第六話 その5
「で、今日はなんで呼び出されたんだっけ?」
「昨日言ったばかりじゃない。今日はブロッガとドーラを帰すために、大掛かりな帰還作業をするのよ」
東吾たちは宿の食堂で朝食を摂っていた。
東吾はスープを飲み干して言った、
「そういえばそうだったな。やることは昨日と同じか?」
「基本的にはそうね。だいたい同じ」
「全部で2000だっけか……。掘り出すの考えると今からうんざりしてくるぞ」
「でも、今日からこの国の兵士さんたちにも手伝ってもらうから。昨日よりはましなんじゃないかしら?」
リィーンは一枚の紙を出して見せてくる。
「ほら、ちゃんと作業計画書も作っておいたし。兵士の数とブロッガたちの位置を考えて、部隊をいくつかに分けて同時進行で作業するつもり」
「ほほう。これ一晩で作ったのか? リィーンは真面目だな」
「これぐらい作っておかなきゃ仕事にならないもの。予定通りいけば、今日中にほとんど片付くはずよ」
「そりゃいいや。給料は出るようにはなったけど、農作業飽きたし」
メインディッシュの肉料理を口にほおばり、飲み下して東吾は頷いた。
すると右手のニカが小さくつぶやいた。
『……げぷ。うめえ。やっぱいいもん食ってるよな、お前ら』
「ん? ニカ。そういやお前って俺が食べたの味わえるんだったよな」
『なんかメシ食ったら元気になってきた。……うん。そうだよな、うん』
右手はなにか頷くようにこくこくと動くと、言った。
『いつまでも落ち込んでてもしょーがねーや。めそめそしてたら、あたしらしくねーもんな』
「お。元気出たか。いいじゃん」
『よっしゃ! スパッと忘れて次だ、次! 次こそはぜってー負けねえ!』
リィーンが言う、
「そういえばさっきまでニカさん、元気なかったわね。落ち込んでたの?」
「ああ。こいつ、あの妙な吸血鬼に負けたこと気にしてたんだよ」
『うるせうるせ、やっぱあたしは負けてねーもん。あいつトーゴと同じで借りパクしてただけだもん。あたしはこいつらと違って、自分の力だけで強くなったんだかんな』
モニカはそう言うと、くるっと拳を東吾に向けた。こちらに顔を向けたらしい。
『もう負けねーぞ、トーゴ。あたしの剣にかけてな』
「わかったわかった。やっぱニカはそうでなくちゃな」
『へっへっへ!』
モニカが快活に笑った。
珍しくヘコんでいたが、奴隷をやっていただけはある立ち直りの早さだった。雑草根性である。
右手が決意を示すように握り拳を作った。
「じゃあごはんも食べたし、そろそろ行きましょっか。兵士さんたちを待たせるわけにもいかないしね」
「そうだな、んじゃやるか。農作業」
リィーンと東吾が席を立った。
すると、モニカが『へ? 農作業?』と声を出した。
『なんだよ。戦いはねえのかよ?』
「今日はこれから喋る岩運びと、野菜ゾンビたちの掘り出しだよ。さっき言ったろ」
『ぶー。つまんねーのー。せっかくあたしがやる気出したのによぉ』
「はいはい、何かあったらお前に頼むから。また今度な」
東吾はぶーたれるモニカをなだめながら、リィーンのあとについて宿を後にした。
「えーコホン。そういうわけで、此度のブロッガ・ドーラの帰還作業をユスティーナ殿下がご視察なされる運びとなった。皆の者、ゆめゆめご無礼のないよう勤められよ」
頭の上に縦長の帽子をかぶった、神官のような格好の老人が言った。
東吾とリィーンはぽかんとしていた。
ローラシア城の貴人用通行門の前である。東吾たちの後ろには人夫代わりとして派遣された兵士たちがざっと並んでいる。
ユスティーナは急ごしらえで設えられたテーブルと椅子に座って、ゆったりと紅茶を飲んでいた。その周りにはメイドたちが侍り、立派な鎧を身につけた近衛騎士たちが仁王立ちで周囲を警護している。
「え。あ、あの?」
「リィーンどのと申したか。儂はヤーコブ、殿下の守役をしておる。以後よろしくたのむ」
「あ、はい。よろしくお願いします?」
老人が近づいてきて、リィーンの手を取って握手した。
「殿下は貴人であらせられるため十分に気をつけて頂きたい。特にここは城の外ゆえ、危険には強く留意するように。そう問題はないと思うが」
「は、はい。ですけどその……これは一体?」
ヤーコブは重々しく頷くと、小さく耳打ちしてくる。
「……そなたの疑問はよく分かる。だがどうか気にしないで頂きたい。すまぬ」
「すまぬって言われましても。ご視察なんて急にどうして」
「すまぬ。気にするな」
「……」
リィーンが呆気に取られていると、ユスティーナが紅茶のカップを置いた。
東吾、それからリィーンを見てニッコリと微笑む。
「あなたがロディニアより来た魔導士ですの。今日は楽しみにしておりますわ」
「え、は、はい。あ、いけない!」
はっとリィーンがその場に跪いた。あわてて礼儀の姿勢になる。
「えと、えと。ローレンシア連邦ロディニア魔法国、ロディニア元老議会傘下。第二軍団魔導士隊付き第201召喚魔導隊所属の、リィーン・ルティリア三等魔導士にごじゃ。ございますぅ……」
最後ちょっと噛んでしまって、リィーンがばつの悪そうな顔をした。が、ユスティーナは気にしたふうもなく小さく頷いた。
紅茶のおかわりに手を伸ばしそのまま優雅なティータイムを続行する。リィーンはそろそろと立ち上がり、ヤーコブに小声で聞いた。
「や、ヤーコブさん……。すいません、わたしはどうすれば……?」
「まことにすまぬ……。殿下のお世話はこちらでするゆえそこは気にしなくともよい。そなたはただ依頼を果たしてくれれば」
「い、いいんですか? でもこれからブロッガとドーラを捜索して作業しなくちゃいけないですし、移動することになりますけど……」
「む、確かに。殿下の馬車を手配せねばならんな……。よろしい、すぐにやろう」
「本当についてくるんですか? いきなりそんなことになっても、その」
「殿下立ってのご所望なのだ。宰相の認可もある。急いで準備するゆえ、その間に兵の編成と分担を指示しておいてくれ」
ヤーコブはそう言うと背を向けて、近衛騎士の一人を呼んで指示を出しはじめる。
リィーンが東吾に振り返った。眉根を寄せて言う。
「トーゴ。昨日、殿下と何を話したの? なんでこんなことに……?」
「お、俺も知らねえって。なんで?」
東吾も分からず、ゆっくりお茶を楽しんでいるユスティーナを見た。
目が合ったユスティーナは、にこりと機嫌よさそうに微笑んでいた。
「どっこいせ。これで軽く100ってところか? もう入らねえな」
三つほどドーラをまとめて荷台に載せ、東吾は満載になった馬車を少し見上げた。
同じようにドーラたちが載せられた馬車が道の脇にいくつも並び、満杯になった順番に街道へ動きはじめていく。
周囲では兵士・ゴーレム問わず地中に埋まったドーラの収穫作業が続けられていた。重量のあるブロッガは皮製の布を下にひき、釣り上げる形で慎重に馬車へ乗せられていく。
「ごくろうさま。ゴーレム、この馬車も国境に運んでいってね。札をつけてと」
リィーンがゴーレムの一体に指示を出して、手に持った紙にペンでチェックを入れた。
ふうと一息をつくと、明るい表情をする。
「いいペースね、ここだけでもう三分の一は終わったわ。これならなんとかなりそう」
「もうそんなにいったか。意外と早いな」
「ブロッガの一人を通じて、特定の場所に集合してもらうように言っておいたからね。兵隊さんたちももう数組分けて違う場所で仕事してもらってるし、あとは僻地で孤立してる群れを一つずつ運んであげれば終わりよ」
リィーンは地図を取り出すと、いくつか丸をつけてみせる。
「ブロッガに聞いた限りじゃ、今の場所が終わったらあとはこことここと、それにここ。このままいけば今日中に目鼻はつくわ」
「そりゃいいや」
ゴーレム腕についた土をぱんぱんと払い、東吾は言った。
そしてくるりと後ろを振り返り、収穫現場の一角に陣取っている集団を眺める。
「でも、なにが楽しくて急に視察なんて来たんだ? あのお姫様」
そこにはまたわざわざ白いテーブルと椅子、ついでに日よけのパラソルが設えられていて、その真ん中で周囲の作業を見ているユスティーナの姿があった。
すぐ後ろには豪奢な四頭立ての馬車がある。ここまで来る道中も、大名行列みたいな仰々しさで行進してきていた。
「さあ、偉い人の考えはわからないもの。思いつきもよくあるし」
「護衛とメイドさんたちも大変だな……。こっちは見られてるだけだから、面倒なわけじゃねえけど」
東吾とリィーンが話していると、ユスティーナがさっと立ち上がったのが見えた。
急にこちらに向かって歩いてくる。お付きのヤーコブが姫の突然の行動に驚いた顔をしてあわてて止めに入った。
しかしユスティーナはヤーコブをひらりとかわすと、東吾たちに向かって近づいてくる。
あたりが少し騒々しくなった。
「え、なんだ。こっち来たぞ」
「き、来ちゃったわね……なにかお話があるのかしら。しょうがないわ、ちょっとしゃがんでトーゴ。礼儀だから」
東吾とリィーンが片膝でひざまずくと、ユスティーナが二人の前に立った。
二人を軽く眺めて言う。
「面を上げることを許しますわ、ミシロ・トーゴ。それにリィーン・ルティリアと申しましたわね?」
「は、はい。殿下」
「昨日わたくしのピィちゃんを助けていただいたこと、もう一度礼を言いましょう。実はわたくし、あなたたちと少し内緒のお話がしたくありますの」
「? 内緒のお話……ですか?」
「ええ。とても素敵なお話ですわ」
そう言ってユスティーナがにこりと微笑むと、後ろからついてきたヤーコブが割って入った。困ったような顔で姫を諌める。
「殿下、下々の者にございますぞ。兵も見ているこのような場所で殿下直々にお話などと」
「下がりなさいヤーコブ。わたくしはこの二人に話があるのです」
「な、何を話すというのですか殿下? 殿下がお言葉を賜るならば、我らを通じてお伝えしますゆえ殿下は泰然と構えていただいて……」
「下がりなさい、命ですわ。聞けないのですか?」
ヤーコブがう、と詰まったような声を出してそろそろと後ろに下がった。
それを確認してから、ユスティーナはまた東吾たちのほうを向く。
「よろしいですわ、二人ともお立ちなさい。そして少しお耳を貸して欲しいんですの」
「は、はい。耳ですか」
東吾とリィーンが立ち上がり、ユスティーナのそばに寄って耳を向けた。
ユスティーナは内緒というわりには、意外と大きな声で二人に囁いてくる。王族が内緒話などしたことがないのか、加減が少し分からないらしい。
「実はですの。……お二人とも、わたくしのお友達になっていただけませんこと?」
「「……はい?」」
突然の申し出に東吾とリィーンは目をぱちくりとさせた。
何を言い出すかと思えば、友達になれという。しかもそれがナイショ話というのが東吾には余計にわからない。
「なんでいきなり? どうしてこんなコソコソと」
「と、トーゴ口調。えとその身に余る光栄にございま……で、ですけど。急に仰られましても。わたしたちは……無官ですし」
「そうですわね、身分というものがありますわ。誰も見ていないならともかく、ここに兵らがいるのはいけません。そのような中で友人のように話していては権威というものが疑われてしまいます」
「はあ」
「でもわたくしは、あなたたちに興味がわいたのです。あなたたちと楽しくおしゃべりをしてみたいのです。ただじっと観察しているだけではなく」
「おしゃべり? なんで俺たちと……?」
「いけませんの?」
「いけなくはないけど。俺は別にお姫様でも」
「わたくしはこれまで付き合う人間すら相手を選ばれてきました。お仕着せとして与えられた友人など、うんざりしていますの」
ユスティーナが憂鬱そうにため息をついた。少し上目づかいになって二人に言う。
「わたくしと友達になって……い、いただけませんこと?」
ユスティーナの目には不安そうな色があった。自分からこんなことを言ったのははじめて、というふうに東吾には見えた。
少し考えてから、東吾は頷いた。
「ん。俺はいいよ。じゃあ友達になるか、お姫様」
「本当ですの!?」
ぱあっとユスティーナの顔が明るくなった。リィーンがあわてたように東吾の肩を叩いてくる。
「ちょ、ちょっとちょっと。殿下とご友人になるなんて畏れ多いっていうか、いくらなんでも気軽すぎじゃ……!?」
「リィーンさんはだめですの?」
「そ、そんなことはないです! でもあの……い、いいんですか?」
「わたくしが友人にしたいと選んだのです。どうかお願いできませんこと?」
「殿下がお願いなんてそんな。……は、はい。ではあの、お友達に……」
「よかったですわ! 二人ともよろしくお願いしますの!」
リィーンも頷くと、にっこりとユスティーナが微笑んだ。
お姫様と言われるだけあって、その笑顔はとても綺麗なものだった。
「では、お友達になれたお二人にもう一つお話があるのです。ここまでは上手くいったんですわ、でもここから先の手に困っているんですの。わたくし」
「上手く? なにがですか?」
「城を出るということです」
「はい? えと、殿下は今城の外にいますけど」
「そうではありません。わたくしはヤーコブにお願いしたのです、ただ一度だけでいいから外を見たいと。ですが、さっきからぞろぞろとお付の者がわたくしのそばを片時も離れませんの」
そう言って、ユスティーナは少し離れた場所からじっとこちらを見つめているヤーコブをちらりと見る。
「ヤーコブははき違えていますわ。そうではなくて、一度でいいから自由になりたいということなのです。視察しているだけでは窓から城下を眺めるのと変わりません」
「え……でも、あの人たちも仕事だろ? お姫様を守るっていう」
「重々承知していますわ。しかしこれでは城の中と同じです、あなたたちとゆっくりおしゃべりもできませんの。やはり兵たちの目がありますし」
「そりゃまあそうだな。注目されてるし」
「そこで、ですわ」
ユスティーナがぴっと指を立てて言った。
「わたくしが脱走するのを手伝って欲しいんですの。お二方に」
……。
「「はっ?」」
「今がチャンスですわ。手伝っていただけますわね? 二人はお友達なのですから」
「……え、いや。いやいやいや。な、なにを……?」
出し抜けに言われたとんでもない発言に、東吾とリィーンは唖然とした。
脱走? お姫様を連れて?
「なんで……?」
「ですから、このままじゃ二人とおしゃべりもできませんもの」
「いやだからって。それはさすがにやべーんじゃ」
「……わたくしを助けてくれませんの? お友達なのに……」
ユスティーナが悲しげな顔をした。今にも泣き出しそうな目を向けてくる。
「あ、や。だって姫さま、助けてくれってのはわかるんだけどさ。それやったら、俺たち超のつくVIPを突然拉致した重犯罪者……ってことになるんじゃ?」
「わたくし自由になりたいんですの。だから助けて欲しいんですの」
「だから。それに第一、リィーンは国の仕事でここに来てるわけだし。今も仕事中だし。そこでそれは……なあリィーン?」
東吾がリィーンに振り返った。リィーンはこくこくと頷いた。
「しゃ、しゃれにならないわ。間違いなく逮捕拘留のあと本国に送還されて魔導法廷行きになっちゃうっていうか。さ、さすがにそれは……!?」
「だ、だよな常識的に考えて。日本で言えば皇族さらうような暴挙だろうし……」
「……」
ユスティーナが目に涙をためはじめる。
「イヤですの、出たいんですの。もう城の中の牢獄はもううんざりなんですの。わたくしだって人生の中で一度くらい、自由になってみたいんですの」
「気持ちは分かるけど。うーん……」
「お願いですわ、お願いですわ、助けてくださいまし。あたくしは自由になりたいんですの。たとえたった一度だけでも、一度でいいから自由に……!」
すると東吾の右手が声を出した。
『ほー。姫さんあんた、自由になりてえのか?』
「えっ!? て、手がしゃべって……!?」
東吾の右手に宿ったモニカの声に、ユスティーナが目をぱちくりとさせた。
『ああ、あたしのことは気にすんな。自由か……あたしゃ奴隷の生まれだからお貴族さまのこたーわかんねーけど、お姫さんも自由ってもんが欲しいのかよ?』
「! そ、そうですわ。わたくし生まれてから今まで、この歳になるまで一度も城から出たことさえなかったんです。今日がはじめてなんですわ」
『そりゃー大変だったな。そうかそうか、んじゃあたしといっしょだな。あたしもずっと自由が欲しかったんだ。ずーっとな』
モニカは過去を思い出すかのように言う。
『あたし、元奴隷でなぁ。毎日こき使われて、いっつも自由になりたいって思ってたよ。こー空を眺めてな、このまま飛んでいけたらどれだけいいんだろうなーって……』
「そ、そうでしたの。あなたも大変だったですのね……わたくしも空を見るたびそう思っておりました。自由に飛びたいと、このまま籠の中の鳥のまま死ぬのだけはいやだと」
『その気持ちわかるぜ。姫さん』
こくりと手首が頷いて、モニカが言った。
『よし。じゃあその脱走、あたしが手伝ってやるよ!』
「え! おいニカ。お前なに勝手に決めて」
東吾がモニカを止めようとするが、しかし右手は東吾に向かって言う。
『男がケツの穴小せえこと言ってんじゃねえよ。いいだろーが、ちょっとそのへん遊びに行くだけだろ?』
「む。だけど」
『姫さんが頼むっつってんだぞ。男なら助けてやるくらいの甲斐性見せてやれよ、かっこわりいぞ? 友だちなんだろ? なあ』
「む……」
モニカの言に東吾は腕組みをした。
やがて、小さく頷く。
「……しょうがねえな。俺らに責任ねえなら、別にやってやってもいいけど」
「ちょ、ちょっとトーゴ!? なに納得してるの!」
リィーンがあわてて東吾のすそを引いた。
「わたしたち仕事中よ!? ていうかだいたい、殿下を連れて逃げるなんて……!?」
「お姫さまたってのお願いだし。いいんじゃねえの? 俺、ぶっちゃけ言うと農作業もううんざり」
「だ、だから! わたし仕事してるの! そんなことしていいわけないでしょ!?」
「じゃあリィーンだけは仕事してくれ。俺たち遊び行くわ」
「えっ? そ、そんな……?」
「なんか楽しくなってきたぞ。いいじゃん、面白そうだ」
にやっと笑うと、東吾はユスティーナを見た。
「どうしても、自由になりたいんだなお姫さま? よーしわかったオッケー。脱走させてやる」
「! ほ、本当ですの! ありがとうございますわ!」
「じゃあ命令してくれ。お姫さまの権限で」
「命令? わ、わかりましたわ。……ローレンシア連邦王ヘンリク陛下が息女、ユスティーナ・アルホニエミの名において命じます。わたくしを脱走させなさい」
「お姫さまの命令なら、庶民は従わなくちゃいけないもんな、うん。ったくしょーがねーなぁ」
にやにやしながらわざとらしく言って、東吾はモニカとユスティーナに耳打ちしはじめる。
「じゃあ段取りだ。よく聞けよ? まず……」
『お? ……ほー、そういやあの野郎んなことやってたな。トーゴも使えるのか?』
「たぶんいける。そこで俺が……」
「ピィちゃんを助けていただいた時の力ですか? そんなことまでできるんですの、すごいですの……」
二人と一本の手がこそこそ話をする。リィーンがあわてて言った。
「ちょっとちょっとちょっとってば! まずいわよ、大変なことになるってば! そ、それにわたしだけ仕事しろなんて……!?」
「じゃあリィーンも来ればいいじゃん? 別に平気だろ、一日くらい仕事遅れたって。戦争終わったばっかなのに仕事押し付けられてるんだし、ちょっとぐらいサボっても」
「え!? でも、その。そ、そういう問題じゃなくて!?」
「よしやるぞ。お姫さま、段取り通り驚いてみせろよ」
東吾がユスティーナの肩を小さく叩いた。ユスティーナは大きく頷いて、さっと踵を返す。
戻っていくユスティーナに対して、すぐにお付きのヤーコブが近づいてきた。
「殿下。……もうお宜しゅうございますか」
「ええ、もう結構。戻りますわ」
「一体どのようなお話を?」
「大した話ではありません。ただ、ロディニアの魔法についてわたくしの興味のあるところを下問してみただけですわ」
「はあ……。しかし殿下、殿下の如き御方が下々の者に直接ご下問なされるなど、あまり好ましいことではございませぬ。者どもの目を鑑み、そのようなことはお控えいただけますようこのヤーコブは……」
「ああもううるさいですわね。少し話しただけではないですか、わたくしは……きゃっ!」
「!?」
すとん、とユスティーナの体が沈み込んだ。
突然、地面に大きな黒い穴――いや謎の黒い水溜りのような影が、口を開けて出現していた。
「きゃあ! な、なんですのこれは!?」
「な……これは!? で、殿下!!」
「助けてですの! 助けてですの! どんどん沈んでいきますの!」
一気に腰まで影に呑み込まれたユスティーナが悲鳴を上げた。
ヤーコブが目を丸くして、あわてて叫ぶ。
「だ、誰ぞ!! 殿下に手を貸せ! 者ども、曲者だ!!」
その声で周囲を守っていた護衛騎士たちが飛んできた。
しかし影はユスティーナを半分呑み込んだまま、すうっと地面をすべって逃げていく。
「わー大変だー。お姫さまがさらわれるー(棒)」
影を操っている東吾が言った。誰も気づいていないが、東吾の足元には自分の影がない。
「助けて、助けて! 誰かが下からわたくしの足を引っぱっていますの、さらわれてしまいますの! ああっ、どんどん沈んで、あうっ。……」
「殿下ーー!!」
ユスティーナが完全に暗闇に飲み込まれてしまった。
それを確認してから、東吾がずいっと前に出た。
「姫さまをさらうなんて、ええい許さないぞ謎の悪漢め! 誰だか知らんが俺が退治してやる!」
東吾が剣を体から出し、自分の影を追いかけて走る。
「待ってろ姫さま! 今助けてやるぞ!」
「トーゴ!? ちょっとぉ!!」
「俺に任せとけリィーン! 悪いやつを倒して姫さまを救ってくるからな!」
「任せとけじゃなくて!! わたしを置いて勝手に、あっ!」
「とうっ!」
そのまま鼻をつまんで、影の中に向かって飛び込んでいってしまった。
影は東吾を呑み込むと草むらに向かい、すぐに口を閉じ跡形もなく消え去ってしまう。
「な、ななな……!? で、殿下が! 殿下が賊にかどわかされあそばれたぞーー!!」
ヤーコブが半狂乱になって叫んだ。
あたりが騒然とする。護衛の騎士たちは総員が抜刀し、ブロッガ・ドーラ輸送にあたっていた兵士たちもあわてて傍らに集めて置かれていた鎧と槍をとった。
ユスティーナお付きのメイドたちも武器の心得があるらしく、それぞれ獲物をスカートの中から出して臨戦体勢を取る。
「ぜ、絶対に逃すな!! 賊を討て、殿下を救いあそばせよ!! なんとしてでも殿下を救いだすのだ!!」
ヤーコブの声に護衛騎士の隊長らしき男が頷き、すばやく周囲に的確な指示を出す。
「イーグル班は兵を連れて周辺直近、ホーク班東西に別れて捜索! コンドル班は南北へ! ファルコン班は私と共に賊の消えた方向を追う! 各自メイドを一名以上伴え、殿下が何か落とす可能性がある! 遺物を見つけたら確認させろ!」
「「「ははっ!!」」」
「殿下の身に何かあれば我らの死では償えぬぞ! 賊は見つけ次第首を獲れ! 殿下さえ確保すれば賊が他に人質を取っていてもかまわん、もろともに殺すことを許可する! よろしい、ではただちに行動する! かかれっ!!」
完全武装し殺気立った兵士たちが大急ぎで周囲に散っていく。
一人残されたリィーンは、真っ青な顔でその様子を見つめていた。
「あ、あわわわ……!」
とんでもないことになってしまった。
すると、ヤーコブがリィーンに駆け寄ってくる。
「魔導士どの! 殿下が、殿下がさらわれてしもうた! ご助力をお願いしたい!」
「えっ!? あ、あの、あの……!」
「ロディニアの魔法で殿下を助けてくだされい! どうかどうか、お頼み申す! 殿下を……!!」
「えと、は、ははははい!? わ、わわかわかりましたぁ!!」
必死にすがりついてくるヤーコブにこくこくと頷くと、リィーンはゴーレムに指示を出した。
「ご、ゴーレム一体、わたしを背負って! みんなトーゴを探して追いかけて! あのばかを捕まえて!!」
『『『ヤアッ!!』』』
リィーンはゴーレムの背に乗り、あわてて駆け出した。