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第六話 その7


「よし。こんなもんでいいだろ」


東吾たちは、街の入り口にいた。

城下町のすぐ入り口の路地には井戸があり、あまり人目もなかったため、東吾は井戸のふちにユスティーナを座らせ怪我した足を洗ってやっていた。


「泥は落ちたな。消毒はねーけど」

『優しいこったな。んな傷なんて、なめときゃ勝手に治るもんだぞ?』

「お姫さまだからしょうがねえだろ。こんな怪我だって、はじめてなんじゃないのか……って足の裏なめるのは色々アレだろ」


モニカと喋りながら、東吾は井戸桶を元の場所に戻して言った。


「いいぞ姫さま。まだ痛むか?」

「ありがとうございますわ。少し痛みますが、さっきよりはよくなりました」


ユスティーナは少しふらついたものの、自力で立ち上がった。


「靴、どうすっか。一応持ってきたけど……これじゃ逆に痛いよな。超ヒール高いし、歩きにくくて」

「だいじょうぶですわ。わたくし、はだしで歩きます」

「そうは言っても」


東吾はもう一度ユスティーナを眺めてみた。

東吾はこれから、ユスティーナを連れて街に入るわけだが……。


「冷静に考えたら、一発でアウトだなこれ。ドレスで、しかも思いっきりスカート破れてるし……」


ユスティーナの格好は、街中に入ればびっくりするほど人目を引くだろう。

スカートの横には大胆なスリット、というか乱暴されたとしか思えない破け方をしてしまっている。ちょっと下着まで見えてしまっているくらいだった。


「絶対に見つかるな。住民に兵士呼ばれて、捕まって終わりだぞ」

「そ、それは困りますわ。こんなところで捕まってしまっては台無しですの」

「どっかで別の服を手に入れないと……。お、ちょうどそのへんに」


東吾が路地から主街道を見ると、服屋らしき店があった。

店先にマントなどが並べられていて、街に立ち寄ったばかりの旅人などを目当ての客にしているのだろう、『汚れた衣服も買い取ります。新しい装いでデュ・トワ観光を!』などと看板に書かれていた。


「あそこで買うか。いくらか金も持ってるし」


東吾は自分の腰に提げていた硬貨入りの袋を叩いた。リィーンにもらったばかりの給料袋は、まだまだずっしりと重みがあった。


「買い物!! いいですわ、是非お買い物したいですわ。献納やお仕着せの服ではなく、お店で自分が選んだ服を買って着る。一度やってみたかったんですの!」


ユスティーナが嬉しそうな顔をして言った。

東吾たちはそろそろと街道に出ると、目当ての店の中に入った。店の中は商品でいっぱいで、他の客の姿もあったが上手く注目は集めにくい塩梅であった。


「よし、んじゃ姫さま。さっと選んで買って……」

「こんなにいっぱいのお洋服ですわ! どれにしましょう?」


しかしユスティーナはにこにこ顔で、端から順に服を眺めはじめた。


「面白いかたちの服ですわ。あら、でも少し裁縫が雑かもしれませんわね……? なるほど、民の着ている服とは、こういうものなのですね。でもこれはこれでよいです」

「お、おい。そんな時間かけてられないぞ?」

「ううん、こんなにあってはなかなか選べませんわ。どうしましょうどうしましょう」

「姫さまってば。俺ら、お忍び状態なんだから」

「お待ちになってください。レディの着替えは時間がかかるものですわ、黙ってお待ちになられるが紳士の振る舞いというものです。あっ、これかわいいですわ!」


東吾の声など聞く耳持たず、ユスティーナはあれやこれやを引っ張り出して、品定めをはじめた。

東吾がちょっと呆れた顔をすると、右手のモニカが言った。


『あんだよー。あいつにだけ服買ってやるのか? あたしなんて、奴隷服のままなのに』

「え? ニカお前、服も何も……ああ、あの夢の中の部屋の話か。そういやぼろ着てたな」

『ぼろ言うな。ま、あたしは服なんて着れれば、なんでも構いやしねえんだけどな。……お? これ』


すると、東吾の右手がスイと伸びて、近くにあった女物のズボンをつかんだ。


『ふーん、いいズボンだな。安いのに丈夫そうで。これなら走ったり剣闘やっても、簡単には破けねえ。丈もあたしにちょうどいいんじゃねえの?』

「おい? ……まさか、お前」

『……。あたしもやっぱ欲しいなー。さすがにぼろはもう替えてえもんなぁ……。姫さんばっかじゃ不公平だよな。なあトーゴ?』

「……」

『な、なあいいだろうよぉ。んな高えもんでもねえし。お前だって、あたしの剣勝手に使ってんだろー? あたしだって、誰かに服買ってもらったことなんてねえんだ。いいだろいいだろ、なあなあなあなあ』


モニカがたかりはじめた。

東吾はため息をついて、言った。


「買ったとして、それどうやって着るんだよ。手袋くらいしかつけられない右手のくせに……」

『あっちで着る。服呑み込め。いつもみたいに』

「ああもう、分かったよ。しょうがねえ」

『やた! へっへへー』


にんまりと笑ったのがわかるような声を出すと、モニカは服選びに奮闘しているユスティーナに声をかけた。


『おう姫さん。あたしも買ってもらうから、あたしと一緒に選ぼうぜ』

「ニカさんもですの? でもニカさん、トーゴさまの右手なのでは……?」

『あたしゃこいつの中に入ってるだけで、体は他にちゃんとあんだよ。言っとくけど、あたしは女だからな?』

「? 分かっていますわ。女のかたの声ですもの、すぐにそうだと」

『よーしよし。おめえいいやつだな、あたしを男扱いしたバカトーゴやあのイカレ長髪と違って』


右手のモニカとユスティーナが手に取った服を互いに見せあったりなどして、服選びをはじめた。東吾は二人のやりとりを眺めていた。

やがて決まったらしく、右手と姫はそれぞれ数点の服を手に言った。


『決まったぞ。トーゴ』

「お待たせしましたわ。トーゴさま」

「はいはい。じゃあ姫さまはそこの試着室で着替えて、そのまま会計済ませるか。ニカのは……買わないと呑み込むわけにもいかないな。先にレジ通そう」

「わかりましたわ」


ユスティーナは頷き、近くにあった試着室へ入っていく。

さらにしばし待つこと数分、カーテンを引いて出てきたユスティーナは、少し丈の短いワンピースにカーディガンを羽織り帽子を被った、良家のお嬢さまふうのいでたちをしていた。


「どうでしょうか。似合いますか?」

『お、いいじゃねえか。これならお姫さんたぁわからねえ』

「よし。じゃあニカのぶんも合わせて会計するか」


東吾たちは店の隅にあるカウンターに向かった。

店長らしき男が椅子に座って、こっくりこっくりと船をこいでいたが、二人に気づくとあわてて目を覚ました。


東吾がユスティーナの服は着たまま買う旨のことを伝えると、店長の男は、東吾とモニカのぶんの服を見比べて言った。


「お客さん?」

「ん? なんだよ」

「その。そちらの女性の方は、いいんですが。……こっち、女性物なんですが?」


すると店長が、気持ち悪いものを見るような目を東吾に向けてきた。


「かなりサイズ大きめのですし、そちらの方のものではないですよね? うお、女もののパンツまでありやがる……! お客の趣味にどうこう言うつもりはねえんですが、うちとしてはうちの商品で変態行為されるのはお断りしたく……」

「俺が着るんじゃねえよ!? 誰が変態だこら!」


女装疑惑を向けられた東吾が言った。

東吾は渋る店長に会計をさせると、モニカの服を皮袋に入れさせ、ついでにユスティーナの破れたドレスも詰め込んだ。


東吾とユスティーナは足早に店をあとにする。


「これで街を歩けるようになりましたわね。きっと、兵士にも気づかれませんわ」

「姫さま目立つから、これでもちょっと心配だけどな……王族オーラというか。んじゃ行くかって、あっ?」

「――こらっ! トーゴ!」


東吾が振り返ると、そこにはリィーンが仁王立ちしている姿があった。

リィーンは急いでここに来たのか、額にはたまのような汗が浮かんでいた。その後ろには、相も変わらず全裸で日光に照り返す大胸筋がまぶしい、にこやかな笑顔の肉のゴーレムが一体いた。


「み、見つけた。どこに行ったかと思えば、こんなところに。きっと街で遊ぶんだろうとヤマを張っておいて正解だったわ」

「げ。り、リィーン」

「だめじゃない! 仕事ほっぽって殿下と遊びに行くなんて、勝手なことして! なにしてるの!」


リィーンはつかつかとこちらに歩いてくると、東吾を叱りつけてきた。


「なんてバカなことしたの! わかってるの? トーゴ!」

「待て、リィーン。こんなに早く見つかるなんて。マジかよ……」

「あれから大騒ぎよ! 護衛の騎士の人たちはまだ森の中を探しまわってるし、ヤーコブさんだってすごく心配してるし! わたしだけあわててこっち来たけど、このままじゃ、国を挙げて殿下を捜索することになっちゃうわ!?」


リィーンは東吾の耳に手を伸ばし、引っぱって言った。


「だいたい、わたしだけ仕事しろってなによ! そんなのおかしいわ、トーゴはわたしのゴーレムじゃない。わたしがこの国まで来て仕事してるのに、なんでトーゴが遊んでるの! それにもう、仕事どころじゃなくなっちゃったし!」

「いてて耳引っぱるな! 痛くねーけど。ちょっとおちつけって、リィーン」

「もう! ……殿下」


リィーンがくるりとユスティーナに振り返った。片膝をつき、礼儀の姿勢で言う。


「殿下、お戻り下さい。みんなが殿下を心配してらっしゃいますから」

「は、はう。こんなに早くリィーンさんに見つかってしまうなんて、困りましたわ……。せっかく服も替えて、これから街を歩くところでしたのに」

「いけません。すぐに戻って下さい。でないともっと騒ぎが大きくなってしまいますから……。きっと城に伝令も到着してる頃ですし、もうすぐ大規模な捜索隊が作られて、国じゅうが殿下を探しまわることになってしまいます」

「……。はい。そうですわね……」


ユスティーナが悲しそうに目を伏せた。

すると、東吾とモニカが待ったをかけた。


「おい、リィーン。姫さまは、今日までマジのマジで外に出たことなかったんだよ。そんなのあんまりだろ? ちゃんと城下にいて、危ないことしてるわけでもないんだぞ」

『おう、そうだそうだトーゴの言う通り。今日一日くらい好きにやらしても構いやしねえだろ、別によぉ』

「ダメよ! どれだけの人が殿下のために動くと思ってるの? そんなの、無責任すぎるわ!」

「でも街をちょっと歩くだけで。自由にしてやっても……!」

「いいえ。よいのです、トーゴさま」


ユスティーナが、首を振って言った。


「もういいのです。しかたがありません……分かっていたことですから」

「姫さま。でも」

「わたくしが戻らなければ、大勢の人が心配するでしょう。ヤーコブもメイドたちも騎士たちも、わたくしのお父上も。ひいては、この国の民全てに心配をかけてしまうことになりましょう。それは王女として為すべきことではありません」


ユスティーナは顔を上げて、東吾の顔を見つめた。


「わたくしは、城に戻ります。今日はわたくしの望みを叶えていただいて、本当にありがとうございました。トーゴさま」

「……でも」

「今日見たあの空の色は、きっと忘れません。……さあ行きましょう」

ユスティーナが、城の見える方向に向かって歩き出した。


リィーンがほっとした顔をした。東吾は少し不満げな顔をして、それから言った。


「じゃあ姫さま、こうしようぜ。『これから城に戻る間だけ街巡りをする』。どうだ?」

「えっ?」

「どうせあそこまで歩いて帰るんだし。その間くらい、好きにしたっていいだろ? 買い食いでもしながらさ」

「あ……! そうですわ、それがいいですわ! すてきな思いつきですわ」


ユスティーナがぱあっと明るい顔をした。


「ちょ、ちょっと。トーゴ?」

「なんだよリィーン。姫さまはちゃんと戻るんだし、道すがらおみやげの一つぐらい買ってもいいだろ?」


東吾が説得すると、リィーンは困ったように眉をひそめたが、それ以上強くは言わなかった。

東吾たちは城に向かって歩き出した。


そのうちに、ユスティーナが街道の脇に目を止める。


「あら! 芸をやっていますわね。大勢集まって」


道ばたでピエロの扮装をした男が大道芸をはじめていた。

道行く人は立ち止まり、男の芸を眺めては拍手をしたり、時折木の箱に硬貨を投げ入れたりしていた。ナイフ芸を見た子供たちが興奮したように騒いでいた。


「すごいですわ、すごいですわ。ナイフをまるでお手玉のように」

「大道芸人か。異世界にもいるもんだな?」

『ま、そこそこだな。あたしほどじゃねえが』

「ふうん……面白いことしてるわね。すごく器用だわ」


するとリィーンが、興味深そうに大道芸人のほうを覗きこみはじめる。

大道芸人が十本ほどのナイフを一斉に宙に投げ、それを落ちてくる順に指先ですばやく一本ずつつまんで、近くに立てた木の板に向かって次々と投げた。


ナイフは規則的な円を描くように的に刺さっていき、最後の一本が的のど真ん中に当たると、リィーンは「きゃ、すごい!」と叫んでぱちぱちと拍手をした。


「リィーン?」

「あっ。い、いや。その」


東吾に声をかけられたリィーンがはっとして、恥ずかしそうに目を逸らした。


「ちょ、ちょっと珍しくて。うちの国じゃ、ああいう芸ってあんまり見ないから。だいたい魔法でやっちゃうから」

「なに喜んで見てるんだよ。さっきは俺を止めてたくせに……」

「だ、だって。本当のこと言えばわたしだって、仕事なんてしたくないんだもん……」


リィーンがばつの悪そうな顔をした。

ユスティーナが小さく鼻を動かして言った、


「なんだかとってもいい匂いがしますわね。あちらから漂ってきますが……なにかしら?」


そちらを見れば、屋台の出店があった。

串焼きの鶏肉、焼き鳥のようなものを売っているらしい。


「とっても美味しそうですわ! わたくし、チキンは大好きですの」

『あ。あたしも欲しいぞ。トーゴ』

「わかったわかった。じゃあ俺とニカは一本で同じだから、三つ買うか」


東吾は自分の給料袋から銅貨を三枚出すと、屋台の親父から焼き鳥を三本受け取った。一本をユスティーナに、もう一本をリィーンに渡してやる。


「リィーンも食うだろ?」

「う……そ、そうね。本当は早く王宮に戻らなくちゃいけないんだけど……」


リィーンはおずおずと受け取った。

街道を行く人々は様々だった。旅装の商人、街に住む子供たち、観光に来た客。……中には町娘に扮したユスティーナに、これっぽっちも気づかない巡回中の兵士まで。


「多くの人がいますわ。色々な人、色々なことをしている人。我が国の民はこんなに大勢いたのですね……」


ユスティーナはそれらに対して、憧憬のような瞳を向けていた。


「あの人は、なにをして暮らしているのでしょう。あちらの方は。城の高みから眺める人々の群れとはぜんぜん違います。ここは民の息遣いを感じます……」


そう言って、ユスティーナは東吾に振り返った。


「トーゴさま。これが『本物』なのですね。ここは人々が生きています。ヤーコブやメイドたちに囲まれ、護衛騎士に守られた王宮の清潔な回廊と違います。道は遠目には整っているようでひび割れた石畳ばかり、時には舗装もなく剥き出しの土。でこぼこしてて歩きにくく、ほこりっぽいのですわね」

「まあそうかもな。お姫さまから見たら」

「でも――わたくしは、この道のほうが好きですわ。カツカツと音を立てる大理石の回廊よりも、踏みしめれば地面を感じられるこの道が」


ユスティーナは、遠く街道の先に佇む城の影を見つめ、小さな息を吐いた。


「……やっぱり気が重くなりますわ。できるのなら戻りたくはありません……あそこは、わたくしを閉じ込める巨大な鳥かごのように見えますの……」

「でも戻るって決めたんだろ。それに姫さま、あそこにいないと普段のメシだって食えないんだし」

「そうですわね……。でも。はあ」

「……」


東吾はちらりとユスティーナを見て、それから妙にわざとらしく言った。


「あー、こっちから行けばもうちょっと早く着くんじゃね? 姫さま」

「えっ? この道は、城まで真っ直ぐに通じているはずですが……?」

「いいからいいから。みんな待ってるんだしショートカットしよう。やっぱ早く帰るに越したことはないもんな」


東吾はユスティーナの手を引き、街道を外れおもむろに路地へと入っていく。

リィーンがあわててついてきて言った、


「トーゴ!? ちょっと、どこ行くの?」

「だから近道だって。きっとこっちのが早く着く」

「早くって。街道をまっすぐ行くより早くなるわけないじゃない!?」

「大丈夫俺を信じろ。さあこっちだ」


東吾はユスティーナを連れて路地から路地へ曲がり、入り組んだ道を進んで行く。

そして言った。


「うわー大変だー。迷っちゃったぞー。これじゃ帰れないなー(棒)」

『だっはっは! おめーバカだな!』

「こら! トーゴ! ニカさんまで!」


東吾と笑っているモニカに、リィーンが突っ込んだ。

東吾とユスティーナの手を引き剥がし、リィーンはユスティーナの手を引いて街道へ逆戻りしていく。


「おい待てって。リィーン」

「なに時間稼ぎしてるのよ。城に戻る間だけって言うから黙ってたのに、そんなことしてたらいつまで経っても戻れないじゃないの」


リィーンとユスティーナ、そしてついてきた東吾はすぐに元の道へ出た。

すると東吾は、リィーンたちの前に出て雑貨屋の前に立ち給料袋を手に言った。


「なかなか面白い雑貨を売ってんな。姫さま、なんか欲しいもんあるか? 買ってもいいぞ」

「え、本当ですの? あ、小鳥の人形さんなどありますわね……」

「ゆっくり見ていくといい。ゆっくりゆっくり出来るだけ時間をかけて」

「……。トーゴ」

「どうしたリィーン? 俺は言った通り、ただ帰り道に買い物をしているだけだが?」


東吾はどこ吹く風で言った。


「あ、あのねトーゴ。わたし、そんなつもりでお給料あげたんじゃないんだけど」

「なんと言われようともらったもんはもらったもんだ。俺の金を俺がどう使おうが、俺の自由だ」

「あっそ。はい殿下、行きましょう」

「あっ! お、おのれ!」


リィーンは東吾を無視して、ユスティーナの手を引いてさっさと歩いていってしまう。

道を進むと大きく開けた広場のようなものがあった、そこではリュートを片手に弾き語りをしている吟遊詩人が、観光客を集めていた。


東吾は、今度は弾き語りに興味を示しはじめる。


「ライブか。ちょっと一曲聞いていくか?」

「だ、だから。わたしたち、早く戻らなくちゃいけないのよ?」

「一曲ぐらいいいだろ。大した時間もかからないって」

「この……。じゃあトーゴだけ聞いてなさい。わたしは、殿下を連れていくから」

「そう言うな。リィーンもゆっくりしていけ」

「あっ!?」

『お。ナイス』


東吾の影に踏み込んでいたリィーンの足を、ぞろりと蠢く影が捕えた。

影はリィーンの細い足にまとわりつき、一歩も歩けなくしてしまう。


「こ、こら離しなさい! なにするの!? こんな力、いつの間に……!」

「? 別に何もしてないだろ? 俺の両手はここにあるし」

「影! 影を使うのやめなさい! ずるいでしょ!」

「はて? なんのことだか分からないぞ。俺は何もせずここに立ってるだけだし、人間は影で人を拘束することなど出来ませぬが?」

「こ、この!」


リィーンが悔しがって地団駄を踏もうとして、それすら踏めないことにますます悔しそうに手をぶんぶんと振った。


「素敵な音楽ですわ。自由で奔放で……リズムにも縛られない不思議な音ですの」

「王女さまなら、音楽聴くのもオーケストラみたいな感じなのか? こう、楽団みたいに」

「そうですわね。あれはあれでいいものですが、でも少し堅苦しさのようなものを感じます。こちらは暗い曲と思えば急に明るくなったりして、面白いですわ」


ユスティーナは吟遊詩人の奏でる自由な音楽を聴き、ほおを緩ませた。

やがて音楽が終わる。東吾は手を打って「アンコール! アンコール!」などと言いはじめた。


その声に気をよくしたのか、吟遊詩人はさらにもう一曲を奏ではじめる。


「いつまで聴く気なの? 早く戻らなくちゃ、どんどん大変なことになっちゃうって言ってるでしょ!」

「さあいつまでか……。この吟遊詩人の体力の限界は俺にはわからないな」

「いいかげんにしなさい! わたしだって遊んでたいけど、仕事すっぽかして殿下を心配して探してる人も無視してなんて、だめなの! 本当に怒るわよ!?」

「う……わかったよ。しょうがない」


渋々東吾は影を戻してリィーンを離してやった。


「まったく。さ、行くわよ。戻りましょう殿下」

リィーンと東吾、ユスティーナは再び城へ向かう道を進みはじめた。


するとまた、目ざとく店を見つけた東吾が言った。


「あれはパン屋かな? いい匂いするな、ちょっと三人ぶん買ってくるか? リィーンも食うよな。な?」

「……。も、もう……!」






「今日はとっても楽しかったですわ。心からお礼を申し上げます」


城の門まで来ると、ユスティーナが東吾たちにぺこりと頭を下げた。


「本当にありがとうございましたわ。今日のことはわたくし、きっときっと忘れませんわ」

「短い間だったけどな。リィーンの勘がよすぎた」


東吾は軽く手を振って言った。

街の入り口からここまで来るのに、東吾が無駄に遅延戦術を連発したため二時間以上かかっていた。


むすっとした顔のリィーンが、肘で東吾を突いてくる。


「トーゴったら。こんな距離で、すごく時間かかっちゃったじゃないの」

「まあまあ。これで姫さまも少しは息抜きできたろ?」

「トーゴさまには感謝してもしきれませんわ……。では、城へ戻りましょう」


東吾たちが門に近づくと、近くにいた兵士たちがユスティーナの姿を見つけて叫んだ。


「……な!? で、ででで殿下ぁ!?」


兵士たちはこれからユスティーナ捜索の途につくところだったのか、大勢が武装して整列していた。ユスティーナを見ると、すぐに捧げ槍をして道を開く。

隊長らしき男が、傍らの兵に「殿下が見つかったぞ! 宰相どのに急ぎ報告せよ!」と命令を出すと、大慌てでこちらに駆け寄ってきた。


「殿下!! 賊にさらわれたと聞き及びましたが、ご無事であらせられましたか!!」

「わたくしの身に大事ありません。みなの者には多大な心配をかけましたわね。ごめんなさい……」

「そ、そのような! 殿下の身を案ずるは、我らが責務にして誇りにございます。ご無事で本当によかった……!」


隊長はほーっと息を吐いた。

それからにわかに貴人に対する礼をして、言った。


「早く城内にお戻り下さいますよう。不肖、我らが先導つかまつりまする。陛下や、宰相どのに御姿をお見せになられて下され」

「やはり父上も心配しておりますのね……。ヤーコブにも悪いことをしました」


ユスティーナがしゅんとして、うつむいた。

兵士たちに囲まれ、ユスティーナを先に東吾たちは城の中へ入っていく。


坂を上り内門をくぐるとあの長い階段があった。そこから眼鏡をかけた白髪ひげもじゃの男が数人ほど引き連れて、泡を食って駆け下りてくる。


「で、殿下!」

「オーギュストリ宰相。わたくしは、ただ今戻りましたわ」


宰相であるという初老の男性は、ユスティーナの前まで来ると腰を抜かしたようにへたりこんでしまった。


「よ、よもや自らお帰りになられるとは。私めはあまりのことに、先ほどあわてて捜索隊を正式に認可したばかりにございまして……最悪の場合、城の守備兵全てを動かしてでも動員令を発令すべきかと」

「……本当に心配をかけました。ごめんなさい……」

「み、皆のもの! 殿下を中へお連れせよ、お体を運ぶのだ!」


宰相の令で、周囲にいた文官らしき男たちがユスティーナの体を担ぎ上げた。

そのまま神輿のように長い階段を昇りはじめる。


「きゃっ? お、オーギュストリ、わたくしは自分で歩けますわ。こんなことをしなくても」

「何を仰られますか!? ご自分のお体のことを少しは労わって下され! 万が一滑って怪我でもすれば、どうなると思っておられるのですか!?」

「でも。わたくしはこれぐらい歩けますわ、ここまでだって歩いて戻ってきたのです。転びなどしませんわ」

「殿下はご病気なのですぞ!! 万が一があればどうするのです! せっかくロディニアの治療修道会に依頼して、治療していたというのにっ!」


宰相の顔色を変えた声に、東吾が言った。


「え? 姫さま、病気なのか……?」

「……」


ユスティーナがさっと目をそらした。


「さあ殿下、城内へ。安静にして下され、折りよくかの国の修道士が往診に来ております。今日は総主教どの自らがお出ましになられておりますゆえ!」

「へ、平気ですわ。少し怪我をしたくらい……わたくし、今日は石を踏んづけて怪我しましたもの。足の裏を、このように。それでも体はなんともありませんわ」

「っ!! な、なんたること……! いかん、者ども急げ!!」


ユスティーナの足の裏の怪我を見た宰相が、顔面蒼白になって叫んだ。

宰相とユスティーナを担いだ男たちはすごい勢いで降りてきた階段を駆け上っていく。自分たちが転んで怪我しそうなほどの勢いだった。


東吾たちは、それをぽかんとして眺めているしかなかった。


「おい……? 病気って。俺そんなのはじめて聞いたぞ」

『病気? あんな元気そうな姫さんなのにか?』

「わ、わたしも。もともとお体が弱いって話は知ってたけど……?」


すると、ここまで引率してきた兵士たちの隊長が言った。


「ロディニアの魔導士どの。殿下を保護して下さったのは貴方たちですね? 深い感謝を……ですが、今日のところは申し訳ござらぬ。どうかお引取り下され」

「は、はい」

「また明日おいで下され。依頼のこともですが、今日の出来事について宰相どのがお礼にお呼びになられるでしょう。私も重ねて礼を申しまする……」


頭を下げた隊長にリィーンが頷き、東吾たちは城をあとにした。






東吾たちが城を去ってから、しばらく。

ユスティーナは椅子に座って夕陽を眺めていた。


あれからユスティーナの周囲は上から下の大騒ぎで、ロディニアから来た治療修道会の総主教の治療を受けてから、自室のテラスに座って空を見上げていた。

怪我した足にはぐるぐる巻きの包帯が巻かれていた。ただ少し石を踏んで怪我しただけにしては、あまりに過剰な手当てであった。


「――騒ぎすぎですわ。わたくしは、なんともないというのに……」


ユスティーナがつぶやくと、傍らに侍るヤーコブが言った。


「全くなんともなくありませぬ。殿下の無事を聞いて急ぎ戻ってみれば、殿下がお怪我なされたと聞いて、ヤーコブは一時はどうなることかと……。あの冷静な宰相どのも顔色を変えておりましたぞ」

「……みなの心配はわかります。ですが、この通りわたくしの体は何の変化も起きていないではないですか?」

「それも治療あってのことにございます……! 迅速に傷口を塞いだからよかったものの。殿下のご病気に、怪我だけは」

「ああもう。わかりましたわ」


ユスティーナは、手でヤーコブを制した。


「ヤーコブ、少し下がりなさい。わたくしは一人になりたいですわ」

「で、殿下。しかし」

「いいから下がりなさい。命ですわ」

「……。はっ」


ヤーコブは不満げな顔をしたものの、近くのメイドに、何かあればすぐにわしを呼ぶのじゃと言い含めてテラスから下がっていった。

ユスティーナは、ため息をつく。


「もう。臣下に心配されるのも嬉しいことかもしれませんが。……わたくしの体は、もう何も変わらないのに」


ユスティーナはつぶやくと、包帯で巻かれた自分の足をちらりと眺めた。

治癒の魔法で傷を塞ぎ、綺麗に治ってしまったはずの足は。


ずぐん、ずぐん……と鈍い痛みが走っていた。


「……もう時間がありません。言われなくても分かっていますわ。わたくしの体は、わたくしが一番分かっていますもの……」


自分の言葉に打ちのめされたように、ユスティーナが肩を落とした。

その時、背後でテラスのドアが開く音がした。その脇にいたメイドが驚き、すぐに跪いた。


「あら? ち、父上。このような場所に」


現れた人影にユスティーナが立ち上がろうとしたが、その男は首を振ってそのままでいるように、と手で示す。

ローレンシア連邦王――ユスティーナの実の父にして、この国の王であるヘンリク三世は、鷲鼻の下にある立派な髭を軽くなでつけ、ユスティーナの座る椅子に近づいた。


「ユスティーナよ。今日は色々とあったようだな?」

「は、はい父上。わたくし、賊にさらわれてしまい……」

「聞いておる。それに私にはそのような嘘はつかなくともよい。私の考えが正しければ、おそらく狂言であったのだろう?」

「えっ。はう。その」

「ははは、やはりか。お前の様子を見ればすぐに分かる」


ヘンリク三世は賢王と名高い人物であった。


「ヤーコブや護衛騎士の話を聞いたが、察するにロディニアの魔導士どのを丸め込んだというところか。私はお前に、自由にしてよいとは言ったが、無関係のものを巻き込むのは感心せぬ」

「あう……」

「それに臣下を徒に惑わすのもよろしくない振る舞いである……護衛騎士の隊長などは、責任を感じて任を解き罰を与えてくれ、と私に直接請願に来たほどだぞ? お前がそんなことを望んでいないと宥めておいたがな」

「……。も、申し訳ありません」


偉大な父のお説教に、ユスティーナは借りてきた猫のように小さくなってしまった。

ヘンリク三世は小さく息をつくと、ユスティーナの隣に座って向き直った。


「ユスティーナよ。あの者らは、国の正式な依頼でここに来ているのだ。私の命でな。それを邪魔してはいかぬ」

「はい……。でも、父上。あのお二人は、わたくしのお友達になって下さりまして……」

「ほう? なんと」


ぴくり、とヘンリク三世の眉が動いた。


「友か。友人ができたか、ユスティーナよ?」

「で、できました。わたくしがはじめて自分で選んだ、お友達が」

「そうか。それはよかったな、ユスティーナ。よくやった」


ヘンリク三世は太い笑みを浮かべ、大きな手でユスティーナの頭を優しくなでた。

ヘンリク王は賢王だったが、しかし同時に親バカ気味でもあった。愛娘の報告を聞いた王は説教するつもりなどどこかに吹き飛んで、上機嫌で娘を褒めていた。


「思えばお前には、他の子たちと違って一切自由を与えてやれなかったな。社交界に出て友を選ぶ自由さえも」

「病気のわたくしのせいですわ。それに、過去のことはもうよいのです。わたくしは今と未来のことを考えたくあります」

「未来。ほう……お前の口から、そんな言葉が聞ける日が来るとは」


ヘンリク王がじっとユスティーナの顔に視線を注いだ。


「ならば今日のことは特別に不問としよう。だがもう二度とはやらないようにしなさい。できるな? ユスティーナ」

「は、はい。父上」

「うむ。それでユスティーナよ、その新しくできた友とはどうだ? 楽しかったか」

「はい、とっても。あんな楽しい時間は、今までありませんでした。……」

「どうした? ユスティーナ」


ユスティーナが何か言いたげな顔をしたのに対して、ヘンリク王は少し首を傾げた。


「ち、父上。お願いしたきことがありますの」

「何であろうか。言ってみなさい」

「あの……わたくし、あの者らともう少し遊んでみたくありますの。もう少しだけ。どうしても」

「ふむ? しかしユスティーナ、もう一度言うがかの者らは我が国に迷い込んだブロッガたちを帰途につかせる任務がだな」

「わたくしには時間がありません。ですから」

「……」

「ご覧になって下さい。わたくしの体を」


ユスティーナが服のそでをまくり、ヘンリク王の前に腕を差し出した。

それを見たヘンリク王の顔が、途端に険しくなる。


「……むう。お前の病状は聞いてはいたが。これほどとは」

「もうまもなくですわ。『羽化』がはじまってしまいます……ロディニアの治療修道士たちは、もって一ヶ月。そう仰っておりました」

「……」

「お願いですわ、父上。わたくしの時間が終わってしまいますの。わたくしが全て消え去ってしまう前に、わたくしがわたくしである間に、お友達と遊ばせてください。思い出を下さい。どうか……」


痛みを堪えるような表情のヘンリク王に、ユスティーナがすがりついて言った。


「しかしユスティーナよ。それは……。お前の友にとっても」

「お願いです。どうか。どうか」

「……」


ヘンリク王が天を仰いだ。

そして、愛する娘の体を優しく抱きしめて言った。


「分かった。よかろう。お前の好きにしなさい……私のほうでヤーコブとオーギュストリに言っておいてやろう。最後の時間は、友と過ごすとよい」

「! ほ、本当ですか? 父上」

「ああ。すまない、ユスティーナよ。私は、お前に謝らなければならぬ」


愛おしい娘の体を抱きとめ、一人の父親の顔をしたヘンリク王は言った。


「全ては、私のせいだ。私や先祖たち――この国の歴代の王たち全ての罪なのだ。お前には何の責もないというのに」

「父上。そんなこと」

「私を恨んでくれ。憎んでくれ。ユスティーナよ」

「いいえ。わたくしは、誰も恨みも、憎みもしませんわ」


父の腕の中で、ユスティーナは小さく首を振った。


「父上。最期は、せめて父上の手にかかりとうございます。父上以外に、こんなことお願いできませんもの……」

「……。ユスティーナ……!」


ヘンリク王が静かに涙をこぼした。

ユスティーナは父の肩に手を回し、優しく微笑んだ。



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