ってくる。
それをなすがままに受け入れ、ゆっくりと僕の中に入っていく。
そして、何もなかったかのようにウィルの手が離れていくのを見届けたあと、ガクッと体に重みがのしかかった。
「か、体が……」
「大丈夫、まだ私の魔力に馴染んでないから、拒否反応が出ているんだろう。 一晩もすれば直るさ」
ウィルの言葉を聞きながら、車の座席に体重を乗せ、目を閉じる。
まるで風邪を引いたかのようだ。
肩や頭が重い。
そして、目を開けると外の光景が動いていた。 どうやら元に戻ったらしい。
「よし、早速だけど眼鏡を掛けた時と同じように人混みを見てごらん」
「え、ええ……」
人間の姿に戻ったウィルからそう言われ、いうことを聞かない体に鞭を打つように起こして、人混みを凝視する。
……すると、ぼんやりとだけど、眼鏡を掛けた時と同じように魔力の光を見ることが出来た。
「光が……見えます。 でもどうして?」
「私の魔力を一部受け継いだからさ。 ……なら魔力継承は無事終了、か」
ウィルも疲れたのか、疲れた表情を見せている。 どうやら、魔力継承は両者とも体力を消費するらしい。
しかし、先程から以前の名前が思い出せない。
正直、思い出せないというのは、喉に小骨が刺さっているような……そんな不快感を連想させる。
「それじゃあ、最後の私からの贈り物だ」
手渡されたのは装飾が施されている小さな小箱だった。
そのまま、開けるとシルバーのネックレスと指輪が入っている。
シルバーアクセサリーというやつだろうか?
こういうものを身に付けたことのない僕にとって、別世界の物に感じられる。
「これは?」
「弟子入りの記念さ。 指輪を見てごらん」
「指輪……ですか?」
指輪を手に取り、眺めてみる。
指輪には狐の姿や、呪文のような文字が刻印されており、それっぽい雰囲気を醸し出している。
そして、それらの中にrenardという文字を見つけた。
「これは……レナードって読むんですか?」
「そう、それが君の名前さ。 ま、それには別の読み方もあるんだけどね」
「レナード……」
反芻するように何度も自分の名前を頭の中に刻み込む。
レナード……か。
日本人の自分からすると、ちょっと違和感があるけど、それにも慣れないと。
そう考えつつ、ネックレスに指輪をくくりつけ、早速身に付けてみる。
……これであっているのか?
「似合っているじゃないか、レナード」
「あ、ありがとうございます」
早速、ウィルは新しい名前で呼んでくれた。
まるでニックネームみたいで少し恥ずかしいけど、レナードという名前は既に自分の名前だ。
そう、堂々としてこの名前を誇らなければならない。
それが今出来る、ウィルへの感謝。
「本当に……ありがとうございます」
「どういたしまして。 じゃあ、もう帰ろう。 明日から忙しいし、何よりも私が疲れた。 今日は帰ったらすぐに食事をとって、早めに寝よう」
「はい、ウィル先生」
「ふふ、いい返事だ。 しかし照れるな……それ」
お返しと言わんばかりに、そう言ってやるとウィルは顔を赤らめる。
そして、一息間を置いて、ウィルはゆっくりと車が動かし、町の車道を走らせていく。
窓を覗き、外の光景を眺める。
外は既に暗く、星が瞬いている。
だが、町の人々はそれに気づかず、帰路を歩いている。
見慣れた光景だ。
これからこの光景を見なくなると思うと少し寂しい。
そんな光景を見ながら、先程の話を頭の中で整理する。
いつも、この世界を恨んでいたはずなのに、滅ぶと分かると、どうも虚しくなる。
……ただ、それだけ。
それだけしか感情が浮かんでこない。
可哀想、とか、悲しい、とか、そんな感情を抱くのが普通なんだろうけど、僕には一切ない。
さっきはショックだったけど、今思い返してみれば、そうでもない。
そもそも、そうなることが当たり前とさえ思っている。
ただ、虚しい。
それしか、自分の中で沸き上がってこない。
「ざまあみろ」
ウィルに聞こえないよう、小声で吐き捨てるように独り言を呟く。
そう言ったことで、少し報われた……そんな気がした。