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第六話 その10




それから――


「つまんねえなあ。今日もかよ」

「殿下のお体の調子がよくないんだから、しかたがないわ。わたしたちがどうこうできる話じゃないもの」

「そりゃそうだけど。もう三日だぞ?」


東吾は部屋の窓によりかかり、外を眺めてつぶやいた。

あれから、三日ほどが過ぎていた。

しかし東吾たちが空を飛んだあの日から、ユスティーナがベッドに臥せってしまった。遊ぶどころか彼女は朝食にすら顔を出さず、東吾は声さえ聞いていなかった。


「面会謝絶で話もできないなんて。会いにいっても、あのヤーコブってじいさんが通してくれないし」

「しょうがないわよ。遊ぶことなんかより、殿下のお体のほうが大事だわ」

「そんなに悪いのかよ……。姫さまより、あのじいさんのが最近顔色悪いぞ。何の病気かさえ、俺たちには聞いても教えてくれねえし。あーあ」


東吾は退屈しきった顔で言った。ちらりと自分の右手を見る。


「おいニカ。なんか面白い話でもしろ。ひまだから」

『……んが? なんだよ、寝てるのに……』

「お前、最近喋らないな? ずっと黙ったままじゃん」

『だから、喋るのだって疲れるんだよ。カードゲームとか興味ねえし、戦いとかないならあんま動く気しねえ。あたしは寝る……ぐう』

「寝てばっかだな。こいつ」


そうしていると、ドアが開いて一人の男が入ってきた。

デーイィンだった。


「あ。先生、あんた」

「やあミシロくん。それにリィーンも」


部屋に入ってきたデーイィンの姿に、リィーンがぱっと立ち上がって言った。


「先生? どうかしたんですか?」

「ええ……リィーン。あなたに伝えなければならないことがありまして」

「伝えること?」

「はい。――任務は終わりました。現時点をもってあなたをこの仕事から外します。これは本任務の責任者として、私の名前で命じます。荷物をまとめ、ただちにロディニアに帰国しなさい。お疲れさまでした」

「えっ?」

「帰国したら、ロディニア元老院の者があなたを呼び出すでしょうから、簡単な報告書をまとめておくといいでしょう。ここであったことをそのまま報告するだけで構いません。場合によっては多少詰問される可能性もありますが、正直に言えばすぐに解放されるはずですのでご心配なく」

「……? せ、先生。任務は終わったって、なんで急に」

「終わりました。これ以上、あなたたちがここにいる必要はありません。今すぐ帰るように」

「そんな!?」


問答無用なデーイィンの態度に、リィーンが語気を荒げた。


「命令で遊ばせて、いきなり帰れって! そんなのありませんよ、何の説明もないじゃないですか。殿下のご病気だって心配ですし、せめて少しくらい説明してくれても!」

「リィーン、あなたがそれを知る権利はありません。これは政治的な問題でもあります。今回のことはユスティーナ殿下たっての希望で行なわれただけです」

「そんなのって……!」


デーイィンはいつものように笑っていなかった。無表情で、冷徹な眼差しをしていた。

東吾はデーイィンの前に出て言った。


「おい、先生あんた。いくらなんでもそりゃねえだろ? 俺たちは、あれから姫さまの顔すら見てねえのに」

「ミシロくん。君は、まともな人間でありたいと思いますか?」

「え? な、なんだって」

「君は肉のゴーレムです。ですが心は人間のようです。君は真実の探求者ではない、ならば見るべきものは選んだほうがいい。人は期せずして見た光景で苦しみを得る、君がまだまともでありたいと願うならば、黙って帰るべきです」

「……? よくわかんないけど。俺は姫さまを置いて帰れねえよ」


東吾は首を振った。リィーンがそれに頷いた。

デーイィンは少し考えるように顎に手をやると、リィーンに向かって言った。


「……。リィーン。あなたは殿下に会いたいですか?」

「それは……はい。このままじゃ何も分かりませんし。わたし帰れません」

「正直に言いましょう。私は、あまり会わせたくありません。これは私の私情であり任務とは別です。リィーンには今すぐ帰ってもらって、ここでのことは全て忘れて欲しいのですが。どうしても?」

「はい」

「……そうですか。そうでしょうね。あなたのことですから、駄目と言っても帰りませんね。仕方がありません、では私についてきてください」


デーイィンが背を向けた。

東吾とリィーンがデーイィンについていく。

城内をしばらく歩いて、三人はユスティーナの部屋の前まで来る。

ドアは閉じられていたが、変わったことはなかった。周囲は静かなもので、東吾たちの足音がするだけだ。他に人影もない。

するとデーイィンが言った。


「開ける前に、あなたたちにもう一度だけ確認と警告をします。『後悔はしませんか』?」

「? さっきからなんだか知らないけど。俺は姫さまと話がしたい、絶対」

「……警告?」


ぴく、とリィーンの耳が動き、デーイィンを見上げた。デーイィンは静かにリィーンを見つめていた。


「先生? それってどういう……?」

「説明はしません。ただ警告というだけです。やはりやめますか? どうします?」

「……う、ううん。何でもありません。開けてください」

「わかりました。では」


デーイィンがドアノブを回した。

ドアが開けられる。

その瞬間――






『――ぎぃゃあああああああああああああああああぁぁぁぁーーーーっ!!!!』






「「!?」」


絶叫だった。

静かだった廊下に突然響いてきた金切り声に、東吾とリィーンが呆然とした。

ユスティーナの声だった。


「な……なんだ今の!? 姫さま!!」


東吾はあわてて部屋の中に飛び込んだ。

ユスティーナの大きなベッドの周囲には、数人の人間が立っていた。

ベッドの上に――ユスティーナの姿があった。

ユスティーナは縄で、ベッドにがんじがらめに縛りつけられていた。


「……!? ひめ、さま……!?」


ユスティーナは、『体中に羽根を生やし』ていた。

白かった肌のあちこちからまばらに鳥の羽根が生え、他の部分は遠目からでも見えるほどの、異様な鳥肌が立っていた。

そして全身が荒々しく引っかいてかきむしったように血まみれ、痛々しい蚯蚓腫れだらけだった。あたりには、鮮血に染まった羽根が激しく散乱していた。

美しかったあの金色の髪も、ところどころが抜け落ち、禿げてしまっていた。そこからも大きな白い羽根が新しく生えはじめていた。それもまたユスティーナが流した血の色に赤黒く染まっていた。

特に、その片足は完全に羽根に覆われ、人間のものではなく猛禽の足の形に――成り変っていた。


『アあっ!! うぎいいイッ!! ギいいイイいイイーーーーッ!!!』

「……な……!?」


ユスティーナが暴れはじめた。恐ろしい奇声を上げ、拘束も構わず手を伸ばし近くの人間を襲おうとする。

襲われそうになった法衣姿の男があわてて杖を構え、呪文を唱えた。


「し、失礼! ぬうんっ!」

『グゥギャアっ!? ギギギギぎギ……!!』


ユスティーナが魔法でベッドに押さえつけられた。

それでも無理やりに暴れようとして、ごきり、と肩の骨がへし折れる音が聞こえた。ユスティーナが血へどを吐き散らした。


「い、いかぬ!? もっと拘束を!」


周囲の人間たちがあわててユスティーナの体を縛りなおした。法衣姿の男が、折れた骨をすぐさま魔法で癒す。

しかし、なおも暴れるユスティーナにはそれ以上手がつけられなかった。その目は血走り、まなじりが裂けんばかりに見開かれ、人間のものとは思えない声だった。


『うがあああああアっ!! ガアアあああアッ!! ぅぎゃああああああああぁーーーーッ!!!』

「う、ううっ……!」

「いけませぬ総主教どの! 早くお下がりくだされ!」


近くにいたヤーコブが法衣姿の男を後ろから引いた。ユスティーナの手の届かない場所へ周囲の人間たちが下がる。ヤーコブが、憔悴しきった顔でうめいた。


「はあ、はあ。も、もはや痛みすら感じぬとは。殿下っ……!」


東吾は、ただただ呆然としてその光景を見つめていた。


「な、なんだこれ……! ひ、姫さまが……!?」

「……うそ……! こ、これ。殿下のご病気って。まさか」


真っ青に青ざめ棒立ちになっていたリィーンが、小さくつぶやいた。


「――『ハルピュイア病』……!!」

「ええ。その通りです」


となりに立つデーイィンが無表情に言った。

すると、はっとヤーコブたちがこちらに気づいて振り返った。


「で、デーイィンどの!? なぜ殿下のご友人を連れてきたのです! 勝手に!」

「すぐに戻ります。リィーン、ミシロくん。外へ」


デーイィンが東吾とリィーンの背を押した。

三人が外に出てドアを締める。と、途端に静寂が戻ってきた。


「『消音』の魔法を使っています。部屋の中の音は、外には聞こえてきません……」

「……」

「少し場所を変えましょうか。二人とも、こちらへ」


東吾もリィーンも何も言えなかった。

デーイィンが手招きして、東吾たちは廊下を歩いていった。






ユスティーナの部屋の近くにある、メイドたちの待機部屋に東吾たちはいた。

東吾は背を向けて壁に手をついて立ち、リィーンは椅子に座り肩を落としていた。

リィーンの向かいの椅子に座ったデーイィンが言った。


「わかりましたか。二人とも」

「「……」」


うつむいたリィーンが、消え入るような声で言った。


「どうして……。こんなこと……!」

「はじめから分かっていたことです。私はあなたたちに警告しました。後悔はしないか? と」

「分かってたって。そんな」


リィーンが打ちのめされたように震え、顔を歪めた。

東吾は振り返ると、デーイィンに向かって言った。


「……これが、姫さまの病気だってのかよ? なんであんな、縛りつけて。体中に羽根が生えて。血を流して暴れて……!」

「そういう病です。この三日の間に、彼女の意識はすでに混濁状態にあります。放っておけば、周囲の人間全てに対して無差別に襲いかかります」

「リィーン。さっき言ってたよな? 『ハルピュイア病』ってなんだ?」


東吾はリィーンに振り返った。リィーンは静かに顔を上げると、言った。


「……『ハルピュイア病』。文字通り、伝説の怪物ハーピーになる業病よ。全身が変異して、体が少しずつ入れ替わっていき、やがて意識もなくなって怪物に変わってしまうの。毎日ゆっくりとだけど体の中から変わっていって、怪我をしたりするとその部分が一気に進行するわ。見た目には、元のままに見えても」

「だから、ちょっとした傷であんなに騒いでたのかよ。外にも出さなかったのは、怪我をしないために」

「本の中だけの、実際は存在しない幻の奇病だと思ってたけど……。まさか本当に存在していたなんて」


リィーンが小さく首を振った。


「どおりで治療修道会でも治せないわけだわ。殿下が、直前までお元気だったのも。この病気はね、体は悪くならないの。怪物に生まれ変わるだけで、殿下のお体自体は」

「で、でも! あんなに血を流してたぞ!?」

「あれは自分でかきむしったのよ。病気が、病状を促進させるために体じゅうがかゆくてしかたなくなるの。だからたぶん殿下が無意識のうちに。あんなに……とってもきれいだった御髪おぐしまで、あんなに……!」

「くそっ!」


東吾は苛立たしく壁を叩いた。そして、顔を上げて言った。


「……なんとかならねえのかよ? 治せないのか?」

「無理よ。だって、この病気は」

「ええ。ハルピュイア病に治療方法は『存在しません』。病状の進行を遅らせることもほぼ不可能です。なぜなら――」


デーイィンは、顎に手をやって言った。


「これは、『神の呪い』だからです。我々の力ではどうにもできません。いかなる魔法をもってしても」

「か、神の呪い? なんだそりゃ……」

「この場合は言葉通りです。古代の民間信仰における病の定義等ではなく、『本物の神の呪い』。解呪はできません。ロディニア最強を誇る超魔術の大魔導でさえも、この強大な呪は弾けないと判明しています。半年前にすでに試しましたが、失敗しました」

「おい。それってどういうことだ」


いぶかしがる東吾に、デーイィンは言う。


「ハルピュイア病は正確に言えば、病気ではありません。『神の魔法』なんですよ。この国の伝承に残る文献によれば、太陽の女神であり英知と真実の象徴を冠するリリーアンタール神の魔法、ということになります。我々の力はいまだ神には届かないようですね」

「その神さまとやらが、なんで姫さまに呪いなんてかけるんだよ! 姫さまが何をしたってんだ!?」

「ユスティーナ殿下は何もしていません。これはアルホニエミ王家、その家系にかけられた呪いですから」

「家系への呪いって……」

「少し、歴史の授業をしましょうか。この国の歴史――というよりは、ほとんど伝説のようなものですが」


デーイィンが立ち上がった。ぴっと指を立てて、教師然として話しはじめる。


「このローレンシア連邦国の前身、ローラシア王国が生まれた時の話です。もともとこの地にはヌーナ国、という大きな帝国があったそうです。しかしヌーナは腐敗し、新たな国が興りました。それがローラシアであり、アルホニエミ家のこれまた前身であるアハマニエミ家の父祖王が、ヌーナ王を倒して国を作ったんですね」

「歴史かよ。いきなり授業なんてされても俺、困るんだけど?」


急に話題が変わったことに東吾はよくわからず首をかしげると、デーイィンは宥めるように手で抑えた。


「まあまあ、そう言わず聞いてください。とにかくヌーナが滅び、ローラシアが生まれたわけですが。問題はその時ヌーナ国が、太陽神リリーアンタールを信仰していたんですね。これまた盛大に」

「ああ……さっきの、呪いをかけたっつー神さまか? それで?」

「ローラシアの父祖王は、支配者が変わったことを民に宣言するために、色々と大掛かりな催しをはじめました。お祭りをしたり、減税や分かりやすい富のバラまきをしたり……。そのうちの一つに、リリーアンタールの神殿を全て破壊するという、とんでもない暴挙を行なってしまったんです」

「へ? し、神殿を壊す?」

「ええ。民の意識を変えるには、宗教から変えるというのは常套手段ですから。……ただ、ローラシア王はやりすぎてしまったんですねぇ。王は、神の怒りに触れました……神に呪いをかけられたのです。伝承の一節によると、神はこう言いました『王よ、汝の行いには天の裁きが下るであろう。卑しくも自らを育て給うた親たる祖国に弓引き、敬虔なる我が子らを殺した罪を贖うがよい。汝が子、その子孫代々にいたるまで我は罰を与えん。この裁定は明白にして真実の元に晒され、正当なる裁きとなるであろう』と。ですね」

「はあ」

「というわけで、愚かな王は呪いをかけられ、そのせいで末代まで苦しみ続けることになりました。その後、ローラシアは連邦国家ローレンシアとなり、我がロディニアもある魔導士の家臣が地方を任され、やがて独自に共和制をはじめて次第に別の国となっていってしまうわけですが……」

「わ、わかったわかった。歴史のことなんかより、今は姫さまの病気の話だろ?」


東吾が手を振って言うと、デーイィンは「ああいけません。脱線してしまいましたね」と頷いた。

一つ息をついて、デーイィンが続けた。


「さてこれだけなら、よくあるただのお伽話なんですが。ここから先はローレンシア王家で実際に起こったことであり、同時にこの国の国家機密です。……アルホニエミ家は一代ごとに、ハルピュイア病の患者を出しています。王位を継いだ者の家系から必ず一人以上」

「え?」


デーイィンの告げた言葉に、東吾はぽかんとした。


「必ず? 王の家系から……?」

「ローレンシア連邦国の現王、ヘンリク三世の場合は王太子時代に、その妹君が。もう一代前のカルロ十四世の治世の時は、二名の患者を出しました。記録によれば全ての代で、王の在位中に、王の子供たちの中から発病者を出しています」

「ま、待てよ。どういうことだよ。それ」

「ですから、本物なんですよ。神のかけた呪いとは、ハルピュイア病そのものです。またこの呪いは『王の家族だけ』に限定されます。他の王家の傍流では『一切』患者を出していません。ただし、断絶等で別の親族の者がアルホニエミ家を継ぎ王となると、やはりハルピュイア病を発症する子供が一名以上現れます。確率は100パーセント、確実に」

「……!?」

「これはお伽話ではない現実です。ただの伝説じゃないんですよ……」


東吾は言葉を失った。少しの間黙りこみ、やがて言った。


「うそだろ? 神さまって。あ、でも神って、そういや夢の中で」

「はい? なんでしょうかミシロくん?」

「あ。やっぱなんでもねえ」


東吾はぶんぶんと首を振った。


「の、呪いってのはわかった。……じゃあ姫さまは、それで」

「ええ。彼女はヘンリク王の子供たちの中で、運悪く選ばれました。残酷な神への贖罪に」

「……。まじかよ……! そんなのって」

「ユスティーナ殿下個人の責任ではありません。しかし、我々には病を治せません。従って、彼女を生かしておくこともまたできない」

「え? い、生かしておけない? いきなり何言って」

「それはですね……。と?」


すると部屋のドアが開き、ひげの生えた老人が飛び込んできた。

東吾の覚えでは確か、この国の宰相とかいう男性だったはずだった。デーイィンが立ち上がって言った。


「オーギュストリ宰相閣下。何かありましたか?」

「だ、だだだ大魔導どの! 大変だ! 街が、城が……!!」

「ふむ? ……ああなるほど、やはり起きましたか。そろそろかと思っていましたが」


デーイィンが宰相に近づき、杖を抜いて言った。


「ちょうど手も空いていますし、とりあえず散らしに行きましょうか。場所はどこに?」

「し、城の外門と、城下街の南にいくつか火の手が。かなりの騒ぎとなっておる!」

「すぐに向かいましょう。多少の怪我人は出るでしょうが、目をつぶって下さい。二人とも、行きましょうか」


デーイィンが外へ出ていった。

東吾たちは、それを追いかけた。






城下街は、混乱の様相を呈していた。

暴徒となった国民たちが無軌道に暴れまわり、そのうちの一団が城の外城門に襲撃をかけていた。


「――ウウウアア゛ーーッ!! アアアアーーーーッ!!」

「や、やめんか! なんだ貴様らは!?」


並んだ兵士たちが槍で殴りつけて止め、暴徒たちを水際で食い止めている姿があった。

暴徒となった民たちは、完全に正気を失っていた。異常に興奮した様子で、わけもわからず兵士たちに襲いかかっていた。


「やめろ!! これ以上無体を働くならば、牢に連行するぞ!」

「ウウウーーッ!! ウアアアーーッ!!」

「くうっ……!? も、者ども! 槍構え!!」


兵士たちが逆さまにしていた槍を返し、鋭い穂先を暴徒たちに向けた。

……その時。

電撃が降ってきて、地面を迸った。雷に打たれた暴徒たちは、糸の切れた操り人形のようにばたばたと倒れ伏した。


「!? 今のは」

「少し、いけませんねぇ。思ったより暴徒の数が多い……脅威というよりも『声』の効果の強まり方が早い。となれば、事態の悪化は予定より早まりそうです……」


ぶつぶつと独り言をつぶやきながら現れたデーイィンは、倒れた群衆をちらりと見て言った。


「一ヶ月はとてももちませんねぇ。総主教のあては外れましたか……。できれば、最後にもう一度超魔術の大魔導の『彼女』にも、呪いを診て欲しかったんですが。これでは彼女が来るまで間に合いませんね……間に合ったところでどうにもならない可能性が非常に高いのですが。しかし『次』のことを考えれば、やはり出来る限りは情報を蓄積して残しておいたほうが……」

「あ、あなたは。今の魔法、ロディニアの魔導士どのか?」

「はい? ああ、私? 大魔導『雷皓』のデーイィンと申します。ところで、城にきた暴徒の方々はこれだけ?」

「あ、そ、そうですが。あ、あれだけの数を一瞬で……」

「死んではいませんから、適当に手当てしておくといいでしょう。さて、南と聞きましたが……」


デーイィンが目を細めて遠くを見た。

城の南の方角からは、いくつか煙が立ち昇っていた。


「あのへんですか。ふむ……指向性の傾向も調べておいたほうがよろしいでしょうか。今回はともかく、いずれ何かの役に立つかもしれませんからね」


すると、ついてきていたリィーンが言った。


「せ、先生。先生がこの国に来たのって、もしかして。こういう事態のために?」

「そうですねぇ……そのためでもあると思いますが。とにかく、鎮圧しなければゆっくり話もできません。ミシロくんへの説明も途中ですし」

デーイィンがくるりと手元の杖を回して言った。


東吾は気絶した群集たち、そして遠くの火の手を見て言った。


「な、なんだこいつら? 急に城に襲いかかってきて」

「おっと、彼らのせいではありませんよ? 彼らはただ暴力性を刺激されただけですから。殿下の『声』で」

「え?」


そうしていると、暴徒のうち数人がふらふらと起き上がった。

目をぱちくりとさせて、何が起きたのかわからない、といった顔をしてきょとんとしていた。


「おい貴様! いきなり城の門に押し寄せるとは、どういうつもりだ!」

「は、はひ? な、なんでございましょう、お城の兵士さまがた。ここはどこですか、城? 私はこれからデュ・トワ湖に泳ぎに行こうと……」

「なに? ……貴様ら、覚えていないのか?」


問い詰めた兵士に、民たちは驚いて首を振っていた。


「なんだ? さっきまであんなに興奮して暴れてたのに。記憶がない?」

「無意識の行動です。この現象は、以前王宮にハルピュイア病の患者がいた時にも確認されています。記録が残っています」


デーイィンの言葉に、リィーンが頷いて言った。


「ハルピュイア病の症状の一つよ。ハーピーは声で周囲の人間や動物を凶暴化させ、魔物を呼び寄せると言われているわ。だからこれはきっと、殿下の……」

「まじかよ。じゃあ、こいつら全部」

「正確に言えば声ではなく、一種の魔術のようですね。殿下の声は物理的には聞こえないよう、魔法を張って遮断していますから」


デーイィンが軽く肩をすくめた。


「ちなみに『声』の届く範囲は、100リーグ(400㎞)以上と判明しています。この国の全域をすっぽりと覆い、ロディニアや周辺国にまで波及します。今までの記録から見ても、間違いないかと」

「……! そんな遠くまで届くなんて。わたしたちじゃ、どうしようも」

「この性能は、まったく不思議ですよねぇ。一説には、王家の使う大気の魔法と関連しているのではと仮説が立てられていますが。症例が少なすぎて、原因を特定できていないんですよ。ついでに言いますと、これはまだ初期症状だそうです。もっと進行すると街一つが丸ごと暴徒化し、気絶しても『死ぬまで』正気に戻らない。調査の結果、脳の一部が溶けていた、というレポートが残っています。さらには全ての動物が人間に牙を向くそうですよ。家畜もペットも、生きているものは全て」

「先生。あんたが、姫さまを生かしておけないって言ってたのは」

「ええ。そうしておくことは『不可能』なんですよ。殿下は生きている限り『声』を発し続けます。彼女の声を止めない限り、この状況は続きます」


デーイィンは言った。


「ユスティーナ殿下の病気は治せません。従って発病した以上、彼女は死ななければならない。さもなければいずれ、この国ごと滅びます。膨大な数の人間を巻き込んで」

「……。なんてこった……!」


東吾は、目まいのするような感覚に襲われた。

ユスティーナ一人の命と、この国とこの国に住む他の人間老若男女全ての命が、一つの天秤のはかりの上に乗っていた。どちらが重いのかは――どうしようもなく明らかだった。

あのお姫様のはっとするような美しい微笑が、東吾の脳裏に浮かんだ。


「リィーン、ミシロくん。もう殿下には会わないほうがよいでしょう。私はそれをお勧めします……理由は、言わなくともお分かりになると思いますが」

「だ、だけど。俺は」

「ともかく、私はこれから暴徒の鎮圧に行きますので。それでは」


デーイィンが魔法を唱えた。ふわりと宙に浮きあがり、はるか彼方まで飛び上がっていく。

そのまま空を飛んで、火の手の上がる街へ向かっていってしまった。


「あっ。あの魔法って」

「『飛翔』だわ。さすがに先生、大魔導ね。……でも」


リィーンが、しゅんと肩を落として言った。


「殿下が……。こんなの、どうしようもないわ。どうしろって言うの……?」

「リィーン……」

「やっぱり先生の言う通りにして、すぐに国に帰ればよかったの? 何も見ないふりで、知らない顔して。わたしは」

「リィーン。もう言うな」


東吾は首を振った。


「どっちにしろ、知らんぷりなんてできなかった。全部忘れるなんか、無理だ。姫さまは……俺たちのこと、友達って言ったんだ。そうだろ?」

「……うん。そうよね」


リィーンがひどく悲しそうな顔をして、小さく頷いた。

遠く遠望する街の空で、雷の光が瞬き、騒乱の声は次第に小さくなっていった。




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