第六話 その8
ローレンシア城下町の、宿屋。
リィーンが借りている部屋で、椅子に座った東吾は言った。
「姫さま、病気だったなんてな。だから、あんなに周囲があわててたのか」
「うん……そこまではわたしも知らなかったわ。病弱な方とは聞いてたけど、なにか重い病気でも患われているのかしら?」
リィーンが頷く。
「やっぱり王族だもの。そういう話を、おいそれと世間には知らせないわ」
「俺、よくないことしちまったかな。勝手に連れまわして」
「どうかしらね。本人は喜んでたみたいだし、見た感じじゃ、お体も悪そうには見えなかったけれど……」
リィーンが言った時、急にドアが開いた。
一人の人間が、室内に入ってくる。
「えっ? あ、先生?」
「やあ、リィーン。宿はここでしたか。少し探しましたよ」
それはデーイィンだった。
旅装姿のデーイィンはにこっと笑って言った。
「相変わらずこの国は少々不便ですねぇ。ロディニアの首都なら、『サペリオン』ですぐに所在が分かるんですが」
「せ、先生どうしてここに? ロディニアにいるはずじゃ」
「我が国の治療修道会から、総主教がこの国にお出ましになりましたからね。その護衛で急遽来たんですよ。やあやあミシロくん!」
デーイィンは東吾を見つけると、にこやかに手を振って近づいてきた。
「げっ。あんた、来たのかよ」
『うげえ! イカレ長髪だ!』
東吾とモニカが揃って嫌そうな声を上げた。
「はっはっは! 君が元気そうでなによりです。君が元気でいてくれないと実験もできませんからね。ああ、いつ見ても君は、その体の神秘を解き明かしたくなる……」
「く、来るな! あっちに行け!」
『そうだそうだ! 引っ込め狂人!』
「ふふふ。まあそれはともかくリィーン、なぜこんな宿に泊まっていたのです? 城に部屋を借りればよいではないですか」
デーイィンがくるっとリィーンに振り返って言った。リィーンが困った顔で答える。
「当たり前じゃないですか。わたしは魔導官の先生と違って、ただの三等魔導士ですよ? 先生や総主教ともなればそういうこともできるでしょうけど……」
「ふむ。そういえばそうでしたね、ではすぐに荷物をまとめてチェックアウトしてください。今日から、城に泊まってもらうことになりますから」
「はい?」
「そのつもりで貴方を呼びにここに来たんですよ」
「え……? そ、そんな急に。先生」
ぽかんとするリィーンに、デーイィンが急かしてくる。
「ではさっそく準備をはじめてください。ああそれからリィーン、貴方の仕事はなくなりました。ブロッガたちの退去は、しなくても結構です」
「!? ちょ、ちょっと話が急すぎます先生。いきなり言われても」
「ちゃんとロディニア本国からの命令書もありますよ? 元老院からの遠隔自動筆記での略式ですが、ローレンシア側からの許可もいただきました。というわけで仕事はありません」
「……??? ま、待ってください。仕事はないのに、城に行くんですか?」
「ええ。これからリィーン、貴方には新しい任務が与えられます」
デーイィンは頷くと、懐から一枚の紙を出して言った。
「つい先ほど出たばかりの命令です。『リィーン・ルティリア三等魔導士。これより貴官は別命あるまでの間、ローラシア及びローレンシア連邦王国第一王女ユスティーナ・アルホニエミ王女の護衛及び監視につくこと。』以上です」
「ご、護衛と監視? って」
「つまり。王女と遊んでいればいい、ということです」
デーイィンが肩をすくめて言った。
東吾は変な顔をして、デーイィンに向かって聞いた。
「姫さまと遊んでればいいって、国の命令で? なんだそりゃ……?」
「細かいことは気にしないように。気にしないほうが、誰にとってもよいことだと思いますよ? しかし、任務である以上リィーンには、この命令書に従ってもらわなくてはなりませんね」
「先生。こんな無茶な任務、わたし聞いたことが」
「任務は任務です。さあ、行きましょうか」
「ま、待って先生! トーゴ、外に出るわ」
さっさと踵を返して出ていくデーイィンに、リィーンと東吾はあわてて荷物をまとめると、後を追いかけた。
翌日。
「あれ。……ああ、城か」
東吾の目の前に、天井とシャンデリアがある。
朝一番で召喚された東吾は床から身を起こした。
横を向くと、窓の外は晴れて鳥が鳴いていて、近くには杖を持ったリィーンが後ろを向いて立っていた。
「はい。服着て、トーゴ」
「おう」
にゅばっと服を体から出し、全裸の東吾は一瞬で着替える。
「着た?」
「着たぞ。OK」
「そう」
くるりとリィーンがこちらを振り返った。東吾もリィーンも、もう慣れたものであった。
「おはよ。トーゴ」
「ああリィーン。で、呼び出されて城だけど。これから俺たちどーすんだ?」
東吾が聞くと、リィーンは首を傾げた。
「さあ……。わたしもちょっとよくわからないわ。なんで突然仕事がなくなって、殿下と遊んでいろなんて話になったのか」
「リィーンがわからないんじゃ俺なんかますますわからないな」
二人がそうしていると、ドアがノックされてデーイィンが姿を見せた。
「おはようございますリィーン。おや、ミシロくんも召喚されていたようですね。これから朝食ですから、二人とも行きましょうか」
「先生。朝食って?」
「VIP待遇ですから遠慮せずに。ユスティーナ殿下も同席なさるそうですよ」
「え、姫さまも俺らと一緒に食うのか?」
「向こうからの申し出ですから。細かいことは気にしなくて結構です」
「はあ……」
東吾とリィーンはよくわからないまま、デーイィンと連れ立って部屋を出た。
階段を降りて少し歩き、大きな部屋に通される。
と、十数メートルもある長いテーブルの上に、朝食とは思えないほど豪華な食卓があった。
「すげえな。こりゃ」
「ちょっと……。こ、こんな席、わたしたちが座っちゃっていいのかしら?」
東吾とリィーンがぽかんとしているのを尻目に、デーイィンは歩いていってさっさと席に座った。
「どうしました? 二人とも早くお座りなさい。遠慮は不要です」
「先生そんな堂々と。大魔導なら、こういう席も慣れてるかもしれませんけど。わたしたちは」
「実に美味しそうで食欲をそそられますねぇ。問題ありません、何かあっても私が責任を持ちますから。さあ」
デーイィンに言われて東吾、リィーンが少しおっかなびっくりに席についた。
すると、別の入り口からユスティーナが姿を見せた。
ユスティーナは足に包帯を巻いていたが、足取りは軽かった。
「あっ。お二人とも、おはようございますわ。おはようございますわ」
「で、殿下」
「そのままで結構ですの。トーゴさまリィーンさん、ご機嫌はいかがでしょう?」
ユスティーナは立ち上がろうとしたリィーンを手で制してニコリと微笑むと、伴っていた執事に椅子を引かせて席に座った。
「礼儀としては略式ですが、失礼いたしますわ。お友達の前であまり堅苦しいのは、わたくしも好みませんし」
「は、はあ」
「ではいただきましょう。と、その前に神への祈りを」
ユスティーナが祈りの言葉を唱えた。
リィーンがちょっとあわてて、それを見た東吾が見様身真似で続いた。
「天にまします太陽の神リリーアンタールよ。今日もささやかなる糧を我らに与えたもうことを感謝します。英知、真実、光輝の力。そして贖罪。アーメン……さあ、いただきましょうか」
ユスティーナが朝食に手をつけはじめた。
「お二人も遠慮なさらずに。いくらでもありますから」
「は、はい。じゃあ」
リィーンが頷き、東吾たちも食べはじめた。すると東吾の右手が声を出した。
『……むにゃ? うめえ。なにこれうめえ』
「お、ニカ。起きたのか」
『ん、おっす。どこだここ? まあいいや、もっと食え。あたし二度寝しながら食う……』
「怠けたやつだな。お前」
『喋るのだって意外とめんどくせえんだよ。この前から、すげえ力使うし……ぐう。うまい。ぐう……』
東吾とモニカがそんなことを話している隣で、デーイィンは本当に遠慮なく料理に手を伸ばしていた。
「はっはっは。いやぁ、こんなに歓待されると嬉しいものですねぇ」
「先生……。もう」
「いいんですのよ、わたくしのほうから招待したのですから。それにしても……」
ユスティーナが、じっとデーイィンを見つめて言った。
「あなたが『役目』の方ですのね? 昨日、ロディニアの総主教どのと一緒におりましたが」
「はい殿下。昨日も名乗りましたが、デーイィン・ティグラス三等魔導官と申します。これでも一応、雷の国家大魔導でして。いざという時は私が」
「なるほど。ですが、リィーンさんが先生とおっしゃっているのは?」
「彼女は私の弟子なのですよ。ロディニアでは大魔導は、一人以上の大魔導候補を育成しなければならない義務があるんですねぇ。ついでに養父でもありまして」
「それは驚きですわ! なんという偶然でしょうか」
「ええ。まさかユスティーナ殿下がリィーンをご友人にお選びになられるとは、まったく光栄なことですね。私も鼻が高いですよ、はっはっは」
「そうですか……。どうやら貴方が適任なようです。こんなことを頼んで申し訳ありませんが、その時がもし来たらお願いいたしますわ」
「もちろんお任せください。私は重要な任務を仕損じたことはありません……しかし、この魚の煮付けは本当においしいですねぇ。それにワインも、うーん」
のびのびと料理に舌鼓を打つデーイィンであった。
リィーンが困った顔でデーイィンを横目に見ていると、ユスティーナが言った。
「お二人とも。朝食を食べましたらぜひわたくしと遊びましょう。いいですか?」
「え? あ、はい。殿下」
「わたくし足を怪我してしまいまして、外に出られません。でも、他にも遊ぶことはできますわ。リィーンさんは、ソムニウムなどはできますか?」
「ソムニウムですか? で、できますけど」
「それは大変けっこうですわ! とっても楽しみですわ」
「そむにうむ? ってなんだそれ。リィーン?」
横で聞いていた東吾が、リィーンに聞いた。
「有名なカードゲームよ。54枚のカードを使って遊ぶんだけど、やり方はあとで教えてあげる」
「へー。こっちの世界でも、カードゲームってあるんだな」
ユスティーナが不思議そうな顔で言った。
「こっちの世界? ってなんですの?」
「あ、いや。こっちの話」
「そうですの? うふふ、これからいっぱい遊びますわ。うふふ」
にこにこと上機嫌で、ユスティーナは微笑んだ。
朝食後、東吾たちはユスティーナの部屋に通されていた。
「ま、足怪我してちゃ外行くわけにもいかないしな。異世界のカードゲームってのも面白そうだ」
大きな木のドアをくぐって東吾は言った。
すると、ついてきていたデーイィンがユスティーナに言った。
「殿下。私は近くの部屋で、ヤーコブどのと待機しております。何かあればお呼びつけくださいますように」
「ええ。でもまだしばらくは、だいじょうぶですわ。ヤーコブにも変な横槍はしないよう含めておいて下さると助かりますわね」
「かしこまりました、御心のままに。それでは」
デーイィンは一礼すると部屋には入らず、さっと離れた。
それから、リィーンに何かを小さく耳打ちした。
「リィーン。……」
「えっ? 先生、それって」
「よろしいですね。重ねて言いますが、これは任務の一貫であることを心の隅に留めておいてください。では」
そう言うと、デーイィンは歩いていった。
東吾は振り返り、リィーンに聞いた。
「どうしたリィーン? あの先生に何言われたんだ」
「その。……『鳥の羽根を見つけたら、すぐに知らせろ』って……?」
「鳥の羽根?」
「わ、わからないわ。でも」
「どうしましたお二人とも? 中へおいでくださいまし」
ユスティーナに手招きされ、東吾とリィーンはユスティーナの部屋に入った。
うんと広いその一室には、天蓋つきのベッドや巨大なタンス、大きな大きなテーブルなどが並び、まるでそこにいると自分の背が縮んだんじゃないか、と思うくらいであった。
絵画や壷や人並みサイズの調度品が、そうではないと気づかせてくれる。窓の近くに下げられた鳥かごから、ピィ! と元気な鳴き声が聞こえた。
「あ。あの鳥かごにいる鳥」
「わたくしのピィちゃんですわ。トーゴさま、その節はありがとうございましたわ。ピィちゃんもあんなに感謝して」
ユスティーナは部屋に置かれていた椅子に腰掛け、言った。
「さあさあなんでもありますわ。ソムニウムに、ボードゲームに」
「あっちにチェスもあるじゃん。駒の形はちょっと不思議だけど。ライオンか?」
「うふふ。わたくしこの手の遊びはとっても得意ですのよ? さあトーゴさま、リィーンさんも席についていただいて」
二人がテーブルにつくと、ユスティーナは近くに立てかけられていたステッキを手に取り、軽く振った。
「――『イズ・ウィンドラ』!」
ぶわっと風が巻き起こり、部屋にあった色々な遊び道具が宙に浮き上がった。
それらは舞い上がると、さーっと落ちてきて、きれいにテーブルの上に整頓されて並べられる。
「おお、魔法だ。姫さまも魔法、使えたんだ」
「ロディニアの優れた魔導士たちほどではありませんが。王家の者は、ほんの少しだけ大気の魔法を使えますの」
「へえ。ロディニア人以外で魔法を使うの、珍しいわね」
「そうなのか? リィーン」
「そうよ。吸血鬼なんかはともかく、ふつうの人は使えないわ。基本的に魔法の技術って持ち出し禁止なのよ。他所の国の人はもちろん、ロディニア人でも資格がある人じゃないと教えちゃいけない法律があって。大気の魔法は風を起こして操ったり、風の精霊を呼び出したり、馬車の動力にもなるわね。極めれば天候すら変えられるわ」
「あとは、空を飛べるようになるといいますわ。我が国の歴代の王の数人は空を舞ったという伝説があります。わたくしは、とてもそこまでの才能はございませんが……。まあ、それより遊びましょう」
ユスティーナが、カードの束を手に取って言った。
それをさっとテーブルに広げて見せてくる。
「ソムニウムでしたわね? これですわ」
「綺麗な絵が描いてあるな。天使に悪魔にドラゴンに、太陽とか月とか」
「すごくいいカード。やっぱり高級品だわ……。職人の一品物じゃない」
「値段など、ゲームに使うならなんでも同じですわ。うふふ、わたくし、本当に強いですわよ?」
にこっと微笑んでユスティーナは言う。
リィーンが、受けたとばかりに少し笑って言った。
「実を言うと、わたしもこのゲーム得意なんです。簡単に殿下には負けません」
「あら。そうですの?」
「ゲームじゃ上下は関係ありません。手加減はしませんよ」
「よろしいでしょう。では、さっそくはじめましょうか」
ユスティーナがカードをシャッフルして配りはじめた。
リィーンは東吾に向かって言った。
「まずは、わたしと殿下で一ゲームするわ。トーゴはやりながらルール教えてあげるから」
「おう。わかった」
「ふっふっふ……。実は実は、わたしこれでもこのゲームの大会で優勝したことだってあるんだから。敗北が知りたいってくらいなのよ。殿下にだって勝つわ」
「そ、そうなのか? ま、がんばれよ」
「がんばるわ。ふふふ」
不敵な笑みのリィーンに、ユスティーナは泰然とした姿勢を崩さずに言う。
「それは楽しみですの。リィーンさんのお手並み拝見いたしましょう」
「殿下に庶民の力を見せてあげます。勝負!」
数分後。
リィーンは、がっくりと肩を落としてうなだれていた。
「……」
「これで決まりですわね」
最後に残ったゴーレムのカードを、ユスティーナがぴっと手に取って言った。
ユスティーナの手元にはリィーンから奪った大量のカードが積まれていた。
「リィーンさん、とってもお上手ですわ。いいゲームでした」
「そ、そんな。このわたしが手も足も出ないなんて」
ふるふると震えるリィーンの姿に、東吾がぽつりとつぶやいた。
「負けたみたいだな。リィーン?」
「くうっ」
リィーンが心底悔しそうな顔をした。よほど自信があったらしいが。
ニコニコ顔のユスティーナが、東吾を見て言った。
「トーゴさまもルールが分かりましたか? では次は、トーゴさまも交えて……」
「も、もう一勝負! 一対一で! 殿下!!」
「構いませんが……。でもトーゴさまが」
「俺は見てるだけでも楽しいからいいよ。リィーンが言ってるから、もう一回やってやってくれ」
「そうですか? ではもう一回」
「つ、つつつ次は負けないわ。わたしはチャンプよ? 負けるはずないわ負けるはずないわ偶然よ偶然よ認めない認めない」
ムキになったリィーンが、気負いがかってぶつぶつ言っていた。
「……リィーン。お前って、実は意外と勝負に熱くなるタイプ?」
「今度こそ今度こそ絶対負けない絶対負けないプライドがプライドが」
「うふふ。ではカードを配りますわ」
「――うぐぐうぅ。うぐぐうぅ」
「そんな気を落とすなよ。リィーン」
東吾は、涙目でぷるぷるしているリィーンに言った。
あれからしばらくの間。リィーンはユスティーナと対戦を続けていたが、ついに一勝もできなかったのであった。
「わたしはチャンプなの。わたしはチャンプなの。なんで勝てないの。なんでただの一度も勝てないのよ……!」
「まあまあ。ゲームで泣くなよ」
ここは、ユスティーナの部屋から少し歩いたところにある小部屋である。普段はユスティーナお付きのメイドなどが待機している場所だった。
だが、そこにユスティーナの姿はなかった。
ユスティーナは、病気の診察があるとのことで一旦席を外し、今はロディニアの治療修道会に体を見てもらっていた。東吾たちはその間ここで待っているように言われたのだった。
「ぷ、プライドがずたずたに。このわたしが、こうまで負けまくるなんて」
「熱くなりすぎだろ。でも、そんなことより、姫さま本当に病気らしいな?」
「そんなことってことはないわ! ……でも、そうね。本当にご病気みたいだわ、あんなにお元気そうなのに」
リィーンが顔を上げて言った。
「総主教が出てくるなんて、よっぽどのことだもの。いくら殿下がご病気だからってありえないわ。ちょっと考えられない」
「だけどお姫さまだろ? それなら偉い人くらい出てきても変じゃないだろ。同じくらい偉い人相手なんだし」
「そういうことじゃなくて。治療修道会が治療して直らない病気なんて、ないってことなのよ」
東吾の疑問に、リィーンはぴっと指を立てて答えた。
「ほとんどの病気は、大司教クラスが出て治療すればまず治るのよ。よっぽどの不治の病じゃない限りはね。そして、その数少ない不治の病は、患者がベッドから起き上がることすらできない重い病気ばかりなの。でも、殿下はあんなに元気でしょ?」
「そうだな。健康にしか思えなかったけど」
「なのに総主教が出てくるなんて……。そうなるともう、絶対に治せない病気で、今にも死にそうな人を一ヶ月でいいから生き延びさせるだとか、そういう治療になってくるのよ。そんなのどう考えても変でしょ?」
「なるほどな。あんなに元気で自分で歩いているのに、そんな重い病気には思えないってことか」
「そうなのよ。一体どういうことなのかしら……? わたしたちだって急に仕事放棄して、任務で殿下と遊べって言われるし」
リィーンが不思議そうに首をひねった。
それから、ぽつりと言う。
「あと……。でも、ううん。これは関係ないわよね」
「なんだ?」
「あ、うん。殿下の病気のことじゃないんだけど、ちょっと気になったことがあって。殿下、ずいぶん変なこと仰ったと思って」
「変なこと? なんか言ったっけ」
「食事の時よ。殿下が神に祈る時、『英知、真実、光輝の力。そして贖罪』……って、言ってたでしょ?」
「そういやそんなこと唱えてたな。こっちの宗教は、俺にはわからんが」
「あれって本当は、光輝の力までで終わるのよ。太陽の神リリーアンタールへの捧げの詞はそれだけ。贖罪だなんて、そんな物騒な言葉くっつけたら聖職者に怒られちゃうわ」
「ふーん? よく知らねえけど、どうでもいいことなんじゃねえの?」
「そうなんだけど……。とにかく、よくわかんないことだらけね」
リィーンは困ったように言った。
そうしていると、廊下からひょいっとユスティーナが顔を出した。
「お二人ともお待たせしましたわ。診察が終わりました」
「あ、姫さま。もういいのか?」
「ええ。少し診てもらうだけでしたから。では続きをしましょうか、そろそろ別のゲームなども」
「チェスなら俺もやれそうだぞ。将棋は意外と得意なんだ」
「で、殿下! こ、今度こそ……!」
「リィーンさん。わたくしと貴方のソムニウムばかりでは、トーゴさまも退屈してしまいますわ。また今度にしましょう」
「く……」
リィーンが悔しそうにしながら、ひとまず引き下がった。
「じゃ、じゃあ別のゲームで。わたしもチェスは得意ですから」
「そうですの! お手柔らかにお願いしますわ」
ユスティーナが手招きした。東吾とリィーンは立ち上がり、ユスティーナのあとについていった。