大盗賊の魔法
その国では、昔から双子は忌み子とされている。
特に王族にとっては未だその因習が根強い。
王位継承権といった権力争いへの種となるからだろう。
故に、双子が生まれた場合は遅く誕生した方を塔に隔離し閉じ込める。
殺さずにいる理由は、万が一の場合にいわゆる"代替品"として利用する為だ。
王子の誕生に立ち会った者以外、産まれた子が双子である事を知る者はいない。
以上が、この少年が一人で塔に暮らしている理由である。
最低限の衣食住、それから勉学が提供されてはいるものの、人との関わりはほぼ皆無に等しい。
食事の配給係は部屋の前までしか来ず、ドアを開けることはない。
勉学の指導者は顔を合わせることはあるものの、一方的に授業を行いそれが終わるとそそくさと帰っていく。
それ以外に訪れる者は一人としていない。
父も、母も、双子の兄も。
そんな孤独で退屈な日々の中少年は唯一の窓から外を眺めていた。
小さい頃はドアの施錠も緩く簡単に外へ抜け出す事が出来ていたが、それも本当に小さい頃の事。
外の記憶など朧気で、幾重にも鍵が掛けられ厳重に施錠されたドアから出る術など、少年は知らない。
窓から見えるのは、木々と空と時々飛んでいる鳥。
かつて自分が歩いたはずの地面は見えない。
少年にとって窓とは生きた絵画だった。
確かにそこに存在しているが、手に取る事も触れる事もそちらへ行く事も叶わない、虚像を映した絵画。
絵画の向こうには確かな生物の営みがあるはずなのに、それを知る事は出来ない。
少年は日がな一日絵画を見つめながら、その世界に焦がれ続け、飛び込めない悔しさに嘆き続けていた。
ある夜、その絵画から一人の女性が飛び出してくるまで。
珍しい薄黄緑のハネっ毛にぱっちりとした空より深く海より透き通った青の瞳。
後ろで結んだ髪の毛は尻尾のようで、いつか本で見た猫を連想させた。
しかし人であろうと猫であろうと、この高い塔の頂上付近にある少年の部屋に窓から入ってくるなど不可能だ。
だが、彼女は確かに月夜を背景に開け放たれた窓の枠に腰掛けている。
「…………女神、さま?」
少年はぽつりと呟く。
それ以外に不思議で不可解な彼女を表現する言葉がなかった。
女性は首を横に振る。
「残念。あたいは大盗賊さ」
「盗賊……?」
盗賊なら、閉ざされた密室への侵入など容易なことだろう。
女性の不可解な出現方法に少しだけ納得した気がする。
「この塔に財宝が隠されてるって噂を聞いたからさ、大盗賊として見過ごせなかったんだけど……」
語尾を濁しながら盗賊は少年の部屋を見回す。
本棚が一つにベッドが一つ、本は数冊しかなく、どれも難しそうなお勉強用の学習書。
「……値打ちのありそうなものは無さそうだねぇ。やっぱり、ガセネタだったかい」
残念だと言うようにゆるゆると首を横に振った。
「君は? あたいと同じ盗賊って訳じゃないだろ?」
盗賊が少年に訊ねる。
「俺は……」
なんと答えればいいのだろうか。
この塔に閉じ込められていると言えばいいのだろうか。
しかし少年には、確かに不自由な身であるが幽閉されているとの自覚はない。
ならば住んでいるとでも言うべきだろうか。
しかし少年は、ここが本来自分の居るべき場所ではないと分かっていた。
ならせめて名を名乗るべきだろうか。
しかし少年には、名乗るべき名前がなかった。
黙り込んだ少年を盗賊はじっと見つめる。
「……このまま手ぶらで帰っちまうのは、大盗賊としてのプライドが許さないねえ……」
ぽつりと盗賊が呟いて、再び沈黙が降りる。
そして盗賊は閃いたと言わんばかりの笑みを浮かべると、窓枠から下りて少年に近付きながら言う。
「あたいの盗賊道はね、ちょいと義賊の理念を踏襲しててね。誰かから何かを奪ったら、誰かにそれ相当の何かを与えるって代物なのさ」
「?」
話の意図するところが分からず少年は首を傾げた。
盗賊は少年の目の高さと同じ位置に目がくるように屈んで、言う。
「だから、さ。――君から"不変"を奪って、君に"自由"を与えてもいいかい?」
空より深く海より透き通った瞳が真っ直ぐに少年を見つめた。
「それって、どういう……?」
「アンタの狭い世界での一生を奪ってやる、ってことさ」
狭い世界がこの部屋のことだと少年は理解した。
少年のここでの生活を奪うつもりなのだ。
それは確かに甘美な誘惑なのだが、それと同時に未だ家族に期待している思いが現れた。
もしかしたら、家族と一緒に過ごせる日がいずれ訪れるかもしれない。
訪れない可能性の方が高い事は分かっているし、そんな希望を持つべきでない事も分かっている。
心の中ではこの塔から飛び出したいと望んでいたハズなのに、いざとなると上手く羽ばたく事など出来ないのではないかと恐怖が込み上げてくる。
そして、恐怖が希望よりも勝った。
「……いい、って言ったら……?」
控えめに拒否する。
だが盗賊は、目を細めてにやりと笑った。
「断るだけ無駄さね。大盗賊が奪うって決めたんだ、力づくでも奪うまでさ!」
そう言うやいなや盗賊は少年を抱え上げて、軽やかに窓から飛び出した。
「わ……っ!!」
今まで絵画としてしか見ていなかった平面的な世界が、四方八方を取り囲む。
夜のひんやりとした外気が身体全体を吹き抜けていく感覚。
重力に従い二人は落ちていく。
「アル・シエロ!」
ふわり、まるで空を飛び続けた鳥が着地する時のような感覚。
落下していく速度が段々と遅くなり、二人は緩やかに地面に着地した。
盗賊は抱え上げていた少年を芝生の生えた柔らかな地面に降ろす。
少年は初めて触れる芝生の感覚を踏み締め、辺りを見回した。
絵画じゃない、窓越しじゃない、夢でもない、立体的な本当の世界。
ずっと見下ろしていた高い高い木々を今は見上げている。
自分のいた塔のあの部屋も、空も、星も、月も、ずっとずっと遠くにある。
塔の中では嗅げなかった土や草の匂いを、自然が作り出す新鮮な空気を、肺一杯に吸い込んだ。
吐き出すのが勿体無くてしばらく息を止めたが、流石に苦しくなったので仕方なく呼吸を再開した。
かつて塔を抜け出した時にも、自分は今の自分と同じような事をしていた記憶がぼんやりと思考の端に浮かんだ。
「さーてと、奪うもん奪ったし、あたいはこれでトンズラこくとしようかね。アンタはこれから、どうするんだい?」
盗賊がのびをしながら少年に訊ねた。
その言葉に一瞬で現実に引き戻される。
これは夢ではない、いつか解ける魔法ではない。
この盗賊に憧れ続けた外へ連れ出された瞬間、少年は安全で不変で退屈な塔での暮らしを捨てた事になる。
きっとこのまま、この場から動かずにいれば見回りの兵士に見つかって塔へ連れ戻されるのだろう。
それは、嫌だった。
嫌だから、生きる為に、自分は前へ進まなくてはいけない。
「……お前は、大盗賊、だよな……?」
「そうさ」
確認する少年に短く答える盗賊。
少年は空気を思い切り吸い込んで、そして飲み込んだ。
「お願い、おれを弟子にして! どんな雑用だってする! 盗みだってする! だから――」
既に心に決めていた事を少年は口にした。
あの塔の中での暮らし以外に少年が知ることは何も無い、魔物と戦う術も一人で生きていく術も。
今頼れるのは目の前に居る盗賊だけである。
例え犯罪者であろうと彼女しかいないのだ。
「……良いのかい? あたいは大盗賊だよ。生半可な覚悟なら止めときな」
「分かってる。それでも、今のおれにはお前しか頼れるヤツは居ないし……」
闇夜の中でも輝く金色の瞳で真っ直ぐに盗賊の目を見つめた。
盗賊も真っ直ぐに少年の目を見つめる。
そして少年の瞳が迷いのない力強い意志を孕んでいると分かり、諦めたような笑みを浮かべた。
「分かったよ。でも、あたいの弟子になる前に、一つ誓ってくれないかい?」
何を誓わされるのか、少年はごくりと唾を飲み込む。
「何があっても、人の道から外れるような事はするんじゃないよ」
「ああ、分かっ……た?」
勢いよく返事をしたが、盗賊の言う言葉ではないような気がして頭に疑問符が浮かぶ。
盗みは人の道から外れるような事ではないのだろうか。
「……なんで疑問系なんだい?」
「え、いや、その……なんでもない!」
せっかく弟子になる事を承諾してくれたのだ、彼女の気を害すような言動をしてはいけない。
「そーなると、アンタの名前が必要さね。盗賊に本名は不要だからねぇ」
そう言うと盗賊は空を見上げて思案する。
視界にあるのは、闇夜に輝く月。
しかし月も闇夜も少年には似合わない気がする。
もっと明るい場所で強く輝く、そう――
「ソル」
盗賊が小さく呟き、少年の方に視線を戻す。
「今から、アンタの名前は"ソル"だ」
「ソル……」
少年改めソルはその名前を何度も心の中で反芻した。
代替品としてしか見られていなかった少年には名前など無かった為、知らず知らずの内に頬が綻ぶ。
初めて、自分自身を見てくれたような気がした。
「じゃ、じゃあ、お前の……ししょーの名前は?」
「そうさねぇ……」
盗賊はまたしばらく考え込んだ。
そして、かつて本で見た憧れの義賊の名前を思い出した。
「ユライ。ユライ・ヤーノシーク、ってのはどうだい」
少し自慢気に盗賊ユライ・ヤーノシークはソルに言う。
「それって偽名?」
「もちろんさね」
世界が暗さを奪われ、明るさを与えられていく。
ソルは再び遠くなった空を見上げた。
長かった夜は終わりを告げ、地平線から大地を照らす"太陽"が昇った。