第四話 その1
東吾は夢を見ていた。
冷たい硬質な床に、あぐらをかいて座っていた。
目の前には本棚や机、それに椅子などの山が乱雑に積み上げられて、そのまま放置されている。
そこは、仄暗い部屋の中だった。どこまでも続いていきそうな薄ら寒い暗闇が、全てを支配し、影の中に包んでいた。
真上には、一体どれほど離れているのか、霞んでおぼろげに見えるほど遠くに小さな天窓がある。そこから、ほんのわずかだけ、青白い月明かりが差し込んでいた。
「……。あれ?」
どこだここ。暗え。
そんな風に思っていると、暗闇の中から。
声が聞えた。
『おい。お前』
「え?」
声のした方に振り向く。
少し離れたところに、人の形の暗闇があった。
きゅっと釣りあがった、虎を思わせるような鋭い双眸が、暗闇から不思議と浮き上がって東吾を見据えていた。
『お前だよ、お前。他に誰がいる』
「……。え? だ、誰だ」
『うっるせえ。あたしのことはいいんだよ。そんなことより、どういうことだ。これは』
「はい?」
『どうしてあたしが、こんなことになっちまってんだ。こりゃあれか、嫌がらせか? くそったれめ』
声は妙に苛立っていた。
東吾は首を傾げる。なんだこいつ。
「嫌がらせ? 何を言ってんだ?」
『解放しろよ、もういいだろ。あたしはうんざりしてんだ。さっさと土に還してくれ』
「??? あん? 何がだよ……?」
『ああもう、こいつぜんぜん分かってねえ……。だから、あたしだよ。あたし』
声の主は立ち上がると、こちらに近付いてきた。
暗闇の中から姿が浮かび上がる。
短く刈り上げられた赤い色の髪の、精悍な顔立ちの美青年だった。
すらりとした細身で長身の体躯に、囚人のようなぼろぼろの服を着て、首には枷がつけられていた。
『早く土に還せ。お前ら、どこまで人を振り回しゃ気が済むんだ』
「ええ? ……だ、だから誰だよお前。土に還す、ってなんだ?」
東吾が尋ねると、青年は軽く顔をしかめた。
『ああ、そうか、わかんねえよな。お前は生きてる姿は見たことねえもんな……。つまり、これだよこれ』
青年は何も持ってない手を軽く握りしめると、まるで剣でもあるかのように構える。
ビュビュッ、っと素早く手を振り、烏の鳴き声のような声を出した。
『カアーーッ! って、感じだったか? 変な声、出るよな』
「……あ。ひょっとして?」
『そうそう、それだ。なんつったっけ、あたし、魔法はよく分かんなくて……スケントン、だったか? スケルトンか?』
ぼりぼりと頭を掻いて、青年は東吾の前に座りこむ。
『よいしょ。とにかくあたしはその、スケなんとか、なんだよ。お前の中に入れられたやつ』
「す、スケルトン? あの、骨のやつの……? いやでも」
『ここは夢の中だよ。生きてた時の姿で出てきたっていいだろ。身なりは、なんでかひっでえけどよ』
薄汚れてぼろぼろの囚人服を引っぱって、嫌そうな顔をして言う。
東吾は目をぱちくりさせた。
「……夢? あー、そう。なんとなく分かるわ。で、なに? 解放って……」
『だから、ここから出せっつーんだよ。剣技までパクりやがって、あれでもちょっとは自慢の技だったんだぞ』
「パ、パクる? ……そういや、体が勝手に動いたな。剣がカキンカキーンって」
『あんなおっせえ剣の相手をさせやがって。ま、んなことはどーでもいい、とにかく出せ。そして埋めろ。墓まで作れとは言わないから』
骨になっていたスケルトンの中の人であるらしい青年は、ずいと顔を寄せて迫ってくる。
なんと言っていいものか、東吾は困ってしまった。
「だ、出せって言われてもよ。どうすりゃいいのか……」
『あん? お前、自分のことなのにわかんねーのかよ。冗談じゃねえぞ、ウソだろ……』
青年が額を押さえ、後ろを振り返った。
そこにはもう一つ、暗闇の中に人影のようなものがあった。
『勘弁してくれよ……。こんなとこで、なんで素っ裸のわけわかんねーやつと一緒にいなきゃならねーんだ……』
天窓から薄い光が差し込み、その一角を照らし出す。
「ぶっ!? な!?」
『ア゛……』
全裸の肉のゴーレムだった。
何もない方向を向いて、無表情のまま黙ってひたすら立ち尽くしていた。
「うわ怖っ!?」
『喋らねえし、押しても引いても動かねーしよ。なんなんだこいつは』
「く、暗闇に裸の筋肉男とか、ホラーじゃねえか……。え、なんだ、ここって。ひょっとして」
東吾が飲み込んだものが、行き着いた場所。
周囲を見る限りでは、そうであるらしい。
近くに積み上げられた机や棚の山には、それに混じって例のヴァンピールスレイヤーという剣や、赤い光を放つあの宝珠などが無造作に放られている。
「こんなとこに……。俺の四次元ポケットの中って、こんななのか……」
『なあ、出る方法マジでわかんねーのか? 頼むよ、ここから出してくれよ。ずっと薄暗えし、どこにも行けねえし。歩いてみても、ここに戻って来ちまうんだ』
青年は東吾の手を掴み、懇願してくる。
『あの腐れ長髪野郎から離れられて、ここに来た時はしめたもんだと思ったさ。死んでからこの方、好きに体を動かす自由すらなかったからよぅ。でもよ、こんなんじゃ生きてても意味ねえよ。牢獄じゃねえか、メシすら出ねえ。看守もいねえから会話すらねえ。もうイヤだよ……』
「長髪……って、ああ、あのデーイィンとかいう先生か。そうか、生前とか言ってたもんな」
『ッキショウあの野郎、あたしをさんざんオモチャにしやがって。挙句これかよ、ただの物盗りにここまでするか? やっとこさ剣闘士やめられて、自由になったばかりの初の獲物が、デタラメな強さのとんだイカレ野郎だったなんて……』
半分泣きそうである。いろいろ事情があったらしい。
「は、はあ。お前もあの先生の被害者なんだな……。俺もひどい目にあったよ、色々ブチ込まれたし。っていうか、お前とかを」
『ううう……。そうだよ、お前の中に放り込まれたんだよ。お前、男だろ。責任取ってくれよ』
男だろ、責任取れと来た。東吾はまたも、目を瞬かせる。
「えっ? お、男だろって言われても」
『男じゃねえか。なんとかしてくれ。こうしてあたしが頼んでるんだぞ? それともなんだ、奴隷上がりの言葉なんて聞けないってのか?』
「え、いや、そーじゃなくて」
『もう死にたいってだけなんだ。生きててもいいことねえし、つまんねえんだ。助けてくれないか』
「えーと……」
出し方などと言われてもまったく分からない、というのもあるが、それとは別に東吾は不思議だった。妙な言い方とする、と思う。
「それはいいけどさ。男って、なんだそりゃ?」
『は?』
「は、でなくて。それに、さっきからあたしあたしって。オ、オカマさんなのかお前?」
『……。おい待てコラこの野郎』
「うお!?」
胸倉を掴まれた。青年は半ギレした目でにらみつけてくる。
『おま、お前なぁ! あの長髪野郎と同じ勘違いしやがって、ぶっ飛ばすぞ! あたしは「女」だ!』
「え!? ……う、うそマジで!?」
『なんだコラ! そんなに男に見えんのか!? 髪が短くてわりーのか! それともなんだ、胸がねーからか!?』
「わ、分かった悪い! おちつけ! 勘違いしてた!」
「ペチャパイで悪かったなクソ! どいつもこいつも間違えやがって……!」
青年、ではなく短髪の女の手が離れる。
東吾は座り直して、目の前の女を改めて見てみた。
言われてみれば、確かに女顔である。むしろ美人に属するのかもしれない。
髪が超ベリーショートでスレンダーな上に言葉遣いも乱暴なので、一見男のようにも思えてしまうが。
「え、えっと。とにかく、お前を解放して埋めてやればいいんだな? じゃあ、あの先生に聞いておくよ。できるかどーかは知らないけど」
『本当か。頼むぞ、出してくれんなら墓なんていらねーから。最悪野ざらしでもいいからよ……どうせわかんねーし』
「そ、そうか。一応死んでるんだもんな……。なんかもったいねー話だけど、分かったよ。……ところで」
『なんだ?』
「お前、なんてーの? 名前」
『? あ?』
「俺、お前の名前すら知らないし。俺は実城東吾、っていうけど」
『……。気にすんな。もうすぐ完全に死ぬのに、名前なんて名乗ってもしょうがねえだろ』
女は肩を竦めると、ごろりと床に横になった。
『それにもうすぐ夢も終わりだ。出してくれんなら、もう話すこともねーだろうよ』
「あ、マジでか。いやでも、せっかくだから名前ぐらい……」
『ほれ起こしに来たぞ。じゃあな』
その言葉を最後に、急激に視界がぼやけ、音が遠くなる。