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囁きの詩 ≪雨の足音≫

作者: 鷹生響

 外は雨。

 何処へも行かず、出掛けもせず、僕はただ、電話の前に座る。片手には携帯電話を握り締めて。

 毎日会社とアパートの往復。

 大学からずっと住んでいたこのアパート。

 君への初めての告白もこのアパートの電話だった。

 サークル一の美人。いや、大学一かもしれない。

 先輩の紹介で一目惚れした君に片想いした1年。辛かったけど苦しくは無かった。

 君の姿を見つけただけで幸せだった。

 君の声が聞こえるだけで嬉しかった。

 卒業の前日、思い切って告白した電話。

 今日みたいな雨の日だった。

 君の返事。『Yes』の言葉。

 毎日が幸福だった。

 逢えなくても、声さえ聞ければ良かった。

 最初の1年は楽しかった。

 2年目は仕事のせいで余り逢えなかった。だから、電話が大切だった。

 携帯電話も無かった頃、仕事を終えて、公衆電話で君と話したつかの間のひと時が安らぎだった。

 使用済みテレホンカードが僕の机の引出しに溜まる。

 でも、いつしかテレホンカードの枚数が減る。

 3年目には3回に1回しか君は出ない。

 君も忙しかったのだと、僕は思った。

 思うことにした。

 いつしか留守番電話にも繋がらない。

 虚しいコール音だけが電話の向こうで響いている。

 4年目、僕がいつも使っていた公衆電話が撤去されていた。

 携帯電話の普及が僕と君を繋いでいた糸を断ち切った。

 早く帰れた時間には、部屋から君の電話をコールする。

 相変わらず虚しいコール音。

 5回に1回、君が出ればいいほうになった。

 5年目にはプライベート用の携帯電話を買った。

 真っ先に君の部屋の電話番号を登録した。

 先輩や同僚に誘われて女の子と飲みにも行った。

 君と話すときのネタ作り。

 皆、僕には彼女がいないと思っているって。

 暇さえあれば、君の電話番号をコールした。

 朝、昼、夜。

 10回に1回。電話に出た君は、相手が僕だと知ると少し落ち着きの無い声で応じる。

『ここの所ずっと忙しかったの』

 電話ありがとう。

 でも、今忙しいからごめんね。また掛けるわ。

 そう言って君は手短に会話を断つ。

 忙しいなら仕方が無いね。

 自分に言い聞かせた。

 言い訳。

 携帯電話の番号を伝えることも、聞くことも出来なかったほど短い時間だった。

 忙しいといった君に遠慮して、僕は一週間後の夜に部屋の電話をコールした。

 いつものコール音はせず、突然告げられた。

『この電話番号は現在使われておりません』

 何度も何度も確かめた。

 クロゼットの奥に仕舞い込んだ卒業アルバムから電話番号を確かめた。

 住所も確かめた。

 日曜日、君の部屋に行った。

 部屋には別の人間が住んでいた。

 実家にも電話した。

 電話は使用されていなかった。

 6年目、君は僕の前から姿を消した。

 何も言わずに。

 僕はただ、ひたすら電話の前に座る。

 君からのコール音を。

 でも、そんな僕を嘲笑うように神様は悪戯好きだ。

 珍しく、一人で買い物に出かけた土曜日。

 僕は君を見かけた。

 人々で賑わう大通りでも君はすぐにわかった。

 随分逢わないうちに変わった印象。大人っぽく、相変わらず美人で。

 声を掛けようと思った。

 久しぶり。酷いじゃないか、突然引っ越すなんて。忙しくて電話を忘れていたんだろう?

 なじる振りして笑って許そう。

 そう思って横断歩道を渡ろうとした。

 そのとき、君は片手を上げて嬉しそうに手を振った。

 スポーツカーの運転席窓から顔を出した男の元へ駆け寄る。

 周囲を気にしながら、君はその男とキスをした。

 人前で、一度だって君はそんなことしなかった。

 洒落にならない。

 僕は、騙されていた? そんなはず無い。そんなはず・・・。

 雷にでも打たれたように、僕はその場に立ち尽くした。

 3日後、懐かしい友人から電話が掛かってきた。

 僕と君との共通の友人。

 気まずそうに、遠慮がちに、世間話を始める彼に僕は苛立つ。

 ようやく、彼が口にした言葉はさらに僕を打ちのめした。

『彼女、来月結婚するんだよ。てっきりお前だと思ってたんだけど・・・・・・」

 誰もが、彼女は僕とまだ付き合っていると思っていた。

 僕自身もそう思っていた。

 違ったのは彼女だけ。

『その男とは5年も付き合ってたんだと。』

 僕だって、まだ付き合っていた。

 彼女は僕だけじゃなく、周囲にまで嘘をついていた。

『そいつ、その頃売れないデザイナーでさ。彼女が面倒見ていたようなもんさ。ようやく一人前になって認められるようになったから結婚するんだとさ』

 僕は安定したサラリーマンだった。

 君にとっては、退屈だったんだね。

 普通の僕が。

 周囲の目を気にして、カモフラージュに利用されていた僕。

 気づくのが遅すぎた。

 遅すぎたね。

 愚かな僕を嘲笑うように、雨が激しく降っている。

 彼との電話を終えても、僕はまだ電話の前に座っている。

 きっと、酷い顔をしている。

 先輩や後輩。同期の連中に笑われる。

 飲み会の格好のネタじゃないか。

 5年も騙された男の話なんて。

 涙が出てきた。

 悔しくて。

 今、僕を笑う奴はきっと酷い目に遭う。

 それが、彼女でないことをまだ祈ってる自分に腹が立った。

 雨は相変わらずだった。

 それから2ヵ月後。

 僕の生活は変わらない。

 携帯電話の一番最初に登録された、使用されていない君の部屋の電話番号はそのままになっている。

 飲み会にも相変わらず行っている。

 可愛い女の子の携帯番号を聞き出すこともお手の物。

 でも、君の代わりはいない。

 新しい恋人もいない。

 そんな日々に舞い込んだ1枚の葉書。

 1枚の写真。

 幸せそうに微笑むウェディング・ドレス姿の君。

 あぁ、最後まで君は僕を嘲笑うんだね。

 酷い仕打ち。酷い君。

 僕は可笑しくなって笑ってしまう。

 夢中で追いかけた6年がこんな形で帰ってきたことに。

 僕は翌週引っ越した。

 『また、電話するわ』

 そう言った君。

 君からの電話が二度と鳴らない場所に。

 君からの手紙が二度と来ない場所に。

 新しく、始めるために。 


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