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第六話 その12




東吾とリィーンを乗せた馬車が揺れる。

二人に会話はなく、ごとごとと砂利道をゆく車輪の音の反響だけが、馬車の中に響いていた。


「……」


東吾は窓の外を眺めた。窓からは離れゆくローラシア城が見えていた。聳え立つ城郭は太陽の下、鬱蒼と佇んでいた。

巨大な、鳥かご。

いつかユスティーナが言っていた言葉が東吾の胸に刺さった。

まさにそうだった。あの立派な城は、呪われた王の血を閉じ込めておくための、巨大な鳥かごなのだ。

彼女以上の犠牲者を出さないための。この国を守るための。

彼女は結局、そこから逃げられなかった。


「……くそっ」


これからユスティーナがどうなるのか。それを考えると東吾は胸が苦しくなった。

ユスティーナは――殺されるだろう。父親の手か、もしくはデーイィンの手にかかって。

東吾たちはそれを止めてはならない。

東吾には何もできなかった。東吾では、ユスティーナを本当の意味で城の外へ連れ出してやることはできなかった。


「っ……!」


東吾は拳を握り締めた。無力感を強く感じた。血が出るほど握っても、血の通わぬ肉のゴーレムの体からは一滴の血も、痛みさえもなかった。

するとリィーンが顔を上げて言った。


「トーゴ。もうやめて。自分を責めてもしかたがないわ」

「だけど。俺は」

「もうやめて……。お願いだから、そんなふうにしないで。お願い」


リィーンの声に東吾は押し黙った。

再び無言の馬車が揺れる。東吾は胸の中の苦味を感じながら脱力した。

窓の外、少し視線の向きを変えれば、あのデュ・トワ湖が見えた。風光明媚な美しい湖畔は、陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。

美しかった湖の景色を見ても、東吾にはため息しか出てこなかった。


「はあ……。なんでこうなっちまったのかな、って……あれ?」


そのうちに、別のものが東吾の目に入った。

大きな岩の塊。

それが、道を埋め尽くさんばかりに林立している姿だった。


「お、おい、あれって。リィーン」

「えっ? あ。ブロッガとドーラ?」


あのブロッガとドーラ、珍妙な共生生物たちが大勢、馬車の進む道の先でたむろしていた。

完全に道が塞がれてしまっている。御者をしていた王宮の兵士があわてて馬車を止めた。


「な、なんだこれは!? おい貴様ら、勝手に公道を塞ぐんじゃない!」


兵士が馬車を降り、ブロッガたちに文句をつけはじめた。東吾はその様子を見ながら言った。


「なにやってんだあいつら。あいつらも国に帰ったんじゃなかったのか?」

「これじゃわたしたちも帰れないわね。ちょっと降りましょ、トーゴ」


二人が馬車を降りてブロッガたちに近づくと、ブロッガたちは一斉にこちらに振り返って言った。


【おお! これはロディニアの魔導士どの、である。この間はお世話になった、である。また会えてよかった、である!】

「ちょ、ちょっとあなたたち。ここで何をしているの? こんなに街道を塞いじゃって、帰らなくちゃだめじゃない」


リィーンが怪訝な顔をして聞くと、ブロッガは難しそうな声で言った。


【うむ……である。実は、我々とっても困っている、である。このままでは帰れない、である。聞いて欲しい、である】

「帰れない? どうして? ちゃんと道も教えてあげたのに」

【もちろんそれでみんな帰れるはずだった、であるが。それがである……国境の近くに住む大きな生き物が、突然凶暴になっていて近づけない、のである。普段は草食で大人しい生き物のはずなの、であるが】

「え……?」

【我々も困り果てている、のである。どうか助けて欲しい、である】


ブロッガたちの間から助けてくれである、助けてくれであると声が上がった。

リィーンは顎に手をやると「凶暴に? それって」とつぶやき、東吾に向かって言った。


「ねえトーゴ。生き物が急に凶暴になるって。もしかして……」

「……姫さまの、か。暴徒やさっきの俺みたいに、野生の生き物も。お前の先生が言ってたな」


どうやらこのブロッガたちは、そのせいで故郷に帰れないらしかった。

ブロッガたちは重ねて頼みこんでくる、


【このままではみんな帰れない、である。我々置いてけぼりの立ち往生、なのである。何度もお世話になって申し訳ないのだが、力を貸して欲しい、のである。重ねてお願いするの、である】

「うーん。でも俺たちは」


東吾は首をひねった。

このブロッガたちを助けようにも、今の東吾たちはそれどころではない。早くこの国を離れなければ東吾自身が凶暴化してしまいかねないくらいだった。

リィーンも東吾の様子に頷き、ブロッガたちに言った。


「ごめんなさい。今のわたしたちじゃ、あなたたちを助けてあげられそうにないのよ。わたしたちも殿下の力になれなくて、国に帰るところで……」

【おお、なんと。最後の頼みの綱が、である……。我々は一体どうすればいいのだ、である】


ブロッガたちが揃って悲しそうな目をした。大きな岩についたギョロ目が泣きそうになった。


「そんな顔? されても、俺たちもどうにかしてやれないんだよ。かわいそうだけど」

【むむむ。で、ではそうである! 助けてくれたらお礼を出す、である!】

「お礼? そう言われても」

【どんな願いも叶えられる、である! 文字通り『本当に』何でも叶うである?】


そう言ったブロッガがゴゴゴ、と後ろを振り返った。仲間のブロッガたちと話し合いはじめる。


【なあみんな、叶うである? 今はちょうど『御館さま』が、地面の底からいらっしゃっておられる、である】

【そういえば、そうであるな? 頼めば願いは確実に叶うである】

【そうであるそうである。むしろ叶わないことを探すほうが、難しいである?】

【待つである。いくらなんでもそれは、ちょっとまずいのではないであるか? 我々以外が御館さまにお目通りするのは、すごく怒られるかも……である】

【背に腹は変えられぬ、である。このままでは我らは飢え死に、である】

【ドーラたちも弱ってきている、である……。故郷の養分のある土が必要、である。しかたがないである】

【むむむ……。そうであるな。では……】


グゴゴっとブロッガがもう一度こちらを向いた。


【話がついた、である。願いを何でも叶える代わりに助けて欲しい、である】

「いや……そうじゃなくてだな。助けたら願いだとか言われても、それ以前に俺がおかしくなっちまいそうなんだよ」


東吾はブロッガたちに手を振った。遠くに見える城を指差す。


「俺たちは、早く城から遠くに離れないといけないんだ。姫さまの出す『声』のせいで、今にも正気を失っちまうかも知れなくて。だから」

【声?】


すると、ブロッガはきょとんとした声で言った。


【声とは、城から聞こえてくるあの魔法の共振、であるか? 少しうるさいみたいであるが】

「え? お前ら、姫さまの出す声が聞こえてるのか?」

【我々は空気の振動に敏感、である。魔力を含んだ共振みたい、であるが……そういえば何十年かごとに似たようなことがあった、である。騒音公害であるなぁ、と我々常々思っていたである、が】

「そ、そういやお前ら。なんで平気なんだ?」


ブロッガやドーラたちを見てみても、誰も凶暴化したような様子はなかった。ブロッガたちはみんな平気な顔をしていた。


【我々はあの程度の魔法の共振ならまったく影響を受けない、である。我々の抵抗力は人間の比ではないである、我々の御館さまが、我々が石や土から生まれる時に一滴ひとしずくの霊薬を賜って下さるから、である。おかげでみんな丈夫、なのである!】

「……」

【? なんであるか? 急に変な顔をして、である】


東吾はあんぐりとブロッガたちを眺めた。

効かない。

効いていない。ユスティーナの発する生き物を凶暴化させる声が、この土のものたちには効果がない。

それはつまり……。

東吾はがばっとブロッガに詰め寄った。


「おい! その霊薬ってなんだ!? お前たち、それを持っているのか!?」

【わわっ!? である。と、突然なんであるか?】

「他にどれぐらいある! 大勢の人に飲ませられるくらいあるか? あるはずだよな、お前らだっていっぱいいるんだから! この国の人たちに飲ませられるくらいは……!」


その霊薬が手に入れば。

誰もユスティーナの声で狂ってしまうことはなくなる。そうなれば、ユスティーナを殺す必要もなくなる。

怪物に生まれ変わってしまっても、父親の手で殺されることだけは……防げる。

東吾の目の前に、いきなり光明が差した。


「教えてくれ! その薬は人間にも効果があるのか? どうすれば手に入るんだ! お前たちの国に行けばそれは!」

【な、なんであるなんである? 待つである、待って、で、ある……】

「頼む! 俺にその薬を! そいつを分けて……ん?」

【だ、だめであるぅ……。そんなに迫られたら、我は、こ、困るのであるぅ……】


東吾が詰め寄っていたブロッガが、急にすっと目を閉じた。ふるふると震えだし、東吾に岩肌をすりよせてくる。

なにやら様子がおかしかった。すると、他のブロッガがぽつりと言った。


【その……。その者は、『メス』なのである】

「は?」

【こ、この時期のブロッガは繁殖期で、メスは少し惚れっぽいのである。それに身を迫らせるのはである、その、我々にとっての求愛行動であって……である。だからちょっと、今ので発情してしまったよう、なのである】

「……」


ブロッガ(雌)が東吾に甘えてくる。ごりごりした岩肌が東吾にくっついてきた。


【あふぅん……であるぅ。もっと激しく迫って欲しい、であるぅ】

「なっ!? ち、ちがう。そうじゃなくて、俺はただ薬が欲しくて」

【我、はじめてなのである……。優しく、でも情熱的に奪って欲しいのであるぅ。我と貴方のかけらを合わせ、新たな石を作るのであるぅ……♪】

「聞けよ!? そうじゃない! うおお、ごりごりするな!」


東吾がブロッガにのしかかられそうになっていると、リィーンが間に入ってきた。


「はいはい。変なことやってないで、それより霊薬の話よ。それは……本当なの?」

【本当、である。我々の仲間が生まれるたび、そうやって霊薬を頂くの、である】


東吾に惚れてしまった雌のブロッガが夢中で東吾にくっついているため、別のブロッガが答えた。


【薬は我々の聖地にある鉱泉から水をすくい、御館さまが息を吹きかけて作って下さる、のである。一度使えば、我々は死ぬまで魔法に耐性を持つ、のである】

「そんなすごい霊薬が……!? ねえ、御館さまって、誰のこと?」

【我らの主にして偉大なる御方、である。大地の全てを司る神聖なる御方、である】

「神聖なる……。ブロッガたちに主がいるなんて、はじめて聞いたけど。その霊薬、あなたたちの国に行けばもらえる?」

【願いごとはそんなものでいいのであるか? 頼めば御館さまはいくらでも作って下さる、であるが。それならちょうど我が一人分持っているである、今は我らの繁殖期ゆえ】

「本当っ!?」


ブロッガが軽く体を揺らした。するとその足元にいたゾンビ植物みたいなドーラが、にゅうっと手を出して小瓶を見せた。

土で汚れた小瓶はしっかりと蓋がしてあった。中には、ほんの一滴だけの液体が入っていた。


【そ、ら。一名ぶん、だ。我々は根で繋がっているから、一滴で五十人分になるのだ、が】

【我らを助けてくれるならそれは進呈するである。魔導士どのにはお世話になったゆえ、それぐらいお安い御用、である。残りは故郷に行けばいくらでもある、である】

「あ、ありがとう! ねえトーゴ、これを飲んで。これならトーゴも殿下の『声』に操られなくなるはずよ!」

「あ、ああ。それじゃ」


東吾は小瓶を受け取り、蓋を開けて中身をあおった。

ぽたり、と口の中に落ちてきた液体を飲み込む。


「飲んだぞ。これでもう平気なのか?」

【平気、である。馴染むまで少し時間がかかるであるが、この霊薬は生あるものには誰でも効く、である。本当は他の種族に分けてはいけないらしい、のであるが。恩人は特別である】

「ありがとな。よーし」


これで東吾が凶暴化する危険はなくなった。東吾はブロッガたちに言った。


「それじゃ、お前たちを助けて国に帰してやる。その代わり、この薬を目いっぱいくれ。この国の人たち全員に飲ませられるくらいだ」

【これはありがたい、である! よろしく頼む、のである!】


ブロッガたちが嬉しそうな声を上げた。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






東吾たちは、ロディニアへと向かう進路を急遽北に変え、ブロッガたちの国へ通じる道を進んでいた。

デュ・トワ湖の横を過ぎ進むと、道は次第に森林が多くなってくる。鬱蒼とした森の中の道を、馬車の車輪がごとごとと音を立てた。

しばらくすると、道が斜面になった。馬車は坂を上りはじめたが、すぐに馬が疲れてへたばってしまった。


『ブヒン。ブルルル……!』

「ありゃ。こりゃだめか?」


東吾は馬のたずなを取って歩きながら、後ろの馬車を振り返った。どうやら荷物が重すぎて身動き取れないらしい。


「そうみたいね。ちょっと後ろの重量がありすぎるわ」

「山ほど積んでるもんな……。しょうがねえ」


馬車の中には、大量のブロッガと掘り出されたドーラたちが、所狭しと積み込まれていた。

少しでも重量を減らすために御者の兵士も帰していたのだが、さすがに満載では重すぎたらしい。


【申し訳ない、である。我々は少々移動が遅いゆえ、である】

「しょうがねえって。のろのろ歩いてたら、日が暮れちまうからな。でもどうするか? 馬だけじゃ力が足りないぞ」

「引っぱる数を増やしましょ。『プロ・トビオント』」

『『『――イィヤーーッ!!』』』


リィーンが魔法を唱え、ゴーレムたちを召喚した。夏の日の涼しげな森の中に、暑苦しいマッスルたちが大量に現れる。


「ゴーレム、馬車を引っぱって。馬は休ませて、しばらく荷物なしで歩かせましょ」

『ヤッ!』


ゴーレムたちが荷引きの役を替わった。強靭な筋肉たちはブロッガの重量などものともせず、斜面を昇りはじめる。


「うーん、いつ見てもやっぱ暑苦しいゴーレムどもだよな……。でも、見た目はともかくこいつら便利なんだよな。よく考えたら」

「そうなのよ。肉のゴーレムは文句も言わないし力も強いし、でも何より優れているのは『人の形をしている』ことなの。人ができる仕事はみんなできるのよ」


東吾の言葉に、リィーンはちょっと自慢げに言った。

少し希望が見えたためか、さっきまで塞ぎこみがちだったリィーンはちょっとだけ元気になれたようだった。


「たとえば木こりの斧とか、草刈りの鎌とか、農具とか。だいたいどんな仕事の道具でも『人が使うように』設計されてるでしょ? だから肉のゴーレムはどんな道具でも、そのまま流用できるのよ。石のゴーレムよりずっと器用だし」

「ほほう。筋肉もあるから力仕事もできるし、そう思えばすげー便利かも」

「わたしのゴーレムはさらに簡単な裁縫までできるわよ。これでも専門魔導士だからね、『摂取』させてやり方を覚えさせなくてもそれぐらいなら。一人ぶんのお給料で何十人分もの仕事ができるわ」


言われてみれば、これでなかなか優れたゴーレムらしい。

東吾とリィーンは森の中を歩いていく。と、そのうちにブロッガの一体が言った。


【そろそろ、である。大きな生き物の領域に入るから、注意しておく、である】

「ああ。それで、その大きな生き物ってなんだ? 普段は大人しい草食とか言ってたけど」

【『バガモール』である】

「バガモール? リィーンは知ってるか?」


東吾はリィーンに振り向いて尋ねた。リィーンは少し首を傾げた。


「ううん……知らないわね。でも生き物の名前って、わたしたち人間とブロッガたちじゃそれぞれ別の名前をつけているのよね。だから名前だけ出されてもちょっとわからないわ」

「和名と英名みたいなもんか。ふーん」

「とにかく、実物を見ればわかると思うわ。ブロッガたちの邪魔になってるなら、そのうち会えるでしょ」


森の中を馬車が進んでいく。

すると……森の少し奥のほうで。


――ドズンッ……!! ドズンッ……!!


と、重い足音のような音がした。


「おっと? ……何かが、向こうにいるな」

「みたいね。かなり重い音だけど……まさか、生き物の足音かしら? でも、そんな大きな生き物がこの森にいるなんて……?」

「ちょっと先に行って見てくるか。偵察」

「そのほうがよさそうね。ゴーレム、ここで待機。何かが襲ってきたら走って道を戻ること」


リィーンがゴーレムたちに命じ、『ヤッ!』と返事をさせると、東吾とリィーンは道の先へ進んだ。

東吾たちは大きな樹の陰に隠れると、緑に彩られた木々の奥を確かめた。

森の奥で何かが動いていた。かなり大きい影のように見えた。


「なんだ……? 何かが動いてるけど、草が邪魔でよく見えないぞ。さっきみたいな大きな足音はしないけど……」

「なにかしらね? もうちょっとだけ近づいて、正体を確かめて……」

「――っ!?」


リィーンの言葉が終わる前に、東吾の背中に何か冷たい感覚が走った。

東吾が吸収した吸血鬼の力によるものか。本能的なアラートだった。

後ろに――


『……ぐう。んあっ? うおおっなんだやべーっ!?!?!?』


同じく危険を察知したのか、完全に眠りこけていた右手のモニカが目を覚ました。


「リィーン! 伏せろっ!!」

「えっ? きゃっ!」

東吾がリィーンを押し倒し、地面に伏せた。その瞬間。


――ギュンッ!!


東吾たちの頭上に一閃が走った。

陰にしていた大きな樹が、なぎ払われて斬り倒された。ズズンッ!! と、重い音がした。


「く、くそっ! いつの間に……!?」

土ぼこりが舞い上がる中、東吾はあわてて背後を振り返った。『その生き物』はそこにいた。

「……え゛!? お、うおおお……!」


それは――超巨大な『カマキリ』だった。


高さ三メートル以上は優にあろうか。大きな大きな緑の体色のカマキリが、東吾たちを静かに睥睨していた。

感情の見えない巨大な複眼に、両手の鎌。その両腕の鎌は鋼のように鈍い光を放ち、森の中にまばらに差し込んだ陽射しを反射し、ぎらりと鋭く光っていた。


「な、なんじゃこりゃ。ば、刃牙……?」


東吾は一瞬ぽかんとしてしまった。

細かいところはかなりディテールが違うが、カマキリである。サイズが完全に狂っているが。


『――キュルキュルキュルキュルキュル――』


カマキリが鳴いた。腕の刃を構え、こちらに向かって大きく振りかぶった。


「あっ、やべえ!」


東吾はリィーンを抱え、あわてて一足飛びに後ろに下がった。

その瞬間、東吾たちがいたところにギュウンッ!! と分厚い刃が振り下ろされた。

ずかあっ!! と地面に刃が突き刺さった。太い樹の根ごと地面を断ち割る!


――キュルキュルキュルキュルキュル――


「……で、でっけえカマキリだ。あの刃で木を切り倒したのか。さっき聞こえてきたのは、足音じゃなくて、樹を切って倒していた音か……!」


東吾の腕の中で、カマキリを見たリィーンが叫んだ。


「ま、『マンティス』!! この森に生息していたの!?」


マンティス、という名前らしいカマキリは、獲物を逃したことに苛立たしげにこちらに振り向いた。

キュルキュルと独特の警戒音がマンティスの口から漏れる。刃を構え、東吾たちにゆっくりと近づいてきた。


「ま、まずいわ。この生き物はちょっと。トーゴ、後ろに下がって!」

「ん……そうだな。でも」


リィーンを片手で抱え上げながら、東吾はじっとマンティスを眺めた。


「あの刃は少し危ねえけど。だけど、それでもただのカマキリだろ? なんとかなると思うぞ」

「トーゴ!? だ、だめよ。いいから距離を取って!」

「なーに、二本の鎌くらい軽く避けれるって。大丈夫だ」


東吾は右手からにゅっ、とヴァンピールスレイヤーを生やした。リィーンを地面に下ろし、剣を構える。


「でかくてちょっとびびったけど。よく見れば、そんなに速くもねえ。あれが二つくらいなら簡単に避けられる。今の俺は、ちょっと一味違うぞ」

『お、やるのかトーゴ? いいねぇ久々の戦いだ』


モニカが楽しげな声を出した。


『んな虫ケラぶっ殺しちまえ! あんなウスノロ軽く殺れるぜ、へっへっへ!』

「こら! 二人とも、少し下がってってば! それは本当に危ないのよ!」

「ま、見てろリィーン。どうせこいつらやっつけないと、俺たちは前に進めないしな」


みしり、と東吾は剣を握り締めた。

吸い取った吸血鬼の強力な力が、東吾の腕にこめられる。


『トーゴやっちまえー!! ひゃっほう!』

「行くぞっ!! おらっ!」


東吾は一気に前に飛び出した。

マンティスの刃が東吾に向かって猛然と振るわれた。大振りの一撃が、すさまじい迫力で東吾に迫る。

だが東吾には見えている、紙一重で軽くかわす。するともう一本の刃が風を切って突っ込んできた。東吾は飛び上がり、またかわした。

マンティスが隙だらけになった。一瞬の間隙を突き、東吾の剣がマンティスに向かって振るわれた。


「もらったっ!! ……うっ!?」


瞬間。マンティスの背中からだった。『三本目の刃』が、マンティスの背後からいきなり伸びてきた。

東吾の目の前に来る。


「あ、危ねっ!?!?」

東吾はとっさに剣をかざして身を守った――が、すさまじい力に弾かれ、思いきり吹き飛ばされた。

東吾の体が樹に激突した。


「ぐわ!?」

「トーゴ!!」


強かに打ちつけられ転んだ東吾に、リィーンがあわてて駆け寄ってきた。


「だいじょうぶ!? しっかりして!」

「あいててて……痛くねーけど。ちょ、ちょっと息が詰まった。び、びっくりした……」


東吾は顔を上げ、少し驚いてマンティスを見つめた。

マンティスは両手の大きな鎌以外に、背中の羽根の部分から剣のような形の脚を生やしていた。バスターソードのように分厚く、重量のあるものだった。


――キュルキュルキュルキュルキュル――


マンティスが見せびらかすように第三の刃を左右に振り、攻撃的な声で鳴いた。


「あ、あのやろ、隠し武器たぁ卑怯な。驚かせやがって」

『おおー。おもしれー虫だな、後ろにも剣持ってやがんのか? あんな手に引っかかってんじゃねーよトーゴ。しっかりしろ』

「う、うっせ。ちょっと油断しただけだ」


東吾は再び立ち上がり、剣を構えた。


「ちっきしょ。もう容赦しねえぞ。カマキリ野郎」

「トーゴったら!! 下がってって言ってるでしょ! 聞いてよ!」

「平気だってリィーン。なに、二本が三本に増えただけだ。それぐらい俺なら避けれ、る、……って……」


もう一度斬りかかろうとしたトーゴの声が、途中で止まった。


――ガパァッ。


マンティスの背中から、仕舞っていた『何十本もの』刃が生えてきたからだった。

マンティスの背中にカマキリのような羽根はなかった。羽根が仕舞われてあるはずの部分は、全て大振りの刃がついた大量の脚が格納されていた。


――キュルキュルキュルキュルキュル――


「……。……」

『おい。トーゴ?』

「ああ。すげえ多いな……。何本あるか数え切れないくらい」

『だな。ありゃちょいと、やべーんじゃねえか? つか、かなり』

「なあニカ。お前ならあれ、全部避けきれるか?」

『んんー。……あたしも自信がねえわけじゃねえよ? でもまあなんつーか。危ない橋はちょっとだけ渡りたくねえかなーって……』

「……」


――キュルキュルキュルキュルキュル――


避けきるのは無理っぽい。と東吾は思った。正直な感想だった。


「や、やべえ。まじかよこのカマキリ」

「だ・か・ら! 下がってって言ってるじゃない! 一旦逃げるのよ!」

「わ、わかった。行こう」


東吾たちは急いで踵を返した。


「マンティスは足が遅いから、急いで離れればついてこれないわ! 走って!」

「お、おう。くそ、あんな手数ありかよ……げっ!?」

「あっ!?」


しかし、背を向けた東吾たちの前に、また別のマンティスが草むらから山道に現れてくる。

それも何匹もいた。気がつけば、周囲を大量の巨大カマキリで囲まれてしまっていた。


「うそ……!! わたしたち、囲まれちゃってる!」

「くっ! ま、まずいぞ。この数は俺でもちょっと……!」


ざっと見た感じ、十数体のマンティスだった。全てが背中の刃を大量に出し、こちらに近づいてくる。全て合わせれば刃の数は数百本にも及ぶだろう。

それに対しこちらはリィーンもいる。東吾一人では、とても守りきれなかった。


「ど、どうしよう!? 逃げ切れないわ!」

『ありゃ? もしかしてこりゃ、あたしら大ピンチってやつじゃねえのかよ? どうすんだよ。おい?』

「うお……! ど、どうすっか。うーん……!」


東吾のほおに冷や汗が流れた。

群れをなしたマンティスたちが、東吾たちにどんどん迫ってくる。


――キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル――!


「と、とととトーゴ、どうしようどうしようっ!! わたしたち死んじゃう! あの切れ味じゃ、肉のゴーレムじゃまったく壁にならないわ!」

「……リィーン。俺に掴まれ」

「えっ?」

「いいから早く掴まれ! あいつらが来るぞ!」


マンティスたちが一斉に刃を振りかぶり。東吾たちめがけて、雨のような剣を降らせてきた。


「――きゃあああああーーーーっ!!」

「今だ! 『影の中に』潜れっ!!」


すとん、と東吾たちの体が足元の影の中に沈みこんだ。

東吾たちが影の海の中に入りこんだと同時に、無数の刃がズドドドドッ!! と地面に突き立った。


――キュルッ? キュルッ?――


濛々と砂煙が上がった場所には、もう東吾たちの姿はなかった。マンティスたちが混乱し、周囲をきょろきょろと眺めていた。

東吾たちは……。


「……ふうっ。あぶねえあぶねえ。やられるとこだった」


東吾は息を吐き、影の中からマンティスたちを見上げた。

突然獲物を見失ったマンティスたちは、東吾たちの姿を求めて不思議そうにあたりを見回していた。


「俺たちが影の中に逃げたってのは、わからねえみたいだ。そのへんの知能はやっぱ虫なんだな。つか、あれが草食って本当かよ……?」

「……。と、トーゴ? な、なにここ……?」


東吾に掴まっていたリィーンが、ぽかんとして周囲の暗闇の海を眺めていた。

そう言えばリィーンはこの影の中に入ったことがなかった。東吾は言った。


「てすとjun」

「えっ?」

「じゃなくて、影の世界だ。あの吸血鬼がやってたんだけどな。あいつ吸収したら、俺も同じことができるようになった」

「な、なにそれ! そんなの聞いてないわ。そういえば殿下を連れて逃げた時もやってたけど、こんなのいつの間に……!」

「とにかくこのまま泳いで、この場所を離れよう。さっきの馬車のとこに戻るか。よっと」


東吾は真上に見える影の入り口を閉じ、リィーンを腕に抱いて影の中を泳ぎはじめた。


「向こうに出口を作って、そこから外に出よう。出たら道を戻って、森から少し離れたほうがいいかもしれねえ」

「そ、そうね。……ほ、本当に怖かった。わたし、もうだめかと思ったわ……」


リィーンがほーっと息をついて言った。そして、何やら足をもじもじとさせた。


「……ん。うんん゛……!」

「なんだよリィーン? 泳ぎにくいから、ちょっと動かないでくれ」

「えっ? あ、ああそうよね。うん」

「? ……」

「……」

「……。なあリィーン?」

「なにかしら? トーゴ」

「あのさ。もしかしてだけど、なんつーか。いややっぱなんでもねえ」

「そう。なんでもないわ」

「……」

「……」

『おい。まさかおめえ、今ので漏らしちまったのかよ?』

「あっバカ。ニカ」

「はああああ!?!? ももももらしてなんているわけないでしょ!! わたしはもう16歳よ!? そんなこと断じて絶対に確実にあるわけないじゃない!!」


リィーンは突然キレた。


「もらしてない!! ちょろっともらしてなんかいないわ!! 本当よ!! 本当っ!!」

「わ、わかった。落ち着けリィーン暴れるな」

『マジかよ……。あたしも流石にドン引きだぞ』

「もらしてなーーいっ!!!」

「わかったって。泳ぎにくいから暴れるなってば!」


リィーンの叫び声が、ほの暗い影の海の中で響いていた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






メモ:『マンティス』について



超巨大カマキリ。体高は3~4m、全長は軽く5m以上にのぼる。

すさまじい攻撃力を持つわりに草食。十メートルもある木を自慢の鎌や刃で斬り倒し、高い場所で茂っていた葉を食べるというダイナミックな草食をする。

十数匹で群れを作り、古代樹林の生い茂る森林地帯を巡回する。一瞬で森をはげ山にしそうな迷惑な連中に見えるが、食事で木を切ったあとは体内で精製した特殊な粘液を切り株に吹きかけ、木の再生を大きく助ける。

普段は非常に臆病で大人しい生き物だが、ユスティーナの声で完全に凶暴化してしまっていた。

繁殖期には、雌の取り合いで雄が血を血で洗う残虐ファイトをする。攻撃力が高すぎて一匹の雄しか生き残れない。その上生き残った雄は繁殖のあと、大勢の雌のハーレムたちに搾り取られズタズタにされて食べられてしまうという、M男にはたまらない野生。



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