二、気づく瞬間
僕は、友達が多いほうだった。
親友と呼べるクラスメートもいた。
だけど、何回か裏切られて、その度に仲直りしたけど、とうとう絶交した。
どんな裏切りだったかと言うと、学校で「今日、A君の家で遊ぼう」と約束したのに、
行ってみると留守だった。
そんなことが何回かあった。
僕は、からかわれていたんだ。
親友と思っていたのは僕だけだった。
僕が裏切られる度にママは「楽しみは自分で見つけるもの。他人に期待したら痛い目をみるよ」と言った。
ママは、こういうこともしょっちゅう言っていた。
「あいつが悪い、こいつが悪いと言っていたら、自分の本当にしたいことができなくなる。ユウ君の夢は、Jリーグに行くことでしょ?
サッカーさえ上手くなればそれでいいんじゃないかな」
この頃の僕は、少年サッカーチームに入っていてJリーグに行くことを目標にしていたんだ。
少年サッカーチームでは、練習しなくても上手い奴はいた。
僕は、自分にサッカーの才能がないことに気づいたんだ。
才能がないのに頑張るって無駄だよね?
時間とお金を大切にしろというのはママの口癖だし、僕はサッカーが嫌になってきた。
一度嫌と思ったら、もう駄目だった。
僕は、サッカーチームを辞め、学校にも行かなくなった。
元々、勉強が嫌いだったんだ。
このことはママの心をひどく傷付けたみたいだ。
ママは、パパの収入が低いせいで働いていた。
僕は勉強ができるほうだったから、ママは僕が将来、薬科大学に行くかもしれないと思った。
それで、高額の学資保険に入った。
でも、僕がサッカーチームにも学校にも行かなくなったことで、
学資保険の保険料を支払う義務を感じなくなった。
学資保険のことを考えて、毎月三十万も稼いでいたのに。
ママは、しゃかりきになって働いてきたんだよね。
ママがやっていた仕事は、人に感謝される有意義な仕事だけど、
腰痛を伴う肉体労働だった。
ママは事務職のほうに移行し、パートのおばさん程度の収入でも罰は当たらないと思うようになった。
そしたら、時間に余裕ができて、鬱病本来の病態である後ろ向き思考停止が常態化した。
鬱病とは、自分が鬱病であることを忘れるくらいに忙しくなければいけないんだ。
毎月三十万も稼ぐことに意味を感じなくなったあとでは、もう後戻りできなかった。
鬱病とは、そういうものなんだ。
ママは言った。「ママだけが親じゃないのに、ママばっかり働くことに疲れた」
僕が気づいたようにママも気づいた。
僕とママは、繋がっている。
一年くらい前、僕から一キロも離れた場所でママは接触事故を起こし転倒した。
僕は、ママが転倒したって直感で感じたんだ。
パパは感じなかったのに僕は感じた。
僕とママは、繋がっている。前世から繋がっていたのかもしれない。




