表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/49

第六話 その11




翌朝。

東吾とリィーンは食堂にいた。

二人は朝食を摂っていた。部屋の中には二人以外に人影はなく、給仕の姿さえ見えなかった。

東吾の対面の席は、そこにいつも座っていたはずのユスティーナの姿はなかった。

デーイィンもいない。二人はただ、長いテーブルの上に用意されていた豪華で贅沢な食事を、黙って胃袋に収めるという作業をした。食事の最中、食器の音以外はしなかった。

やがて食事が終わる。味のしない砂を食むかのような朝食風景のあと、二人は足早に食堂を後にした。

部屋に戻って来ても、二人は無言だった。


「……」

「……」


リィーンは何も言わなかった。東吾はリィーンに背を向け、ソファに座った。

東吾は何もせず黙っていた。何を言うべきか。わからなかったからだ。

するとリィーンは、ひどくのろのろと自分の衣類を荷物にまとめはじめた。衣の音が、沈黙の室内に響いた。

やがてリィーンが手を止めた。東吾の背中に向かって、小さく声をかけた。


「ねえ。トーゴ」

「なんだ? リィーン」

「わたしたち、これからどうすればいいかしら。わたし、わからないわ」

「……。そうだな……」


東吾は腕組みをして、少し間を置いてから言った。


「姫さまに、会いに行くか。あんなになっても、やっぱ姫さまは姫さまだ。俺は姫さまの友達だからな」

「でも。トーゴ」


リィーンが非難めいた声を出した。東吾は少しむっとして振り返った。


「なんでだよ? 帰るなんて、もう言うなよ。友達をなかったことにするなんて、そんな真似俺は絶対できねえ」


東吾にとってそれは本心からの言葉だった。

ユスティーナは自分のことを、ともだち、と言った。だから友達だ。会ってまだそんなに長くもない、でも――友達だ。

だが、リィーンは首を振って言った。


「……そうじゃないわ。だけど、殿下はわたしたちに会いたいのかしら?」

「え? なんで」

「だって。あんなふうになって、自分は何も分からないような状態で、叫んで近くの人を襲おうとして。殿下は、そんな自分は見られたくないんじゃないかしら? そんな自分の姿を友達になんて」


リィーンはうつむき、つらそうに顔を歪めた。


「わたしだったら……きっと、誰にも会いたくないって思うわ。そんな自分の姿は見せたくないもの。それはすごくつらいことだもの」

「でもよ、リィーン。俺たちは、姫さまのこんな近くにいるのに」

「殿下のあんなにきれいだった金髪だって。ぼろぼろに抜けて、血で汚れていたわ。自分のそういう姿を見られるのは女の子にはつらいことよ。本当に苦しいことだわ」

「……。そうかよ」


東吾はぶすっとしてそっぽを向いた。

リィーンが言葉を重ねる、


「だから。わたし、迷ってるの。やっぱりこのまま帰ったほうが、殿下にとってもいいんじゃないかって。そのほうがまだいいんじゃないかって」

「だけど姫さまを置いていくなんて、お前できるのかよ? ここであったこと全部忘れるなんて。そんな冷たい真似」

「……ううん。できない」


リィーンは首を振ると、ベッドにちょこんと座って肩を落とし、顔を覆った。


「わたし、いやだわ。もう帰りたい。でも帰りたくないの。どうしたらいいのか、わからないわ。どんな顔をすればいいのかすら」


リィーンの目にじわり、と大粒の涙が浮かんだ。


「どうしよう。どうにもできないわ。わたし、殿下に何もしてあげられない。何も知らないふりもできない、帰れない。でもやっぱり、わたしじゃどうにもできないの。わたしがどうすればいいのか、教えて、トーゴ……!」

「……」


消え入りそうな悲痛な声だった。

東吾はもう一度腕を組み、必死に考えた。そして出てきた答えはやはり同じだった。


「……姫さまに、会いに行こう。たとえ姫さまが何も分からなくても。俺たちに会いたくなくてもだ」

「でも。でもトーゴ」

「行くんだ。なぜなら、俺が姫さまに会いたいからだ」

「トーゴ……」

「リィーンはどうだ? 姫さまに会いたいか?」


東吾はじっとリィーンの顔を見つめて言った。リィーンがこくり、と頷いた。


「……会いたいわ。殿下がわたしたちをわからなくても。それでも」

「よし、じゃあ行こう。悩んでる時は、行動したほうがたぶんいいんだ。間違えてたとしても何もしないよりは、きっと後で後悔しないからだ。と思う。たぶん」


東吾は立ち上がり、リィーンの前に立った。リィーンの手を取ると立ち上がらせ、優しく引いた。

ユスティーナの部屋に向かおうと、ドアを開けた。と、そこにちょうど外からドアを開けようとした一人の男が立っていた。


「おっと?」

「あれ? 誰だあんた?」

「きゃ! こ、これは。トーゴ!」


リィーンが驚いた顔をしてさっとひざまずき、東吾にも倣うように示した。


「こ、このような場所にお出でいただきまして、何の御用でございましょうか。あ、わ、わたしはローレンシア連邦、ロディニア魔法国の……」

「いや、よい。ロディニア魔導士のリィーン・ルティリアと申したな。ユスティーナから聞いておった」


男はリィーンに鷹揚に手で制し、言った。


「余は、ローレンシア連邦王ヘンリク三世である。ちょうど君たちの部屋に来たところだったのだが」

「え? お、王さま?」


突然に訪問してきた王の姿に、東吾は目をぱちくりとさせた。


「この国の王さま、ってことは。姫さまの親父さんで。なんでここに……?」

「トーゴこら! 言葉遣い!」

「よい、よい。私はその程度のことで娘の友人を咎めはせぬ。それより、ユスティーナが君たちに大変世話になったようだな」


ヘンリク王は微笑を浮かべると、東吾たちに言った。


「礼を言う。ありがとう。そしてすまなかった……君たちには、あまりよろしくない思いをさせてしまっただろう。娘が友人となり、その上でユスティーナのあの姿を見させることになるとは。全ては私のせいだ」

「そんな。わたしたちは」

「許してくれるのか。ユスティーナのわがままと、それに許可を出した私を」

「許すも何も、俺たちは姫さまの友達だ。どんな姿になっても」

「そうか……そう言ってくれるのか。どうやらあの子は、真によい友人を持ったようだ」


東吾たちの言葉にヘンリク王は静かに頷いた。そして膝を折り、東吾たちの手を握って言った。


「君たちには感謝の言葉しか出ない。君たちのおかげで、ユスティーナは最後に思いを残すことができた。あの子の孤独を救ってくれたのだから」

「そ、そのような。陛下が地面に膝を」

「よいのだ。王として以前に、私は一人の父親として礼を言いたい。あの子の友となってくれて、本当にありがとう。感謝する」


ヘンリク王が頭を下げた。

そして東吾たちを立たせると、諭す声で告げた。


「おそらくもう、ユスティーナの正気が戻ることはないだろう……。あの子の『羽化』ははじまってしまった。もはや君たちのことも、私のことさえももう思い出せぬ」

「そんな……」

「同じハルピュイア病となった私の妹も、そうだった。『羽化』のはじまった者の心が戻ったことは王家の伝わる記録でも、一度もなかった」


ヘンリク王は首を振り、そして東吾とリィーンに言った。


「……だから。君たちには、ロディニアに戻って欲しい。これは命ではなく、私個人の願いだ。あの子はきっと自分の醜い姿を見せたくないだろう。君たちにもまた、娘のことでこれ以上つらい思いをして欲しくないのだ。私は」

「で、でも王さま。どんな姿になっても、俺たちは姫さまの友達なんだよ! このまま帰れなんて!」

「ありがとう。そう言ってくれる友人があの子にできるとは、私は父親として誇らしい。だが……それでもなのだ」


ヘンリク王の言葉に、東吾は黙りこんだ。

王は最後にもう一度東吾の手を握ると、悲しげに微笑んだ。ユスティーナの微笑の面影がそこにあった。


「君たちと話せてよかった。あの子はきっとよく笑っていただろう。君たちのような気持ちの良い人間は、宮廷にはなかなかいないものだ。あの子はよい友人たちを選ぶ目を持っていた。ありがたい」

「……。はい」

「それでは、私はこれから大事な用があるため失礼する。もう一度だけ礼を言おう。あの子の友になってくれて、本当にありがとう」


そう言うとヘンリク王は腰の剣を差しなおし、背を向けて去っていった。

東吾たちはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。やがてリィーンが言った。


「トーゴ。わたしたち。やっぱり」

「……だけど。あの時姫さまと別れた時のまま、俺たちは帰るなんて。姫さまは……、また後で、って言ったんだ。俺も、またなって」

「トーゴ……」

「せめてもう一回。会っても分からないって、それだって分からないだろ。やってみなくちゃ」


拳を握り締める東吾に、しかしリィーンは首を振った。


「ううん、だめよ。陛下だって、帰って欲しいって言っているわ。陛下は殿下のお父上なのよ。その人が言っているんだから……わたしたちがこれ以上、立ち入れないわ」

「……ちくしょう」


東吾は肩を落とした。

すると、東吾の右手のモニカが声を出した。


『おい、トーゴ。いいのかよ?』

「え? なにがだよ、ニカ。お前寝てたんじゃないのか」

『あたしだっていつも寝てるわけじゃねえよ。めんどくせえから喋らねえ時だってある。じゃなくて、それよりさっきの王様だ。行かせちまっていいのか? もう行っちまったけど』

「? だから何がだ?」

『おめえニブチンだなぁ。場数踏んでねえとわからねえか……さっきの王様。殺気が出てたぞ?』

「殺気?」

『トーシロの殺気なんざ、あたしゃすぐ分かるんだよ。あの王様、これから誰かを殺る気だ。そんで、あっちの道はたしか、……お姫さんの部屋の方向だろ?』


東吾ははっとヘンリク王が去っていった方向を見た。

ヘンリク王は腰に剣を提げていた。


「……!? リィーン!」

「えっ? 急になにトーゴ?」

「あの王さま。これから姫さまを殺す気だ!? 剣を持って、姫さまの部屋に大事な用って……!」

「えっ!? う、うそ。陛下がどうして殿下を」

「忘れたのかよ! 姫さまは、あのままじゃ大勢の人間を巻き込む。死ななきゃいけない立場だって!」

「あっ!!」


リィーンの顔がさっと青ざめた。


「だから最後に王さまがわざわざ俺たちに会いに来たんだよ! 姫さまを、自分の手で殺す前に……!」

「そ、そうだわ!? いけない、止めないと!!」

「走れ、リィーン!!」


東吾たちは走り出した。王宮の廊下を抜け、ユスティーナの部屋がある塔を駆け上る。

ユスティーナの部屋の前に来ると、閉まっていたドアを急いで開けた。

そして――


「……!!」


そこにははたして、ベッドに縛りつけられたユスティーナに向かって、剣を抜いたヘンリク王が刃を振りかぶろうとしている姿があった。


『うぎゃアあアアあーーーーッ!! ぐがあああああアーーーーッ!!』

「……はあ、はあ……! ……ユスティーナっ……!!」


ヘンリク王は息を荒げ、目を見開き、震える手で剣を握り締めていた。

カチカチと、ヘンリク王の歯が鳴っていた。これから斬らなければならない実の娘の姿に、王の体は恐怖で震えていた。

その前でユスティーナが牙を剥き、獰猛な叫び声を上げ、拘束された体を暴れさせて羽根を散らし、鋭い鉤爪をヘンリク王に向けていた。

完全に正気を失ったユスティーナは、拘束がなければ迷いなく実の父親を殺そうと襲いかかるだろう、王女は目を血走らせ身がちぎれんばかりに狂い暴れていた。


『ぎゃあああああーーーーーーーっ!!! ああアあーーーーーーーっ!!!』

「う、動くなユスティーナよ。……ユ、ユスティーナ。私の可愛い大事な娘よ。そんな顔で私を見るな、見ないでおくれ。く、く、ぐううううっ……!」


ヘンリク王の顔が歪み、唇から血が流れた。ユスティーナの心は壊れ、顔は怒りと憎悪に染まりきっていた。

地獄。

この世の地獄だった。睦まじい実の親子たちの、恐ろしい、悪夢の光景だった。


「う……! や、やめろっ!!」


東吾は一瞬吐気をもよおしながらも、飛び出してヘンリク王の体を羽交い絞めにした。そのまま、ぐいっと後ろに引いて叫んだ。


「なんてことすんだ!! あんた、自分の娘だろ!?」

「う、ううう。ううううっ!」


ヘンリク王の体から力が抜けた。剣を取り落とし、腰が抜けたようにその場に座りこんでしまった。

近くにいたヤーコブが、あわてて王に駆け寄った。


「へ、陛下! お気を確かに」

「わ、私は。私には、できぬ。この子を斬れぬっ……!! わ、私はこの子を殺せない。殺せない、うああっ……!!」


絞り出すような苦悩の声だった。そうして、ヘンリク王は身も世もなく顔を覆って涙を流した。

その王に向けて、王女の狂声が浴びせられた。


『ギャあああーーーーッ!! ぎいッ、うぎゃあああアーーーーッ!!』

「ううっ。やめよ、やめるのだユスティーナよ。父に、お前のそんな声を聞かせないでおくれ。お前の優しいあの声で、そんな恐ろしい叫びを……」

『――ギャアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!!』

「う、う、う。うああああっ……!! やめろ、やめてくれ、やめてくれぇーっ……!!」


王の、一人の父親の悲鳴であった。


「……ぐ……! と、とにかく下がるんだ。後ろに」


東吾は歯を食いしばり、ヘンリク王を連れて部屋の入り口まで下がった。

自失状態のヘンリク王をヤーコブに任せると、大きく息をついて言った。


「ち、ちくしょう。なんでこんなことに……!」


棒立ちになっていたリィーンが、目の前の光景にかたかたと震え、東吾にがばっと抱きついてきた。


「わ、わた、わたし。トーゴ。トーゴ」

「り、リィーン。大丈夫だ。落ち着け」

「い、いや。いやぁっ……!! わたしこんな、こんなのいや。いやよぉ……!」


東吾の胸に顔を押し付け、リィーンがかぶりを振った。リィーンは泣いていた。


「……! と、とにかく外に。部屋を出よう」


東吾とリィーン、そしてヤーコブに連れられたヘンリク王たちが部屋の外へ出た。

ドアが締められる。すぐに、静寂が返ってきた。

東吾の胸ですすり泣くリィーンと、ヘンリク王の慟哭の声が廊下に響いていた。






東吾たちは部屋に帰ってきた。

ヘンリク王は、ヤーコブや駆けつけた宰相たちに連れられてどこかに戻っていった。おそらく王の居室なのだろう。

東吾たちはといえば、リィーンはベッドに横になり、東吾はそのすぐ近くに椅子を置いて座っていた。

リィーンは無言だった。背を向けて壁のほうを向いていた。毛布にくるまったまま一言も言わなかった。


「……」


東吾はリィーンになんと声をかければいいのかわからなかった。東吾自身、かなり心が重かった。


「くそっ。……ちくしょう」


東吾は肩を落とし、つぶやいた。

すると部屋がノックされた。ドアが開き、デーイィンが入ってきた。


「失礼。ミシロくん、リィーン」

「あ。あんた」


東吾は顔を上げてデーイィンを見た。デーイィンは東吾たちの様子を見ると、小さくため息をついた。


「報告を聞きました。あなたたちが気づき、王陛下がユスティーナ殿下を斬ろうとしたのを止めたと。もう殿下に会いに行ってはいけないと、私は念を押しておいたのに」

「……。そりゃ、止めるだろ。父親が娘を殺そうなんて、どう考えても間違ってる」

「いいえミシロくん。この問題に限れば、君は見逃すべきでした。あなたたちはけして止めてはならなかった」


デーイィンは首を振って言った。


「どれだけ王が苦しもうとも、王は殿下を斬らなければならなかった。ヘンリク王が娘を殺さなければならない」


その言葉に、リィーンが起き上がって、泣き腫らした顔を上げた。


「……先生。どうして、そんなこと言うんですか?」

「リィーン。なんでしょうか」

「なんでそんなに冷たく言えるんですか? 殿下が死ななければならなかったとしても、実の父親に殺されるなんて。ヘンリク陛下も、あんなに苦しんでいたのに……!」

「そうですね。先ほど様子を見てきましたが、本人も相当憔悴していました。しかし」


デーイィンは少し目をつぶり、腕を組んだ。やがて目を開いて言う。


「それでも、です。陛下自身が殿下を殺さなければ、事態の収拾は図れません。これ以上の犠牲者を出さないためにも。具体的に言えば、ヘンリク陛下の他の息子たち。ユスティーナ殿下の兄弟の命のために」

「え?」

「確かに王以外でも、ユスティーナ殿下を殺すことはできます。しかしそれでは問題の先送りにしかなりません。目をつぶっても、呪いはけして消えない」


東吾とリィーンはデーイィンの言葉を図りかねて、いぶかしげな顔をした。


「なんだそりゃ? 何言ってんだあんた?」

「ええ。お二人にはまだ話していませんでしたからね。リィーンが読んだ、ハルピュイア病について書かれた本にも載っていなかったことでしょうから」


デーイィンは歩いてくると、ぴっと指を立てて二人に言った。


「こうなった以上は続きをご説明しましょう。ハルピュイア病の呪いについて、一般には公開されていない、もうひとつの病態です。先代、及び先々代のハルピュイア病患者がいたことは言いましたね? ……それらの患者たちは――全員が、血族者の手にかかって殺されています。『そうしなければならなかった』からです」

「「……え……?」」

「先代のハルピュイア病患者、ヘンリク三世陛下の妹君は、父王クラウス五世の手により殺されました。先々代の二名の患者の場合は、女子一名が王の命を受けた家臣により、その一年後に発病した男子一名が当時の王カルロ十四世の父であった、ピョートル二世によって殺害されています。王宮の記録を遡ってみても、どの代でも『最後の』ハルピュイア病患者は、血族者によって処理されています」


ぽかんとする東吾たちに、デーイィンは後ろを振り返り、窓の外を見た。

窓から外に見える城のかたちを、じっと見つめ言う。


「この国の王家は『そうやって』永らえてきたんですよ……。親の、子殺しによって」

「ま、待て待て。なんだよそれ? 昨日の話でも聞いてないぞ?」

「ですから説明していませんでしたから。重要な国家機密ですので。この呪いはですね、特定の条件下で『伝染』するんです。あえて病気と呼ばれるゆえんです」


デーイィンが振り返り、言葉を続けた。


「『ハルピュイア病が発症した子供を』『血族者が自身の手で殺さなければ』『残った他の子供がハルピュイア病を発症する』んです。患者の親や祖父母、少なくとも兄弟姉妹。正確には王から見て一等親以内です。それ以外の他の者が決して患者を殺してはいけません。カルロ十四世の時は、それで一人分の命が無駄に失われました。まさに神の呪いとしかいいようがない……恐るべき呪なんですよ」

「……はあ……!?」

「病の終焉は必ず、そうやって子供を殺さなければならない。ローラシア王家与えられた神の罰の真意とは、『親が子を殺すこと』なのですよ。最低でも、自らの手で一人以上を犠牲にしなければならない。さもなければ王家は滅びます……」


デーイィンは、軽く肩をすくめると、東吾たちに向かって言った。

急に話題が変わる。


「ところで、ローレンシアの歴史の話はしましたよね? ローラシアの父祖王と、それを呪った神の話です。覚えていますか?」

「え? あ、ああ。神殿壊しまくったっていう王さまだったか……」

「ローラシアの父祖王は、ヌーナ王家の廃嫡された王子だったそうです。父を殺して国を乗っ取った王家の血には、同じく子の叛乱を味わわせる、と言ったところでしょうか。ハーピーとなった自らの子を殺すか、あるいは怪物となった子の叛乱が父を殺すか。子殺しか、親殺しか。実に皮肉の利いた呪いですね?」

「な、なんつーことを……!? そいつ本当に神さまか? か、完全に邪神じゃねーか!?」

「太陽の女神とやらは、ずいぶんと底意地の悪い方なんですねぇ。ご趣味もあまりよろしくないようで」


東吾は唖然とした。

リィーンが小さく体を震わせて言った。


「そ、そんなの。せ、先生。あまりにも」

「残酷な仕打ちですね。神という絶対者は、得てして残酷なものなのでしょう。……しかしそれにしても、実に驚くべき性能を持った呪いですねぇ。伝説通りなら、千年以上にも渡って効果が続き、殺害者を判定の上未解明の方法で転移・発症する。さらに患者本人は放置すればハーピーとなり、国民全てを凶暴化させて国を滅ぼす。解呪ももちろん不可能。まさに神の御技」


デーイィンは感嘆したようなため息をついた。そこには神の魔法の技術に対する、単純な賞賛の色も含まれていた。

そして話をまとめにかかる。


「ハルピュイア病を治す手段はありません。その患者は、親に殺されなければ他の子息子女がハルピュイア病となる。被害を食い止めるには王が娘を殺すしかない、こんなことを他の子に任せるわけにはいかない。生かしておくことも、もちろんできない……。つまり横暴な神は言っているのです。我が子を自らの手にかけろ、さもなくば滅べ。逃げ道は入念に塞がれており、どこにもありません」

「ななな……!」


ヘドが出るほど根性のへし曲がった神さまの呪いだった。腐れ外道の仕業としか思えない。


「なんなんだよ、そいつ……? 神殿壊されたからってそこまでするかよ。どんだけ恨んでんだ」

「あっはっは、仰る通りですね。よく信仰されていますよねぇこんな神。意地の悪さに加えて、実に巧妙かつ周到。厭らしさでは、人間以上と言えなくもないでしょうかね?」


デーイィンがからからと空虚に笑った。


「俺、腹立ってきたぞ……! その父祖王はともかく、姫さまも子孫も関係ないじゃねえか。そんなやつ神でもなんでもねえ。ただの悪魔だ」

「怒っても、我々にはどうにもできませんがね。神はそれを見て笑いたいのかも知れませんが」


するとリィーンが、怯えた顔でデーイィンに向かって聞いた。


「せ、先生。一つ聞きたいんですけど……」

「はい、なんでしょうかリィーン?」

「あの……。先生は、昨日こう言いましたよね。ここに来たのは、暴動が起きた時に鎮圧するため『でも』あるって」

「はい。そうですね」

「……。じゃあ……他にも目的があるんですよね? それは、ま、まさか」


すっ、とデーイィンの顔から表情が消えた。


「ええ。リィーン、あなたが想像している通りですよ。総主教の護衛もありますが……私は『最悪の事態』に備えてこの国に派遣されました。すなわち『ヘンリク王が私情にかられ、ユスティーナ殿下を処理できなかった場合』。私が、殿下を殺します」


リィーンが絶句し、絶望的な顔をした。


「そ、そんな。先生が」

「お、おい!? なんであんたが姫さまを殺すんだ!?」


東吾の言葉にデーイィンは言う、


「ユスティーナ殿下の『声』が問題だからです。彼女の影響はこのローレンシア全域を覆い、ロディニアの領土にまで及びます。ロディニアとしては看過できない――他国の出来事と、放置はできないんですよ」


デーイィンが首を振った。


「言ったでしょう? これは政治的な問題である、と。ことは、隣国のお家騒動で済ませられるものではない。むろん私が殿下を殺害すれば、呪いは消えず、他の王の子が新たにハルピュイア病を発症するでしょうが……それ以上に、怪物ハーピーを野に放つわけにはいきません。それだけは絶対に防がなければ」

「だ、だけど!」

「ミシロくん。あなたは考えましたか? ユスティーナ殿下が生き延び、この国を滅ぼした後のことを。全ての生物を凶暴にさせる彼女が、屍の山を後にし、空に解き放たれた時。次にどこへ向かうのかを」

「あ……」

「我々は断じてそれを許すわけにはいきません。本来ならば、ハルピュイア病の存在だけでも国家間の戦争に発展していてもおかしくはないほどの問題です」

「……」


東吾は黙りこんだ。デーイィンの言葉は正論だった。

東吾の脳裏には、ユスティーナの微笑みがあった。ユスティーナの声。世間知らずのお姫さまの、朗らかな笑い声……。

殺すしかないのか。他に手段は残されていないのか。友達が殺されるのを、黙って見ているしかできないのか。


「もう二人ともご理解できたと思います。リィーン。再びあなたに命じます。この国を出て、ロディニアに帰国するように」

「「……」」


だがそれでも、東吾たちは頷けなかった。

東吾はかぶりを振って言った。


「帰れねえよ。それでもやっぱり、姫さまを見捨てて帰るなんて、俺にはできねえ」

「ミシロくん。残念ですが、今は君に聞いていません。リィーン、私の言うことを聞いてください。私はだいぶ優しく言っています……」

「帰れねえったら帰れねえんだよっ!!」


東吾は声を荒げ、椅子の肘掛を叩いた。

するとデーイィンは、小さくため息をついた。珍しく憂鬱なため息だった。


「……ミシロくん。君は一つ大きな見落としをしています。君はそれに気づいていない。リィーンもでしょうか?」

「ああ?」

「君たちがここにいること自体が問題なのですよ。いえ、リィーンはまだしも、ミシロくんの場合は非常にまずい……君に人間の心がある以上、十分に『対象』になる可能性が」

「? なんだかわからねえよ。もっと一言で言ってくれ、あんた、話をもったいぶって話す癖が……」




「あるんだよな。……。あれっ?」


言ってから、東吾は目を瞬かせた。

気がつけば、何故か、ベッドの上に座っていたリィーンがいつの間にかデーイィンの後ろに立っていた。

いや、それだけではない。東吾は自分が椅子から立ち上がっていたことに気づいた。それに体の向きが変わって、ドアのほうにいたデーイィンが窓際に寄って、鋭い眼で自分に杖を向けていた。

リィーンがデーイィンの後ろで、怯え困惑した顔で震え、東吾の顔をじっと見つめていた。


「え? あれ? な、なんだ?」

『――バカ野郎!! しっかりしろ!』

「に、ニカ? なんだよ急に起きて」

『オメーが目ぇ覚ませ、このウスラトンカチ! 寝ボケてんじゃねーぞ!!』


東吾の右手のモニカがわめいていた。

突然、時間が飛んでいた。

東吾がきょとんとすると、デーイィンが少し息を吐き、言った。


「よかった。ミシロくん、君を消し炭にしなくて済みましたね」

「はっ? 消し炭?」

「やはり記憶はないと。ミシロくん、君は今正気をなくしていました。ユスティーナ殿下の『声』に操られて。一分足らずですが」

「え……!?」


デーイィンが杖を下ろした。リィーンがあわてて東吾に駆け寄ってきて言った。


「トーゴ? へ、平気? わたしのこと、わかる!?」

「え、あ、ああリィーン。なんだ、俺なにしたんだ?」

「きゅ、急にウウウって動物みたいに唸って。椅子を叩き壊して、わたしたちに襲いかかろうとして」

「なんだって?」


振り返ってみれば、さっきまで東吾が座っていた椅子が粉々に砕かれて、床に転がっていた。

ゴーレムの強力な力で破壊された椅子は原型も残っていなかった。


「……!? う、嘘だろ。俺は……!」

「やはり思っていた通りです。私やリィーンは、魔法や魔術に対して抵抗するすべを学んでいます。呼吸するように自らの魔力を常時展開し障壁を作り、簡単に洗脳状態に陥ったりはしません。が、君には殿下の声に対する『耐性』がない」


デーイィンはこちらに歩いてくると、静かに東吾を見つめて言った。


「気絶もせずわずかな時間で戻れたのは、君が吸収した吸血鬼たちの魔力のおかげでしょうか? これは少々興味深い事例ですが、詳しく実験している余裕はありませんね」

「……」


デーイィンの言葉に、東吾は愕然としていた。

自分の手のひらを見る。凶暴化していた記憶はまったくなかった。まるですっぽりとその間の出来事がなくなったような感覚だ。

デーイィンは言う、


「これ以上は危険です。君が殿下の近くにいるだけで、不測の事態が起きかねません。君が凶暴化した場合、暴徒などとは比較にならない脅威度です」

「俺は……」

「帰りなさい。私はともかく、リィーンや他の者では襲われれば、いざという時に対応しきれなくなる可能性が高い。君が完全に正気を失った時は、私は容赦なく君を『消滅』させます。君の性能を鑑みれば手加減する余裕はない」


デーイィンの冷たい宣告だった。

東吾は肩を落とした。今度こそ――どうにもならなかった。


「ちくしょう。くそっ……!」

「すでに帰還の馬車は手配してあります。荷物がまとまり次第、城の外門へ行きそこで待ちなさい。では、私は失礼します」


デーイィンが背を向け、部屋を出ていった。

東吾は破壊された椅子の横で立ち尽くしていた。東吾に向かって、リィーンが声をかけた。


「トーゴ。もう帰りましょ。もう、わたしたちじゃ」

「……」

「無理なのよ。こんなの……さっきトーゴがあんなに怖い顔になって。このままじゃ殿下だけじゃなくトーゴまでおかしくなっちゃうわ。わたし、そんなのいやよっ……!」


リィーンが気弱な声でうつむいた。震える指を伸ばし、東吾の服のすそをつまんできた。

東吾はリィーンの顔を見た。

このままでは東吾は……リィーンまで殺しかねなかった。あの完全に正気を失った群衆のように、いつリィーンに襲いかかっておかしくなかった。

東吾は歯を食いしばった。そして、ついに小さく頷いた。


「……わかった。帰ろう」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






メモ:ハルピュイア病について



以下、ハルピュイア病の設定まとめ。


・進行性の『奇病』。日々少しずつ体内から細胞が変異し、怪物『ハーピー』に成り代わっていく。外傷は厳禁。細胞が再生するとその分だけ進行が早まる。

・正確には病気ではなく、神による呪術の一種。

・王を継いだ者の子供たちから『のみ』発症する。確率は100%。

・王位にさえつかなければ、王弟だろうがその子供だろうが発病することは絶対にない。そのためローレンシア王国では、王位継承権をめぐって争ったことは歴史上一度もない。常に長子相続。長子が死亡した場合(自殺も含む)、男子が上から順に王位を継承する。王族でも拒否権は認められない。

・『ハーピー』は人間と全ての家畜・動物を無差別に凶暴化させる。効果範囲は直径400km以上。

・『ハーピー』を王、もしくは祖父母・兄弟姉妹(王の一等親以内)が殺さなければ、他の王の子供がハルピュイア病を発病する。定められた手段で『ハーピー』を殺すことで、『その王の代に限り』ハルピュイア病が終息する。

・解呪は不可能。

・出口なし。




○ローレンシア歴代王

ローラシア父祖王 →→→(めっちゃ飛んで)→→→ ピョートル二世 → カルロ十四世 → クラウス五世 → ヘンリク三世(現王)




~ハルピュイア病王宮こぼれ話・バックストーリー~


現王ヘンリク三世は、先代の王にして自分の父・クラウス五世が大嫌いでした。

理由は、血の繋がった息子・娘たちに対して異様に冷淡だったからです。クラウス五世はハルピュイア病となった自分の娘を殺す時も、眉一つ動かしませんでした。

自分の妹が父親に無残に殺されたことで、ヘンリク三世は父親を憎みました。彼にとっては、たとえ殺さなければならなかったとしても、情の一切感じられない父王の態度は、人間として許しがたいことでした。

やがてクラウス五世が崩御し、ヘンリク三世は王位を継ぎました。

彼は王となった時、父親を反面教師にして、自分の子供たちを大変愛しました。呪われた運命を背負っていても、人間としての情愛すら失ってしまうことはすなわち、神の呪いに敗北したことと同じであると考えたからです。

多産の家系でもあるアルホニエミ家、ヘンリク王は四人の王子と一人の王女に恵まれました。妻は早くに亡くしてしまいましたが、王子たちはみな優秀で、王は一人の娘を特に可愛がりました。

王は子供たちに兄妹で助け合うことを教育し、子供たちも父の言葉をよく聞いて、家族仲は非常に円満でした。

やがて来る恐るべき運命に対しては、ヘンリク王は太陽神リリーアンタールへの祭祀をいっそう盛大にすることで対応しようとしました。古文書に残る、父祖王に破壊されたリリーアンタールの神殿を全て甦らせ、国教を太陽神信仰に変え自らも帰依し、ひたすら許しを乞いました。夜ごと彼は暗闇の中で、太陽神に祈り続けました。

しかし事実は残酷でした。リリーアンタールはヘンリク王に許しを与えませんでした。

なぜならリリアンタールは、すでにアルホニエミ家を見ていません。

太陽神の彼女はもはや人間に興味がありません。従って呪いが解かれることはないでしょう。王の祈りは届きません。

未来永劫に。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ