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intermission 3


「――……んん。あれ?」


東吾が目を覚ますと、そこは薄暗い部屋の中だった。

目の前に、本棚や机が積み上げられた山。それに一振りの剣が突き刺さっていた。

そして……近くには人型の灰が、地面に残っていた。


「わ、なんだこれ。あ? ここって確か……」


見覚えのある場所だった。

ここは東吾の『内部』――東吾が取り込んだものが行きつく場所。

東吾がふりかえると、部屋の隅に肉のゴーレムが冠をかぶって立っていた。

どうやら間違いないらしい。東吾はまた、夢の中の世界にいた。


「えっと、あれから俺は一度元の世界に戻って。なんでか、またここに来ちゃったのかよ。……あ、そういえば」


東吾は周囲を見回した。

ここには目で見える形のモニカがいるはずだった。

東吾が姿を探してみると、はたして隅っこのほうに、短髪長身の女剣士がこちらに背を向けて座っていた。


「おういたいた。おーい、ニカ」

『……』

「? ニカ?」


モニカは体育座りをして、じっと背を向けたまま座っていた。東吾は歩いていってモニカに近づく。


「おいニカ。どうした?」

『……』


モニカは答えず、東吾が近づくと顔を隠してうつむいた。

後ろから顔をのぞきこんでみた。


『おーい? モニカちゃん、元気? ……なにしてんだよ、元気ねえな』

『……。うるせ。ぐすっ』

「お前。……泣いてるのか?」


珍しく、モニカは目を腫らして泣いていた。


「どうしたんだ? なにかあったのか、ニカ」

『……。あったも何も、ねえよ。ちくしょう』


そう言って、モニカは貝になるみたいにギュッと自分の膝を抱く。いじけた声で言った。


『負けちまった……。剣で、あんなやつに。あたしの剣が』

「負けたって。ひょっとして、あのレなんとかに負けたことか? それでいじけてたのか、お前」

『うるせ、うるせ。お前なんかにあたしの気持ちがわかるかってんだ。あたしが努力して身につけたもの勝手に使いやがって、この借りパク野郎』

「お、おい。なんだよ」

『もういいよ。どうせあたしなんて、結局ただの奴隷生まれの負け犬なんだ。がんばって強くなっても、なんにもなりゃしねえんだ。開放されたと思ったとたん殺されて、ガイコツにされて、最後はこんなところに閉じ込められて。もうたくさんだ、ぐすっ』

「……。ニカ?」

『ひっく、ひっく。剣は、剣だけはあたしの自慢だったのに。あたしの人生の全部だったのに……。あんなやつに、吸血鬼の力でも魔法でもなく、剣で。うううう……!』

「……」


モニカがぼろぼろと涙をこぼす。体は、小さく震えていた。

東吾はこんなモニカを見るのははじめてだった。

いつも勝ち気で、こんなに小さくなって泣いている姿など想像したこともなかった。


「おいニカ、しっかりしろ。泣くなって」

『うるさい、うるさい! あたしが、どんな思いで強くなったと思ってんだっ!』


東吾が手を伸ばすと、モニカはばっとその手を払って言った。


『あたしはなぁ! 強くなるためになんだってやったんだぞ! 毎日つらくても、それでもあたしをバカにしたやつらを見返すために! なんでも!』

「お、おちつけって。おい」

『が、がんばったんだ。生まれついての奴隷でも、石投げられたり泥ぶっかけられても、強ければ自分を保っていられた! 剣は、あたしの支えだったんだ! だから必死に頑張った、がんばって強くなった! が、がんばったのにっ!!』

「ニカ! だから、おちつけって!」


東吾がモニカの手を取った。モニカは小さな子供みたいにむずがって暴れようとした。

しかしやがてふっと力が抜けて、がっくりとうなだれる。


『う、う、う……。あたしはぁ……!』

「あいつに負けたことでそんなショック受けてたのか。ちょっとびっくりした……ともかく少しおちつけ。な?」

『うー、うー……! ううううっ』

「わっ?」


モニカが東吾の胸に顔を押し付けて、すがりついてきた。


『ぐす、ぐすん。トーゴ、うう。トーゴ……!』

「に、ニカ? お前」

『あ、あたし、何もできなかった。なんだってそうだ、結局なんにもできなかったんだ。母さんが病気になった時だって、あたしは、剣闘の賞金で薬を買うって約束して。でも……奴隷には薬を売ってくれなくって。母さんはそのまま……。あたし約束したのに。あたし誰にも負けないくらい、強くなったのに。なったのにぃ……!』

「……」

『ひっく、ひっく。やだよぅ、もうやだぁ。こんなのもういやだぁ……!』


あの強かったモニカが、ぐしゃぐしゃの泣き顔で、東吾にしがみついてすすり泣いていた。神速の剣技を誇る女剣士が、あの吸血鬼に負けたことでぽっきりと心が折れてしまっていた。

東吾は思わずモニカの体を抱きしめた。するとモニカはますます強く、東吾にしがみついてきた。


『やだ、やだぁ。トーゴぉ。ぐすっ』

「よしよしおちつけ、ほらもう泣くな。あんな奴に負けたことなんて気にすんな」

『ぐずっ。でも……』

「あんなのずりぃだけだって。他の吸血鬼大勢食って強くなってたみたいだし、ただのズルだって。ニカの剣があいつに負けたわけじゃない」


東吾はモニカの背をぽんぽんと叩いた。

しかしそう言う東吾もまた、モニカの剣技を間借りしている立場なわけではあるが。とりあえずそれは脇に置いておくことにする。


『で、でもよぅ。……結局負けたら同じだろ。あたし、強くなかったら価値なんてないんだ。負けたら生きてる価値なんて、もう何も……』

「んなことねえよ。ニカは強いし、たとえ負けても生きてる価値がないなんてことはない。ニカは、俺なんかよりぜんぜん立派だし価値があるよ」

『……ほんとか? あたし負けたのに。お前はそう言ってくれるのか』

モニカが顔を上げた。じっと東吾の顔を見上げてくる。

『ほんとのほんとに生きてていいのか? 負けたあたしが、生きていてもいいのか?』

「当たり前だろ。決まってる」

『ほんとか。う、うう、う~~……!』


モニカはまた東吾の胸に顔を埋め、ぐすぐすと泣き出してしまった。

すると――


――生贄の羊にも悲哀有り――堕ちたる世界に生まれ出ずりし運命さだめへの絶望――


「……あん?」

「ひっ!?」


どこかから声が聞こえてきた。モニカがびくりと身を竦ませる。


「なんだ今の? 誰だ」

――呪われし境遇――苦痛の連鎖――絶えることなき嘆きの地平線――

「は? なんだなんだ。どこから聞こえて」

――知るがいい小さき者――望みとは絶たれしもの――希望の光とは新たな暗闇の胎動――全ては絶望の海に還るものと――


東吾が聞いたことのない声だった。地鳴りのするような、地面から這い上がってくるような太い男の声だ。

モニカが東吾の腕の中でぶるぶると震えながら言った。


『ま、まただ。また聞こえてきた』

「また? って」

『こ、このところずっと聞こえてくるんだ。暗闇の中から変な声が』


モニカが怯えた目で虚空を見つめる。部屋は暗く、暗闇の先を見通すことはできない。


『あ、あたし、自分の気が変になっちまったのかと思って。ずっと心細かったんだ、誰もいねえのに声だけ聞こえて、よくわかんねえけどぐちぐち嫌なことばっかり言いやがって……!』

「なんだって?」


東吾はあたりを見回した。

ここは東吾が呑み込んだものが行きつく場所だ。ということは、東吾が知らないものがいるはずはないのだが。

影が囁く、


――汝、人の神の隠されし子よ――生贄の羊よ――此方に来るがいい――

「はあ?」


どこから聞こえてくるのかわからないので、東吾はとりあえず前を向いて言った。


「いきなり誰だお前。生贄の羊ってなんのことだ?」

――哀れなる血の器――犠牲の子羊――其は失われし神の一片――

「??? よくわかんねえ」


東吾が首を傾げると、また別の声が聞こえてくる。

隙間風の音にも似た、ひどく掠れた――女の声だ。


――いいや。こちらだ――こちらに来い――

「お?」

――愛しき者の落とし仔よ。愚鈍の声など気にするな。こちらに来るのだ――

「こっちに来いって? どっちだ」

――囚われるな。目で見ようとはするな。こちらだ――

「目で……見ない?」

――そうだ。方向など関係がない。心が求めれば自然と行きつく――

「……。うーん」


東吾の頭の中に、直接入ってくるような不思議な響きだった。

なにがなんだかよく分からないが、とにかく東吾を呼んでいた。


「なあニカ、なにこいつら? 来いって言ってるんだけど」

『し、知らねえよ。この間からこうなんだ、あたしにはそんなこと言わなかったけど。怖くてとにかく聞かないようにしてたんだけど、耳を塞いでも聞こえてきて……!』

「ふーん……? まあ、とにかく」


モニカはひどく怯えた顔をしていた。しばらくの間、落ち込んでいたところに一人でこの状況に置かれていたのだろう。

東吾は強くモニカを抱きしめて、暗闇に向かって言った。


「お前ら、いいからもう黙れ。ニカが怖がってるだろうが」


しかし、声は東吾を無視して再び声を発しはじめる。


――恐怖を払いたいならば早く来い。私のところへ――血と月光の世界へ――

「あーもー、やっぱよくわかんねえな。だいたい誰なんだよ、まず名前を言えっての」

――私か? 私は――イルマイア。吸血鬼の母だ――

「は? 吸血鬼?」

――そうだ。人に似たる者ら、あれは私が作りしもの。人の神が作りしお前たちに似せて作った。私が愛した者の作品に似せてな――


姿は見えないが、影の中で何者かがにたりと笑ったのが分かった。

女の声は妖しい囁きを放ち、ほんのかすかに見える闇の帳の中から手招きしてくる。


――出来の悪い息子を食らったようだが、吸血鬼の真の力はその程度ではない。だから私のところへ来い。私直々に吸血鬼の刻印をしてやろう――お前を夜の覇者にしてやろう――

「きゅ、吸血鬼の母って。てめえ、あのなんちゃらの親玉か!」


もうすでにレヴィアムの名前を完全に忘れてしまった東吾が立ち上がった。

影を指差して叫ぶ。


「誰が行くかってんだ! 俺は吸血鬼にひでえ目に合わされたんだぞ! この悪の親玉が!」

――来ぬのか?――この私が誘っているというのに。それに悪の親玉とはな――


女の声が心外そうに言った。

すると、太い男の声が言う。


――正しき判断也――その通り、其方は誤り――此方に来い――

「ああん? 黙れって言ってるのに。そっちのお前は誰だ」

――我は魔を産み落とし者――見知らぬ甥子よ――叔父たる我が所へ――

「お、叔父? 叔父って、俺の親父やかーちゃんは一人っ子だぞ? なに言ってんだ」

――否――我らは根源の父祖なり――愛しきそして憎き甥子よ――闇にも融け得るかたちの者よ――


わけがわからない。

東吾におじさんはいない。両親は共に一人っ子であり、親戚関係は実にさっぱりしたものだ。

そのせいで正月にもらえるお年玉の額がどうしても少なくなり、あまりぱっとは使えずにちびちびと使っていた覚えがある。


「俺におじさんなんていねえっつうの。二人してあっちに来いとかこっちに来いとか」

――感じよ――汝の魂の翳り――それが導く方向――

「だから。どっちだ? お前らわけわかんねえな」

――感じよ――己が心の暗闇――光を塗り潰さんとする影――赴くままに――

「……」


なに言ってんだこいつ。そういえばさっきから妙に持って回った言い方ばかりする。

詩人か。詩人なのか。


「そういうのは聞いてないから。つか黙れっつってんだろ」

――暗黒の蠢き――灯火を食い潰さん――埋め尽くし引き摺りこむ――永遠に――其は悪意の色合い――汝の奥にこそ――

「オメーのポエムなんて聞いてねえ。行って欲しけりゃ具体的に言えボケ」


かみ合ってない会話に若干イラッとした東吾が言うと、声は微妙に詰まったように少し静かになる。


――……――

「なんだってんだ? ったく」

――……――我の所へ――

「うるせえ。いいかげんにしろこのバカ」


東吾の痛烈なダメ押しで男の声は完全に押し黙った。暗闇の向こう側で、男の影がちょっとうつむいたような感じがした。

すると。

さらにさらに、また新しい声が聞こえてきた。今度は妙に甲高い男の声だ。


――うひゃひゃひゃひゃ! いいねキミ。最高だよ!――

「わ。またか!?」

――あのアウグルゴスにこうまで言っちゃうなんて! いやいや、でもまったくその通り。あのうっとおしいポエムにはボクもうんざりしてたんだ!――

――……。き、貴様――


男の影が、新しい影をにらみつけたのが分かった。

そいつはそんなことをまるで気にしないように続ける。


――やあやあやあ。こんにちは、若い人間クン。ボクはカルウェニアン。気軽にカルウェって呼んでネ?――

「また変なのが出てきやがったな。ニカを怖がらせやがって」

――オウ、それはすまないねェ。ボクは止めたんだけど、このアウグルゴスとイルマイアが聞かなくてネ――


姿の見えない相手、カルウェが、肩をすくめたように言った。


――まあこの二人性格悪いから。意味もないのにイジワルするんだよネー――

「けったいな外国人みたいなしゃべり方しやがって。それで、お前ら結局なんなんだ? なんで俺の中にいるんだよ」

――ウンウン、キミの疑問は当然だ。一つずつ答えようか、まず、ボクらは神。この世界における神サマなのサ――

「はあ? 神だぁ?」

――神サマだ。造物主ってやつ。本当にネ? それでなんでキミの中にいるのかって疑問だけど……正確に言えば、ボクらはキミの中にいるんじゃあないのサ。だってホラ、姿は見えないダロウ?――

「うさんくせえ……。ん、まあ確かにほとんど見えないけど。真っ暗だし」

――ボクらは外からキミの内部に干渉してるだけなんだ。だからちゃんとした姿はない……でも神ってすごいから、声を届けることぐらいは出来るんダ。分かるかナ?――

「あーはいはい、分かった分かった。で、なんで神とやらが俺の中に干渉なんてしてくるんだ」

――それはネ。ふふふ、ナーイショ☆――

「ああ?」


東吾はイラッとして虚空を見た。


――おっとっと怒っちゃだめサ。しょうがないなァ、じゃあちょっとだけ教えてあげよう。……この間キミ、神と話したよネ? ここにはいない他の神と――

「? 神と話したって……。そんな覚えねえぞ?」

――アリャ? あ、もしかして、……やっぱり。記憶操作されてる。まったく彼はひどいヤツだねェ、そういう子だって知ってるけど――

「記憶操作……?」

――じゃあボクが思い出させてあげまショー。ほいっと――


カルウェがぱちりと指を鳴らした。

その瞬間、東吾の脳裏に、唐突に記憶が甦ってくる。


「……あっ!? お、俺。俺は、あの変なやつと話して。あのいきなり出てきたわけわからんやつ……?」

――思い出したネ? そうそうそれ、その彼サ。彼はボクらの『トモダチ』なんだけど、昔ちょーいと悪さをしてこの世界から追い出されちゃったんだ――

「追い出された? ……あいつ、座とかなんとか妙なこと言ってたけど」

――ウン、そう。彼は今色々やってるのサ、色々ネ――

「その色々ってのはなんだよ?」

――色々は色々。とにかく、ボクらはその関係でキミに干渉してるのサ。……ただし。神にも色々な思惑がある。アウグルゴスの思惑、イルマイアの思惑。ついでにボクの思惑も。みーんなそれぞれ目的は違う、でもキミを確保したいってことは同じなんだネ――

「確保? だからさっきから俺を呼んでんのか。どこについてく気もねえけど」

――アリャリャ。ひゃっひゃっひゃ、二人とも振られちゃったねェ。ざーんねん――


カルウェが言うと、他の二人の声の主はそれぞれに言葉を返す。


――我は諦めぬ――其が器は絶望の闇にこそ相応しき物也――何よりも憎きあの男の器を我こそが得るべし――我が全てを奪われたように――

――私もだ。あの人が愛した器……ゆえにこそ、私の色で染めたくて仕方がない。この可愛らしい器が変貌してしまった時、彼の目論見が壊れた時、どんな顔をしてくれるかと思うと。フフ――

――二人とも歪んでるねェ。まあボク、キミたちのそういうところ大好きだけどネ――


カルウェが可笑しそうに含み笑いする。

それから、東吾に向かって言った。


――ま、今日のところはこのへんで退散するよ。あんまり長いこと話してると、他の『神』に見つかっちゃうからネ。それは困るんだよねェ――

「ああそうかい。じゃあさっさとどっか行け、それともう来んなよ」

――そんなつれないこと言わないでよ。今度、ボクと一緒に遊ばない? 最近はまってる遊びがあるんだ、生首サッカー。それに生きてる人や吸血鬼、魔族を使ったチェス。駒同士で本当に殺し合いをさせるんだ、駒に応じて強さはあるけどたまーにポーンがナイトを倒しちゃうこともあってサ。予測不可能でとっても愉しいよ――

「な、なに言ってんだ、お前……!?」

――うひゃひゃひゃひゃひゃ! きっとキミもはまる、最高なんだよ。ねえいいだろ、ボクと遊ぼうよォ。ひゃっひゃっひゃ!――


極彩色の狂気に彩られた厭らしい笑い声が、東吾の耳を打つ。

その時。部屋の中天にある天窓から、一筋の光が差し込んだ。

光は邪悪な暗闇を払い、清浄な輝きがあたりに満ちる。


――……と、いけない。『彼女』が来ちゃった。まずいかも?――


カルウェが少しあわてたように言った。

光は一点で収束すると、かたちを為して、人の形が現れていく。

ばさり、と大きな白い翼が広がった。


「ふう。……いけませんね」


それは、長い金色の髪色、頭の上には光る輪。

背中には大きな翼を生やし、純白の衣装を身に纏っていた。

……女神。

そうとしか形容できない、美しい光を放つ、一人の女性だった。


「うわ。今度は誰だ?」


東吾が女性の美しさに目を奪われそうになりながら言った。

しかし女性、いや女神はそれに答えず、暗闇の中に潜む影に向かってきっと視線を向けて言った。


「邪悪な囁き声が聞こえたから来てみれば。あなたたち、なにをしているのですか?」

――ワオ! これはこれはサンダルフォンじゃないか。お久しぶりだネ?――

「私はもう二度とあなたの顔を見たくなかったのですが、邪悪なるカルウェニアン。私の質問に答えなさい」

――ボクらはちょっと遊んでただけだよ。本当だよ? 信じて麗しの女神さま!――

「……。答える気はない、ということですか。この少年に干渉する気であるなら、この私が黙っていませんよ」

――オウ怖い怖い。じゃあボクらはさっさと消えるよ、女神サマにムチでおしおきされちゃう前に。それもいいんだけどネ! うひひ!――


暗闇の奥でカルウェが歪に笑う。

そして最後に、東吾に向かって言った。


――それじゃあね、ミシロ・トーゴクン。ボクは混沌の神、カルウェニアン。神なのになんにも作らず、他の神の創造物で遊ぶ素敵なピエロさ! ひゃひゃ、ばいばーい――


嗤い声を残し、カルウェたちの気配が消えていく。

あとには東吾たちと、一人の女神が残された。

東吾は突然現れた謎の女神を見つめた。女神は視線に気づくと、こちらに振り返ってにこりと可愛らしく微笑んだ。


「大変でしたね、トーゴさん。邪悪なる者どもにまとわりつかれて」

「え……。あ、あんた誰だよ? 俺のこと、知ってるのか?」

「もちろん知っていますよ。私はこの世界の神の一柱ですからね。申し遅れました、私は女神のサンダルフォンと申します」


そう言って、女神はぺこりと頭を下げた。


「是非、エリヤ、と呼んでくださいね。私のニックネームのようなものです」

「は、はあ。……今、助けてくれたのか? センキュ」

「いいえ、お気になさらず。あの邪悪な神々は隙を見せるとすぐに近寄ってくるのです。人々を正しい道から引きずり降ろそうと」


サンダルフォンことエリヤは振り返って暗闇をじっとにらむ。


「あの者どもの声を聞いてはなりません。聞くだけで身が穢れますから」

「お、おう」

「でもトーゴさんがご無事でよかったです。ほっとしました」


エリヤが綺麗な笑顔で微笑みかけてきた。東吾はその美しさに、思わずどきりと胸が高鳴った。


「あら? どうしました、少しお顔が赤くなっていますが」

「あいや、なんでもない。な、なんでもないんだ」


それをごまかすように東吾はモニカを見た。

モニカはまだ東吾にしがみついたまま、離れようとしなかった。


「おいニカ、もう平気だぞ。あの変な連中はどっか行っちまったから」

『う……』

「顔上げろって。……あれ? どした?」


ニカはぶるぶると震えて、ますます強く東吾にくっついてくる。


『う、う、う。こ、怖い。怖いよぉ。うう……!』

「おい? ニカ」


するとモニカがほんの少しだけ顔を上げた。

しかし――東吾の後ろにいる女神を一目見ると、また怯えたように顔を埋めてしまった。


『ひっく、ひっく……! やだ、やだやだ。もういやだぁ……』

「? なにビビってんだよ。お前らしくないな。こっちの女神さんは俺らを助けてくれたんだぞ」

『な、なに言ってんだよぉ。そいつ、一番怖いじゃないかぁ……! 分かれよ、よく見ろよぉ……!』

「はあ?」


東吾がエリヤに振り返った。

そこには――


「……えっ?」


変わらぬ女神の微笑――

その瞳の奥が。

どす黒く。歪みきった狂気の色を、爛々と放っていた。


「あら? どうかいたしましたか。『お兄様』」

「え……。お兄様、って……?」

「あらいけない。私ったら、つい昔のくせで」


さっと女神が口元を押さえた。

そして言った、


「まあいいでしょう、いずれはすぐにお兄様に『なり』ますから。多少知られたところで小さいことです」

「……?」

「うふふふ。お兄様、私だけのお兄様。今から待ち遠しくてしかたありません、お兄様。大好きなお兄様、素敵なお兄様。この世界はお兄様のものですよお兄様。あんな薄汚い豚どもではなく、お兄様こそが唯一の神と呼ばれるにふさわしいですわ。お兄様」

「お、おい。あんた……!?」


エリヤが微笑を浮かべたまま、東吾の体に抱きついてきた。

細く可憐な手が東吾を抱く。ふわり、とえも言われぬ美香が鼻をくすぐった。

しかし東吾は、何かおぞましいものに抱きつかれているような、恐ろしい悪寒がした。


「お兄様、エリヤはずっと待っておりました。お兄様のために、たくさん天使も用意したんですお兄様。来るべき審判の日にお兄様の手駒として動かせる、死も厭わない忠実なしもべを。うふふお兄様、お兄様に従わない者を皆殺しにしてやりましょうお兄様。ついでにお兄様と私だけの世界には邪魔ですから、最後はその天使たちも全て殺してしまいましょうお兄様。私とお兄様の結婚式の時には、参列者代わりにそのゴミどもの死骸を吊るして祝福させましょうお兄様。クズとて私たちを祝福する権利くらいは認めてあげてもいいですからね。お兄様大好き。愛しています、お慕いしておりますお兄様。お兄様ったら。うふふふふふふふふふ。お・に・い・さ・ま」


狂っている。

狂気に満ち溢れた巨大な情念が、深遠の中からじっと東吾を見上げていた。


「うわ……!」

「ああ、お兄様……。もうすぐ、もうすぐ逢えるのですね。お兄様ぁ……」

「や、やめろ……は、離せ! 俺から離れろ!!」

「あら? ……ああいけません、『まだ』お兄様じゃないですからね。まあ私にとってはトーゴさんもお兄様なんですけど。一番はもちろん本物のお兄様ですが」

「いいから離れろって言ってるだろ! あんた、イカレてるのか!?」

「ううん、しかたがありません……。でもあと少し。あと少しでお兄様が還ってきますから」


エリヤはふるふると首を振ると、東吾の額に手を当てた。

ぼうっ、と淡い光が灯る。

すると東吾の意識が、急速に遠ざかりはじめた。


「うっ……!? な……」

「おやすみなさい、お兄様。エリヤはまた会う日を、心待ちにしております――」


東吾の体から力が抜けた。

そのまま、沈み込むように東吾の意識が拡散した――






「――うわああっ!!」


東吾はベッドの上で跳ね起きた。

荒く息をついて、そして自分がどこにいるのかに気づく。


「あ、あれ? ここは……」


東吾は清潔なベッドの上に寝かされていた。

目の前にある窓からは朝日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえてくる。あの陰鬱な部屋の中ではなかった。

横を向くと、リィーンがびっくりした顔をして、こちらを見て固まっていた。


「トーゴ……?」

「あ。リィーン?」

「ど、どうしたの急に叫んで。び、びっくりした」

「あ……。ご、ごめん」


東吾は少し頭を振って起き上がった。

東吾は異世界に来ていた。気がつけば、再び召喚されていたらしい。


「すげえイヤな夢見た……。夢っつうか、俺の中の話っていうか。なんだったんだ……」

「? あの、それはいいんだけど。毛布をどける前に服は着てよ?」

「ん、ああ。そうだな」


東吾は自分の体から服を浮かび上がらせると、掛布をどけて立ち上がる。


「リィーン。ここはどこだ?」

「ローレンシアよ。城下町の宿。さっきトーゴを召喚したら寝たままだったから、とりあえずベッドに寝かせておいたの。……やっぱり裸だったけど」


ちょっと顔を赤らめてリィーンが言った。

すると、東吾の右手がぶるぶると震えて声を出した。


『……うう……』

「あっ、ニカ。そうだ忘れてた、大丈夫か?」


東吾はモニカこと自分の右手を軽くさすった。モニカが泣き声で言った。


『もうやだ、ううう……! 怖かったぁ……!』

「もう大丈夫だから。昨日まで気づかないでからかったりして、ごめんな。よしよし」


その様子を見たリィーンが不思議そうに首をかしげた。


「どうしたの? 何かあったの?」

「いやちょっと。夢の中で変な連中に絡まれてたんだ」

「? 夢の中で?」

「なんつーか……まあ、だいたいそんな感じ」

『ぐすん』


右手のモニカは東吾の服をぎゅっとつかむようにして、しがみついていた。



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