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melting  作者: 彩芭つづり
1/3

1部

「ふられたっ!」

 帰ってすぐに、電源を入れたばかりでまだちっとも暖かくないこたつの中へと足を放り込む。テーブルの上に上半身を投げ出すと、わたしは情けない声でそう嘆いた。

 脱いだコートを丁寧にハンガーへかけていたのに、わざわざその手を止めて驚いたような顔つきでこちらを見つめてくるのは、わたしの幼なじみでありこの部屋の住人でもある佐藤リョウだ。

 リョウは寝ぐせひとつない短い黒髪をさらりと揺らし、わたしの声に首をかしげる。わたしはそんなリョウを呆れた瞳で見返した。ハンガーになんてかけなくても、どうせ明日も着るのだから椅子の背もたれにでも引っ掛けておけばいいのに。几帳面な人だ。

「ふられたって、なにが」

 ぱちぱちと二回まばたきをして、止めていた手を再び動かしコートをハンガーにしっかりとかける。それをハンガーラックに引っ掛けながらリョウはそう聞いてきた。

 なにがって、そんなことは聞かなくてもわかると思うのだけど。

 わたしはばっと顔を上げながら恨みがましい目でリョウを見て、

「決まってるでしょ。わたしがふられたのよ、好きな人に!」

 と強い口調で答えた。

 リョウはコートを脱いだだけで着替えはせずに制服のまま、もぞもぞとこたつに座り足を入れてきた。二人で入るにはそれなりに充分だといえる広さだけど、それでもやっぱり足はぶつかる。わたしは無言でよけてリョウに足の居場所を渡した。

 腰を落ち着けると、リョウは早速聞いてきた。

「え。早都子(さとこ)、好きな人いたの?」

「いたわよ」

「知らなかった」

「そりゃあそうよ。言ってないもの」

 そう言うと、リョウは少しだけむっとした表情をした。すぐにいつもの無気力で無感情な無表情の顔に戻ったけれど、わたしはその一瞬を見逃さなかった。あんまり自分の気持ちを前に出すような人じゃないから、リョウにしては珍しい反応だと思ったのだ。

「どうして言ってくれなかったの」

「言ったってしょうがないじゃない」

「隠されたくなかった」

「べつに隠してるつもりはなかったけど、全然」

 そう言って、テーブルの上に置いてあるかごの中に三つだけ入っていた小ぶりのみかんを手に取り、皮をむく。半分に割って、その片方をリョウにあげた。リョウはなにも言わずにみかんを受け取ると、一房ちぎって口に放り入れる。それを見てからわたしも同じように口に入れた。

 んー、これ、すごく酸っぱいじゃない。リョウの表情が少しも変わらないから甘いのかと思ったのに。

「好きな人ができた時点で言ってもよかったけど、そうしたらあんた、どうせ無理だって言うでしょ。『あいつと早都子じゃ釣り合わない』って絶対に言うもの。わたしはね、そんな言葉は聞きたくないの。あんたがわたしの恋を応援してくれたことなんて、今までに一度もないんだから。ちゃんと憶えてるのよ、わたし」

 酸っぱさに口に手を当てながら言うと、リョウは無言ですっと目を細めた。たぶん、図星だったのだろう。リョウは昔から図星を指されると目を細めるくせがある。わかりやすい人だ。

「まあ、応援したことがないかどうかは置いといて」

 こうして自分が責められるような状況になると、するりと話をそらすのもリョウが毎度することだ。

 わたしは、ふんとそっぽを向いてみかんを口に入れた。

「早都子がふられたって、どういうこと? そいつに告白でもしたの?」

 聞かれて、小さく首を振る。

「してない」

「……してないの?」

「してない」

 リョウは肩をすくめながらやれやれというふうにかぶりを振った。

「告白もしてないのにふられたって」

「なによ。わたしだってちゃんとするつもりだったわよ。きちんとこの想いを彼に伝えようとしてたんだから。……まあ、最初はね」

 溜め息まじりに言って、がくりとうなだれる。そんなわたしの顔を、リョウは真っ黒い双眸で覗き込んできた。そのまま目を合わせながら聞いてくる。

「告白できなかったの?」

「そうよ。だけどね、勘違いしないでほしいわ。わたしは勇気がなくて告白できなかったんじゃないの。する前に見事にふられちゃったのよ。あの人はわたしに『好き』って伝える時間さえくれなかったわ」

 そこまで言うと、リョウは静かに顔を上げた。すぐにわたしもうなだれていた頭を起こす。もう一度お互いの目が合うと、リョウは不思議そうに首をかしげた。たぶん、どういうことだ、と言いたいのだと思う。ここまで言ったのなら、わたしももちろん最後まで話すつもりだ。リョウはわたしの恋を応援してはくれないけれど、わたしを元気づけるのは誰よりもうまい。

 わたしは小さな溜め息を一つ吐き出してから、

「今日がバレンタインデーなのは知ってるわね」

 と話を切り出した。

 リョウはすぐ、もちろん、というように深くうなずいた。

「そう。だからわたしは、今日は絶対に好きな人にチョコレートを渡そうと思ってたの。そのときに告白もしようと決めてたわ。ちゃんとせりふも考えたのよ。昨日の夜に紙に書いて、何度も何度も練習したわ。くまのぬいぐるみ相手にね。……それなのに」

 それなのに。

「チョコレートの箱を差し出した瞬間、たった一言『いらない』よ、『いらない』。それで帰っちゃったのよ、あの人。ありえないわよ。手作りなのよ。ラッピングだってせっかくかわいくできたと思ったのに。バレンタインデーに女の子からのチョコレートを受け取らない男っている? いないわよ。そんなの許されないわよ。こういう特別な日なんだから、たとえ甘いものが苦手でも受け取るのが礼儀ってもんでしょ。優しさのかけらもないのかしら。ひどすぎるんじゃないの。見損なったわ。ほんと信じらんない!」

 早口で一息にまくしたてたあと、手の熱で生ぬるくなったみかんを一気に口の中へと詰め込んだ。今日破れた恋に似た、甘みなんていっさいない酸っぱさだけが、口の中にじわりじわりと広がっていく。そんなのは味わいたくなくて、わたしはすぐにみかんを飲み込んだ。

「優しさ、ねえ……」

 話を聞いたリョウは、そう呟きながら手の中でみかんをころころと転がす。それをじっと見つめながら、リョウは口を開いた。

「もしかしたら、その人はきっと、優しさだけでチョコレートを受け取ってしまったら、のちに後悔すると思ったのかもしれないね」

 それはひとりごとのようにも聞こえるけれど、わたしに言い聞かせているようにも思えた。

 わたしは眉根を寄せる。

「後悔? ……どうして」

「さあ。自分でもよくわからないけど。ただ勝手にそんなふうに思っただけさ。あんまり気にしないで」

「気にしないでって言われても」

「まあ、でも、早都子の話を聞いて安心した。その彼はしっかりした人だと思うよ、うん」

 自分で納得したかのようにうなずくリョウ。わたしにはなにが言いたいのかいまいちよく伝わってこない。それでもリョウは満足そうに小さく何度も首を縦に振っていた。

 理解ができなかったわたしは、くちびるを少しとがらせた。

「……なによ、ずいぶん意味ありげに呟くじゃない」

「いいや、べつに」

 ゆるゆるとかぶりを振ってから、リョウは残りのみかんを口に入れた。わたしと同じみかんなのだから絶対に酸っぱいはずなのに、リョウは一ミリも表情を変えることなく、ゆっくりと咀嚼し、それを味わう。まるで鍛え抜いたかのような無表情に、わたしはじっとリョウを見つめた。

「……なに見てるの」

「いや、酸っぱくないのかなと思って」

「甘すぎるのは好きじゃない。このくらいがちょうどいいよ」

 そうだろうか。わたしは甘ければ甘いほどおいしいと思うのだけど。……ま、どう考えるかは人それぞれだ。

 こくりとリョウの白い喉が上下する。リョウはみかんを飲み込んだあと、テーブルの上に置いてあった皮をティッシュにくるんでごみ箱へ捨てた。相変わらず几帳面な人だ。わたしならそのまま捨てる。

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